第八章 腐った女神
「お――お邪魔しまーす……」
「そういうのいいから。キモいし」
だから、キモい、は余計だっつーの。
そうは言われても、女の子の部屋に入った経験なんて今まで一度もないんだから、緊張するのは仕方ないじゃんか。
「へ、へー……」
例の大理石風の扉の向こう側に広がっていたのは、普段ツンツンしているマリーの印象からは想像できなかった妙に可愛らしい空間だった。
広さはやっぱり六畳ほど。まさか天界っていうのは、どこもかしこも全部六畳単位で区切られてるんじゃなかろうか。と、いつもながらの世知辛さを感じずにはいられなかった。さすがにピンク一色なんてことはなかったが、基本的にはパステル調で統一されたいかにも女の子って印象の部屋である。そこかしこにもこもことした大きめのぬいぐるみが置かれていたけれど、ベースになっているモチーフが何故か今一つピンとこない。
あそこの白いのは……ペガサスかな?
見慣れた筈のありがちなアニメキャラ物なんてのは一つとしてなく、どうやら全てが神話に登場する動物のようである。
うーん……馴染めない馴染めないぞ。
さまざまな感情――というより感想を胸に、妙にそわそわし始めた俺を牽制するかのように、ぎろり、とマリーは一瞥してから、
「……じろじろ見ないで」
「あ! や……!」
「はい、ここ」
ぱんぱん、と椅子を叩いて座るように促す。
「う……っ」
サイズはまともだが、デザインに関してはかなり腰の引ける椅子に顔が引き攣りそうになる。その前にでーんと置いてある机もそうだ。色合いこそこの部屋にマッチしているが、つまりは全面パステル調ってことであり、パーツというパーツは柔らかく丸みを帯びていてやたらと可愛らしい。まるでピカピカの一年生向けのそれの如しである。
「……何警戒してんのよ? 安心しなさい。座る瞬間に椅子引いたりなんて真似しないから」
だから、小学生かっつーの。
訂正するのも面倒なので、言われるがままに座る。こんなデザインのくせに、やけに座り心地は良かったりするのが少し釈然としなかったりする。
「……使い方は分かるわよね?」
ぽちり。
ふいーん。
整頓されている机の大半を占有しているそれが、低く微かな振動音とともに動き出した。
「あ……あの……あ、いや、使い方は分かるけど」
まあ。異世界だもんな。
……いやいや。
いやいやいやいや。
思わず頭を抱えてしまった。
「何でパソコンあるんだよ………………」
「ん? 買ったから」
「そうじゃねえよ!」
思わず目の前のデスクトップ型パソコンの本体をばんばん!と叩きそうになったが、壊しでもしようものなら俺の身に何が起こるか分からないので仕方なく机の方を平手で叩いた。その間も順調にスクリーンには起動中を示すロゴが表示され、あまつさえハードディスクの奏でるカリカリカリ……という音まで響いている。さすがに、というべきか、ロゴとセットで表示されている文字は、見たこともない難解な線と記号の組み合わさった物だ。
じゃなくて。
「ここ、天界だよな? な?」
「そうだけど?」
馬鹿じゃないの?って顔すんな。少しは隠せ。
「天界ってさあ……なんつーかこう、精神的に洗練された文明とか文化で成り立ってるんじゃなかったの? パソコンとかって、あまりにも物質的すぎるんじゃねえの? ナメてんの?」
「だって便利じゃん」
「じゃん、じゃねえよもおおおおお!」
俺はぐぬぬぬぬ!と頭を掻き毟った。
痺れを切らしたマリーが横から手を伸ばしてマウスを掴み、やけに小気味いい動作でしゃっしゃっと操作を始めると、縮まった距離とともに彼女の纏うふんわりとした甘い香りが鼻先をくすぐったが、ショックを受けている俺はどきりとするどころではなかった。
マリーは言う。
「ほら。ネットも繋がってるわよ?」
「繋がってんじゃねえよ!」
それでもスクリーンに映し出された映像は、普段見かけるそれとは少し違ったものだ。そのせいで余計に驚きが倍増してしまった。
「GOD……GLE……だと……!?」
