カウント 3

 苦しいということが私にはよく分かりませんでした。




 それはいつ始まったのか。齢12という短い時間の中、私の記憶はおぼろげに覚えているものでも4才のときのものです。


 それは楽しいはずのお誕生日でした。


 でも、私には楽しいという感情さえ分かりませんでした。


 ただ、薄闇の中、5本のろうそくが――ということはちょうど5才の誕生日なのでしょう。5本のろうそくが私の顔を照らします。


 そして、次の記憶は、視界の左半分が床で、私の目の前には白いケーキが崩れて落ちていました。体には痛みが走っているというのに――それでも更なる衝撃が私の体を襲います。体の中身をグチャグチャにしそうな衝撃の後、純粋な痛みを感じます。痛みに種類なんてありません。痛みはただの痛みなのです。


 私の体はあざだらけ。血管と皮膚との間に血がにじみでて、青い痣ができます。でも、その痣の上から更なる衝撃を加え続けると、赤い色が出てくるのです。


 私はそんな自分の皮膚の色を見るたびに、生きているのだと実感しました。


 まだ、生きているのだと。


 私は自分がどんな顔をして生きているのかを知りませんでしたし、特に興味はありませんでした。でも、そんな私に興味を持つ人はいたようでした。


 悪意。


 でも、私にとってみれば悪意というのは大したことのないものでした。


 私を虐げようとして私も呆れるほどのことをされました。けれども、まだ、マシなのです。そこに感情があるうちは。けれど、世の中には何とも思わず人を苦しめる人間がいます。それが実の子どもであっても、何かが気に食わないというだけで。


 私はきっと、生きていることを自覚する前に、感情というものを奪われたのでしょう。何も感じず、考えず。それでいいと思っていました。


 何かを失っても傷付かずに済む。


 自分がいくら苦しいとしても、それを苦しみであると認識できない。


 ある日を境に、いじめが止んで、ともだちができたとしても、私にとってそれは何の感動もないものでした。


 ただ、儀式を行うように、会話をするだけ。


 そんな私に、つい最近、変化が起こりました。


 それは去年のクリスマス。


 突然の来訪。


 窓を突き破って出てきたのは私以上に感情が読み取れない男の人でした。


 静寂を突き破る、真冬の遭遇。


 その後、私の記憶は曖昧になります。そして、次に見たのは巨大な蟲に蝕まれた両親の姿――


 その光景を目にした時私の中に沸き起こってきたのは恐怖でした。自分がこうなるかもしれないという恐怖。


 死ぬことなどなんとも思わなかったはずでした。けれども、私は思わず叫び声をあげていました。


 私は自分に危害が加わると思い、それが恐ろしかったのです。


 両親がどうなろうと、なんとも思いませんでした。




 そして、不思議な男の人との生活が始まりました。


 その人は本当に何を考えているのか分からなくて、怖いという感情よりも怒りが何故かこみ上げてきました。怒りという感情を知りえないはずなのに、それを知っているという不思議な感覚でした。


 気がつくと、色んな女の子が家に居座るようになって毎日が騒がしくなりました。


 誰も私を傷付けない、優しい世界。初めはそんな世界が信じられなくて、戸惑って、嫌悪していました。


けれど、いつの間にか、守りたいと思いました。


 命を懸けて守りたいと思ってしまった――




「フキちゃん!」


「フキ!」


 コトちゃんとセラちゃんが私のもとに戻ってきました。


「コイツは――」


 空中には両腕を延ばして十字架のように立っている饗宴の始まりロストがいます。


 饗宴の始まりロストから放たれる気のようなものは私たちに更なる重圧を加えます。もとよりただでさえ重圧は凄かったのですが――


「空き缶が潰れてますよ!重圧で!」


 あれ?魔法って現実には作用しないという設定があるんじゃなかったですっけ?もう誰も覚えていないのですか!?


