番外 幸せな人々

 王城から帰ってきたクラウの様子がおかしい。そわそわとしていて、何か言葉を発しようとしては、ふにゃりと困ったように笑う。


「クラウ、ここに座って下さい」

 意を決した私は新しく買った大きなカウチにクラウを座らせて、その膝の上に横座りで乗ってみた。

「セ、セラフィ? ……えーっと……」

「クラウ? どうしたのですか? 王城で何があったのですか? 正直に言って下さるまで逃がしません」

 首に両腕を回し、正面から目に力を込めてクラウの瞳を見つめるとクラウの頬が赤くなっていく。隠し事なんてしないで欲しい。


「えーっと。……外国に行っているセブリオ王子のことなんだ……」

「王子に何かあったのですか?」

 名前を聞いても、何の心の痛みも寂しさも感じないことに密かに驚く。もうすでに、王子との思い出は遥か昔のことになってしまっていた。


「……舞踏会で……皆が見ている前で、突然黒猫になったらしいんだ」

「え?」

 全く予想もできなかった話に目を瞠る。私を白猫にした王子が黒猫に? 一体何があったのだろうか。


「それで……実は……陛下はそのままでいいと仰っていて……」

「そのまま? でも……それでは……黒猫の場合も、一年後に死んでしまうのですか?」

 神官フィデルが亡くなった今、すべての呪いは効力を失っていると思っていた。


「呪いかどうかは実際見てみないとわからないな。……僕に助けを求めているのは、相手の国なんだ。賓客としてもてなしていたのに、王子が黒猫になってしまったから困り果てているんだって」

「そうですね。それはお困りだと思います。今、セブリオ王子は王城に?」

 場合によっては外交問題、最悪の場合は戦争になる可能性があった。


「いいや。相手の国に滞在したままなんだ。明日、転移魔法で様子を見に行こうと思ってる」

「私も行きます。何かのお役に立てるかもしれません」

 反射的に私はそう口にした。王子が気になるのではなく、クラウに何かあったらという心配しかない。私に掛けられた〝白猫の呪い〟の類似の術なら〝月虹〟が必要になるだろう。


「ありがとう。一緒に行ってくれたら心強いよ」

 クラウの甘い囁きは、甘い口づけと変わって。私がクラウを捕らえていたはずなのに、いつの間にかクラウに捕らえられているような感覚に陥る。


「ねぇ、セラフィ。少しだけいいかな?」

 私は甘い誘惑に抗えなかった。


      ◆


 翌日、外国の王城へと転移した。わざわざ私たちを出迎えた王と王子からは、手紙に書いてあったように困り果てている雰囲気が見て取れる。出来れば連れ帰って欲しいという懇願さえ感じてしまう。


 呪いの可能性があるということで、王族や貴族たちはセブリオ王子の居室に近づくことはない。宰相の息子だという青年に案内されて向かった。


「ここから先が、セブリオ様の居住区です」

 王城の中だというのに、緑の庭園が広がっていた。青空が描かれた天井や、自然に見えるように計算して植えられた草木が高い技術力を示し、廊下に沿って小さな川が流れている。


 廊下の先には、小さな家を模した部屋。大きな窓から内部の様子を伺うと、豪華なソファに座る女性の膝の上で、丸くなっている黒猫が見えた。


 美しい女性は三十歳前後。腰まである褐色の長い髪は緩やかに波打っていて、エンジ色のドレスは魅力的な曲線を描いている。


「あの女性は?」

 まとう空気は侍女ではないと思う。

「え? ……あの……その……」

 案内してくれた青年が口ごもり、目がせわしなく揺れる。何かを思い出そうとしているらしい。


「それが……いつも『あの方』と呼んでおりますので、お名前を思い出せないのです。最近、城にいつもいらっしゃる方で……王族とも親しくされている方なのですが、我々と話す機会はありません」

