第二章 第一の女神
「………………ねえ誰に説明してんの? キモっ」
「くっそ! 主に自分に対してだっつーのっ!」
ついさっき耳にしたばかりでまだ記憶に新しい女の子の声が、背後からとってもげんなりしたトーンで無情にもツッコミを入れてきた。まさかそこにいるとは微塵も思いもよらず、動揺しているだなんて絶対に悟られたくなかったので、若干キレ気味に答えてやった。
「いまだに状況が呑み込めてないんだ、こっちは! 大体何だよ、あの光! どう考えたってお前の仕業だろ!? せめて脳内ハードディスクに保存する暇くらいくれたってよかっただろうがあああっ!」
ぜいぜいと肩で息を吐きつつ、再び姿を現した謎の女の子の恰好にいまさらながらに目を向けて――。
「……っていうか、そこの女神」
溜息とともに言うと、俺のではない溜息が応じた。
「……マリー=リーズ。あと、様を付けなさいよ」
「は、良いとしてだな……」
むっつりと横柄な態度に割と腹が立ったのでスルーしてやる。案の定、マリー=リーズと名乗った自称女神はますます露骨なまでに顔を顰めた。
「は? 何なの?」
「……はぁ」
まるで気付いてないらしい。もう一度溜息を吐いてから、教えてやった。
「お前さ……さっきの衣装はどうしたんだよ?」
「え?」
え、じゃないってば。
今のお前、もうどうやっても言い逃れのできないくらいに完璧なジャージ姿なんだが。
「………………うゎ」
ようやく気付いたらしいが、もう遅い。今の彼女の姿は、神聖さの欠片も感じないどころか、今にも、ちーす!、とか言い出しそうな完璧にナメきった風体をしていた。
「……くっ」
そこでさらに俺は、またも信じたくない事実に気付いてしまった。
「おい……それ。そこっ!」
生まれてこの方見たこともない透けるような青白い色を帯びた自称女神(ジャージ)の長い髪には、さっきうっかり感じてしまった神々しさはもう見る影もなかった。何とも適当な束ね方をされて、頭のてっぺんあたりでうにょりと何重にもとぐろを巻いている。
いや、だけなら良かったんだけど。
その膨大な量の髪の毛をひとまとめにしているのは、あろうことか赤い幅広の輪ゴムなのであった。
「さすがに輪ゴムはないだろ、輪ゴムはっ!」
「――!?」
一瞬、しまった!、という表情が浮かんだが、こうも立て続けに不本意すぎる指摘を受けてしまってはもはや取り繕う気力もないようで、ぶっすー、と不貞腐れたような顔付きになる。
「……忙しかったんだし。仕方ないじゃん!」
さらに眉間に怒りを表す深い皺が刻み込まれた。
「それなのにっ! いきなりあんたがあたしの部屋まで聴こえる声でぶつぶつ言い出したから、慌てて様子を見に来てあげたんじゃん! いっちいち細かいことで文句言わないで欲しいんだけどっ!?」
「って言われてもなあ……」
剣幕に気圧されてトーンダウンしたのは俺の方だ。
「そりゃ悪かったけどさ――」
次の言葉を探しながら、俺は改めて目の前の怒れる自称女神(ジャージ)、マリー=リーズ某の姿をまじまじと観察した。
女神、などと大それた名乗りをあげた割に、見た目はごく普通の高校生のようにも見える。きっと、ジャージ姿なのも原因の一つだろう。少しは小洒落たジャージ姿ならまだマシだったけれど、全体的に使い込まれたようなくすんだ緑色をしている上に、身体の側面に沿うように配置されている白の二本線がやたらと地味なベクトルに偏った自己主張をしていた。そこまで徹底されると、もうどうしたって何処かで見かけたような気さえする典型的な学校指定の一品にしか思えない。例の『足掛け』だってアパレルメーカーから昨今販売されてるジャージでは見かけないものだし、おまけに裾からちらりと覗いている何の変哲もない白いソックスも何とも言いようがないくらい地味だ。ファッションセンスゼロの俺すら呆れてしまうくらいなのだから間違いない。
背は俺より低かった。全国平均身長一七〇センチぴったりの至って『普通』な俺が少し視線を下向ける角度から考えて一五五センチくらいだろうか。その位置から絵に描いたような不機嫌丸出しの上目遣いの視線が、今この瞬間も向けられていた。
