第十章 神絵師SNS

 かちり。


「ふぃーっ……」


 俺はそこで手を止め、強張った首をほぐすようにぐるりと回した。




 何なんだよ、この圧倒的な物量は。凄えな、神々の妄想。


 どうやらこの《神絵師SNS》では、神と女神の区別なく、ネットにアクセスできる誰もが自由に投稿可能らしい。《神絵師》と聞いて、はじめはさぞや超絶美麗なイラストばかりが並んでいるものと期待していたのだが、ある意味それは裏切られることになった。薄々そんな予感もしていたのだけれど、ここに投稿しているのは神と女神ばかりなので《神絵師》ということらしい。何とも紛らわしいネーミングである。


 ついでに言うと、SNSと言うのも俺が良く知る『ソーシャル・ネットワーク・サービス』の略ではなく、『スーパー・ヌース・サイト』とあった。


 ヌース……ニュースの誤植か?


「ヌース、って、知性と精神とかって意味よ?」

「超知的サイト、とでも言いたいのか……」


 一応、ゴッゴル先生に聞いてみると、マリーの説明が正しいことが分かった。ギリシャ語らしい。知的って……ま、いっか。やっぱり神々の住まう世界だから、世界観のベースにあるのはギリシャ神話ってことなんだろうな。




 前に、ギリシャ神話についてもっと知りたいと思いつつも翻訳物に飽きてしまっていた俺は、目新しさに惹かれてオタク層を――もっと言うと、腐女子を明確なターゲットにして書かれている本を読んだことがあった。それは男オタクの俺でも発想と解釈のユニークさに感心するばかりの内容で、総じて、ギリシャ神話は当時の腐女子の手によるBL本である!とまとめられており、思わず飲んでいたコーヒーを噴きそうなほど爆笑してしまった。


 実際の話、ホモやらBLなどという概念は近年に限ったものではなく、古代ギリシャに生きた哲学者、プラトンの著書だって頻繁に登場するくらいだ。ギリシャ神話の最高神・ゼウスも、とかく若い女性と見るや手を出して、そのたびおっかない奥さんにお仕置きされちゃうはた迷惑な絶倫神として見られがちだが、どっこい男の方もなかなかイケる口なのである。たとえばガニュメデスは、トロイヤの王子で美少年だったらしい。それを攫ってきて少年メイドにしちゃうとかゼウスさんまじゼウス。


 日本もしかり。それこそ『日本書紀』にだって男色――つまりは同性愛と思しき記述が登場する。それは、彼の神后天皇が小竹を訪れた際の『阿豆那比アズナヒ之罪』という一節で、これが日本で最も古いBLだとされている。らしい。そうでなくても信長×蘭丸なんてド定番は誰でも知ってるカップリングだろうし、そもそも明治以前の日本には同性愛を制限する法律がなかったのだから、妄想してひねり出す必要性すらなかった訳だ。そうなると、腐女子も喜んでいいのか微妙だろうが。




「それにしても……」


 SNSとは言っても、実際の仕組みとしては掲示板――BBSのようだった。

 一応、ジャンル別に投稿できるらしいのだが、


「こっちは腐向けオンリー……。で……こっちは百合向けオンリー、と」




 ノーマルないんすね。




 と思ったら、ありました。




「あー……そう来るかー」


 よりによって、ジャンルは『アブノーマル』だ。ノーマルなのにアブノーマルって、自己言及のパラドックスで自我崩壊しないのか。


「あ……あたしも見ていいっ!?」

「良いも何もないだろ? これ、そもそもお前のパソコンなんだし。ちょ――! 押すんじゃねえ!」


 女神のショルダーチャージを至近距離からまともに喰らった俺は、あっさり椅子の占有面積の一部とマウスの所有権を譲り渡してしまった。


「ね? ね? これ……凄くないっ!?」

「う……。あー、ま、まあな」


 近い近い。近いっつーの。

 それに、やたらと柔らかいし。良い匂いするし。


「あー。こんな風に描けたらなー」

「そ、そんなにお前とレベル差はないと……思う」




 かちかちっ!

 かちかちっ!