 青年の言葉が終わると、扉が自然に開いた。


『そんな所から覗いていないで、中にお入りなさいな。ただし、用のある者だけよ』

 響き渡る女性の声で顔を青くした青年は、地面に座り込んで立ち上がれなくなった。声に急かされて、クラウと私だけが部屋の中へと入る。


 部屋はとても快適で、開け放たれた窓から奥の扉へとさわやかな空気が流れている。小さな家の表は屋内でも、裏側はちゃんと屋外に繋がっているのだろう。


 褐色の髪色の女性が顔を上げ、青い瞳が私を鋭く射抜いて妖艶に笑う。

「……やっぱり若いって良いわねぇ。嫉妬しちゃうわ。きっと貴女がセラフィナね」

「はい。セラフィナ・ルシエンテスと申します」

 貴族の礼をして返すと、女性は眉をひそめて苦笑した。


「……こらこら。ちょっと、そこの魔術師。怪しい人間にはすぐに姓名フルネームを教えちゃ駄目って躾ておかなきゃ危ないでしょ」

「ご心配なく。彼女は必ず護りますから」 

 クラウが魔術師の顔で女性に微笑む。その冷たい雰囲気もいつもと違って素敵。この顔をする時は、『見栄を張ってでも頑張りたい時』だとわかってきた。


「凄い自信家ね。あー、怖い怖い」

 クラウは自信家ではない。いつも見えない所でこつこつと努力を重ねる素晴らしい魔術師だと擁護したいと思っても、クラウの邪魔はできない。


「私は〝柘榴ザクロの魔女〟。それなりに力があるから、名前は教えられないのよ。ごめんなさいね」

 魔女の挨拶に、クラウは胸に手を当てて軽く礼をするだけで留めた。自分も同じで名乗れないと示している。


「不思議だったのよね。セブリオから散々貴女のことを聞かされたのに、愛を全く感じなかった。執着というには醜くて。自分よりも優れた貴女をどうやって自分の支配下に置くかという怨念じみた感情しか伝わってこなかった」

 魔女は眠る黒猫を膝に乗せたまま、私の方へと視線を向けた。


「それは……」

 私が〝月虹〟で呪いと共に王子の想いを消し去ったからとしか思えない。ただ、そのことを口にするのはためらわれる。


「何か訳ありなのね? まぁ、いいわ。今のセブリオは私のものだもの」

「何故、王子を黒猫にしてしまったのですか?」

 魔女も愛する人を猫にして手に入れようとしているのか。


「私と愛を交わしたくせに、他の女の手を取ったからよ。そういう魔法を掛けてたの」

「元に戻していただけませんか?」

「……一晩経てば、自分の意思で元に戻れるはずなの。それなのに、ちっとも戻ろうとしないのは何故かしらね」

 

「もしかして……意識まで猫化しているのではないでしょうか?」

 私も白猫になりかけていたから理解できる。徐々に思考が単純化して、数瞬前まで何を考えていたのかわからなくなることもあった。


「そんな魔法じゃないわ。考えられるのは……この状況が心地良すぎるってことかしらね。この国に来てから、毎日毎日視察や会談。分厚い報告書を書いて本国に送っているのに、何の返事も来ない。自分は本当に国の為になっているのかわからない。そんな状況に苛立ちを覚えていたみたい。……疲れたなら、疲れたって言って休めばいいのに。……王族じゃ難しい、か」

