番外 白猫と魔術師

 結婚式を二カ月後に控え、私たちは王城での舞踏会に参加することになった。公爵になったクラウには王城に専用の居室が用意されており、二人で一緒に着替えを行っている。


 クラウから贈られた最新流行の意匠のドレスは、赤みがかった淡い紫。私がこれまで着たことのなかった色だ。赤やピンクよりの色は、私には似合わないと思い続けていた。


「セラフィ、可愛いよ」

 王城の侍女に髪を結われ化粧を施された私を見て、クラウが微笑む。クラウは黒地に金の装飾がされたロングコート。襟元には私が贈ったアメジストのピンが留められている。


 クラウの淡い金髪の色に合わせた金の首飾りと公爵夫人を示す宝冠ティアラ、アメジストの耳飾りをクラウの手で着けられると、気分が引き締まる。侍女から手渡された扇を持ち、差し出されたクラウの腕に手を掛けて居室を出た。


 舞踏会が行われる大広間へと向かう大廊下を歩いていると、周囲の貴族たちの様子に異常が見られた。こそこそと言葉を口にしては、私の顔を見る。……自意識過剰という訳ではないだろう。溜息を隠す為に口元を扇で覆う。


「何だろ……」

 クラウが疑問を口にしようとした時、近づいてきた貴族夫妻と挨拶を交わす。クラウに呪いを解いてもらったことがあるらしい。


 数組の貴族と言葉を交わした後、鮮やかな赤の騎士服に身を包んだ騎士団の副長ゴフレードが近づいてきた。


「悲劇の男爵家令嬢は、王子への恋に破れて身を投げましたが、二人を引き裂いた貴女は次のお相手を捕まえたようですね」

 茶色の髪に茶色の瞳の大柄の男は、私を見下している。クラウがそっと私を庇う位置へと脚を踏み出す。


 久しぶりに悪意のある言葉を投げられて、私は唐突に気が付いた。


 昔から、私は悪意のある言葉で直接攻撃されることがあった。取るに足らないことばかりで相手にするのも馬鹿馬鹿しいと思って、何の反論も反撃もせずにその場を離れていた。


 それは間違いだった。どんなに攻撃しても私は何も反撃しないと思われただけ。自らの絶対の安全を確信しているからこそ、鬱憤晴らしに都合の良い存在となってしまっていた。


 辺境伯の娘でありながら、こうやって悪意を持って攻撃されるのは、私が意思表示をしなかった結果。


「――タミラ嬢は、氷のような貴女と違って温かい心をお持ちの繊細な女性でした。王子を想い、涙を流しながら崖から身を投げたのです。愛娘を失った男爵夫妻は、屋敷から姿を消して行方知れず。貴女には、慈悲の心はないのですか」

 大廊下に響くような大声で、芝居がかった大袈裟な身振り手振りで副長は私に語り続けている。


 クラウが口を開こうとしたのを止めて、私は深く息をする。


「……詐欺師に騙されたのは貴方でしたか。涙を見せただけで解放されたと本人が申しておりましたが、王命も軽くなったものですね」

 口元を隠していた扇を下げ、意地が悪いと思いつつ周囲によく聞こえるように声を出すと、一瞬で大廊下が静まり返った。震えそうな声を抑え、背筋を伸ばして副長の目を真っすぐに見返す。


「な、何を言うか!」

 副長は一瞬で激昂し、顔を赤く染めて叫ぶ。

「タミラと名乗っていた令嬢は偽者でした。令嬢は一年半ほど前に突然死したそうです。傾きかけていた男爵家は娘に似た女性を探し、裕福な結婚相手を見つけるようにと依頼していた」


 伝聞としての語尾をわざと無くし、ぱちりと音を立てて扇を閉じる。

 女性たちの一部がざわめく。どうやらリリーナは婚約者がいる男性にも思わせぶりな言動を仕掛けていたらしい。


「悲劇の男爵家令嬢が崖から身を投げた? 男爵家令嬢を装っていた詐欺師に騙されて逃げられたというのが真相でしょう? 貴方は、王子さえ騙した巧妙な詐欺師の被害者ではないのですか?」

