第14話 未開封の手紙

 家から、かなり離れた黒い森の奥、先日とは違う場所で、私たちは魔物狩りを行っていた。

「クラウ! 後ろ!」

 注意を促しながら、クラウの後ろから迫る魔物を矢で射る。この距離なら絶対に外さない。眉間を射抜いた魔物は一撃で地面に沈む。


『俺も負けられないな!』

 笑うテイライドが光の刃で魔物の首を切る。


「ほどほどにねー」

 苦笑しながらも、クラウも剣で魔物を一撃で倒していく。ふらふらと不安定にも見える動きは、自由に流れる水なのだと気が付いた。ふらりと魔物の爪を避け、水色の魔力光を纏う剣でとどめを刺す。


 通常の魔術師に宿る魔力光は一色というのが常識。クラウは水色と金色、二色の魔力光を纏っている。


 私はクラウが描いた魔法陣の中にいるので安全。魔法効果によって魔物には見えないし、感知もされないので襲われることがない。クラウやテイライドの視界の外から襲い掛かる魔物を射て、逃げていく魔物を仕留めていく。


 〝月虹〟の威力はすさまじい。私の神力を引き出してやじりに聖なる力を乗せ、魔物が持つ魔力を斬り裂き、致命傷を負わせることができる。普通の弓矢では魔物を一撃で倒すことは絶対にできない。


 先日よりも短い時間で、すべての魔物を倒すことができた。

『また黒色輪熊とか出てくるんじゃねーだろーなー』

 テイライドが周囲を見回す。私も警戒しながら魔法陣から出て、剣を納めて息を整えるクラウに汗拭き布タオルを手渡す。


 魔物の血に塗れたクラウを見ていると自分が浄化の術が使えないことが悔しくなる。神力による浄化なら血も消せる。クラウは浄化魔法を使うことができるけれど、魔力による浄化は血を消すことができない。


「今回も多いですね」

 テイライドと一緒に数えると七十二匹。

「そうだね。何でなんだろ……」

『おっし。俺が運んでやるから、お前らは帰っていいぞー』

 楽し気なテイライドにお礼を言って、私たちは家へと戻った。


      ◆


 毎日畑の世話をして、掃除や洗濯といった家事をする。イネスの石けんや化粧品を作り、町に納品に行って帰りには買い物をして家に戻る。そんな日々の繰り返しがとても楽しい。


 美しいドレスを着て侍女たちに傅かれ、目線を動かすだけで望む物が与えられる貴族の生活に戻りたいとは思えない。何よりもクラウと一緒にいられることが嬉しくて仕方ない。


 ある日の午後、クラウが小さなテーブルを庭に運んでいた。

「クラウ、そのテーブルは何をするのですか?」

「今日はさくの日だから、星見をしようかなって思うんだ」

 朔の日は一年に一度、白い月フルトの輝きが一時だけ消える日。王族や貴族の間では不吉な日と言われていて屋敷に籠ってすべての窓を閉じ、静かに過ごすのが伝統。外で夜空を見るなんて想像もできない。


 夜になり、庭にテーブルと椅子を並べて空を見上げる。テイライドは力が弱まる日だと言って、どこかに行ってしまった。


 弓のように細い月が消え、いつも空に浮かぶ緑の月フランと赤の月フラムの輝きが失われた。夜空には一面の星。普段は見えない小さな星々がはっきりとその姿を示している。


 雨のように星が降ってくるのではないかという恐怖がぞわりと肌を撫でていく。圧倒的な数の星が煌めく空は、押しつぶされそうな圧力を感じる。


「クラウ……怖い……」

 呟くと腕を引かれて膝の上に乗せられた。抱きしめる腕の温かさに心が緩む。

「僕がいるから大丈夫だよ。ほら、星が流れていくよ」 

 クラウの優しい声で勇気をもらった。再び空を見上げれば、視界いっぱいに広がる夜空の天頂から星が流れ落ちている。


 先程まで感じていた恐怖がクラウの温かさで溶けていく。大丈夫。クラウが私を護ってくれる。


「遠い外国では流れる星に願い事をすると叶うって言われてるんだ」

「願い事……ですか? クラウは何をお願いするのですか?」

「願い事は他人に言ってしまうと叶わないんだよ。だから秘密だ」

 暗さで表情は見えなくても、クラウの声が笑っていて安心できる。私の願いは一つしかない。


 いつまでも……大好きなクラウと一緒にいたい。

 降る星の中でクラウに抱きしめられながら、私は心の中で願い事を繰り返していた。


      ◆


 少し手間のかかるクリームが完成した。ジルやお客さんが喜ぶ顔が目に浮かんで、不思議と幸せな笑みが零れる。イネスの秘伝で作られる化粧品は効果が高く、少し匂いを替えて欲しいという要望に応える為の工夫も始めている。


「『愛は呪いを打ち砕く』……素敵な言葉ね」

 私はイネスの帳面を胸に抱いた。石けんや化粧水、さまざまな美容クリームの作り方が書かれた中に時折こういった言葉が書かれている。……実際は王子の愛が呪いになったのだけれど。


 ジルの店に化粧品を納品するようになって、私は初めて自分の手でお金を稼いだ。誰かの為に、何かを作ることが嬉しい。すべてを望むままに与えられていた時には、味わうことができなかった充実感が満ち溢れている。


