過去の写真 

 この世で一番惨めな花を知っているだろうか。

 俺は知らない。綺麗に咲く花はたくさん知っている。バラ、ラベンダー、チューリップ。どれも見聞したことがあるだろう。花はそれぞれの場所で力強く咲いている。丁寧に職人に育てられたくさんの人を魅了し愛でられる対象になる花も、誰にも相手にされず人に踏まれて潰される花も同じだ。咲いてきたことに意味があるのであり、花からしてみれば子孫を残せれば良いわけだ。欲を言えば儚く情緒溢れる散り方を望むのだろう。

 



 とうとう文化祭も終わってしまい残す学校行事は卒業式のみとなってしまった。外も肌寒くなってきた。受験の不安も相まって心も体も氷のように冷たい。

 今日は日曜日。明日からまた学校だ。とは言っても平日の行動と変わることはあまりない。午前中には図書館へ行って勉強。昼飯はそこらへんのファストフードで済ませる。そして二時ごろにはまた戻って勉強を続ける。その繰り返しだ。

 平日も休日も同じように勉強をこなして、同じような問題を解く。退屈な決まり切った日常。俺にとってあまり苦ではなかった。飽きることはあっても辞めたいとは思わない。

 そして今日も今日とて同じような日々が訪れた。俺はお昼を食べに近くのファストフード店ガストに入った。週に二、三回は利用している。

 日替わりランチを頼むと水を取りに席を立った。コップを縦に積まれた茶色のケースから取り出す。氷を銀色のトングで掴みコップの底に落とし水を汲んだ。

 席に着くと単語帳を開く。付箋などの装飾は施されていない。俺は嫌いだった。無駄に勉強しているアピールをすることが。つけすぎても逆に見づらいのではないか。そう感じてしまう。

 capital、client、crisis。簡単な単語を脳内で発音しているとカランカランとお客さんが来た音が鳴った。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「一人です」

「ではこちらの席へどうぞ」

 お客さんとアルバイトの店員の一連のやりとりが聞こえて来た。その声はどちらも女性のものだった。お客さんの方を一瞥する。ポニーテールで髪は茶髪。シンプルな黒のパーカーを来た少女は俺の隣のテーブルに腰を落とした。

 注文を簡潔に済ませた彼女はドリンクを取りにバーへ向かった。すると突然誰かに肩を叩かれたかのように振り向くとこちらを注視して

「あれやっぱり先輩じゃないですか!」

「なんだ神居か。びっくりしたぞ。急に声かけるから」

「なんだは失礼じゃないですか!もっと喜んでもいいのに」

「嬉しいよ」

「そうですか。それは良かったです」

 神居は続ける。

「良かったら一緒に食べません?テーブル隣なのにへんじゃないですか」

「いいぞ。ちょうど話し相手が欲しかったところだ」

「やったー!」 

 急いで神居はカバンを取りに行きこちらの席へ移動した。

「じゃあ私水とって来ますね」

 急ぎ足で席を離れて行った。それと同じタイミングで横からプレートを二つ持った店員さんが来る。

「こちら日替わりセットです」

 机にご飯とおかずが置かれる。今日の日替わりセットは大根おろしハンバーグだ。白の無機質なお皿の上にずっしりと置かれたハンバーグ。それをカーテンのように大量の大根おろしが蓋をする。周りには申し訳程度の野菜も並べられている。これで税込五百円。お金の限られる学生にとっては良心的なメニューだ。

「あ、先輩も同じもの頼んだんですね」

「安いし美味しいしな」

 どうやら同じのを頼んでいるようだ。女の子ならデザートも食べると思っていたが神居は注文していなかったようだ。

「デザートはあまり食べませんね。太っちゃいますし」

「そういうの好きだと思っていたけど」

「もちろん好きですよ!」

「じゃあなんで」

「体重のことを女の子に聞くのは野暮ですよ!」

 どこに埋まっているのかわからない。まんまと女の子の地雷に引っかかってしまった。

 急に神居の表情が変わった。

「先輩は悔しくなかったんですか?博覧会で結果出せなくて」

「まあ悔しかったけどな。それよりも納得した写真が撮れたから」

「私もです。しかも私は納得した写真を撮れなかったんです」

「それは仕方ないよ。出会えなかっただけだ。シャッターチャンスに」

 写真も一期一会。その瞬間はいつ訪れるか誰も予知できない。いつでも敏感に目頭に絶景を探知するアンテナをつけていなくちゃいけない。

「だから私今日も散歩していたんです。シャッターチャンスを探しに」

「見つかるさ。きっと神居なら」

「ありがとうございます。先輩は優しいですね」

「そんなんじゃない」

「そんなことありますよ。何気ない一言が誰かを助けることだってあるんですよ」

「後輩が偉そうに」

「へへ。生意気でした?」

「ちょっとだけな」

 店員さんが神居にも大根おろしハンバーグを届ける。何もない他愛のない会話を神居と続けた。何もない日常にもたまには面白いこともあるのだと実感したのであった。



ファミレスでの昼食を終え神居と別れた俺は再び図書館へと向かった。大通りを歩いていると誰かから着信が来ていた。名前を見ると佐々木だった。通知音をオフにしているので気づかなかった。仕方なくLINEを送ることにした。