 特段の理由もなく王命に反したとなれば、厳しい処罰が待っている。私は、私が用意できる最大の逃げ道を副長に示す。


 処罰されるか、騙された被害者を装うか。どちらにしても不名誉は免れない。騎士団の副長という肩書と、騎士団長という将来も失うことになるだろう。


「……令嬢の偽者は、今、どこに?」

 副長の唸るような声で、殺して証拠隠滅するつもりだと察した。リリーナを保護する方法を思索した時、クラウが口を開いた。


「他にも罪のある詐欺師ですから、私の魔法で作った牢獄に閉じ込めています。二度と外には出られないでしょう。……本人から証言をお聞きになりたいのでしたら、ご招待致しますよ。永遠の、闇の牢獄へ」

 冷たく微笑むクラウの静かな言葉で、副長の顔色が赤から蒼白になっていく。


「い、いえ。結構です。……度重なる失礼をどうかお許し下さい。そうです。私は詐欺師に騙されてしまいました。いや、本当に酷い女でした」

 副長は被害者を装うことにしたらしい。へりくだる姿は滑稽だ。

 

「そうですね。貴方は詐欺師に騙されたのですから、王命に反した訳ではありませんね」

 やんわりと言葉での脅しを掛けつつ、私が口元だけで微笑むと、副長はさらに顔色を悪くして去って行った。


 大廊下で一部始終を見ていた貴族たちは、詐欺師という言葉を口にしている。悲劇の恋を演じた男爵家令嬢の正体が詐欺師だったという醜聞は、すぐに広がっていくだろう。


 自らの醜聞を払拭しても私の心は晴れない。私を励ますように微笑むクラウに手を引かれ、大広間を囲むようにして二階に設けられた観覧席へと向かう。この国の専属魔術師であり、公爵となったクラウに用意されていたのは、王族の隣の最上級の場所。


 左右は壁で仕切られ、正面には手すりがあって大広間を見下ろせる。座り心地の良さそうな長椅子が用意されており、希望すれば幕を下ろして個室にすることもできる。


 椅子に座ることもなく、従僕と侍女を退出させたクラウは魔法で防音結界を張り、ふにゃりと眉尻を下げて苦笑した。

「はー。下手な嘘ついちゃったけど、彼女リリーナをどうやって保護するかなぁ。あんなにおしゃべりだから、そのうち噂になりそうだよね」

 王城から離れている町とはいえ、噂はどんなきっかけで広がるかわからない。副長の耳に入れば間違いなく殺されてしまう。


「……そうですね」

 自身の悪い評判を打ち消すためとはいえ、リリーナを命の危険に追いやってしまった。溜息しか出てこない。リリーナは男爵家の依頼を受けて仕事をしていただけで、しかも報酬を受け取ってはいない。


「僕が思いつくのは、テイライドに警告してもらって彼女に危険回避の魔法を掛ける……くらいかな。……セラフィ、自分のせいだと思わなくていいよ。彼女が選んだ道だ。遅かれ早かれ彼女の言動は、彼女自身に返っていく」

 クラウが私を背中から包み込む。腰に腕を回して抱きしめられると温かい。


「僕はちょっとすっきりしたよ。セラフィが悪女みたいに言われるのは気分が良くないからね」

「でも……私は……あまり良くない方法をとりました」

 私は貴族の話術の一つを行使した。詐欺師という強烈な印象を残す単語を多用し、他の問題を覆い隠す説得術。理解はしていても実際に使ったことはなかった。


「僕はあれが最善だったと思うよ。さっきの騎士を王命に反したってことで死刑にすることもできたけど、セラフィは助けた。また何か言ってくるかもしれないけど、それはすべて彼に返っていくんだ」