「ここに探したい物のキーワードを入力すると、瞬時に探してくれるの。あんたの世界にも似たような物があるんじゃない?」
いや、あるんだけどさ。パクりすぎだろ神。
ゴッゴル、って読むらしい。限りなくアウト。
「聞かない方が身のためだと思ったんだけど……このパソコン、ブランド名とかあるのか?」
「あるに決まってるでしょ?」
またもや、しゃっしゃっ。
「ここよ」
あー。
このトップ画面、見たことあるんですが。
しかも、宗教画とかで……。
「……創設者はこの二人の神と女神。召喚した《英雄》がたまたま持っていた一台のパソコンを参考に、あたしが今使っているこのモデルを完成させたの。今のところ、天界に存在する唯一のパソコンメーカーね。ブランド名は、二人が結ばれるきっかけとなった禁断の果実からヒントを得て、アップ――」
「はいストップ! ストップゥゥゥゥゥ!!」
そのネタはいけない。
創設者二人の名前なんか、聞かなくても当てられるっつーの。
マリーは、きょとん、とした顔をしていたが、これ以上続けられたら削られすぎた心がついにぽきりと折れてしまいそうである。それに、パソコン自慢をして欲しかった訳じゃない。
「じゃあ……そろそろ見せてもらってもいいか?」
「う……そうだったわね」
まだ少し迷いがあるらしく、渋々といった風情で今度はやけにのろのろとカーソルが画面を走った。
ぽち。ぽちり。
「……は、はいこれ! 勝手に見なさいよっ!!」
言うが早いかマリーは背を向け、どしどしと足音を立てながらいくつかのぬいぐるみを拾い上げると、倒れ込むようにソファーベッドに身を投げる。ぬいぐるみに埋もれ、隙間から辛うじて覗いているマリーの頬は熱病患者のように真っ赤だ。ときおり、ぎゅっ、とぬいぐるみを引き寄せ、全ての音も声も聴くまいと耳を堅く閉ざしている。
――やっぱり止めておけばよかった。
――あの妄想を見て、何て言うんだろう。
――早くこの時が過ぎて欲しい。
怖くて、どきどきして、不安で堪らない――そのどれもが痛いほど分かってしまった。
ふう。
俺はにやけ顔をすっと引き締めると、もう一度深く息を吸って吐き、決闘に赴く者のように再びスクリーンと対峙した。
「……じゃ、見せてもらうからな」
かちり。
かちり。
かちり――。
――かちり。
俺はそこで手を止めた。
「ふーっ……」
膨大な量だった。
あまりに集中し過ぎていて、どのくらい時間が経過しているのか分からなかった。何故だかは知らないが、そもそもこのパソコンには時計の機能がないのである。天界には時間の概念がないから、そういうことなんだろうか。そんなことはいい。
「おい、マリー。……終わったぞ?」
びくっ。ぬいぐるみの山に埋もれたマリーが身体を震わせた。一切の音を聴くまいとしていても、やっぱり気になっていたのだろう。もぞもぞ……と身体を起こし、例のペガサスを抱きかかえて膝を立てるように座り直す。
「……どう……だったのよ?」
怒ったように尖った唇からか細い声が漏れた。
正直に言おう。
「あっちの世界でも、ここまでの画力がある奴はそうそう見かけない。最初は単純に凄え!と思った。でも……そのうち悔しくなってきて、終いには嫉妬すら覚えちまった。オタクの俺にここまで言わせるんだ、それくらいずば抜けた才能だと思ったよ」
イラストを描くのが得意、という奴でも、延々顔のアップだけだったり、せいぜいバストショット止まりだったり、ポーズはあっても右向きオンリーみたいな中途半端な連中はごろごろいる。
だが、マリーは違った。
線の綺麗さ、タッチが絶妙で、キャラのポーズも驚くほど多彩で、一つとして同じ物がなかった。衣装も髪型も独創的で、それでいてしっかりとした現実感と一貫性もある。そしてなにより構図が良かった。どうすればキャラの魅力が引き出せるのか、そこに科白一つなくっても、キャラの持つ内面、心の動きまでがありありと伝わってくるようだった。
「………………へー」
「ちょ――!」
うぉい!
