第16話 召喚されたもの

 無言のままフィデルの後ろを歩く。隣ではなく後ろを歩くことでセブリオ王子を思い出す。王子は歩調が速くて、ドレスで追いかける為にとても苦労した。遅いと罵られたこともある。

 フィデルの歩調はゆっくりとしていて、私は無理をすることもなくついて行く事が出来ている。後ろを振り向いて確認することもないのに、ちょうどいい。誰かを案内することに慣れているのだろうか。


 周囲の街並みに緑が多くなって、石畳が灰色のレンガに変わり、灰色の石で造られた荘厳な建物が見えた。周囲には磨かれた四角い石で囲まれた池が作られていて、神殿が逆さに映り込んでいる。

 案内されたのは裏口だった。扉を開くと、暗い廊下が続いている。

「扉は開けておきます。何か不安をお感じになられたら、すぐに外に出て構いません」

 静かに微笑むフィデルが、扉を全開にして固定する。


「申し訳ありませんが、魔法灯ランプはありませんので」

 フィデルは抱えていた本を棚に置き、壁に掛かっていた神官の白衣を羽織って、燭台のロウソクに火をつけた。

 じりじりと獣脂に含まれる不純物が焼ける微かな音が神経を逆なでる。扉の中に入ってから、全身の毛が逆立つような不快感に包まれている。ここは清らかな神殿の筈なのに。


 私にも小さな燭台が手渡されて、緩やかに湾曲する暗い廊下を歩いて行く。

「……随分、歩くのですね」

 外から見えた建物の端から端まで歩いたような気がするのに、どこまでも廊下が続いている。外へと続く扉の光はすでに見えない。

「他の神殿とは違うでしょう? 私も初めて訪れた際には驚きました。表から入る聖堂と、裏から入る聖堂は異なっているのです。……こちらです」


 木で出来た扉の一つが開かれた。私は何故か、家の倉庫にある町へと繋がった扉を思い出した。促されて中に入ると、空気が重みと湿気を増す。絡みつくような生臭さに脚が止まる。


 黒い壁に赤い紋様が描かれている広い部屋の中央に、人が何人も入ることができそうな巨大な水槽が置かれていた。ほのかな光を放つ水槽には水ではなく、血のような赤い液体。

 これは見てはいけないものなのではないのか。全身が総毛立つ。それでも、クラウを死なせない為に呪いを解いてもらう必要がある。


「〝辺境の氷雪姫〟と呼ばれていた頃の貴女は、我が君と似てはいても別人だった。今の貴女なら、我が君の復活の材料として十分使えそうです」

 燭台を棚へと置いたフィデルが水槽へと歩いて行く。


「何をおっしゃっているのです? 我が君とは誰のことですか?」

 呪いを解く為に私を連れてきたのではないのか。私が復活の材料とは何なのか。

「私が昔、お仕えしていた姫君です。輝く銀の髪、紫水晶のような瞳。美しく優しい笑顔の女性でした」

 それは今から五百年前。多くの国民から慕われていた美しく優しい王女がいた。王女でありながら神に仕える巫女となり、国中に流行り病が起きた時、自らの神力を使って民を癒して力尽きて倒れた。


「大した力のない神官だった私は、我が君を助けることができませんでした。女神にも匹敵する力を持っていた我が君は、自分の体が弱っていくことも顧みず国民を癒し続けた」


「我が君は、とても優しい女性でした。周囲に心配を掛けないように、自らの不調を隠して微笑みながら癒し続けた。その御体が死へと向かっていたことに周囲が気が付いたのは、まさに息を引き取る直前でした」

 国民を癒し終えた王女は『幸せをいつまでも願っています』と微笑みながらフィデルの腕の中で息絶えた。

 それが本当ならフィデルは五百年以上を生きている。目の前で静かに微笑む男が隠す狂気に恐怖しか感じない。


「私は力の無い自分に絶望しました。我が君が笑顔で無理をしていることに気が付かなかった自分を呪い、そして自身が持つ神力を魔力へ置き換えた」

 出来るはずがない。人が持つ力の属性は生まれた時に決まっている。私の心を見透かしたように、フィデルは言葉を続ける。


「〝輝ける赤い月〟と呼ばれる魔術師の一族が編み出した多くの人の命を代償にした禁忌の呪法です。私は当時の女当主に取り入って、その秘術を受けて一族の一員となった」


「神官でありながら魔力を手に入れた私は、さらなる力への探求を始めました。力を集める為に様々な呪いを考案して、この国にばら撒いた。力を持つ魔術師や神官を探しては殺して、その魔力や神力を奪った。〝輝ける赤い月〟が〝堕ちた赤〟と呼ばれるようになったのは、私が原因です」


「〝輝ける赤い月〟は、もう誰も残っていません。私が全員殺してしまいました」

 狂っている。そうとしか思えない。逃げなければと思うのに、恐怖で固まった脚が動かない。

「この器に満たされているのは、私がこの五百年間に集めた魔力と神力が宿る人々の生命、純粋な力の集合体です。この輝きは素晴らしく美しいでしょう? そうですね、生命のスープとでも名付けましょうか」


