文化祭の写真 p.m.
時刻はちょうどお昼時。そろそろお腹もすいてくる頃だ。せっかく文化祭に来ているのだ。どこか腹ごしらえできるお店があればそこで食事を済ませたい。
「そろそろお腹空かないか?」
「そうね。何か食べたいわね」
俺の隣を歩く夏恋も同様のようだ。何も食べていないからな。神居が運営しているメイドカフェでコーヒーを飲んだだけだったので流石に限界だ。
色々と廻っているが一向にお店は見つからない。構内に入った当初はお好み焼きやさんとかあったはずだが探しているときに探しているものが見つからないのは世の常だ。
「なかなか見つからないものね」
「あると思うけどな」
俺たちは地図を持ってい。この高校の生徒だから配置くらいはわかるものだと思っていた。しかし傲慢だったようだ。
考えても見れば当然。クラス配置は理解できてもそのクラスが何を催すかなんぞ把握でするのは至難の技だ。
「まあとにかく探し歩くか」
普段より人が多い。見ただけでわかる。夏祭りの時ほどではないが。高校の文化祭もそれなりに地元の人が集まる。卒業生たちはもちろん近所の高齢者の人たちや受験を視野に入れた中学生たち。年齢層も様々だ。
空腹感を拭えないままだらだらと二人探し歩いているといつの間にか朝最初に来たところに戻っていた。
「結局ここに来たな」
「そうね。でもこれ以上歩いてても仕方ないわね。ここにしましょ」
俺たちはお好み焼き屋さんの前に立っていた。ソースの匂いが食欲を駆り立てる。俺たちの腹はもう迷うことを知らなかった。
このお店はどうやらセルフ調理のようだ。各テーブルごとにホットプレートの種類が違うことから生徒の家から自前で持って来たことは容易に想像できた。
十五席ほど用意されている。掻き入れ時とありすでに満席のようだ。幸運にも十分ほどしか待たずに俺たちは窓際の前黒板の席へ優待された。
メニューにはお好み焼き、もんじゃ焼きの二種類がある。メニューこそ少ないが各席にはきちんとへらも置いてある。丁寧に焼き方まで書いてある。無駄に本格的なお店だった。
「どうしようか」
夏恋が聞いてくる。しかし二種類しかメニューがないんだ。どうしようと言われてもな。
「とりあえずお好み焼きともんじゃ焼き一つずつでいいんじゃないか」
「そんなに食べられるかしら」
「大丈夫だろ。二人いるんだし」
「そっか。今日は空といるんだもんね。男子はこれくらい余裕よね」
「あまり期待されても困るけどな。運動部じゃないし平均だぞ平均」
「ふふっ。それもそうね」
お好み焼きともんじゃ焼きの素はすぐに届いた。きっと用意されているのだろう。
「空、作り方わかる?」
「いや見ながらじゃないとできない」
「あたしお好み焼き食べたことないの。もちろんもんじゃ焼きも」
「それは意外」
「意外でしょ。一度食べてはみたかったの」
「じゃあ気合い入れて作らないとな」
「よろしく頼むわよ」
俺は机の脇にかけてある作り方の紙を手に取りざっと見渡す。なんとなくの概要は掴めた。
「まずは空気を入れ込むように素をかき混ぜると」
素と一緒に付いて来たスプーンで二拍子を描く指揮者のようにかき混ぜる。ボウルからキャベツがはみ出ないようにゆっくりと慎重に。
「そして厚さ2センチほどの円をホットプレート上に作る」
「ちゃんと様になってるじゃない」
「作り方見ながらだったら誰でも作れるさ」
しかし問題はここからだった。焼き上げるタイミング。ひっくり返す技術。初めて作る人にとっては大きな壁だった。俺がただ不器用なだけかもしれないが。
出来上がったそれは少し焦げ臭い。形もところどころかけてしまっているところがある。それは素人目から見ても残念なものだった。
「ごめんな。こんなになっちゃって」
「いいのよ。気にしないで。空が作ってくれたことに意味があるの」
夏恋は優しい口調で俺を宥めてくれた。張り切って作って失敗した俺の心に彼女の柔らかでガラスのような右手が差し伸べてくれた。
「うん。美味しいじゃない」
「そう言ってくれると助かるよ」
「ありがとね。作ってくれて」
「その言葉はまだ早いんじゃないか」
「まだもんじゃ焼きがあるもんね」
「やっぱり俺が作るのか」
お好み焼きと同じようにもんじゃ焼きも失敗してしまった。それでも夏恋は「おいしい」と言って笑顔で食べてくれた。初めてのこと、慣れないことは緊張してしまう。まるで恋する乙女のように。やっぱり俺は安寧が好きだ。
それでも何かに挑戦して失敗しても受け止めてくれる人がいるのは良いものだ。そう実感したホットプレートの前で暑くなってしまった束の間のお昼時だった。
俺たちはすぐ隣にあるお化け屋敷に来ていた。夏恋が行きたいと言って聞かないのだ。
別に俺はお化けは怖いとは思わない。ただ所詮は文化祭。低いクオリティであるだろう。そんなので楽しめるのか疑問だったのだ。