「褒めてやってるのに、へーってのはなん――!」
だが、そこで言葉に詰まってしまった。
そんな素っ気ないリアクションを返しておきながら、ぬいぐるみに顔を埋めるようにして浮かび上がった表情をすっかり隠してしまっているマリーのジャージの裾から覗いている足先が、こそばゆそうにもぞもぞそわそわとひっきりなしに蠢いている様を見てしまったからだ。
ったく……。素直じゃない奴。
気持ちを切り替えようと、咳払いをしてから、
「……だけどな?」
はあああ、と溜息を長々と吐く。もぞもぞ、がぴたりと止まった。
「え……な、何よ?」
「何よ、じゃねえよ……。ちょっとこっち来い」
俺の方もまだ平静を取り戻せていない表情を見られたくなかったのでスクリーンの方を向いたまま手招きすると、少し長めの間の後、衣擦れの音とともにかすかに甘い香りが漂った。
「……来たけど?」
「お前、イラストだけじゃなくって、漫画も描いてたんだな。他にもあるのか?」
「――! ううう……」
いや、そりゃ見るだろ。何をいまさら……。
「ま、まだそれが初めて描き上げた奴で、それしかない。ちゃんとした作品は、ってことだけど……」
「ちゃんとした、ねえ……」
かちり。
「ちょ――!? 目の前で開かないでよっ!」
「こうしないと話が進まないだろうが」
マウスを取り上げようとするマリーの手をかわして、一ページ目を開いてしまう。
『おい、待てよっ!』
『は、離せってば!』
掴み合い、揉み合う二人の少年。
はい、二ページ目。
『アーッ!』
大ゴマのカラミがどーん。
「展開早ええよ!」
早いどころではない。ストーリーの途中とかではなく、ほんと誇張抜きでこれが一ページ目と二ページ目なのである。
「読んでる側はシチュエーションも分からないし、こいつらの名前すら分かんないんだが?」
ぺしぺしと机を叩きながら言うと、マリーは不思議そうに小首を傾げながらすらすら語り始めた。
「えっと……この二人は子供の頃からの親友でね? 孤児院でずっと一緒に育ってきたんだけれど、実はそれぞれが敵対する大国の血を受け継ぐ王子だったってことが分かって、アルシュが……あ、こっちの生意気そうな赤毛の子のことなんだけどね――!」
「い……いやいやいやいや!」
おー語る語る。
しかし、これ以上長くなっては堪らない。身振りも交えて話をぶった切ってやった。
「だ・か・ら! それを描け!つってんだろーが! そこも含めてお前の妄想だろうが!」
「……あー」
あー、じゃねえよ。
「あとな!?」
マリーはもうすっかり観念したのかマウスを弄ろうとも抵抗せずに隣で見つめていた。
かちり。
カラミ。
かちり。
カラミ。
かちり。
カラミ……って、ねっちこいなおい。
――Fin。
「終わってんじゃねーよ!」
わなわなする両手の行き場がなくって、腰のあたりに構えて天を仰いで吼える。効果音を添えるなら、URYYYYY!とかがふさわしい。
