第15話 消された記憶

 先代の王の手紙を見て、僕の抜け落ちていた記憶が戻った。イネスが誰かの呪いを引き受ける直前、金髪に緑の瞳の男が馬に乗って訪ねてきた。


 魔物が多数住むこの〝黒い森〟を馬で駆け抜けてきたことに驚愕し、その襟に輝く小さな緑柱石のピンに魔物避けの強力なイネスの魔法が掛かっていると気が付いたことまで思い出した――。


『こんにちは。イネスはいるかい? これはお土産だ。お菓子だよ』

 慣れた様子で馬を柵に繋いだ男は、子供だった僕に紙袋を手渡して頭を撫でた。僕は突然のことに対応できず、笑顔の男を見上げるだけだ。そこにイネスが家から出てきた。


『……もう二度と来るなと言ったでしょう?』

『イネスの好きな菓子を買ってきたんだ』

 僕が持つ紙袋を見て、イネスは困った顔をして男を居間へと案内した。僕は二階の部屋にいるようにと言われて階段を上がったものの、菓子のお礼を言えなかったことが気になって、扉の前に戻った。


『私の娘は?』

『貴方の娘ではないわ。何度言ったらわかるの? ……去年、馬車の事故で夫婦一緒に死んだの』

 僕の父母だ。魔術師だった二人が死んで、僕はイネスに引き取られた。


『すまない。知らなかった』

『貴方には関係ないから、知らせなかったの』


『先程の少年は? 昔の君によく似ていた』

『……孫よ』


『……イネス、また、この家で暮らしたいんだ』

『何言ってるの? 王の責務は?』


『今、息子に譲位する手続きを進めている。来月には発表されるだろう』

『ダメよ。あの時、貴方は酷い怪我をして記憶を失っていたから、私はここで治療した。ただそれだけよ』


『私の記憶が戻るまで、君と一緒にいたあの頃、私は本当に幸せだった。ここで暮らした思い出だけが、この三十年の私の支えだった』


『貴方には王妃と第二王妃がいるでしょう? 二人はどうするの?』

『二人には話してある。私は王であることを捨てると。そして君を選ぶと』


『それを言ったの? 本人たちに? ……酷すぎる話だわ! 貴方は三人の女の人生をなんだと思っているの!?』

『王として世継ぎが必要だった。私にとって結婚は義務でしかなかったんだ。愛しているのは君だけだ。心から愛しているんだ』


『うるさい! 貴方みたいな優柔不断な男を助けた私が馬鹿だったのよ!』

 初めて聞くイネスの怒鳴り声に僕は廊下の隅でしゃがみ込んだ。


 何かが破裂するような、おそらくはイネスが男の頬を叩いた音が響き、男が扉の外へと押し出された。


『イネス……』

『……二度と顔を見たくないわ。帰って! ……帰りなさい!』

 男は何かに背中を押されるように玄関の扉の外に出され、扉が閉められた。


 深く息を吐いたイネスが振り向いて、僕を見つけた。


『……クラウ、聞いてたの? ごめんね。動転してて気が回らなかったわ。……今のやりとりは忘れて。……クラウのおじいちゃんで、私が愛する亭主はケイラだけよ』

 そう言って微笑んだイネスは、僕に忘却の魔法を掛けた――。


 おそらくは金髪の男――先代の王に掛けられた〝白猫の呪い〟をイネスは自分に移している。呪ったのは先代の王妃か、第二王妃のどちらかによるものだろう。下手に解呪して呪った者に影響を及ぼすよりも、自分の身を犠牲にしたということか。


 僕の母は先代の王の娘ではないと思いたい。イネスも否定している。それでは何故正妃の指輪を贈られたのか。全くわからない。


 セラフィにお願いして書いてもらった手紙を、神官長と契約している白い鳥の姿をした光の精霊に託した。セラフィの家から出してもらうことも考えたが、経由すると時間がかかる。返事はその日のうちに精霊によってもたらされ、八日後に面会の時間が設定された。