 クラウの声は優しい。


「……申し訳ありません。クラウが悪い魔術師のように皆に思われてしまったかもしれません」

「ん? 僕は誤解されても構わないよ。セラフィと大事な人たちが僕の本当の姿を知ってるからね。悪くて怖ーい魔術師って思われてた方が、きっと国を護るためにはいいんだよ」


「辺境伯もそうだよね。怖くて強そうだけど本当は優しい人だ。僕はお義父とうさんを尊敬してる。一緒に国を護るのが目標なんだ」

 父をそんな風に言ってくれるのはクラウと家族だけ。誰もがその見た目だけで怖いと感じて萎縮してしまう。


「クラウ、ありがとうございます」

 口付けようと顔を上げると、階下の大広間にいる貴族たちの視線を感じた。そうだ。新しく公爵位についたクラウが初めて参加する舞踏会なのだから、注目されて当然。注意しなければ。


「……僕は見られてもいいよ。幕を降ろしてもらう?」

「……クラウ、意地悪は言わないで下さい」

 今、座席の幕を降ろしてしまえば、中で何をしているのかと違う噂になってしまうだろう。


 椅子に並んで腰かけて他愛のない話をしていると、金管楽器による開会の合図が高らかに鳴らされ、王の挨拶が大広間に響き渡った。


 舞踏会の始まりは王子によるダンス。今年二十七歳の第一王子と十九歳の第三王子、十四歳の第四王子が、それぞれの妃や婚約者と共に踊る。


 第四王子の参加は初めてで、セブリオ王子の姿はない。私の疑問を察したのか、クラウが口を開いた。

「……セブリオ王子は外国に大使として向かった。三年間滞在するそうだよ」

 辺境伯の娘を呪った事実は、未だ王から許されてはいない。クラウと私の結婚式で予期せぬ行動をとるのではないかと疑われ、外国へ監視付で送られていた。


「正直に言えば、ほっとしています。王子との思い出は……あまり思い出したくないものばかりですから」

 好意の裏返しだったとわかっても、王子の言動によって心が傷ついていたことは変わらない。私はその傷を意識しないように自らの感情を抑え過ぎていたと、今となっては思う。


 セブリオ王子も私も、本当の気持ちをお互いに告げることができなかった。


 私の手を包んだクラウの手が温かい。クラウの前では、私は理不尽に我慢することもないし、緊張することもない。ただ安心して寄り掛かることができる。


「セラフィ、あのダンスが基本?」

「はい。しばらくは同じダンスで曲だけが変わります」

 最初に行われる古典的な優雅で美しいダンスは二人一組で行うもの。十曲を区切りとして列になって集団で踊るダンスになり、その後、流行のダンスへと変わっていく。


 クラウは身を乗り出すようにして、階下の大広間で踊っている人々を覗き込む。

「セラフィ、踊ってる男性の中で一番上手い人は誰?」

「……第三王子です。金髪碧眼の青碧色のロングコート……襟元にサファイアの薔薇のブローチピンを着けている方です」

 今年十九歳の王子は少年の面影を残していて、音楽や芸術の才能に恵まれた方と外国にも名が知られている。


「あの人かな……」

 口に手を当てて、クラウが熱心に第三王子のダンスを見ている。一曲が過ぎた時、クラウが口を開いた。


「よし。覚えた」

「覚えた?」

 たった一度見ただけで、覚えられるものなのだろうか。椅子から立ち上がって微笑むクラウは美しく、自信に溢れている。


「僕は魔術師だからね。セラフィ、僕と踊って頂けますか?」

「はい」

 明るくおどけながらも作法通りに差し出された手に、手を重ねると心が躍る。


 座席を離れ大階段を降り、クラウと大広間へと入ると騒がしい場内が静まり返った。踊っていた人々が周囲へと下がっていき、ついには楽団が奏でる音楽だけが流れるだけになった。


