修学旅行の写真 Day3
二日目は自由行動で慣れない土地を縦横無尽に移動したので疲れが溜まっていた。そのためか俺を含む同じ部屋のクラスメイトは早々に寝床に着いてしまった。
俺は太陽が昇ると同時に目が覚めた。疲労はとれている。時刻はまだ5時半。このまま宿に留まっていても良いのだが折角遠地の京都に来ているのだからと胸の動悸が収まらず、散歩に出ることにした。
旅館の近辺には哲学の道という有名なスポットがある。哲学者の西田幾多郎がこの道を散策、思索に耽ったことからこの名が付いているらしい。総距離も1.5キロ程なのでちょうど良いだろう。
俺は寝静まるみんなを起こさぬように部屋を出、静謐とした旅館の廊下を抜け、出口へと向かった。朝の空気はジメジメとしているが日中のそれと比べると十分に気持ち良かった。
旅館から徒歩五分の辺りにあった。入り口には哲学の道と書かれた簡素な木製の看板が建てられている。道の隣には小川が流れ、周りは木で覆われている。きっと春に訪れたら桜で満開になることは安易に想像できた。
俺はこの道の名の由来が少し分かる気がした。早朝だからかも知れないが、耳をすませると川の水が流れる音、風で緑がさすれる音、そして独特な雰囲気。今抱えている難題さえもここでなら熟考できる、そう思えた。
歩いている途中、修学旅行での出来事を回想しながら同時に難題についても考えた。銀閣の美しさが印象に残っている。様々な美しい名所を訪れたが、和の美を体現していたのはやはり銀閣が一番だった。また、二日目の佐々木とのやりとりも同様だ。彼女と話していると走馬灯が見えるような感覚に陥ることがある。気のせいかも知れないがひっかかりを覚える。
3分ほど歩いた先に見覚えのあるジャージ姿の女の子がいた。彼女は立ったまま川底を見つめている。まるで鏡と対峙しているように。髪の色は金髪では縛ってはいない。彼女も同じように思索に没頭しているのだろうか。はたまたこの道がそう錯覚させるのか。彼女の横をあと数歩でたどり着ける距離に来た時、彼女は俺に気が付いた。
「佐藤じゃない。こんなところで何してるのよ。」
「奇遇だな。早起きしたから散歩でもしようと思ってな。」
金髪の彼女は少し眠たそうだ。髪も元は綺麗だが整っているとは言い難い。川底を見つめたままの彼女は孤高の美女だった。
「修学旅行楽しめてるか?」
「まあそれなりにはね。中の良い子はいるし。」
顔を上げ、恋しそうに上を見つめながら続けた。
「でも、写真部で回ったらもっと楽しかっただろうね。」
「そうかもな。」
「なんで私だけ別のクラスなのよ。寂しいじゃない。」
「やっぱり寂しかったのな。」
「当たり前じゃない。最後の学年くらいみんなで一緒のクラスで卒業したかったわ。」
俺も同感だ。こればっかりは俺たちには決められないので先生を恨むしかない。同じ学校で同じ部活で出会えた偶然に感謝できない俺たちは未熟者だ。
やがて陽は登り始めた。日差しが俺たちの頬を照らす。彼女はもじもじとしながら力無い言葉で俺に問うて来た。
「写真部のみんなはさ、あたしのことを夏恋って呼ぶじゃない?」
「ああそうだな。」
「あんただけなのよ。写真部で私のことを苗字で呼ぶの。」
彼女は意を決したように真剣な眼差しでこちらを見つめた。そして顔を赤らめながら懇願した。
「佐藤もさ夏恋って呼んでも良いんだよ。」
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。クレッシェンドのように勢いも強まっている。女の子を名前で呼んだことはまだない。彼女はまだ顔を赤く染めている。俺は一呼吸置いてから、
「うんいいぞ。」
五文字で簡潔に答えた。他にどんな返事をすればいいのか。頭が真っ白になって正解が分らなかった。
「え、いいの!?」
「ああ。」