 こっちが妙にほんわかしてるってのに、マリーの方はというと、マウスを握り潰しそうなイキオイでクリックを続けていた。俺の方だけ一方的にモヤモヤしているのは、何だか不公平で理不尽ですぞ。


「みんな、あたしなんか足元にも及ばないくらい凄い……! ほら、このイラストなんて、凄い数のコメントが付いてるわ!」

「ん……? ぐふっ!」


 そのドぎついイラストのおかげで、脳裏に渦巻いていたピンク色がかった霧が一瞬で晴れてしまった。


「ショタじゃねーか!? しかもガチめのっ!」




 嗚呼。

 か弱い美少年がこんな髭むさいおっさんにー。


 上も下も、そりゃあえらいことになっとります。

 検閲しろ。モロじゃねえか。




「シ、ショタ?」

「さっき教えたろ? あとで自分で調べなさい」

「……はぁい」


 マリーは悪戯が見つかって叱られた小学生みたいにしょんぼりむくれていたが、こういうのは他人から教わって身に付くものではないのである。


「ここにハンドルネームが書いてあるな……葵か」


 ちょっと冷静になって観察してみると、確かに他の投稿作品と比べても画力がずば抜けている。マリーのを見た時に感じた衝撃を軽く凌駕する高い技術。構図からも、さりげなく配置されているモチーフからもセンスが感じられるし、何よりマリーが持っていないストーリー性がそこにはあった。


「ちょっとこっちも読んでみるか」


 付けられている無数のコメントに目を通すと、そこはある種崇拝にも似た賛美、賛辞の言葉で埋め尽くされていた。一見するとアンチっぽくも取れるコメントもないではなかったが、最後には結局どれも褒め称える形で締めくくられていた。


「絶賛だな。こいつは文字通りの神絵師らしいぞ」


 そこで改めて、作品に投稿者本人が付けた解説文も読んでみた。




『今回もまた、ショタロン描いちゃいましたよー。はうー、ショタロンマジ天使! やっぱ太陽神には半ズボンと純白のソックスが似合うすなー。異論は認めない。うへへー。脱がせずおじさん(♀)が丸ごとぺろぺろしちゃうぞー。最近の悩みは何ですか?という質問があったのでここで回答します。それはもちろん葵には生えてないことですっ! はぁ、ココチン(注・心のチンコ)がマジ切ないわー』




 かちかちっ!




「ななな何で閉じるのよっ!!」

「ばばば馬鹿っ! こいつはどう見ても真性の変態だろうがっ!」


 やばいやばい。


「ちょ――! よこしなさいって、ばっ!」


 ぐほっ!

 さっきのが弱だとしたら、今度は強ショルダーがまともにわき腹にめり込んで、呆気なく椅子から転げ落ちてしまった。俺が……止めてやらねば。


「ま……待つのだ、女神マリーよ……。それを見ては……なら……ない。……ぐふっ!」

「ふっふーん♪」


 無駄に芝居がかった俺の断末魔の科白を鼻で笑い飛ばすと、マリーが椅子の上からふにふにした爪先で容赦なくとどめの一撃まで入れてきやがった。止めろっつーの、こそばゆいだろ。


「しばらくそこで死んでるといいわ、馬鹿ショージ。あ! 葵さん、漫画も描いてるわよ?」

「へー。ホントだな」

「う……復活早いわね」




 かちかちっ。

 お。




 かちかちっ。

 おお。




 どっかの誰かとはまるで違い、物語の中身がしっかり考えられていて、文字や科白で語られていないキャラクターの背景までが伝わってくるようだった。それでいて説明臭さがないのにも感心してしまう。商業流通の漫画なら普通なことだったとしても、所詮は素人の描いた漫画だ。事前にネームをよく練り込んでおかないとだらだらと説明ばかりで、リズム感を失ってしまいがちなものである。




 しかしなあ。

 やっぱこれって。




「ショタロン、って……ショタのアポロンって理解で合ってたんだな……だ、大丈夫なのか、これ?」


 ま、アニメもゲームもない世界だから、二次創作物自体が成立しないと思ってたんだけどさ。これだって二次じゃないのかな。


 本家を怒らせるとやばいぞ。何せ太陽神様だ。


「わー……わー……」


 俺の心配を物ともせず、マリーはまるで子供のように、きらきらと目を輝かせてスクリーンに釘付けになっていた。何だよ。こいつこんな風に笑うのか。


「お、おい……マ――」


 俺は言いかけた言葉を引っ込め、緩んだ口元から溜息をそっと吐いた。




 ――しばらくそっとしといてやるとしよう。


 ま、見ているのが、一八歳未満お断りの一級指定の危険物だ、ってのは置いといて。



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