 フィデルは微笑みながら水槽を撫でている。その赤い液体を私は美しいとは思えなかった。呪いで奪われた命と力は、この水槽に集まるように仕掛けられていたのだとフィデルは満足気に笑う。


「〝白猫の呪い〟は王族の命と力を吸い取る為の術。王族は平民よりも遥かに強い力をお持ちだ。たった一人の命が数千、数万人の力に匹敵することもある。ただ、魔術師や神官と違って、王族には強固な護りの力があって手が出せなかったのです。もどかしいですが、誰かが内部から呪いを掛けるまで待ち続けるしかなかった」

 五百年の間に十数名が〝白猫の呪い〟で命を落としたとフィデルが笑う。


「もっと早く貴女を手に入れようと思ったのですが、イネスの家は結界が張られていて見つけることができなかった。私がもたついている間に、あの男が呪いを解こうとしていて、本当に驚きました。解かれた呪いは、威力を増して私の身に返ってくる。この五百年、誰も解けなかった呪いが解かれる恐怖に私は震えましたよ」

 嘘だ。フィデルは恐怖など感じてはいない。碧の瞳の輝きは高揚を示している。


「貴方は何をするつもりなのですか?」

 冷静に問いかけたつもりが、語尾が震えてしまった。フィデルの表情がとろりと夢見るような笑顔に変化する。

「この生命のスープの中に貴女を沈めて媒体とし、我が君を生き返らせるのです。これまで、我が君に似た女で何度も試しましたが、純粋な力に耐えられずに、復活の魔法が発動する前に溶けてしまった。王族の血を引く貴女なら、耐えられるかもしれません」


 人が溶けた? 背筋に恐怖が駆け抜けていく。微笑むフィデルが水槽から離れて、私の方へと歩いてくる。

「近づかないで!」

 手にしていた燭台を投げつけても、フィデルの足元から現れた黒い鎖が弾き飛ばした。フィデルの影は生き物のようにうごめいている。


「助けて! クラウ!」

 神殿の奥深くでは、声は届かないとわかっている。それでも私はクラウの名前を呼んだ。


「聞こえる訳がありませ…………何だ?」

 笑っていたフィデルの表情が変わった。


 黒い石の床に光り輝く金色の魔法陣が描かれ、元々描かれていた赤い紋様を光が焼いていく。フィデルが警戒しながら後退りをして、水槽を背に護るように立った。


 魔法陣の中、金色の小さな光の粒が人の形に集まっていく。

「……お呼びですか、我があるじ

 左胸に手を置き、片膝を着いたクラウが姿を見せた。


      ◆


「クラウ!」

 駆け寄ってきたセラフィを片腕で抱き止めて、フィデルの足元から放たれた黒い魔力の鎖を防御魔法で叩き落す。


「行け!」

 フィデルの叫びに応じるように、足元から狼に似た影が三匹飛び出してきた。三つの大きな赤い目をぎらつかせ、よだれをまき散らしながら鋭い牙を誇示する姿は魔物以上に怖ろしい。


「主を護れ! 流星刃!」

 絶対に僕は負けられない。セラフィを護る為に仕込んでいた攻撃魔法を即時発動させて、次の魔法の為の詠唱を行う。

 水と光が混ざる煌めく刃が影の四肢を切断して血が飛び散っても、傷は修復されていく。

破棄キャンセル! 咲き誇れ! 光流炎!」

 効かないと判断した攻撃魔法を終焉符ではなく破約符で終わらせて、次の攻撃魔法を発動する。

 光と水の炎が渦巻きながら、影を焼いて行く。これは有効らしい。影が叫び声を上げながら燃えている。

完了エンド!」

 終焉符と共に影は焼き尽くされたが、これで終わりではないらしい。フィデルも呪文詠唱を終えていた。


「我、契約の執行を求める!」

 フィデルの叫びで空間が裂けた。現れたのは鉄の体の巨大な熊。後ろ足で立ち上がると大人二人分程もありそうな身長だ。その高さから繰り出される前足の攻撃を、セラフィを片腕に抱いて後ろへ跳んでかわす。


 僕たちが立っていた場所、黒い石で出来た床がえぐれている。素早い攻撃をかわしながら、僕は複数の魔法詠唱を終えた。

「縛れ、水氷鎖! 響け、終焉の落水光!」

 水と氷の鎖で鉄の熊の体を縛り、光と水の刃が乱舞する。凍り付いた鉄の体が、少しずつ抉られていく。

完了エンド!」

 終焉符と同時に、鉄の熊が粉々に砕け散った。


 次の物理的な魔法攻撃はなく、そこからは魔術師の静かな勝負へと変化した。自らの体の周囲に光球として浮遊する魔力がぶつかり合う。フィデルからは黒い光球、僕は水色と金色の光球。無言のまま、互いの魔力を操り、ぶつけて削っていく。