「Fin、じゃねーんだよ! 結局ヤっただけじゃねーかあああああ!!」
「えー……だってー……」
ぷくー、とマリーは膨れている。
「だってー、じゃねえっつーの! お前も何で不服そうなんだよ!? どんだけだよっ!」
「……やっぱり馬鹿にしたし。約束したじゃん!」
「え……いやいやいや!」
そっちか。慌ててぶんぶんと手と首を振る。
「これは馬鹿にしてる訳じゃないんだって! 批評だ。真剣にお前の妄想、作品を読んだ上で、率直な意見、感想を作者にぶつけてるんだよ。いわば読者アンケートって奴。それもこれも、お前の画力ならそれが実現できると思ったからこそ、敢えて厳しいことを言ってやってるんじゃないか!」
まだ疑っていそうな顔付きだが、続ける。
「――お前の弱点は、ずばりストーリー性だ。はっきりいっちまうと中身がまるでない、スカスカなんだよ。お前だって本心では、これでこの作品が完成したなんてちっとも思えてないんだろ? ん?」
「う……っ」
どうやら図星のようである。
身体の前で手を組むように言い訳を始めた。
「だって……もやもやーっ!って浮かび上がった妄想を、そのまま、がー!って描いていったらこうなっちゃったんだもん! 仕方ないじゃない!」
逆切れですかそうですか。
半ば呆れつつも、
「ち――ちょっと待ってちょっと待って!」
ふと途轍もない違和感がよぎり、俺は身体ごと振り返るようにしてマリーに尋ねてみた。
「そのまま、って……まさかこれ、ネームも描かずにいきなり描いた……のか!?」
「ネ、ネーム?」
あー面倒臭い。またもやマリーの知らない単語だという訳か。
「ネーム、ってのはだな――」
机の上の手近な白い紙とシャープペンを手に取っり、ひらひらぷるぷるさせながら反応を窺うと、好きにすれば?とでも言いたげにマリーは肩を竦める。なので、早速俺は見様見真似のざっくりとした絵を描き始めた。
「ほい。……こういう奴のことだ。大まかなコマ割りとポーズを描いて、フキダシに科白を当てていく。ほら、な? こうすると大体の話の流れが整理できるだろ?」
「へ、へー。あんたもやるじゃない」
マリーは驚きを隠そうと偉ぶって鼻を鳴らしつつもかなり気になる様子で、ちらちら、と横目で盗み見ている。だが、正直に言って本職でも何でもない俺の描いたネームなんて、小学生の落書き以下だ。
凄いのはマリーの方である。プロの漫画家でも、ネームなしのぶっつけで本原稿を描いていく人なんてそうそういない。聴いたこともなかった。
昔とあるインタビューで、私ネーム描かない人なんですよねー、と答えていた女性漫画家がいたが、別の雑誌の掲載記事に『只今編集さんとネーム決め中ですっ(はあと)』とキャプションの付けられた写真が載ってしまい、アンチに叩かれてたっけ。
……ん?
待てよ?