「そうね。同時にワームも自分の重圧でぶっ潰しているわ」


 ブチブチと生理的に嫌な音が響き渡っていました。


「なみのはざーどれべるの魔法少女は卒倒している。覇気だな」


 かくいう私もしんどくてね、とセラちゃんは付け加えました。


「さあ、全ての終わりです。地球滅ぼすほどの力はないですが――全人類を滅ぼすほどは容易いのですよ」


 饗宴の始まりロストは自らの右手を見つめ、手を開閉しました。


 そして、ゆっくりと地上に降りてきます。


 饗宴の始まりロストが近づいてくるたびに息が苦しくなっていきます。


 地面に降り立った饗宴の始まりロストは地面にかがみ、思い切り地面を殴りつけます。でも、地面は水面のように波立っていました。


 饗宴の始まりロストが地面に手を浸した瞬間、私の体は総毛立ちました。体を嘗め回されるような不快感がこみ上げたからです。


 そして――


「なんなの……あれは――」


 唇を震わせてコトちゃんが言いました。


 饗宴の始まりロストが手を浸した周辺から、赤黒い人間の腕のようなものが伸びていました。それは一つだけではなく、無数に。私は地面に眠っている何億もの人々がゾンビのように甦ったのかと思ってしまいました。


 その腕は恐るべき速さで私たちに向かって行き――私は赤黒い腕をバトンで受け止めます。


「う、うぅ……!」


 私は腕をやっとのことで弾き飛ばします。けれども、腕は波のように私たちのもとに迫ってきました。私たちは無我夢中で腕を押しのけます。


 腕の波は私たちを越えて、広がって行きました。まるで血の海のように広々と。それが腕の集まりであることが信じられないほどに。


「きゃあぁあぁあぁあぁ!」


 魔法少女たちが上空を飛んでいました。腕に恐れをなして箒で空へと逃げ去ったのでしょう。しかし、腕は連なり、魔法少女を追って上空へと伸びていきました。


 そして、魔法少女たちは腕に飲み込まれ、見えなくなってしまいました。


「なんなんだ!これは!」


 私にも分かりません。けれど、この腕には触れてはいけません。それだけは誰もが感じていました。理屈も何も関係なく、恐怖を覚えさせる存在――


「!?」


 バトンの合間をぬって、腕が私のもとに伸びてきました。


 時間がとてもゆっくりに思えます。腕の挙動がスローモーションで迫ってきて。


 これはつまり走馬灯というものなのだと気がついたときには腕は私の胸へと伸びてきていました。


 そして――


 私は地面に押し倒されていました。


 私の空を覆うのは大きな体。


「どうして――」


 覆いかぶさった天井の肉体を食い破って、腕はその心臓を抜き取りました。


 泥を握って潰すかのように、まだひくついている心臓を握りつぶします。


 命そのものの象徴。それが抜き取られ、握りつぶされるということはもう、どうしようもないということ。


 死は絶対です。


 それは誰がどうやっても覆すことができない。


 だから、一生に一度の人生。故に大切――


 故に――失えば戻らないもの。


「どうして――キワムさん……」


 私に覆いかぶさり、腕に体を食い破られているのはキワムさんでした。


「そりゃあ……俺が……主人公……だからな…………主人公は……主人公らしく……活躍……しないと……」


「嫌です」


 キワムさんはしわがれた声で言いました。無理矢理に息を吐き出しているようでした。吐き出す声は小さくて、息は少なくて、早くて、痛みに耐えているのがよく分かって。


 ああ、キワムさんは死んでしまうんだな、と思いました。


「そんなの!嫌です!」


 目からぽろぽろと涙がこぼれます。


 目が曇って、視界が歪んでいきます。


「涙で前が曇ってしまうと、先に進めないぞ」


 そうとだけ言って、キワムさんはばたりと倒れました。


 私の上へと。


 その体重はとても重くて。でも、もうすでに人のぬくもりは感じられなくなっていました。


「もう、嫌です。私は、もう――嫌!」


 私の耳には人々の喧騒が聞こえていました。喧騒なんて生易しいものではありません。断末魔の叫びと、阿鼻叫喚の光景を見た恐怖の叫び。でも、その叫びをあげる人は次の瞬間には腕に心臓を抜き取られ、命を失います。


『人類滅亡まで24時間』


 変わらぬ口調で饗宴の始まりロストは言いました。




「そしてだれもいなくなった」

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