『何か用だったか』

『話があるから四時ごろに由比ヶ浜公園にこれない』

 由比ヶ浜か。図書館から近いしいけないことはない。

『了解』 

 とだけ打ってそっとポケットに仕舞う。話ってなんだろうか。期待と不安に心を踊らせていた。

 歩いて十分も経たないうちに着いてしまった。公園の方に佐々木らしき面影が見えたのでそちらに歩いてみる。

「ごめん待たせた」

「大丈夫。私ずっとここでぼーっとしてたから」

「そっか」

「じゃあせっかくだし浜辺の方に行こ。公園だと味気ないし」

「味気が必要な話なのか」

「うん。あの場所が最適なの」

 確かにあの場所には忘れてはいけない大切なことがある気がする。ずっと思い出せなかった。ヒントになることを佐々木が話してくれる。俺は少し期待していた。

 コンクリートで出来た面白みのない階段を降りるとそこには青の絨毯が広がっている。それは鏡のように空を映し出し、その周りを陸地が大事に大事に守っている。

「あのさ佐藤くんは覚えていないと思うんだけど」

「ああなんだ」

「あれは小学校二年生くらいかな。実はここによく二人で来ていたの」

「二人っていうのは俺と佐々木のことか?」

「うん」

 動揺を隠せなかった。俺と佐々木がそんな前から出会っていたなんて。あのここに来るたびに感じていた蟠りはこれだったのか。

「ごめん。俺は覚えていない」

「無理もないよ。もう十年も前のことだもん。私だって覚えてなかったし」

「じゃあどうして思い出せたんだ?」

「たまたまだよ。昨日部屋の掃除をしてたの。そしたら四桁の数字が書かれている紙が見つかってね。それをママに見せたら、私たちがよくここで遊んでいたことを教えてくれたの。それで全てが蘇った」

「なるほどそういうことか」

 幾度もこの場所に来るたびに思い出すあの景色。その一コマに彼女も写っていたとは。俺が描いた絶景に足りなかった最後のカケラをようやく見つけたのかもしれない。

「それにね、タイムカプセルを埋めているらしいの。見つけに行かない?」

「ああ。見てみたい」

「その場所はね夕日の光とコンクリートの壁がちょうど当たるところらしいの」

「随分と覚えにくいところだな」

「でもわかりやすくても誰かに見つかっちゃうかも知れないよ」

「それもそうだな」

 目的地はすぐに見つかった。コンクリートの壁の一部分だけ赤く染まった場所があったのだ。

 俺たちは手で細々とした砂をめくるように掘った。するとお菓子の長方形型の県ケースが一つ。それを開けるとそこには手帳型の鍵付きのノートがあった。ピンク色のノートでハートの柄などの可愛い装飾が施されている。少し砂っぽかった。

「1103って入力すればいいんだな」

 古びたノートを慎重に開けてみた。何ページかさっと読んで見る。交換日記のようなものだとは容易に理解できた。

「面白いやりとりしていたんだね」

「少し照れ臭いかもな」

「うんそうだね」

 今日は遊んだとか喧嘩したとか。どうでも良いけど温かみのある日記が数十ページに渡って絵描かれていた。

 そして最後のページをめくる。


 11月3日。きょうわたしはホッカイドウへてん校します。空くんともおわかれです。それを空くんにいったら「つぎ会ったらケッコンしよう。そしてもし会った時わすれてたら、タイムカプセルをうめて思いだそう」ってやくそくしてくれました。うれしかったです。わたしのはつこいは空くんです。


 こんな心が痒い約束をしていた。俺は恥ずかしくて佐々木を見ることができなかった。きっと佐々木も同じだ。確認はできないけれどきっと一緒だ。

「私は北海道に転校してからまた戻ってきた。そして佐藤くんにも再開できた。でもこんな約束を忘れていたなんてね」

「ああ。運命を取り逃がした気分だ」

「お互いに覚えていたら今頃素敵なカップルだったのかな」

「それは付き合ってみないと分からないな」

 カラスが帰りを喜ぶかのように鳴いている。もしもすぐそこにあった奇跡をつかめていたなら俺たちは恋人になっていたのだろうか。そして行末には結婚をしていたのだろうか。

「ごめんね。昔話に付き合わせて」

「大丈夫だ」

「一人で開けようかなとも思ったんだけどそれだと面白くないかなって。それで佐藤くん呼んじゃった」

「俺も面白かったよ。恥ずかしい思いはしたけど」

「それはお互い様」

 夕日は刻々と沈んでいく。暗くなる前に俺たちは家へ帰った。

あの手紙を読んで思い出したことがある。それは俺の初恋は佐々木だ。子供ながらに悲しむところを見せたくなかったのだろう。強気になってあんな約束をしてしまったのだ。

 ただ子供の頃の約束だ。すこし大人になった俺たち。彼女もどこまで本気にしているかは分からない。実際彼女も覚えていなかったらしいし。

 今日は大事なことを知ることができた一日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る