「下描きくらいは……するんだよな?」
「しないわよ。めんどいじゃん」
「め、めんどい、ってお前……」
呆れるし、感心してしまった。こめかみを揉みほぐしながら告げる。
「ま、これはこれ。次に描く時には、まずネームから描くようにしろよ? そうするだけで、ずいぶん物語としてはまともになる筈だから。いいな?」
「……えー」
「えー、じゃありません」
ぴしり、と釘を刺してから、もう一度最初から最後まで読み返していく。加えて、単体のイラストの方も一枚一枚くまなく見返していった。そして俺は、一つの結論を得た。
「むう」
やっぱりそうだ。
さっきの黒板に描かれたイラストを見た時から、そうかもしれないという予感はあった。できれば触れずに済ませたいところだったが、これだけはっきりしてしまうと、言わずにはいられないだろう。
「何、難しい顔してんのよ、馬鹿ショージ?」
口調とは裏腹にちょっぴり不安そうに尋ねるマリーを振り返って見つめ、俺は言った。
「一つ……訂正しないといけないことがある」
「え?」
「マリー。お前はオタクだが、俺と同じじゃない」
「え……」
絶句する。
せっかく同志を見つけたと思ったらその当人から否定をされたのだ。蒼褪めてすらいるように見えたが、それは俺の言葉が足りないせいでもあった。
「がっかりすんな。説明がややこしいんだが……分類学上は、お前は確かに同じオタクだ」
そんな大層なアレじゃないけどな。
「だがしかしだ……広義のオタクという分類の中に、さらに狭義の分類がいくつもあるんだ。アニオタとかゲーオタとか声優オタとかって……い、いや、これじゃ分かんないのばっかか」
さっき、ちらっと見た限りでは、天界にはアニメもゲームもないようだ。そのどちらもないのなら、声優なんて特殊な職業も存在しないのだろう。
「――その中において一際異彩を放つオタク、そのほとんどが女性で構成されているオタク層にお前は分類される。そして……俺のような男のオタクにとって、彼の者たちは仇敵だとすら呼べるだろう」
「……ごくり」
わざとやってんな。意外とノリが良い女神である。
「俺たちは同じオタクでありながら、互いを毛嫌いし、時には憎しみを抱く傾向がある。それは、自分の嫌な面を相手が持っているからに他ならない……つまりは同族嫌悪なのだよ――」
何だかこっちの口調まで変になってきた。だが、そろそろフィナーレだ。
びしぃ!
「しかし、敢えて告げよう、女神マリー! お前に与えられたその名こそ、腐女子なのだ!」
「……ふ?」
マリーは衝撃を受けるより先に、イミワカンナイ、って顔をしていた。ま、そりゃそうか。そして、朧げな記憶を手繰るようにマリーはこう繰り返した。
「ふ……ふじょしん?」
「言ってねえ!?」
と即座にツッコミながらも、
「あー……そうだな。腐ってる女神なんだから、ふじょしんの方がぴったりだ。合ってる」
「腐ってないしっ! ……え?あたし、臭い?」
肘を交互に上げ、くんくん、と嗅いでいるところがピュアすぎて思わずにやけそうになってしまったが、かと言って、いやいやお前は良い匂いがするぞと言ってやるのも何だか違う。
「言葉通りの意味じゃないんだってば。お前と同じ、偏った嗜好を持つ女オタクたちが自虐的に、あたしは腐ってるから、と自分自身を評したことに由来するんだ」
「腐ってる……?」
「そ」
俺は大理石の扉の方に顎をしゃくって見せた。
「お前のイラストに……それを証明する特徴があっただろ?」
「な、何だってのよ?」
「だってお前……女の子のイラストはまるで描けないじゃん」
「な――っ!」
そう。
黒板のイラストがそれを雄弁に物語っていた。
中央に描かれた《勇者》は精緻で目を見張る出来栄えだったが、周囲に群がる女神は棒人間に毛が生えた程度でそれは酷い出来だったのだ。自分と同じ、女神であるにも関わらず、だ。
「そ……ソンナコトナイワヨー」
「何でカタコトなんだよ……動揺しすぎだろ」
壊れたロボットみたいな動きしてるし。
「じゃあ質問だ。――攻めの反対の言葉は?」
「……受け?」
はい、アウト。
つか、何でそんな言葉はしっかり理解してんのさ。
俺は魔女狩りの審問官のごとき冷徹さで告げた。
「腐女神じゃないと言うのなら、そこで答えるべきは、守り、だったな。本当に……残念だ」
「のおおおおお! 今一度チャンスおおおおお!」
ぐぬぬぬ!と頭を抱えて悶絶しているマリー。その科白は女神って言うより、ヒーローに負けた女怪人っぽいぞ。しかも、割と下っ端の。
「でも……何でBLなんだよ? こっちの世界には男なんてほとんど残ってないんだろ?」
「……びーえる?」
いちいち面倒臭いなー。ネット環境が整ってることは分かったんだし、あとでオタク方面の情報を探すコツを叩き込んでやらないと。
「んー」
少し考えを整理してから口を開く。ただ今回は、オタクとは何ぞや?より悩まずに済んだ。
「……BLって言うのはだな、『ボーイズラブ』の略語で、男性同士の恋愛を描いた作品のことを指すんだよ。で……何でなんだ?」
「何で……って言われても」
改めて問われると答えに窮するらしい。
しばし唸り、当たり前の科白を当たり前に吐いた。
「……そりゃ、ここにないからに決まってるじゃん? ここに存在しないから、求めても得られない物だからこそ妄想でそれを補うんじゃないの。そんなの、あんただって同じでしょ?」
「そっか……」
その科白は、清々しい程ストレートに俺の心に響いて、答える声に力がこもってしまった。
「そうだよ! うん、そうなんだよな!?」
「何喜んでるのよ……キモっ」
それ、もうやめたげてよお!
