第3話 エバ

光のない手術室に戻り、サラはまた懐中電灯で部屋を照らした。それでも奥が見えない。隊長のイビキは聞こえないけど、まだ眠っているのは確かね。数時間前にここで会話をしていたのに、もう何日も時間がたっているように感じた。墓場のね。


ジョアナはアジアの男をキャプテンの横のベッドに寝かせた。アジアの男は深い眠りの底から這い上がって、こちらに何かを伝えようと口が開いたり閉じたりしたけど、ぐったりして結局寝てしまった。


ジョアナは男の額の汗を拭いとり、ロッカーの中から綺麗なシーツを取り出した。


「しばらく寝かせましょう。まだ無理をさせたくないわ」


ロッカーの隣にはテーブルがあって、その上にはサラの懐中電灯の光を反射する長いハサミが置いてあった。私の袖の中に入る長さね。ジョアナは男にシーツを被せようとしているし、ブギーは私に背中を向けている。心臓の鼓動が3倍早くなった。


「ジョアナさん、ちょっと部屋の外で相談したい事があります」


振り向いたジョアナは怪訝そうにしながらも、すぐにわかったと頷く。私が88人の生命線を切り捨てたのを見て、私への態度が変わっている。この女は私を見下しつつも私を尊敬している。そして、コックピットで対立したけど、結局は生き残った者達で協力をして行かなかければならない。それを理解するぐらいの脳がこの女にもあるみたいね。


「ブギー、この二人の側にいて」


ジョアナの命令にブギーは頷いた。


廊下は懐中電灯の光なしでは2メートル先も見えない。サラとジョアナの足音だけが宇宙船の中で響いた。空調が切れているせいか、少し暑くて汗がまた滲み出始めていた。


「で、何なのよ?」


ジョアナの足が後ろで止まる音がした。私も立ち止まって、息を大きく吸った。ここでやるしかない。考えては駄目よ。躊躇してはいけない。


サラは懐中電灯の光を消した。突然本当の暗闇に包まれる。


「え?」


ジョアナは戸惑っていた。サラは袖の中に隠していたハサミを取り出して、暗闇の中にいるジョアナの顔に振り落とした。


次の瞬間、船全体に動物のような悲鳴が轟いた。ハサミがジョアナの顔の何処かに突き刺さったみたいで、抜き取るのが難しかった。それでも頑張って抜き取った時、指や腕や顔に暖かい液体がシャワーのように飛びかかってきた。


ジョアナの悲鳴は止まらない。早く悲鳴を止めなきゃ。早く!そのまま悲鳴の音源に向かってハサミを突き刺す。今度はクッションのように柔らかい箇所にハサミが突き刺さって、女の悲鳴が男のような叫びに変わった。そしてハサミはまるで魚が食いついた針のように勝手に暗闇の中で踊り始めた。



ジョアナを床に倒す。顔がありそうな場所に何度も何度もハサミを振り下ろした。ハサミが脳を突き抜けて、床とぶつかって硬い音がするまで、ジョアナの悲鳴がなくなるまで、ジョアナの体や指が動かなくなるまで、ハサミで女の顔を殴り続けた。


「サラさん、一体何を・・」


ブギーの声と共にパッとサラの視界が真っ白になった。ブギーの懐中電灯の光が直接目に当たって眩しすぎた。手で顔を覆ったけども、鉄の味がする血が口の中に滑り込んでしまった。



ブギーが絶句している様子からして、血まみれの私が見えるのだろう。ブギーに説明をするよりも、サラはシャワーを浴びたかった。だけどこれだけは伝えないといけない。サラは立ち上がった。


「たった今を持って、この船は私の管理下になりました」


「サラさんがジョアナを殺害したのですか?」


ブギーの声はいつものように落ち着いていた。そういう存在でいてくれてありがとう、ブギー。


「88人が89人の犠牲になっただけよ。この女はミッションを放棄しようとしていました。それを止めなければいけなかった」


「これからどうするつもりですか?」


「今すぐに船の方向を変えなさい」


ーーーー


ジョアナの「事故死」を聞いた瞬間、アジアの男は目を覆った。


ジョアナが88人を犠牲にして彼を起こしたのをこの男はまだ知らない。可哀想に。男の真っ直ぐな髪を撫で続けた。まるで子供をあやすお母さんのようね。恋人を失ったあなたに、私が出来ることはこれぐらいしかないわ。男の背中に手を伸ばして抱きしめてみる。男の涙の匂いがサラを包んだ。


この男は船が地球に一度戻ろうとした事だって知らない。クルーが全滅した事もね。だから私がいつか全部を教えてあげる。私の両親が、私の年齢に相応しい事を少しずつ教えてきたように。ちょっとずつ真実を教えていくわ。


そうよ。私たちはこれから毎日を一緒に過ごす。お互いの事を知っていく。そしてやがて二人は惑星に着陸する。そこで二人でテラフォーミングをしながら、いつ来るかわからない次の船を待つ。次の船が来た時には、私たちだけの庭が出来ている筈。エデンの園に住むアダムとエバとなって彼らを迎え入れたい。船が来なかったとしても、私たちは生きる。人の宿命にしたがって子供を生み、そして増やす。


私にはそのシナリオがみえる。体の震えが止まらない。


その時、船に電気が戻り、復活した。明るくなった船の隅々に足を運びながら思う。まるでお祝いされているようね。


復活した船は惑星ロス128bに順調に向かう。

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惑星ロス128b @Kairan

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