 この幸せな日々がいつまで続けられるのか。季節が移り変わる中、私は時々不安になる。


 クリームは小さな瓶に二十個。鞄に入れれば、私の力でも運ぶことができる。身支度をして、また依頼された解呪をしているクラウに声を掛ける。


「クラウ。ジルの店まで、納品に行って来ますね」

「セラフィ待って! 僕も行く!」

 叫んだクラウが慌てて服を着替え始めて、私は背中を向けた。


「クラウには解呪の依頼があるのでしょう? 私一人でも納品できます」

「心配なんだよ。前にも言ったけど、誰かが僕らの家を探してるような気がするんだ。相手の正体と目的がはっきりするまでは、町に行くのは僕と一緒だ」

 そう説明されれば、納得するしかない。


「誰が探しているのでしょうか」

 そう口にして、テイライドから聞いた話を思い出した。〝堕ちた赤〟の魔術師たちが〝輝ける白の光〟の一族であるクラウを狙っているのだろうか。


「お待たせ。大丈夫、セラフィは僕が護るよ」

 最近、クラウは黒いローブを着る事がなくなった。生成色のシャツに葡萄色のロングベスト、黒のズボンにブーツというのは、町で普通に見かける服。私の服と同じ布で作った物が増えている。


 生成のブラウスに葡萄色のベストとスカートという私が隣に並ぶと、町では夫婦と誤解されている。奥さんと呼びかけられることが、くすぐったくて嬉しい。


「荷物、僕が持つよ」

「ありがとうございます」

 今日も私たちは手を繋いで町へと向かった。


      ◆


 小さな家の窓の外には、静かな雨が降っている。私は香料にまつわる本を読んで勉強し、クラウは新しい解呪の依頼に取り掛かっている。水の精霊テイライドは、雨だと喜んで出掛けて行った。


「この手紙は開封しないのですか?」

 戸棚に置かれたままの手紙の束と小包はイネス宛の物。


「ん? ああ、開封してもいいよ」

 クラウへの依頼は、とても難しい――命に係わるものが増えている。夜は私の呪いを解析していて、忙しい日々を過ごしている。


 イネスが持っていた正妃の指輪のことは、クラウには打ち明けてはいない。何かもやもやとした曖昧な感情を言葉にすることはためらわれる。


 手紙と小包はイネス宛。差出人の住所と名前には、該当者なしと赤字で書かれている。慎重に封筒を開いて中の便箋を広げて私は衝撃を受けた。


 角を持つ獅子の紋様が描かれた王家専用の便箋。先代王妃の祖母からの手紙で何度も見ているので間違いない。

『イネス、私は変わらず君を愛している』

 たった一言の手紙の署名は私の祖父レアンドロ・ミラモンテス。一年ごとに送られた十五通の手紙の内容は、ほぼ同じ。


 一つの仮説が頭に浮かんで、指先の温度が下がっていく。もしもイネスが祖父の正妃だとしたら……クラウは従兄になる。この国の王族や貴族階級では従兄との結婚は忌避されている。その家が持つ血が濃くなると言われるからだ。


 明確な決まりではないので、私は王命で従兄である第二王子との婚約を結ばされていた。クラウとの結婚に王命が下る可能性はないだろう。祝福されない結婚という単語が頭をよぎる。


 イネスは貴族ではなかったから、王城に入ることができなかったのかもしれない。魔術師だったからかもしれない。


 震える指で小包を開くと、指輪が入っていた箱によく似た白い箱の中には光り輝く黄金で出来た百合の花のブローチが入っていた。大粒の真珠と金剛石が煌めいている。


「え? 何? うわっ!? 物凄く高そうじゃないか!」

 クラウが身を乗り出して覗き込む。

「うわー。解呪の依頼とか手紙ついてる?」

 もう間に合わないよなぁとクラウが眉尻を下げる。


 添えられたカードには『愛を込めて、君に贈る』という一文。署名は私の祖父。


「……これ……先代の王様から?」

「はい。先代の王であり、私の……祖父です。……クラウ……イネスは王妃だったのですか?」

「王妃!? そんなことないよ! だって僕の祖父はケイラっていう名前だよ?」

 クラウは目を見開いて驚いている。私はあの指輪が正妃に贈られるものだとクラウに説明した。


「この手紙は真筆です」

 辺境伯の娘である私は、王の手紙が本物であるかどうか見分ける方法を教え込まれている。それは強大な軍事力を持つルシエンテス家が偽の手紙で惑わされない為。


 ペン先で特定の文字に空けられた穴、偶然に見せかけたインクの跳ね。手紙の端に仕込まれた傷。細々とした事柄がすべて王の真筆であることを示している。

 

「僕の祖父はケイラ。母が子供の頃に死んじゃったから会ったことはないけど、黒髪で黒目の豪快な男だったって聞いてるよ」

 震える手をクラウが包む。祖父ではないと聞いて少しだけ安心はしても、疑惑は完全に拭えない。


「しかし、困ったなぁ。こんなに高そうな物、家に置いておけないよ。送り返そうかな」

 王城に送ればいいのかなと、クラウが首を傾げる。


「……私が手紙を書けば、会って頂けると思います」

 祖父は譲位しているから、孫娘の個人的な面会なら応じてくれるだろう。直接確認して、安心したい。


「そっか。それなら、お願いしようかな。このブローチも指輪も返して、イネスは死んだって伝えよう」

「はい」

 私は手紙を書く為に立ち上がった。

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