「……何なの?」
こんな表情を浮かべてさえいなければ、可愛い方の部類に入るんじゃなかろうか――ふと、そんな場違いな感想を思い浮かべてしまった途端、何だか落ち着かない気持ちになってしまう。
「な――何でもない。何でもない……けど」
おほん。咳払いを一つ。
「もっかい……確認したいんだけどさ。いい?」
「嫌だけど。……何?」
あ、嫌なんだ。くっそ。
「本当は、あの時、あの場所で死ぬ運命なんかじゃなかったから、俺を一時的にこの世界に転生させたんだ、さっきそう言ったよね?」
「……言ったわよ?」
いささか喧嘩腰とも取れる口調で、挑むように自称女神(ジャージ)は答えたのだが、
「――でもそれは言葉のあや。本当か嘘かは置いといて、いちいち誰それが生き返らせたー、なんて教える必要ないじゃん? 第一、正直に伝えたところでどうせあんたにはそれが誰のことなのかなんて分かんないんだし。……一応言っとくけど、やったのはあたしじゃないから」
言わなくても良いことまで溜息混じりにすっかり暴露してしまうと、自称女神(ジャージ)はあらぬ方向に視線を向け、今にも帰りたそうにぼさぼさの毛先をねじねじと弄り始めた。
「じ、じゃあさ――」
何だか話が良く見えないんだけど。
「別に俺は、君の前に現れる必要なんてなかった、ってことなのか?」
「はぁ……。だって、仕方ないじゃん」
溜息とともに再び上目遣いで睨まれてしまった。
「あたしがあんたの担当に任命されちゃったんだからさ――クレーム処理の」
「ク………………クレーム処理?」
何だか大変なのな、女神。もっとも、手違いで死んでしまった俺の方がむしろ大変な状況なんだけど、心底面倒臭そうに答える自称女神(ジャージ)の態度を目にして、つい、そんな同情めいた感想を抱いてしまった。
――い。
いやいやいやいや!
だったらだったで、きっちり聞かせてもらおうか!
「元の世界ではどういう状況になってるんだよ?」
「あ、やっぱ気になる?」
そりゃなるだろ。にしー、とかちょっと嬉しそうな顔すんな畜生。
「――でも、あたしはそこまで知らされてないんだよねー。来るべき時が来ればちゃんと元の生活に戻れるんじゃん? 多分」
「多分、って……」
不安しかないんですが。
思わず顔に出してしまった俺の落胆を目にしたところで、自称女神(ジャージ)は素っ気なく軽く肩を竦めてみせるだけだった。でもさすがにいたたまれない気持ちにでもなったのか、怒ったように言う。
「そんな顔されても困るってば。元の世界に戻った後で、どうなるのかまでは知らされてないんだし。あの事故の前まで時間が巻き戻されるか、別の選択肢を選んだ状態で続きから始めるか……ま、そんなところじゃない?」
「ざっくりしすぎでしょ……」
「……」
俺の呆れ混じりのコメントへの返答は沈黙だった。
「じ、じゃあさ――」
仕方ないので話題を変える。
「この世界では、俺は一体どういう存在なんだ?」
「勇者」
……ん?
あまりに即答だったので理解力が働かない。聞き間違いかと思って無言のまま目の前の自称女神(ジャージ)を見つめていると、溜息とともに同じ科白が繰り返された。
「聴こえたでしょ? だ・か・ら、勇・者」
二度も言わせないで、とその表情は語っていた。
「あんたは、勇者としてこの世界に召喚されたの。正確には、これ以上クレームが拗れることがないように、勇者っていう高待遇で迎え入れたってこと。分かった?」
次の瞬間――。
「よっ――しゃああああああああああああああ!」
ようやく理解力が追い付いた俺は、渾身の力を込めて両拳を天高く突き上げ叫んだ。
が、
「……うっさい!」
「ス、スミマセン……」
怒られちゃったよ。やっぱ、この女神、怖いんだが……。
しかし、そんなことで怯んでいる場合ではない。
遂に俺は、永年恋い焦がれてきた異世界召喚ライフのスタートラインに立ったのである!