「……そうですね。王族の公務は休みがありません」

 王族や役職を持つ貴族には決まった休日はなく、公務が無い日があれば休むことはできる。はたして一年の中で、完全に休むことができる日があるだろうか。


「セブリオは誰かに弱味を見せるのがとっても嫌なのよ。無理して、無駄に頑張っちゃうのが可愛い所なんだけど」

 魔女が黒猫を撫でる手つきは、とても優しい。この人はセブリオ王子を本当に愛しているのだと感じる。王子は、この女性を信頼して頼り切っているのか。


 クラウを愛している私が、もしもを考えても仕方のないことだけれど、魔女のように王子を理解できていれば、違った未来があったのかもしれない。


「ここから出て行けというのなら、出て行っても構わない。ただしセブリオは連れて行くし、この国は私の魔法による加護が受けられなくなると覚悟して」

 鋭い視線でクラウに魔女が言い放ち、クラウが口を開いた。


「私は依頼を受けて様子を見に来ただけです。貴女を排除しようとしているのではありません。王子は自分の意思で黒猫になったままなのですね? 死に至る魔法ではない?」

「ええ。私はセブリオを死なせたりしないわ。この命に替えても必ず護る」

 クラウの確認に、魔女が微笑む。


「それだけわかれば十分です。我々は失礼します」

 冷たい笑顔を柔らかく緩めたクラウを見て、魔女が安堵の息を吐いた。魔女にも戦う覚悟があったのかもしれない。


「……セブリオ様にお伝え頂けますか。信頼できる方には、思っていることを正直に伝えることを進言致します。人は明日、何が起きるのかわかりません。言えなかったと後悔するより、言って羞恥に苦しむ方が遥かに気が楽です」


「実感籠ってるわね。それは貴女の経験によるもの?」

「はい。そして、五百年前の我が国の王女の話でもあります」

 遥か昔から、人は同じ失敗を繰り返して来たのだろう。


「それでは、失礼致します」

「それじゃあね。貴女の言葉は必ず伝えるわ」 

 笑って手を振る魔女の膝の上、眠っている黒猫のしっぽがふわりと揺れた。――それはまるで、軽い別れの挨拶をしているようで。


 黒猫は目を閉じて眠っているようだから、気のせいかもしれない。

 私はクラウと一緒にその場を離れた。


      ◆


 呪いではなく、自らの意思で黒猫のままでいるらしいと報告すると、外国の王や王子、我が国の王や兄王子、全員が頭を抱えた。


 ただ〝柘榴の魔女〟が守護についていると知ると、どちらも目の色を変えた。外国の王は、一生滞在しても構わないと言い、我が国の王は呼び戻すかと呟いたのは聞き逃していない。


 その後クラウ一人で宰相、神官長への報告を終え、私たちは王城庭園を散策していた。専属魔術師の姿をしたクラウは凛々しくて、家にいる時とは異なる魅力を湛えている。

「‥‥…これから、あのお二人はどうなるのでしょうか」

 このままでは、セブリオ王子ではなく、魔女の争奪戦が始まりかねないと心配になる。

「大丈夫。こちらには〝月虹の聖女〟がいるからね。魔女とは相性が悪いと言っておいた」


「〝月虹の聖女〟? どなたのことですか?」

「セラフィのことだよ」

「あ、あの……私は聖女ではありませんが……」

「そうだね。でも、僕の女神様だよ。……王子が戻って来た方がいい?」

「いいえ」

 即答すると、頬に優しい口づけが降ってきた。たったそれだけで、どきどきと胸を高鳴らせてしまう私は聖女とは程遠い。それでも、二人を騒動には巻き込みたくない。


「わかりました。聖女になれるように頑張ります」

 欲を捨て、清らかな身を目指すという私の強い決意は、その夜、甘い甘い誘惑に溶かされてしまった。


      ◆


 王城から戻った翌々日、賑やかな町の中をクラウと手を繋いで歩いていた。すっかり顔見知りになった人々と明るく挨拶を交わし、買い物を済ませる。ここでは私は辺境伯の娘ではなく、クラウの妻として知られている。「奥さん」と声を掛けられるとくすぐったくて、頬が緩む。


「クラウ、今日の夕食は何にしましょうか」

 多くの店を回ったので、日が傾きかけている。

「今日は外食にしようか。さっき、雑貨屋のジルがいつもの店のミートパイが美味しいって言ってたよね」


 そういえば、そんなことを言っていた。二人ともミートパイという料理がわからないので、どんな料理かと想像を交わしながら、いつもの酒場についた。


 まだ夕方の酒場では、食事を楽しむ人の方が多い。テーブル席についてミートパイを頼んだ時、カウンターに座っていたリリーナが駆け寄ってきた。淡い緑の髪はゆるやかに巻かれ、濃い化粧に深い緑の瞳。服は何故かブラウスにスカート、刺繍入りのベストという、普通の女性の服になっている。