      ◆


「おはようございます。クラウ」

 僕を優しく起こしてくれるセラフィが可愛くて仕方ない。ベッドで起き上がり、腕の中にセラフィを閉じ込める。


「おはよう、セラフィ」

 毎朝の習慣になりつつある深い深い口付けは、僕の心を乱し続ける。我慢しなければならないのに、柔らかな体を抱きしめる腕に力が入る。


 ……そうか。セラフィの呪いを僕がすべて引き受ければ、一人で残されても寂しくない。セラフィが無事で幸せになってくれれば、それでいい。……イネスも僕と同じように考えたのかもしれない。


「……このくらいでいいかな?」

「はい。ありがとうございます」

 艶めくセラフィの唇を指先でなぞりながら、僕はそんなことを考えていた。


      ◆


 白や青の鳥の姿の精霊たちが、祖父からの贈物を届けにやってきた。大きな箱に入っていたのは、立派な黒地に金の刺繍や飾りがほどこされたロングコート。貴族男性が着る正装に近い服の一式と、アメジスト色の美しいドレス。寸法は精霊が密かに測っていたらしい。確かに白い鳥としばらく戯れた覚えがある。


 黒金の上着を試着したクラウは、凛々しくて美しい。格好良いという言葉が当てはまるのだろうか。


『ほー。服だけで見違えるな』

 ふわふわと宙に浮くテイライドが感心したような声を上げる。

「素敵です。クラウ」

 胸のときめきが止まらない。


「何か窮屈だけど褒められるなら嬉しいな」

 苦笑するクラウは、汚さないようにとすぐに上着を脱いでしまった。残念。


「町で髪を切ってくるよ」

「綺麗な髪なのに、切ってしまうのですか?」

 伸ばしっぱなしの淡い金髪の手触りが好きだ。手を伸ばすとクラウが頬を寄せてくる。頬に口付けたい。頬ずりしたい。猫なら人目も何も気にしなくていいのに。


「うん。師匠がね、人に会う時には身なりを整えて行けって、うるさかったんだ」

 髪は自分で適当に切ってたからとクラウが笑う。


「私も行きます。クラウが髪を切っている間、書店で待っています」

 髪が長くても短くても、クラウはクラウだと私は気を取り直した。


      ◆


 クラウと手を繋いで町を歩く。顔見知りになった人々と軽い挨拶を交わすと心が浮き立つ。


 床屋から少し離れた書店はレンガ造りの三階建ての立派な建物。王都の書店にも引けを取らない量の本があると見て取れる。

 

「なるべく早く切ってもらうよ」

「時間がかかっても構いません。この書店なら一日中でもいることができると思います」

 一般書籍の棚の奥には様々な分野の専門書が並んでいる。自分は本の虫だと笑う店主の、半ば趣味で集められた本は多岐にわたって興味深い。


「セラフィ、何かあったら僕の名前を呼んで。必ず助けに行くから」

「はい。何かあったら名前を呼びますね」

 ほんの少しの時間なのにクラウは大袈裟で笑ってしまう。私は何度も振り返るクラウの背を見送ってから店内に入った。


 書店の中をゆっくりと歩く。背表紙を目で追うだけでも楽しい。屋敷にいた頃は私が書店に訪れることはなく、侍女たちが選んでくれた本がいつの間にか私の部屋の本棚に並んでいた。

 

 私には選択権はなかった。ただ与えられるものを消費するだけの存在だった。こうして、自らの手で何かを選ぶことは許されなかった。


 薬関係の専門書が並ぶ棚に向かうと先客がいた。紺色の髪に碧の瞳の神官フィデル。今日は白い神官服ではなく、普通の服で数冊の本を脇に抱えている。片手で開いた本の内容に集中しているのか、私には気が付いていない。


