お正月の写真
十二月二十六日。昨日は十一時と早めに寝てしまったみたいだ。そのおかげか目覚めがいい。朝の空気がいつもより透き通っている。最近センター試験も近づいているから寝るのも遅かった。
まず起きてから携帯のロックを開いた。誰かから連絡が来ているかもしれない。予想通り何人かから連絡があったようだ。クラスの奴との他愛もない話。グループでのスタンプの送り合い。そして一番上のトーク画面には
「お、空からか」
空から連絡が来るのは珍しい。写真部とか教室内では話すのは当たり前だ。緊急の用事でくらいしかLINEを用いない。自ずと注意深く見てしまう。
『相談がある』
これもまた同様だ。あいつは表に出すタイプではない。内容が気になってしまう。「まさか恋の悩みだったりしてな」
あいつに限ってそんな事はないと思う。しかもこんな今後の人生を左右するかもしれない大事な時期にだ。
早起きすれば面白いこともたまには起こるものだ。カーテンを開ける。太陽の光が俺の部屋を照らす。どんな相談でも真剣に受け止めると誓った。
俺は今近くの小さな公園に来ている。なんの変哲も無い公園。ブランコがありシーソーがあり滑り台と定番の遊具だらけ。そのほとんどは所々錆び付いている。子供の頃はもっと見栄えが良かったと思う。
鈴木に相談を持ちかけ会って話したいことを申し出た。らしくも無いことを話すのは癪だがもう腹をくくるしかない。あの魔獣と決着をつけるために。
定刻通りに彼は来た。夕方の六時ごろ。お互いの勉強の合間を縫っての時間。太陽はとっくに沈んでいる。あたりは薄暗い。公園の電灯と住宅の灯。相手の顔が分かるくらいだ。
「待たせた佐藤!」
「時間はちゃんと守ってるから平気だ」
「ほらよっ」
鈴木が持っていた二つのホットココアの一つを投げた。余裕でキャッチできた。適度な暖かさで冷えた体を温めてくれる。気の利いた奴だ。
「ありがとな」
「いいって!んで相談ってなんだ?」
「好きな人ができた」
俺は率直に言った。うやむやにする意味なんてない。
「あの空がね。相手は誰なんだい」
「それは秘密だ」
流石に名前は伏せた。暴露してしまっても良いのだが教室で冷やかされるのも少々酷だ。まあ鈴木はそんな口の軽い男だとは思っていないが。
「教えてくれよー」
「付き合ったら教えてやる」
「空がそう言うなら無理に詮索したりはしない」
「そうしてくれ」
鈴木はホットココアを一口飲むと話を続けた。
「それで相談ってなんだ」
公園の砂の地面を見つめながら俺は答える。
「好きだって事が分かったのはいいんだが付き合っていいのかが分からない。受験が終わったらそれぞれの道へ行く。俺は彼女の道を茨の道へ導く標にはなりたくない」
俺には俺の、彼女には彼女の進むべき道がある。もしかしたら新天地での恋に夢を見ているかもしれない。それを阻害する権利は俺にない。
「まず本当に付き合えるかどうか分からないけどな!」
「そこはほっとけ」
好きを伝えるのは難しいものだ。
鈴木は残りのホットココアを一気に飲み干すと夜空を見つめる。
「伝えちゃえよ空!お前は標なんかじゃない。彼女と一緒に歩く旅人だよ。お前が幸せへと続く道中を案内しろ!それについて行くかは彼女次第だ」
俺もホットココアを飲み干す。そして握り潰すように空き缶を潰した。オリオン座の位置は人が立っている姿に見えた。
「ありがとな鈴木」
「おうよ!」
誰もいない静謐な公園で一つの小さな勇気が生まれた。それは俺と鈴木しか知らない。生まれたからといって成就するかも分からない。大博打だ。
握りこぶしほどに潰された空き缶に捨て鈴木と別れた。初詣が楽しみだ。ついでに星にも願おう。欲張りだと拒まれるかもしれない。それでもはやる気持ちを抑える事はできなかった。
十二月三十一日。時刻は十一時過ぎ。毎年のように紅白歌合戦を見ていた。この爺感になってくると大御所や名アーティストが連発してくる。演歌はあまり聞かない。しかし一年の終わりに聞く演歌は身に染みた。
自宅の赤いカバーのかかったこたつでぐったりとしている。今食べているミカン三粒ほどを一気に口に入れる。
「母さん、初詣行ってくる」
「気をつけて行ってらっしゃいね」
事前に母さんには伝えていた。一度も元旦にお参りをした事なかった人が急に夜中に家を飛び出して行くのだ。それは驚くに決まっている。今は流石に落ち着いている。
防寒対策を怠らずに家を出る。十二月の夜は寒い。大きな冷蔵庫に閉じ込められたらこんな感覚なのだろうか。
