第四章 俺、大地に立つ

 それにしても《異世界》と言う奴は実に便利である。


 初めて体験した《転移術》は、乗り物酔いと立ち眩みが絶妙なコンビネーションで波状攻撃してくるかのごとき二度と味わいたくもない最悪の感覚を引き起こしたものの、文字通り『あ……』とか言っている間に、味も素っ気もない空間からまだ幾分馴染みと親しみを覚える土臭い大地へと俺たちを移動させたのだった。




「おお……」


 感慨深げに溜息を漏らす。


「ここがアメルカニア……って言ったっけ?」

「そうですわ」


 目の前に広がる光景は、牧歌的な片田舎といったところである。低い丘の連なりに沿ってゆるゆるとした未舗装路がどこまでも遠く続いていた。いや、目を凝らせばそれほど遠くない距離に町らしきものがあるのが見えた。中央には一際小高い丘があり、堅牢そうな西洋建築風の石造りの城までがある。


「あそこが最初の目的地ってことかな?」

「仰る通りですわ」


 笑顔とともに答え、いち早くしずしずと歩み出した第二の女神、マリッカ=マルエッタの背中に向けて、俺は遠慮がちに尋ねる。


「え? もしかして……歩いていくの?」

「そうですけど。何か?」


 うっわ、面倒臭え。


「ほ、ほら、こうさ――」


 振り返り、ほえ?と表現するのが最も相応しい顔つきをして可愛らしく小首を傾げている女神・マリッカの機嫌をなるべく損ねないようにと、ことさら陽気な口調を装って大袈裟な身振り手振りを交えながらさらに尋ねてみた。


「さっきみたいな魔法使ってさ、ぶわーっ、と」

「いきませんわ」


 まじか。途端にげんなりしてしまった。


「ええと、ですわね?」


 しかしそれでは説明が足りないと思ったようで、女神・マリッカは補足説明をしてくれた。


「この世界《ノワ=ノワール》において魔法とは、人知を超えたまさに神々の御業そのものなのですわ。ですので、さすがに人間たちの目に触れてしまうのはまずいでしょう?」


 そして一旦言葉を切り、にこり、とする。


「もちろん、勇者として選ばれたあなたになら、いくら見せようともちっとも問題ないのですけれど。ですので――」

「う……。分かったよ」


 渋々町の見える方角へ足を踏み出すと、すぐにも女神マリッカがちょこちょこと隣に肩を並べた。小柄な割には歩く速度が速い。なので、こっちもいつもどおりずんずん歩いていくことにする。


 しかしまあよくよく考えてみると、紺のブレザーにグレーのズボン、足には白いスニーカーを履き、おまけに通学鞄を肩に担いでいるという俺の恰好は、この世界の住人の目には相当風変わりな物に映るに違いない。おまけにその隣にいるのは、埃っぽい地面にも届きそうな真珠のごとき薄桃色の光沢を放つロングドレスに身を包んだちっちゃな女神様だ。しゃなりしゃなりと優雅に歩く彼女の手には眩く輝く金色の錫杖まで握られていた。明らかに常軌を逸しているこの状況は、盗賊やら怪物モンスターにとってみればもってこいの奇襲フラグをおっ立てている気がして何とも落ち着かない気分だったが、それもこれも異世界なので問題なーし!の一言でさらりと片付けられてしまいそうなところが、ある意味《異世界》らしい。


 恐らく俺たちが歩いているこの道は、他の町と繋がっている街道なのだろう。だが、いくら進もうとも誰の姿も見えず、盗賊や怪物どころか小鳥一羽さえも見つけられずに、ひたすら平和的だ。


「んー」


 というか、早くもこの状況に飽きてしまった俺である。


「ここ、街道馬車とかは通らないのか?」

「さあ、どうでしょう?」

「どうでしょうって……そういうの、あるにはあるんだろ?」

「ありますわ。もちろん」


 そんな言葉を交わしつつも、女神マリッカの方には確認しようという素振りすらなかった。はなから歩き通すつもりで、アテにしていないようである。


「そう言えば、道中細かい説明をするとか何とか」

「あ……ああ、そうでしたわね」


 忘れていた訳ではないらしかったが――何やら気乗りがしない様子で言い淀んでいる。


「では――こほん」


 少し間を置き軽く咳払いをしてから、女神・マリッカはゆっくりと語り始めた。


「これから訪れるのは、王国最大の城下町、モニゲンですわ。ほら、ここからもご覧になれるあの城に、この国、アメルカニアを現在統治している老ナサニエル竜心王がおりますのよ」

竜心ドラゴンハート王――」


 おお!

 まさにファンタジーじゃないか!