 他の本を見ようと踵を返した時、フィデルが背後から声を掛けてきた。

「こんにちは。今日はお一人ですか」

 挨拶をされれば返すしかない。私は向き直って挨拶を交わす。


「こんにちは。今日はここで待ち合わせをしております。……お邪魔をして申し訳ありません。失礼致します」 

 今日は以前感じた不吉さはない。とはいえ、進んで近づきたいとは思えない。


「クラウディオさんは、貴女の呪いを引き受けて死のうとしていますよ」

 フィデルの静かな声に、私の思考が硬直した。


「……それはどういうことなのですか?」

「彼の祖母イネスも他者の呪いを引き受けて死んでいます。他者の呪いの身代わりになるのは〝輝ける白の光〟の一族の秘儀なのです」


 テイライドからイネスは呪いで死んだと聞いた。身代わりとは聞いていない。フィデルの言葉はおかしい。神官が何故、魔術師の一族の話を知っているのか。そもそも、人の姿でフィデルに会ったことはないのに、どうして迷わず私に声を掛けてきたのか。


「ああ、申し訳ありません。唐突過ぎて驚かれたのですね。強すぎる神力を持つ私には、呪いとその因果まで見えてしまうのです。口に出すと不気味だと思われるので普段は黙っているのですが、先日町でお見かけしたクラウディオさんに呪いの大部分が移っていたので、気になって声を掛けてしまいました」


「呪いが移っている? ……そんな……」

「クラウディオさんを死なせないようにする方法が一つだけあります。神殿でその呪いを断ち切ることができるのです。女神の力はあらゆる呪いを浄化します。……魔術師の方々は我々の力を認めようとはしませんが」


「私の呪いは、この国の神官長ですら解けなかったのです。それを貴方が解けるというのですか?」

 この国の神官も魔術師も、全員が解けなかった。クラウだけが呪いを止めた。


「はい。……外聞が悪いので表に出ることはありませんが、私のように過ぎた力を持つ者は隠されて、出世をさせてもらえないのです。残念な話ですが、この国の神殿の階級はお金の力次第なのですよ。出世を目指してお金を集め、お金に魅入られて転落していく神官も少なくありません」

 前任の神官も集めたお金で堕落したと、フィデルは静かに苦笑する。


「貴女の覚悟ができてからで構いませんよ。ただ、残された時間はあまりないかもしれません」

「それは、どういうことですか?」


「……彼は最近、太陽の光が眩しいと言っていませんか? 頻繁に目元を揉んだりしていませんか?」

 そんなことは一切ない。太陽の光を浴びても、いつも優しく笑っている。


「貴女の為に精一杯頑張っているのかもしれません。自分の不調を隠して、自らの命を代償にして貴女の身代わりになる準備をしているのでしょう」

 心に受けた衝撃で、ぐにゃりと地面が歪んだように思えた。クラウが笑顔の裏で、私の身代わりになろうとしている?


「でも……そんな……自分の命より誰かの為になんて……」

「彼は自己犠牲も厭わない優しい人なのでしょう。……それでは、貴女の都合の良い時に神殿までお越しください」

 静かに微笑んで会釈したフィデルは私に背を向けて、会計台の方へ歩き出した。


「待って下さい。……貴方が呪いを解く代償は何ですか?」

 何が目的なのか全くわからない状況では、フィデルの話を信じることはできない。


「神官としては、お恥ずかしい話ですが……お金です。私は中央神殿に戻って出世したい。その為には大金が必要なのです」

 振り向いたフィデルは自嘲めいた笑みを浮かべた。清らかであるべき神官が、お金を求めなければならないという矛盾に嫌気を感じているのかもしれない。それがフィデルが纏う不吉とも思える違和感に繋がっていたのか。


 いくらなのかという私の問いに、それなりの金額が提示された。母が提示していた解呪の賞金よりは安くても、私が働いて返せる金額ではないから屋敷に戻って貴族女性の義務を果たすことになるだろう。


 気持ちの区切りをつける為、私は静かに深く息をした。

「……わかりました。代金を支払いますから、呪いを解いて下さい」

 クラウを死なせたくない。私はフィデルと共に神殿へと向かった。

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