 リリーナは私の肩を掴んで叫ぶ。

「ちょっと! 教えて!」

「な、何でしょうか?」


「あの馬鹿、毎晩客として娼館うちに来るのよ! ちゃんと仕事してんの!?」

 それはゴフレードのことだろうか。屋敷から毎日通うとすると、馬を全速力で走らせる必要があるだろう。


「騎士は基本的に有事の為の職ですので、平時は訓練のみだと思います」

 在籍している辺境伯の騎士は二十五名。昼夜を問わず常時十名から十五名が屋敷で控えているはず。国境を護る兵士は約三千名。いくつかの砦に分散し、屋敷は百から二百名程度が護っている。


「……訓練だけなのに、あんなに給金でるんだ」

「辺境伯の騎士は、王城の騎士よりも危険な仕事です。国境を護る命がけの仕事ですから」

 たとえ戦争が起きなくても、魔物との戦いで命を落とすこともあるので王城で務める騎士よりも死亡率はかなり高い。妻子持ちの場合は妻が亡くなるまで給金が支払われる。独り身の場合は父母に支払われると決められていても存命のことは少ない。


「命がけ……ね……サテリアの砦って、危ないトコ?」

 リリーナの瞳が揺れる。サテリアという赤い可憐な花の名を冠する砦は、この町の近く。ゴフレードは快適な屋敷ではなく、砦に務めているのか。


「砦はどこであっても同等に危険です。……あの……」

 求婚されたのか聞こうとした途端、リリーナが顔を真っ赤にしてテーブルを叩いて立ち上がった。


「べ、べ、別に、あたしは、あの馬鹿が心配っていう訳じゃないのよ! どんなに酷いこと言っても、毎晩、毎晩来るし、しつこくて困ってるの! 本当よ! 宝石とか服とか、趣味に合わない物ばかり持ってくるのよ!」

 一気にまくしたてた後、リリーナは椅子に倒れ込むように座って溜息を吐き、テーブルに突っ伏してしまった。


「……毎日来てくれるなら、贈り物なんていらないのよ……」

 その微かな独り言を、私の耳は聞き逃さなかった。よく見れば、リリーナが着ている服も小さな耳飾りもとても上質で上品な意匠デザイン。すべてゴフレードの贈り物なのだろう。


 リリーナの剣幕に驚いていた酒場の雰囲気も、徐々に元に戻っていく。賑やかさを取り戻した頃、酒場の扉が勢いよく開かれた。


「我が愛しのリリーナ! 迎えに来た! 今宵も我が愛の歌を聞かせよう!」

「げ!」

 茶色の髪に茶色の瞳。何故か精悍さを増した巨漢が颯爽と登場すると、リリーナが叫び声を上げて駆け出した。


「ごめん! 裏口使わせて!」

 リリーナは軽やかにカウンターに手を付いて跳び越え、苦笑する店主の横を走り抜けていく。

「逃がさぬぞ!」

 ゴフレードが、ふははと謎の笑い声を上げながら追いかける。


「あー、またツケだな」

 店主も客たちも見慣れているのか、笑っている。クラウと私は口を開けて見ているだけ。


「リリーナの今日の代金は、僕が払うよ。頑張れって伝えておいてくれないかな」

 ふと笑ったクラウが、店主に告げた。


「何を頑張るのですか?」

「いろいろ」

 クラウが片目を瞑って笑う。確かに。口には出来ないことも様々、頭に浮かんでしまう。どれか一つ、と明確には示せない。


 皆が自分の気持ちに素直になって、幸せになれますように。

 私は、そっと心の中で祈りを捧げた。

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白猫令嬢と引きこもりの魔術師 ~辺境の氷雪姫は、孤独な最強魔術師に溺愛されて魔物の森でスローライフ満喫中!? ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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