 フィデルが背にした水槽には、恐ろしい程の力が貯蔵されている。それを使われたらと警戒したが、フィデルは一切手をつけようとしない。むしろ護っているようだ。

 片腕に抱くセラフィからは暖かな力が流れ込んでくる。神力ではない、何か。それが僕の魔力を増幅させる。……負ける気がしない。


 僕の魔力は光を増して、フィデルの操る光球がすべて消え去った。 

「……馬鹿な……」

 どうやら、フィデルの魔力が尽きたらしい。荒い息で胸を押えながら水槽へ寄り掛かる。

 僕はフィデルが動けないように水槽ごと結界へと閉じ込めて息を吐いた。これから、どうするのか考えなければ。


 暗い部屋を魔法で明るくすれば、赤い魔法陣が露わになった。部屋中に描かれた術式は、僕もよく知っていた。

「……復活の魔法陣か。これは成功させた者が一人もいない禁忌の術だ」

 僕も昔、死んだ両親を呼び戻そうとしてイネスに止められた。これは死者を復活させる術ではなく、人を喰らういにしえの神を召喚する術。憑代にされた動物や人間は、死ぬまで人を喰らい続ける。怖ろしい呪いだ。

「これだけの魔法を扱う貴方なら、理解しているはずだ」

 フィデルを糾弾しても、答えは戻ってこない。ただ、ぎらぎらとした目で僕を睨みつけている。


「フィデルは、五百年前の王女を復活させようとしていたのです」

 セラフィの言葉で理解できた。あの銀髪の女性がその王女なのだろう。

 ふわりと白い光がセラフィから湧き上がり、足元の赤い魔法陣を白く光らせた。

「セラフィ!?」

「……何が、起きているのですか?」

 セラフィ自身には異常はない。何が起きようとしているのか、僕は神経を研ぎ澄ませる。


 白く光った魔法陣が中央の水槽へと収縮していく。大きな音を立てて水槽にひびが入り、ガラスが砕け散った。割れた水槽から赤い液体がどろりと流れ出す。


「あれは……何?」

 震えるセラフィの肩を強く抱きしめる。固まり損ねたゼリーのような赤い何かが、意思を持つようにうごめき、一本の柱のように集まっていく。


 そのうち、床まで届く長い長い銀髪に、紫色の瞳の女性の姿になった。〝白猫の呪い〟の核に近い層で何度も見た女性だ。白い神官服に似た服を着ている。


「……我が、君……?」

 フィデルが驚愕の表情を見せた。

『……迎えが遅くなりました。ごめんなさい』

 滑るようにフィデルに近づいた女性が、その腕でフィデルを抱きしめると触れた部分から黒い煙が上がり始めた。


「フィデル! 逃げろ!」

 咄嗟にフィデルを閉じ込めていた結界を解除して呼びかけると、女性の姿が赤いゼリーに戻った。鍋で沸騰するお湯のような音を立てながら、フィデルの服と体が溶かされている。


 人が生きたまま溶かされていく。あまりにも怖ろしい光景なのに目を逸らすことができない。


『あの時、私は貴方に幸せになって欲しいと言ったのに、伝わらなかったのですね。このような怖ろしいことを、私は望んではいませんでした』


 服が溶け落ち、皮と肉の一部が無くなって骨がむき出しになったフィデルの腕が、赤いゼリーを抱きしめると、溶ける速度が加速していく。


「……申し訳ありません。我が君……」

『貴方はいつも謝ってばかり。でも私はそんな貴方を愛していました。生きているうちに伝えておけばよかったと後悔していました』


『一緒に逝きましょう』

「はい」

 

 白い骨と赤いゼリーが黒い煙を上げながら抱き合い混ざりあう。徐々に骨も砕けて粉になり、赤いゼリーが体積を減らしていく。


 二人は塵になり、一筋の黒い煙を上げて消えてしまった。


「……王女が迎えに来た……のですね」

「そうだね」


 あの赤い液体として集められていた強大な力と復活の魔法陣、そこにセラフィの神力が加わって、王女が不完全な形で召喚されたのだろう。


 王女が迎えに来なくても、フィデルは最初から死ぬつもりだったと僕は推測している。復活の儀式でセラフィに古の神を召喚し、自分を食べさせる。そんな計画を立てていたに違いない。


「可哀想な人ですが、多くの人の命を奪った人です。到底許すことはできません」

「そうだね。死んだからと言って、許す必要はないと思うよ」


 赤い液体からは、恐ろしい人数の命と力を感じていた。フィデルは一体何人の命を奪ったのだろうか。セラフィの説明を聞いて、イネスの命も、もしかしたら、不自然な馬車の事故で死んだ僕の両親の命も含まれていたのかもしれないと胸が痛い。


「……後は呪いを仕留めるだけだよ」

「仕留める?」

 

「僕は第四百九十九層目まで解析した。残りは一層。この呪いの核は危険だから、どこかに結界を張って最後の解析を行うつもりだった。この場所は、フィデルが作った結界の効力がまだ残っているから使えそうだ」


「セラフィ、これで君に掛けられた呪いは終わりだ」

 同時に僕たちの幸せな日々も終わりを迎える。


 様々な寂しさを飲み込んで、僕はセラフィに向かって笑顔を作った。

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