第三話 母親と

「ねえ、ママ」


 相変わらず静かな空気の中、どれくらいぶりだったか私は母親に話しかけてみた。そういえば、私は母親に向かってなんて呼んでいたっけかと忘れてしまうほどだ。

 お母さんだっただろうか。名前で呼んでいただろうか。最終的に、父親のことはパパと呼んでいたので、それに合わせてママと呼ぶことにした。


 違和感があったのかなかったのか、とりあえず母親はスマートフォンから目を離し、私のほうへ顔を向けてくれる。


「なに?」

「ママの若い頃って男の人からモテたりした?」

「……どうしたの? 好きな人でもできた?」

「まあ、そんなところ」

「……普通にモテたわよ。一度に三人の人から告白されるくらいには」

「それって、意識的にその人たちにアピールしてたの?」

「そいつらにはしてないかな。向こうが勝手に勘違いして寄って来ただけ。向こうから言わせれば、私が誘惑したって言ってたけどね。そんな奴らを振り回して、周りの嫉妬する女を馬鹿にできて本当にあの頃は楽しかったわ」


 私の無意識的な異性へのアピールは母親譲りだったのか。ならいっそのこと、そのことを鼻にもかけないところも受け継いでくれればどんなに楽だったか。

 誘惑された男性を、それを嫉妬する女性を愉しんで見られたらどれほど重荷が楽になるだろうか。


 母親はすでにスマートフォンの画面を切り、話すのに集中してくれる。正直これほど母親が私に話をしだしてくれるとは夢にも思わなかった。

 だからだろう。私があの人のことを口に出したのは。


「――じゃあ、パパは? パパはどうだったの……?」


 一瞬、空気が張り詰める。私はすでに母親の姿を視線から外し、下を向いている。今母親はどんな表情をしているのだろうか。

 しばらくの静寂の後に、ゆっくりと一音一音確かめるように母親が話し始めた。


「あの人は本当に難しい人だった。追いかけても、引っ張っても、簡単になびいてくれなくて悔しかったなあ。最終的にはできちゃった結婚で責任をとらせたんだけどね」


 母親は再びスマートフォンへと目を向ける。その目は深く暗い。


 私も再びご飯を食べようと次に口にする食べ物をどれにするか迷っていると、玄関のほうからチャイムの音が鳴り響いた。時間的に父親が帰ってきたのだろう。

 私はその音を聞くと、急いでご飯を掻き込んでお風呂に入る支度をした。

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