一人の女子生徒が担当する受付にくる。「二人で」というと列に並ぶよう指示された。どうやら最後尾はかなり後ろの方だ。このクラスは廊下が隣にある。その列は一階と二階の踊り場まで続いていた。
「結構繁盛しているわね。このクラス」
「そんなに怖いのか」
「これなら少しは期待できそうね」
出口から出てくるお客さんの表情を見ていると怖そうに出てくる人が多い。これは本当に期待できるのではないか。淡い期待を寄せた。
二十分ほどで俺たちの順番は巡って来た。
「じゃ、じゃあ入るわよ」
少し夏恋の表情には陰りが見える。怖いことに耐性があるからお化け屋敷に誘ったのだと思った。どうやら違うようだな。これは楽しみになって来た。
受付の女子生徒に二百円を支払い黒いカーテンを手でよけて中に入る。中は真っ暗だった。進行方向を示した看板にのみ小さな明かりがついている。とても静かだ。足跡だけが教室中に響いている。
「案外真っ暗ね」
「そうだな」
十歩ほど歩いたのだろうか。真っ暗な道を俺が先導して歩く。暗闇の中でも夏恋の怖がっている雰囲気は分かった。心なしか震えているようにすら感じる。
バンッと音がした。音のする方向を恐る恐るのぞいてみる。道外に置いてあるライトが天井を照らす。その瞬間
「きゃあああーっ」
夏恋が悲鳴をあげた。何かと思いきやただのミイラ男じゃないか。
「大丈夫か?」
「ダメかも」
夏恋は俺の右手をぎゅっと握り
「このままこうさせて」
「ああ」
怖がり屋さんだったようだ。
「無理しなくても良かったのに」
「だって、こんな恥ずかしいこと本当はしたくないもん」
「結局してるけどな」
「う、うるさいわね。いいから早く行っちゃいましょ」
四、五回くらいオバケは出て来ただろうか。高校生が作ったものとしては上々だった。しかし俺を怖がらせるには不十分だ。どこか手作り感が拭えないのだ。あまり怖すぎても夏恋の目の前で醜態を晒すことになっただろう。それを回避できただけ良かった。
「そんなに怖かったか?」
「うん。本当は怖いの苦手だったの」
「だったらなんで」
「だって空とお化け屋敷に入って見たかったのよ。それだけよ」
「変な理由だな」
オバケは謎だ。人はそれを見るが、人はそれを解明できない。分からないから怖いのだろう。お化けという奴は。
この北鎌倉高校は今の高校では珍しく屋上が解放されている。タイルは質素なグレー。金網は高く配置され上の方には謎の有刺鉄線まで張ってある。安全面を考慮しているが故の解放だろう。
俺たちはそこで休憩のために訪れていた。屋上からの景色は素晴らしい。特に南西の景色は思わず息を呑む。太平洋が一望でき、江ノ島、富士山を同時に堪能できる。
潮風が強く俺たちを押し当てると、夏恋が一言発した。
「今日は楽しかった」
「俺もだ」
その一言に即座に反応する。初めて文化祭を楽しめたのかもしれない。毎年雑用して終わることが常だった。
「あのさ変なこと聞いてもいい?」
「なんだ」
夏恋はもじもじとしている。顔をリンゴのように赤くして。一つ間をおくと
「恋ってさ、したことある」
唐突な質問だった。数秒間熟考する。
「分からないな」
「何よそれ。覚えてないわけ?」
「したことあるような気もするけど。少なくとも最近はしていない」
「そっか。そうなんだ」
俺は恋したことあるのだろうか。物心着いてからの記憶から引用すればないはずだ。
「あたしはさ、今してるよ。恋」
彼女は海岸線を見つめ、飴をもらった純粋な少女のようだ。笑顔が素敵だった。
「そうなのか。ちゃんと恋してたのな」
「当たり前じゃない。一応女子高生だしね」
「で誰が好きなんだ?」
「そんなの教えるわけないじゃない」
簡単に教えてくれるわけはない。沸騰したヤカンに手を触れることはできない。触れたら火傷を負う。そんな金色のヤカンでさえいずれは熱は引く。そう触れることができるのだ。
「きっとわかるよ。そのうちねっ」
「それは楽しみだな」
「楽しみにしててね。きっと驚くわ」
「鈴木だったりしてな」
「それはないから安心して」
冷たく罵られてしまった。夏恋は誰が好きなのだろうか。俺は誰が好きなのか。恋の病というのは難病だ。薬も効かない。病院に行っても治らない。きっと大半の人がいつかは患うものだ。
「じゃあそろそろ行こ」
「それもそうだな」
閉祭までまだ時間はあるが俺たちは学校を後にした。今日は夏恋の色んなことを知れた。優しいところ、怖がりなところ、そして誰かに恋をしていること。
花壇に咲いていた赤色の細身の花ビラが俺の目の前に落ちた。それを手にとって見つめる。その花は彼岸花。そっとその花をポケットにしまった。
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