バレンタインの写真

 放課後。外には雪が降っている。ここは関東なのであまり積もってはいない。せいぜい3センチ程度。住んでいる街は白身を帯びている。まるでスパゲッティにかかる粉チーズのように。

 それでもあまり雪の降らない地域では騒ぎになる。電車は遅延し、自転車で来る生徒は徒歩になり、徒歩で来る生徒は早めに登校する。

 今日は二月十四日。バレンタインだ。言わずもがな想い人にチョコレートを渡す日。最近では友達に渡したり普段のお礼ということで渡すという人も増えている。このイベントは礼式的になっている。

 大半の高校生は今日という日を待ち望んでいる。教室は無音の戦場と化す。男子は決して口には出さない。ましてやこちらから求めることもしない。しかし興味がないふりをしておいて視線は泳いでいる。下駄箱、机の中、教室のロッカー隅々まで監視をしているのだ。

 俺もその一人だった。自分ではそうしているつもりはない。しかし無意識のうちに行っていたのだろう。別にたくさん欲しいとは思わない。モテるのは気分がいいものかもしれない。それでも一人の大切な子から一個貰えれば十分な気持ちになれる。そう信じている。

 今のところ一個も貰えていない。絶望感に苛まれる。去年以降そんな気持ちになったことがなかった。何も感じていないといえば嘘になるがそれは絶望感ではなかった。どちらかというと悔しさ。貰えなかった男の一人という社会的評価を気にしての感情だった。

 好きな人ができるだけで何気ないイベントに花を咲かせる。

「佐藤先輩!」

 俺の諦めて乾ききってしまった心に一滴の水が染み込んだ。神居が声をかけてきた。

「突然なんですけど、これ受け取ってください!」

 黄色い小包を渡してきた。

「俺にか?」

「先輩以外誰がいるんですか」

「それはそうだけど」

「安心してください。義理チョコなので」

「そうかありがとう」

「じゃあ受験頑張ってくださいね!」

 そういって風のように去っていった。まさか神居からもらえるとは思っていなかったので拍子抜けしてしまった。



 チョコレートを渡すことができた。私にとってはそれだけで上出来。手作りではないけれど。でももう先輩に渡す機会はないのかもしれないから。渡すことに意味がある。

 それでも一つ嘘をついてしまった。本当はそんなこと思っていなかったのに。私には勝機がないと分かったいたからつい逃げてしまったのだろうか。

 後悔している。もう先輩と会うことないかもしれないのに。素直になれない自分が嫌になる。涙を流さないように空を見つめる。雪がまぶたの上に落ちる。涙と雪にまみれた水滴は地面を溶かした。



 校門を出るとすぐに家へと向かった。寒いし雪が降っているのでいつもの図書館にいく気力も起きない。

 凍えた体を少しでも温めようと体を丸めて歩く。気分の問題かもしれないがこうしていると安心した。

 手をぶら下げた猿のように歩いていると公園の横を歩いていた。昔はよくここで遊んだものだ。一番のお気に入りはブランコだった。まるでメトロノームのように動く。前後にしか動かないけどだんだんと大きく振れるようになる感覚がおもしろかった。毎日のように友達とどこまで高く早く行けるかを競っていた気がする。

 郷愁を感じてブランコを見つめると佐々木が視界に入った。雪で少し見えにくいが髪の色と長さ、制服の上から着ている黒いセーターが雰囲気を醸し出している。

 俺は近付いて声をかけていた。

「あれ佐藤くん」

「こんなところで何してるんだ。風邪引くぞ」

「私は大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」

「そうか。でも一応受験前なんだから体調管理くらいしとけよ」

「ありがとう。心配してくれて」

 佐々木はカバンを開けて手を中に入れそのまま固まった。もしかしてチョコレートだろうか。

「ちょうどいいタイミングだから。これ佐藤くんにあげる」

 予想は的中した。佐々木はピンクの長方形型の箱を俺に渡した。綺麗に包装されていて可愛らしい同色のリボンも付いている。小さいハートの柄がたくさんデザインされており如何にもバレンタインというものだった。

「ありがとう」

「手作りは受験生だからできなかったけど、それでも渡したかったから。市販ので我慢してね。一応いいチョコだと思うからきっと美味しいよ」

「お返しはあまり期待しないでくれよ」

「そんなのは元から期待してないよ。ただ私が勝手に渡したに過ぎないから」

 雪はまだ降り続けている。まるで白いカーテンのように俺たち二人の空間を作り出していた。二人の周囲3センチだけが違う次元に飛んでしまったかのように。

「じゃ、じゃあチョコありがとう。勉強頑張ろうな」

「うんまたね」

 俺は緊張感から抜け出したくて別れを切り出してしまった。このままあの空間にいたら俺の心の中に咲く小さな芽を摘まれてしまうような気がしたから。

 家までの道のりが普段より遠くに感じたのは天気のせいではないだろう。



 きっと彼はあの子が好きなのだろう。私には分かっていた。60パーセントの直感と40パーセントの事実。直感は説明できない。女の勘は女の子にしか分からないから。でも事実なら説明できる。だってあの子にしか下の名前でしか呼ばない。しかもお互いそう呼び合っているんだから。理由の一つとしては挙げられるはず。

 もしあの時雪が魔法をかけてくれて彼に告白できたらどうなっていたんだろう。付き合えたのかな。それとも振られていたのかな。きっと後者だ。魔法は結果にはかからない。勇気をくれるだけ。結果は彼が決めること。

 今告白しても受験に支障をきたすだけ。そして彼には好きな人がいる。私にはどちらも阻む権利はない。

 私の初恋は思いを告げることもないまま雪の地面と一緒に溶けていった。

 

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