まあともかく、これではっきりすっきりした。でも、マリーはそうじゃなかったらしい。
「で………………どうするのよ?」
「どう、とは?」
「さ、さっき言ってたじゃん!」
気のない俺の返答を耳にすると、途端にマリーは真っ赤になって噛み付いてきた。
「俺たちオタクの敵だとか何だとかって……それって、もうここにはいられないってことなんじゃないの!? い、いーわよ、別に? さっきのマリッカみたいな他の女神のところに行こうが、引き留めたりなんてしないし!」
思わず苦笑してしまった。
「いやいや。さっきお前が言ってたのと同じだよ。言葉のあや、って奴。男オタクも女オタクも、群れを成せばどっちだろうがそこそこ面倒臭い集団だと思ってるし、敵だ味方だ、みたいに互いを排除しようっていう全体意志が働くモンだけど……俺は違うんだ。雑食性のオタクだからさ。差別も区別も偏見もないんだ」
「良く分かんないんだけど……」
釈然としない顔付きをマリーはしていたが、とりあえず話の続きを聞く気になったようだ。
「そりゃあ俺だってBL系はそこまで詳しくないし、とりわけ好きなジャンルでもないよ。それでも、面白そうだなと思った作品は片っ端から読むようにしてるんだ。その理由は凄く単純でさ……? 俺が本当に好きなのは、アニメでもゲームでもラノベでもなくって、それそのものじゃなくってさ。ずばり、物語が好き、ってことなんだ」
「もっと難しくなったんだけど……」
「大丈夫大丈夫。かく言う俺も、自分が何言ってんだか分からなくなってきたくらいなんだから。ともかく、俺はどこにも行く気はないよ。ま、まあ、マ、マリーがここにいてもいい、って言ってくれるなら……だけど」
いかん。
すらすら言っとけば問題なかったのに、最後の最後で不覚にも舌がもつれてしまったせいで、妙にぎこちない微妙な空気になってしまった。
「べ………………別にいいけど」
「ふう。良かった」
「あ、あたしがク、クレーム処理担当なんだしっ? だからよ! それだけなんだからね!」
「わ、分かった分かった! 近い近い!」
詰め寄り、ぶすっ、とむくれているマリーを見下ろしながら、俺は両手を挙げて降参のポーズを取る。加えて、じろっ、と上目遣いで見上げられてしまい、辛うじて俺が浮かべていた笑顔は引き攣ったのだが、
「それには一つ……条件があるわ」
「……へ?」
引き攣りを通り越して、ぴき、と固まってしまった俺の顔を見つめるマリーの表情が次第に小悪魔めいたものになる。
「まさか……《加護》を授けるとかじゃあ……」
「んな訳ないでしょ」
まさか……もっと凄い……こととか?
どきどき。
だが次にマリーが口走ったのは、ある意味その、もっと凄いこと、だった。
「あんたにあたしの作品づくりを手伝ってもらいたいんだけど。……文句ないわよね?」
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