彼女の顔にはもう緊張の色は見受けられない。喜びの色が上塗りしていた。
「ありがとう!嬉しいわ!じゃあさ、私も空って呼んでいいでしょ?」
「いいぞ。」
こちらまで自然と嬉しくなってしまった。胸の高鳴りは増している。訳もなく携帯を開き時間が目に入る。あと十分で朝ごはんの時間になっていた。
「やばいもう朝飯の時間だ。」
「え、もうそんな時間!?」
木の擦れる音も川の流れも、最初に来た時よりも早く強く感じる。それはきっと風が強いからではない。
「行くぞ。夏恋。」
「うん!」
俺は差し出そうとした手をすっと引いた。それはまだ早い、と見えない哲学者が警告している。
二人哲学の道を駆ける。朝ご飯には間に合うだろうか。二人で遅れたら何てみんなに説明しようか。そんな事ばかり考えていた。
修学旅行も何事もなく終わった。帰りの新幹線はみんな行きの新幹線の活気は消滅していた。俺はただ窓の過ぎ行く景色を眺める。鈴木が不意に声をかけて来た。
「なあ空。夏恋ちゃんと何かあったのかい?」
「別に何もない。」
隠す気は無かったが何となくぼかしてしまった。
「二人で外出てたんだろ?何もないわけないだろ!」
さすが鈴木だ。こういう時鋭いんだよな。
「俺の情報力をなめるなよ!」
笑いながら彼は言った。本当に馬鹿にできないな。鈴木は俺が朝早くに外出したのを見ていて、他に朝早く外出した者の情報を収集した結果の推論だろう。
学校に着くと写真部だけで集まった。打ち上げも兼ねて修学旅行中に撮った一番出来の良い写真を見せ合った。
「じゃあ早速見せますか!」
鈴木が先陣を切って写真を見せた。それは浴衣姿の写真部の姿だった。
「コロスよ。鈴木くん?」
「すんませんでした。すぐ消します。」
金井にどやされしぶしぶ消去した。勿体無いような気もするがあいつのことだ。まだ隠し持ってることを期待しよう。
「か、金井さんは何を撮ったんすか?」
「これよ!」
と差し出された写真は金閣だ。金井らしい写真だ。ゴージャスな感じ好きそうだもんな。
「次、私いいですか?」
佐々木が提示したのは北野天満宮だった。正面から撮ったシンプルな物だ。受験生にとって縁起が良さそうだ。
「佐藤くんはどんなの撮ったんですか?」
「俺はこれだ。」
俺が選んだのは哲学の道だ。銀閣でも良い写真が撮れた。非常に迷ったがこっちにしておいた。理由はない。直感だ。
「あたしも空と同じ哲学の道よ。」
一瞬で写真部室内の空気が変わった。
「夏恋ー。佐藤のこと名前で呼んでたっけ?」
「あれれ夏恋ちゃん?空と何かあったのかい?
「私も気になります!」
三人はイタズラするときの顔に豹変した。とても楽しそうだった。
「べ、別に付き合ってる訳じゃないから!何もないから!」
焦る夏恋を横目に俺はバレないだろうかと気が張り詰めていた。写真部の特に鈴木と金井にいじられるのは少々気が滅入る。
今日中にバレてしまい二人に佐々木まで加わっていじり倒されたことは言うまでもないだろう。
大半の人間は一生に小学校、中学校、高校と三回しか味わうことができない修学旅行。もしかしたらそれよりも少ない者もいるだろう。小学校、中学校とあまり良い思い出のない修学旅行を送ってきた俺。人生最後の修学旅行で思い出がたくさんできた。佐々木や夏恋とのやりとり。銀閣や他の歴史的建造物を堪能できたこと。
思い出は将来何かの役に立つのだろうか。同窓会で昔話のネタになるのが関の山だと感じてしまう。思い出は過去だ。過去はいくらでも美化できる。だから思い出は美しいなんて言われるのだろう。
それでもやっぱり美しいから思い出を作りたがる者が多い。みんな必死になってシャッターチャンスを伺う。
写真には映らない美しさがあるとも気づかずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます