番外 娼婦と騎士

 町の賑わいは人の活気に溢れている。この雑多な空気と騒々しさにも慣れてきた。

「セラフィ、危ないよ」

 人混みの中で余所見をしていた私をクラウが引き寄せる前に、女性の手が私の腕に当たった。


「あ、ごめーん! 大丈夫ー?」

 気安い声に聞き覚えがあると思って顔を見るとリリーナだった。淡い緑の髪はゆるやかに巻かれ、濃い化粧に深い緑の瞳。毛皮で縁取られた灰色のコートの前は全開で、胸元が大きくひらいたワイン色のワンピースを晒している。令嬢を演じていた時の清楚さは微塵も感じられない。


「げ! 〝辺境の氷雪姫〟!」

 驚いた顔をして逃げようとしたリリーナの腕を咄嗟に掴んでしがみ付く。

「待って下さい!」

「は? 待てるわけないでしょ! 放しなさいよ!」

 リリーナが振り上げた手をクラウが掴む。

「大事な話があるんだ。少し時間をもらえるかな」

 魔術師の顔をしたクラウの静かな声に、リリーナは不承不承頷いた。



 昼過ぎの中途半端な時間の酒場は貸し切り状態で誰もいない。カウンターの中では店主が夜に出す為の料理を静かに作っている。


 テーブルを挟んで座り、私たちはリリーナに、レンドン男爵家の娘タミラが偽物だと貴族たちに暴露したこと、騎士団の副長ゴフレードの証拠隠滅で命の危険があるということを話した。


「あー。あの副団長バカにバレちゃったのねー」

「ええ。ですから、身辺に気を付けて頂かないと……」

 殺されてしまう。私の忠告はリリーナの笑いにかき消された。


「別にいいのよ。あたしはいつ殺されてもいいし、それが運命だったってことだし」

「え?」

「自分で稼いで自由に生きる。それが私の信条なの。自分の言動に最後まで責任取るって、実は中々難しいことでしょ? 自分のヘマで死ぬなら自己責任ってことで理想的だわ。ま、その手の危機を上手く切り抜けてきたから、ここにいるんだけどねー」


「第二王子にちょっかい掛けたのは悪かったわ。あちこち粉掛けてたんだけど、雇い主に早く大金になる男を捕まえろって言われて大物狙いに絞ったの」

 謝罪とは思えない明け透けな言葉で力が抜けて行く。他人の婚約者に手を出すことは、私には絶対に許せない行為なのに、彼女の善悪の基準は異なっている。


 酒場の扉が勢いよく開かれ、騎士のゴフレードが入って来た。今日は騎士団の制服ではなく、紺色のロングコートにマントを着用している。騎士団の副長の称号は外され、今はただの騎士。

「見つけたぞ! 詐欺師!」

 茶色の髪に茶色の瞳。大柄のゴフレードの憤怒の表情はそれなりに怖ろしい。日々、強面の父や兄を見慣れていた私にとっては、特に怯む程でもない。


「ごめんなさいっ!」

 勢いよく立ち上がったリリーナが、謝罪の叫びを上げてゴフレードの元に走り寄る。


「二人から話を聞いたわ! 助けてくれた貴方に迷惑を掛けるなんて想像もしていなかったの! 本当にごめんなさい! 貴方の優しさに甘えてしまった私が悪かったんだわ!」

 リリーナがゴフレードの胸に飛び込んですすり泣く。ゴフレードの怒りの表情が、狼狽の表情へと変わった。


「優しい貴方に頼ってしまった私が悪かったの。ごめんなさい」

 声を震わせ謝罪する姿は別人。クラウと私は口を開けて見ているしかできない。

 

「許してなんて言えないわ。優しい貴方を傷つけてしまいそうで、本当のことは言えなかったの」

 一言も発することもできずに狼狽していたゴフレードの腕が、迷いながらリリーナの肩を優しく掴む。


「……な、泣かれると困る……」

 絞り出すような声が発せられると、リリーナはゴフレードの胸に縋りついて泣く。


 肩を掴んでいた手がリリーナの背に回った。さめざめと泣くリリーナをゴフレードが優しく包み込む。


「……私の為に吐いた嘘なら、君は悪くない。安心してくれ。私が君を護る」

「何をするの? ダメよ。これ以上貴方に迷惑を掛けたくないの。こんな私は、貴方の幸せを遠くから祈る事しかできないけれど、どうか私のことは忘れて」


「君は何も心配しなくていい。私がすべて責任を取る」

 ゴフレードはリリーナを強く強く抱きしめた後、紺色のマントの裾を翻して颯爽と酒場から退場していった。クラウと私は口を開けたまま。貴婦人として恥ずかしいと気が付いて、慌てて口を閉じる。