「な? な!?」
くっそ。駄目だ。興奮が抑えきれない。
「そ、その、勇者、ってのは……やっぱ、常人とは異なる力を備えた存在なんだろ? 全能力チート的な? 勇者だけが持つ秘められた《力》みたいな物まで備わっていたりなんかしちゃったりしてさ!」
異世界の女神相手に『チート』などというゲーム用語が通じるかどうか一抹の不安がないでもなかったが、目の前のげんなりした表情を見る限りどうやら問題なかったようだ。熱のこもり過ぎた矢継ぎ早の質問に露骨に嫌そうな表情を浮かべつつも、自称女神(ジャージ)は渋々答えてくれた。
「この世界の普通の人間と比べたら、身体能力はずば抜けて高いんじゃない? そうね……概ね五倍ってとこ。勇者だけが持つ《力》っていうのは、おいおい獲得していくことになると思う……けど」
「けど?」
最後に言い淀んだ彼女の態度に違和感を覚え、せがむようにそう繰り返したところで自称女神(ジャージ)はさっきの続きとは違う、別の科白を吐いた。
「ねえ? さっきあたし……言ったよね?」
「?」
「覚えてない?――何もしないでって言ったこと」
確かに聞いたけど。
「いやいやいやいや――」
呆れたように薄く笑って何度も首を振り返した。
「あなたはこの世界に勇者として召喚されました、なので、何もしないで下さいね――って聞かされて、はいそうですか、って即答する馬鹿いないだろ!」
「時間ならあげるけど? いくらでも」
「じゃなくて! 熟考したところで答えは同じだっつーの! 待望の勇者なんだぞ!?」
待望していたのはこの世界ではなくむしろ俺の方だったが、この際それはどっちでもいい。
しかし、
「……いい? だったら少しだけ説明してあげる」
一気にヒートアップした俺とは対照的に、自称女神(ジャージ)はすっかり冷え切った口調になった。
「お生憎様だけど、この世界にもう勇者はいらない。余ってるのよ。むしろ普通の人間の方が割合としては少ないくらいなの。だから、あなたは何もしなくていい――あたしはそう言ってるんだけど?」
「え……」
何だよそれ……勇者が余ってる?
さっぱり意味が分からなかった。
「じ、じゃあさ! 何だってそんな世界に俺を召喚したんだよ!?」
「こっちにもいろいろ事情があるの。いろいろね」
その事情とやらを是非とも小一時間余り問い質したいところだったのだが、一方の自称女神(ジャージ)にはそれ以上のことを話す気はないらしかった。
「……じゃ、あたし、忙しいから」
「お――おいいいっ!」
またもや大理石風の扉の向こうへと姿を消そうとしている自称女神(ジャージ)を必死で呼び止める。っていうか、その《扉》何なの? 奥行ゼロなのに、開けると中に部屋があるって。そこにツッコんじゃいけない雰囲気なのは分かっているが、どう転んでも、某ネコ型ロボットの例のアレっぽい。
なのか。
どうなんだ。
開いた扉に足を一歩踏み入れ、そこでわずかに立ち止まった自称女神(ジャージ)は、振り返るのも億劫そうに背中越しに告げる。
「……一応言っておくけど。アレとは違うから」
ついでに自称女神(ジャージ)は、
「あとっ!」
肩を震わせながらこうも言った。
「いちいち脳内であたしを、自称女神(ジャージ)って変換するのやめてくんないっ!?」
ばたん!
呆気に取られた俺の目の前で扉は閉じた。堪え切れずに俺は叫び声を上げる。
「心読めるなら、他の疑問にも答えろよおおお!」
そしてまたも放置されるらしい。
もうやだこの世界……。
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