「……クラウ……」

 これまで見たこともない異常な光景に脚がすくむ。私は貴族たちから拒絶されているのだろうか。


「大丈夫。二人きりだと思えばいいよ。他の人は畑のトマトかカボチャだって思えばいい」

 明るく笑うクラウに言われると、人々の頭がトマトやカボチャになっている光景が頭に浮かんで、笑いがこみ上げてくる。


「そうですね」

 他の人は関係ない。そう考えると緊張がほぐれる。クラウの笑顔を見ていると頬が緩む。


「セラフィの踊りたい時に始めていいよ」

 どうせならと、クラウは大広間の中央で私の手を取り、腰に手を添えた。 

「それでは、六拍で始めます」


 二人で笑いながら六拍を数え、曲の区切りが良い所でダンスを始める。初めてだと笑うクラウのダンスは、ほぼ完ぺき。途中で少し間違うのは、第三王子の癖まで正確に覚えてしまっているからだろう。


 煌めく魔法灯の光が、クラウの淡い金髪を輝かせる。金色がかった緑の瞳が優しく私だけを映すと、胸の鼓動が高鳴る。

 優雅な曲調の中、くるりと回転するとドレスの裾がふわりと揺れる。硬い緊張感はなく、ただダンスを心から楽しむ。


「ダンスって楽しいね」

「はい。とても楽しくて……嬉しいです」

 笑顔のクラウと一緒に踊っていると心も踊る。完璧でなくてもいいと思えることが、体を軽くする。


 二曲目が始まった時、第一王子と王子妃、第三王子と婚約者の公爵家令嬢が踊り始めた。三曲目には、王と王妃、辺境伯の父と母、公爵たちが観覧席から降りてダンスに加わる。王と王妃がダンスに加わることは非常に珍しいことで、大広間を取り囲む貴族たちがざわめく。


「お義父さん、上手いね」

 クラウが驚くのも無理はない。父はダンスの時にだけ、優雅な貴族の姿になる。体格の良さと身体能力を活かしたダンスは、目を引く美しさ。おそらく国で一二を争う。


「毎月、母に特別訓練を受けていますから」

「そっか。じゃあ、僕もセラフィに教えてもらおうかな」

 ぱちりと片目を瞑ったクラウの笑顔にときめいて、頬が熱くなっていく。


 四曲目には多くの貴族が加わり賑やかさを増した。明るい笑い声が大広間を満たし、五曲目を踊り切った所で心地よい疲労感に包まれる。


「そろそろ、脱出しようか」

「はい。そうしましょう」

 この国の舞踏会では帰ると挨拶をすることは不作法とされている。楽しい時間を切り上げるという意味に取られるからだ。

 

 賑やかな大広間を二人でそっと抜け出して、王城庭園で夜空を見上げる。赤い月と緑の月。そして輝く白い月の下、微笑むクラウはとても凛々しい。


「クラウ、愛しています」

 心に隠して置けない言葉が口からあふれ出した。これからも、ずっとクラウの隣にいたいと思う。

「僕も愛してるよ、セラフィ。世界中で一番好きだ」

 顔を赤くしたクラウが、そっと私に口付ける。


 嬉しくなった私は、白猫になってクラウの胸に飛びついた。

「セ、セ、セ、セラフィ!? えーっと。ひ、人の姿のままでも移動魔法は使えるよ?」

 私を抱き止めたクラウの顔がさらに赤くなる。


『それは知っています。小さくなった方が運びやすいと思ったのですが』

 人の姿に戻ろうとすると、慌てた顔のクラウに止められた。クラウがぱちりと指を鳴らすと地面に落ちたドレスが消える。


『クラウ、私たちの家に帰りましょう。カップケーキを焼いてあります』

「それは嬉しいな。僕が花茶を淹れるから、二人でお茶にしようか」

 白猫の姿の私はクラウに抱きしめられながら、金色の魔法陣に包まれる。


 一緒に帰ろう。

 深い深い森の奥。居心地の良い、素敵な私たちの家へ。

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