待ち合わせ場所はクリスマスの時と同じ鎌倉駅。お参りに行く妙本寺は駅から徒歩で行ける距離だ。他の有名なお寺や神社と比べると地名度は劣る。のんびりとしたいならベストだと思う。
駅のベンチに座っている。ふーっと深呼吸。息を吐いた。白い吐息はすぐに消えてしまった。少し緊張している。心の準備をしなければ。気の向くままに下を向くと
「お待たせー」
夏恋が来た。自慢の金髪の髪は後ろに結っている。赤い梅の花の柄をした着物を羽織る彼女は妖艶。誰もが欲っするスタールビーのよう。
「なんか似合ってるな」
「ありがと」
照れ隠しすら出来ないほどの距離。心の距離も近ずづいているんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
境内へ到着するとちらほらと人目が見えた。インターネットの情報によるとあまり初詣にはこない穴場と書いてあった。だがそれは虚偽だった。他の人も同じワードを検索した結果だろう。それでも人海とは程遠いのでので許容範囲内だ。
「そろそろ十二時ね」
除夜の鐘が鳴り響く。今ではあまり聞けなくなった独特の金属音は煩悩を消し去り、真実の待つ先へと導いてくれる気がした。
「来年には受験して卒業して大学生になっているんだな」
「そうね。みんなとも当然のように会えなくなるのね。でももう今年のことだけどね」
鐘の音が再び聞こえた。お坊さんは気合が入っていたのだろうか。鼓膜に伝わる振動は脳内をより強く揺らした。108回目の鐘音。
「あけましておめでとう」
「こちらこそおめでと」
新年最初の挨拶を夏恋と交わす。
そして参拝の列に並んだ。前には二十人程度。そんなに待つことはないだろう。長くても十分もしないだろう。
淡々と賽銭箱にお金を投入しお祈りを済ませる。仏様も大変だ。たくさんの願いを聞きくのだ。それを成就させるかは別だが。
俺たちの順番が回ってくる。事前に用意していた二十五円。二重にご縁がありましょうにと駄洒落を加えてみた。冗談の通じる仏様だと願いたい。
作法を順序どおり行い合掌する。叶えてほしい願いなんてないのでこれといってなかった。実力で行使できることは自分でできる。恋の願いはすがりたい気持ち
なくはない。それでも羞恥が邪魔をする。
参拝が終わって夏恋を見るとまだ願っていた。沢山願っているのではなく一つのことを頭の中で復唱している様子だ。
数秒後ようやく終わった夏恋に聞いてみた。
「そんなに丹精込めて何を祈っていたんだ」
「そ、それは内緒よ。言っちゃたら叶わないかもしれないじゃない」
人の願いに手を突っ込むような野暮なことはしない。
目的も終わり引き返して夏恋と二人歩いていると
「あれ夏恋ちゃんと空じゃん!」
「夏恋〜抜け駆けなんてずるいぞ〜」
金井鈴木の姿だ。他にも
「あけましておめでとう。二人とも」
佐々木もいた。あの件以来気まずさというか変に意識してしまう。初恋を知ってしまってからもどかしさが拭えない。
三人も参拝を終えると甘酒を配布しているテントでそれを受け取りお寺のベンチに腰掛けた。俺は鈴木に、
「何でお前らまでここにきてるんだ」
「いやこの前グループでLINEしたろ」
「あれ初詣だったのか」
「いや時間的にそれしかないだろ。空と夏恋ちゃんにはパスされて結衣ちゃんもダメだったから仕方なく三人出来たわけだ!」
そういえばそんなLINEきていたような気がする。先約があったからと適当に返していたのですっかり忘れていた。
「夏恋もやるね〜。まさかこんな気合い入れて佐藤とデートをこじつけてるなんて」
「意外と積極的なんだね」
「もう二人して何なのよ!」
夏恋は女子二人からライオンに追い込まれる草食動物のように口撃されている。向こうも大変そうだ。金井と佐々木は私服なのに一人だけ着物を着てしまっているのだから仕方ない。
甘酒を飲み終わるとほんのりとした甘さを摂取できなくなった。口内が寂しくなる。夜の静けさが溶け込み、冬の寒さも熱を蓄える俺らの体内を蝕んでいく。
「そろそろ帰って寝るとするか」
全員一致でそれぞれの家へと帰って行った。センター試験が一月に始まり二月には自由登校になってしまう。時間は待ってはくれない。
背後に迫る卒業という名の大きな闇。もうすでに呑まれつつある現状に畏怖の念を感じていた。
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