「……やっぱり、あれか? かつてこの国を悪竜から守った、とかって勇猛たる逸話エピソードを持ってる感じの、武闘派マッチョな王様なんだな?」

「いえいえいえ」


 意外なことに返ってきたのは苦笑だった。


「あれは――い、いえ、あの者は、戦いとはまるで無縁の人生を歩んでまいりました。虫も殺さぬ、と言うより、虫すら殺せないと申し上げるべきか」

「じ、じゃあ何で、そんな大層な通り名がついてるんだよ、その王様は!?」

「権威付けと箔付け……ですわね」


 生ける伝説との邂逅をイメージしていたんだが。がっかりである。


「……ま、いいや。じゃ、続きを頼む」

「あ、はい」


 目に見えてテンションの下がった俺の様子を、ちらり、と横目で伺いつつ、女神・マリッカは説明を続けた。


「まず冒険の手始めに、あなたは老ナサニエル竜心王より魔王を倒す命を受け、伝説の武具一式を譲り受けることになるでしょう。……あ、いえいえ、ご心配には及びませんわ。すでに彼の者とは話をつけ、そういう手筈になっていますから。これから伺いますわねー、と」


 うーん。そういう流れになるのは予想ついてたんだけど。


「わざわざ口に出さなくても……」


 風情がない。


「ま、まあまあ! 形式的なものですので。何たってあなたは勇者ですもの! 選ばれし勇者だけが持つことを許される《女神の加護》さえあれば、相手が魔王だろうが何だろうが――」

「はい、ストップ」


 今、聞き逃せない情報があったんだが。


「……どうしましたの?」

「い、いやいや。その《女神の加護》ってのは何だよ? それさえあれば、って君は言ったけど、俺はまだ誰からも、何の力も授けられてないんだけど?」

「あ――ああ、ああ。そこですのね」


 ぎくり、と表情を強張らせた女神・マリッカは、一転、何だそんなことか、と微笑んだ。


「この私がすぐにもお授けしますわ。ただ、そのう……そのためにも、まず《始まりの王》老ナサニエル竜心王より魔王討伐の命を受けなければなりませんの。そう、そういう段取りなんですのよ。はい!ここからスタート!みたいなのが重要でして」


 だから、そういうの一言多いんだってば。こっちから聞いといて何なんだけど。


「うーん……ま、いいか。はい、続き続き」


 何だかやりづらそうな表情と沈黙の後、気を取り直して再び説明パート――。




 だと、思ったのだけれど。




「使命を授けられ、私の《加護》をお受けいただいたら、ええと……あ、あとはご自由に」

「……おい」

「目についた魔の者から、ばっさばっさと」

「うぉおおおいっ!」


 いきなり説明が雑になってる。気付けば堪え切れずにツッコミを入れていた。


「せ――説明下手糞かっ!」

「な……っ!」


 一方、女神・マリッカは相当ショックを受けたようで、ピンク色の髪に負けないくらいに頬を染めてわなわなとしていたが、そんなのこっちの知ったことじゃない。


「……あのな? さっきから聞いてるとさ、魔王討伐っていうのは建前、二の次で、とりあえずその《女神の加護》っていうのを授けてさえしまえばお役御免、あとはどうぞご勝手に(はあと)、って言ってるようにしか聞こえないんだけど?」

「な、な――っ!」


 わなわな、が、あわあわ、に変化した。


「ななな何でそんなことを言いやがりますの!?」

「だってそうじゃん」

「そそそそんなことはございませんのことよ!?」


 おお、初めて見る。顔中に大量の脂汗をびっちりと浮かべた女神。ま、そもそも女神に会ったこと自体が今日初めてなんだけども。


「お……おかしなことを言いやがりますわねー?」


 明らかに動揺しまくっている女神マリッカは、いずこからかクマさんアップリケをワンポイントであしらったハンカチを取り出すと、そのびっちり浮いた脂汗をたたたたた!と物凄い勢いで殲滅する。が、今のところは脂汗が優勢のようだ。あと、日本語が変。


「……ま、そりゃあね?」


 ちょっと気まずくなったのでフォローしておく。


「勇者の冒険譚の、その最後の最後の瞬間まで召喚者である女神様自ら行動を共にするなんてのは、最近のアニメやらラノベだったらありがちな展開だけどさ。……ま、正統派RPGならナシでしょ、うん。だから、そこはどっちでもいいんだけどね?」


 そもそも自称女神(ロリ貧乳)だし。もうちょっとくらい大きい方がやる気が出ます。


「でもさー。それならそれで、せめてやる気を削がない方向でお願いしたいというかー」

「ハハハハハ」


 何その乾いた笑い。そして、脂汗。凄い。


「そもそもさ。魔王のイメージがぼんやりしてて、全然掴めないんだけど。いかに悪逆非道で冷酷無比なのかとかさ、見た目がグロくてこうとかさ……何かないの、そういうの?」