「……ちょろいわ。……ていうか、ちょろ過ぎて、この国の騎士の質が心配になるくらいよ」

 くるりと振り向いたリリーナの顔に涙の跡はなく、濃い化粧も崩れてはいない。まさに舞台女優を見ているようで感心してしまった。


「物凄く頭が固くて真面目な人なんだと思うよ」

 クラウが苦笑し、リリーナが肩をすくめる。

「ま、こんな辺境の町にいるあたしを探し当てたんだから、有能っちゃ、有能なのか」

「これから、どうする? 逃げるなら資金を提供するよ」

「逃げても追ってきそうだし、さっきみたいに適当にあしらうだけよ」

 声を上げて笑うリリーナは強そうで、感心しながら見上げていると、リリーナが優しく微笑んで椅子に座り直した。


「あたしは親がいなくてね。物心付いたころから娼婦やってるの。だからそれ以外の世界を知らなかった。貴族のお嬢様っていうのを演じてみて、違う世界を覗き見れたわ。貴族は貴族でどろどろした人間関係もあるし、キラキラした贅沢の裏では複雑怪奇な慣習に行動が縛られる。どこの世界も大変なんだなって知ることができて面白かったわ」

 何事も経験してみるものねとリリーナは笑う。娼婦だったのかと今更気が付く。


「憐れみはいらないわ。自由気ままに、自分の責任で生きてるあたしにとっては、自由のない貴族のお嬢様の方が可哀想って思うのよ? お互いにお互いがいる場所で一生懸命生きてる。ただ、それだけだから」


「お姫様は、随分雰囲気が変わったわねー。その男のせいかしら。それとも、自分の気持ちが変わった? いろいろ陰口叩かれても、何も反論しないで去っていくっていうのはさ、潔いって見る人もいれば、逃げ出したって見る人もいる訳よ。理解してくれる人だけ理解してくれればいいって、結構しんどかったでしょ?」


「そうですね。……私は、人と話をして心の深い場所に踏み込むことを恐れていたのだと思います。最初から私を理解してもらうことを諦めていました」

「今は変わった?」

「少しだけ」

 自分の気持ちを口にする。それは簡単なことのようであるのに、難しいことだと思う。


「いいんじゃない? 今のお姫様は、とっても可愛いわ」

 笑うリリーナはどこまでも明るい。リリーナに危険を告げて逃がすつもりだったのに、まるで気安い友人のように話をしただけで私たちは酒場を後にした。 


      ◆


 数日後、王城からクラウが首を捻りながら帰って来た。

「クラウ? どうしたのですか?」

「えーっと。さっき陛下とお義父さんと結婚式の打ち合わせをしてたんだけど……ゴフレードが、馬鹿正直に自分の失態だけを報告したんだ」


 第二王子セブリオを騙していたのは市井の女であったこと、女の正体に気が付くことができず、王命に背いて女を逃がしてしまったことだけを告白し、王命に背いた罰を受けると跪いたゴフレードを王は許した。ただ、王の騎士を続けさせることは出来ないと任を解いた。


「それでは……」

「で、騎士を辞めてどうするのかって聞いたら、リリーナに求婚しに行くって」


 一連の話を聞いた父がゴフレードを気に入って、辺境伯の騎士として迎え入れることに決めたらしい。屋敷からなら、あの町まで遠くはない。


「……リリーナは求婚を受け入れるでしょうか」

「さあ。それはわからないな。彼女の心の中は本人でしかわからない。でも……ゴフレードって、ものすごく執念深そうだよね」


「はい。私もそう思います」

 リリーナは、これからとても苦労するのではないだろうか。

「ま、自分で招いたことは自分で責任を取るんじゃないかな」

 そう言ってたし。とクラウが笑う。


「ずっと引きこもってた僕は本の中でしか知らなかったけど、この世界には、いろんな考えの人がいて、いろんな生活をしている人たちがいるんだね。人と知り合うのはとても面白いね。……ちょっと怖い所もあるけど」


「そうですね。私はいろんな方を知ってはいても、表面しか見ていませんでした」

 ただ儀礼上の挨拶を交わす程度。婚約者だったセブリオ王子とも、深く話をしたことがなく、王子の本当の気持ちを知ることもできなかった。


「で、僕は愛するセラフィのことをもっと知りたいな」

 耳元で囁いたクラウの指がブラウスのボタンを外していく。


「ク、クラウ。まだ夜になったばかりです」

「そうだね。僕は夜が長い方がいい。セラフィと一緒にいられるから」

 クラウは明日も王城へと呼び出しを受けている。結婚式も間近に迫り、昼間は私も何かと用事が詰まっている。


 クラウが唇で耳を甘く噛む。優しい吐息が吹き込まれると、腰が砕けそうになる。

「私は……夜が長くても短くても構いません」

 クラウと一緒にいられるのなら。


「それなら、いいよね?」

 甘く微笑むクラウの誘惑に、私は抗うことができなかった。

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