 そうなのである。


 いきなり、討伐するのです!とか言い出した割に、与えられた情報が不足しすぎていて、肝心な打倒魔王の決意も意志も、何一つ俺には湧き上がってこないのである。


 何せ、どんな顔かたち、姿をしているのかも知らされていないのだから仕方ない。このままでは道中すれ違ったとしても、うっかりスルーしてしまう危険性すらある。ねーねー!さっきすれ違ったの、あれ、魔王だったよね?えええ!マジでー!?みたいな失態は避けたい。


「うー……。えっと……あ!」


 ピンク色の頭を抱え、散々悩みに悩み抜いた挙句、ぱっ!と表情をほころばせて無い胸を張ると、女神マリッカは自信満々にこう言い放った。




「と――とにかくマジでヤバい奴ですっ!」


 ぶちっ!


「せ――説明下手糞かああああああああああっ!」

「う……っ。ふええ……」

「泣きそうになってんじゃねえ!? 泣きそうなのはこっちの方なんだってばっ!」

「ううう。えぐっ……」


 傍から見たら、某ネズミの国に遊びに来ているお姫様コスの小学生女子をマジ泣かせしているようにしか見えない。事案化待ったなしである。気まずさに負けて、仕方なく頭を下げた。


「えと……なんつーか、ごめん」

「うう……うぐっ……」


 しきりにずずっ!とすすり上げる女神マリッカの鼻腔からはとうとうキラキラッ☆とした物まで流れ出ていた。女神の尊厳を保つためには見ちゃダメな奴でしょこれ。


「ほ、ほら、これで。洗ったばっかの奴だから」


 なるべく別の方角に視線を向けながら、鞄からハンカチを取り出して渡してやる。何故なら彼女自身のハンカチはもうぐしょぐしょで、謎の液体が水滴となって滴り落ちていたからだ。


「う……ありがと」


 受け取るや否や、ずびーっ!と盛大な音がした。

 それティッシュじゃねえから。


「……返す」


 返すな。


 こわごわ摘み上げたそれを、広げないように鞄の片隅に放り込む。ぐじょり、と音がしたが今は忘れることにした。


「あ……あの」


 出す物を出して落ち着いたのか、女神・マリッカは言い訳するようにぼそぼそと呟いた。


「初めてお会いする勇者様に説明をするのって、どうも苦手ですの……」

「ま、まあ、誰にでも得意じゃないことの一つや二つってあるよね、うん」

「いつも、いっつも怒られてしまいまして……」

「はい、ストップ」

「?」


 いやいやいや!

 何でそこで、ほえ?って顔するんだよ? 今の絶対おかしいだろ!


「今……いつも、って聴こえたんだけど? 勇者って俺だけじゃなかったのかよ? こんなことしょっちゅうやってるみたいに聴こえたんだけど……?」


 ぎっくーっ!と顔色が変わる。


「き、気のせいじゃないでしょうか! 今のは、三つも、と申し上げたんですわそうですわ」


 うん、余計こじれちゃったね。少しは考えて喋って欲しい。


「あー、なるほどなるほど」


 そっかー、と相好を崩して頷いてみせたあとで、ぎろり、と目をすぼめて意地悪げに言う。


「さっきので二回目だったから……あともう一回、俺はキレていいってこと……だよな?」

「う……。ううう……ふええ……」

「だあああ! はいっ! 泣かない泣かない!」


 女神のチェンジ、失敗だったかなー。全滅したハンカチの代わりのポケットティッシュを差し出しながら、俺は少し前のことを思い出す。少なくとも自称女神(ジャージ)は、どうやっても泣いたりなんかしなさそうで毅然としていたっけ。




 ……いやいやいや!

 というより、むしろ泣きそうになったのは俺の方じゃないか!




 その曲げようのない事実を思い返し、危うく美化しかかっていた苦い記憶を入念に上書きしておくことにする。


「ええと……だな……」


 とはいえ、転移魔法でも使えない限りあの場所に戻ることはできないだろう。とにかくもうこれ以上は女神マリッカの機嫌を損ねないようにして、とっとと竜心王(笑)とやらとの謁見を済ませてしまった方が良い。


「もう大体分かったからさ。先を急ごう」

「……うん」




 それから町に着くまでの気まずい事気まずい事。


 一番気まずかったのは、少しでも元気づけようと差し出した手をスルーされたことだけど。


 はいはい。どうせ手汗が凄いですよ、っと。



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