第8歌 蟲

 第8歌 蟲




「……」


「どうしましたか?」


「ううん。なんでもない。ちょっと、用事を思い出したんだ。フキちゃんはこの家から出ちゃダメだから。絶対に」


 すると琴音ちゃんは廊下をするすると歩いてどこかに行ってしまいました。


「何かあったのでしょうか」


 琴音ちゃんの表情が一瞬凍り付いたようになったのを私は見逃しませんでした。


「一体どうしたんだろう」


「なんだ?トイレでも探しているのか?」


「!?」


 私は背後からの声に飛び跳ねてしまいます。


「け、研磨くんですか!?」


「俺の名前、知ってんの?」


 田舎の少年といった風な、白いシャツに半ズボンの少年が縁側に立っています。体は所々に土煙を被っています。


「ええ。琴音ちゃんに教えてもらいましたから」


「へぇ」


 私は少し声を小さくして言いました。あまりやんちゃな子は得意ではありません。実は男の子もそれほど得意ではありませんでした。


「そうか、そうか。つまり、お前は琴音のともだちなんだな?ふーん。その、なんだ。琴音と仲良くしてくれないか?琴音は家のしきたりであまり自由に出歩けないんだ。だから、ともだちがいてくれるととても嬉しい」


 私は思わず笑ってしまいます。


「な、なにがおかしいんだよ」


「いえ。なんというか、その、妙に恥ずかしいというか」


 青春だな、と私は思いました。


 琴音ちゃんは研磨くんのことを大事に思っているし、研磨くんも琴音ちゃんのことを大切に思っている。それがとてもよく伝わりました。


 けれども、ともだちになってくれると嬉しい、とは――


「なんだかやけますね」


「なんのことだ?」


「いえ。何でもありませんよ」


 私はキワムさんのことを思い出して、苦笑いをします。


「そういえば、琴音はどこに行ったんだ?」


 研磨くんは辺りをきょろきょろと見渡します。


「先ほどどこかに行ってしまいましたけど」


「そうか……」


 研磨くんは少し残念そうな顔をしました。


「そんなに琴音ちゃんのことが好きなら、もっと琴音ちゃんに優しくしないとダメだよ」


「そ、そんなんじゃねえよ」


「恥ずかしくなるほどの照れ隠しですね。10年後には時代遅れですよ」


「なんのことだよ」


 少し様子を伺いますが、どうも琴音ちゃんが戻ってくる気配はなさそうでした。私は琴音ちゃんがいないとここから一歩も動けません。


「その、さ。琴音にこれを渡してくれないか」


 そう言った途端、研磨くんは走って逃げてしまいました。私の手の中に残ったのは小さなプレゼントボックスでした。


「ははぁ。でも、こういうのは自分で渡さないといけないのに」


 少しリボンが乱れているところがあるので、自分でプレゼントを包んだようです。けれども、少し気になるくらいで、恐らく私よりは器用な男の子なのだと分かりました。


「さて……っと」


 どうしようか、と思ったとき、それは突然にやってきました。


 キイィイィイィイィイィイィイン!


「まさ、か……」


 この頭痛はワームが出た時のあれです。


 そして、恐らく位置は近い。


「早く、ここから出ないと」


 プレゼントをどうしようかと悩みましたが、持って行くことに決めました。


 しばらく当てもなく屋敷の中を彷徨いましたが――


「まさかの、迷子です」


 やはり、迷子になりました。


「さて。どうしましょうか」


 こんなところで遭難は避けたいですが、ここに誰も通りかからなかった場合、完全なる遭難となり得るのではないでしょうか。民家で遭難とかシャレにならないです。作者は自分の部屋で遭難しかけました!


 悩んでいても仕方がない、と歩みを進めようとしたその時でした。


「?」


 近くの部屋から声が聞こえてきました。


「……ですか。あなたは今から……」


 女の人の声が聞こえました。恐らく琴音ちゃんのお母さんではないかと思います。


「……分かっています。私の使命は蟲を倒すこと……」


 入っていいのか迷いましたが、私は部屋の中に入ることにしました。早くこの家から出なければ、また、ソラさんのように被害に逢う人が出てきてしまいます。


「あの、すいません……」


「だれだ!」


 球をぶつけられるような声に私はその場で固まってしまいました。


「あら。フキちゃん。どうしたの?こんな所まで」


 お母さんとは打って変わって優しい声で琴音ちゃんは言いました。


「その、えっと……」


 一瞬ワームや魔法少女のことを言ってしまいそうになりましたが、10年前であるということを思い出して、言葉をおしとどめます。


「はい。そろそろお家に帰りたいな、と思いまして。それと、このプレゼントを……」


 私は手の中のプレゼントを思い出して、琴音ちゃんに渡します。


「このような時にそんなものを……」


「開けてもいいかしら。フキちゃん」


「多分……」


 私の言うべき言葉ではないとは思いましたが。


「ありがとう。まあ……」


 プレゼントの中身を見た瞬間、琴音ちゃんはとても喜んでいました。


「これは研磨からね」


「あなたに誕生日など……」


「それは携帯電話ですか?」


 昔あった、ガラパゴス携帯というものです。折り畳み式の携帯電話でした。


「ええ。おもちゃみたいだけど」


 琴音ちゃんは携帯電話のおもちゃを大事そうに抱えました。


「ありがとう。フキちゃん。でも、フキちゃんはこの家から出てはダメ。外はきっと危ないもの。だから、少しだけ、待っていて」


「でも……」


「さあ、早く儀式を始めますよ?」


「儀式ってなんですか?」


「部外者には関係のないことです」


 琴音ちゃんのお母さんはそうはっきりと伝えると、襖を開けて部屋を出て行きました。


「フキちゃん。しばらくここで待っててね」


 琴音ちゃんは笑顔でそう言いました。




「そうやってそこでじっとしているのか」


「なんですか。突然現れたり消えたりして」


 部屋の中でぽつりと座っていた私に研磨くんが声をかけました。


「お前はそれでもいいのか?後悔しないか?」


「なんですか。キワムさんみたいに」


 でも、もう頼るべきキワムさんはいない。あまり頼りにならなかったけれど、何故だか傍に居ると安心できるようなそんな存在でした。


「じっとしていられるわけないですよ」


 私は立ち上がり、襖を開ける。


 するとそこは縁側で、中心の池に琴音ちゃんが入って行く様子が見えました。


「研磨くんはどうするの?」


「今の俺には何もできない、と簡単に言うこともできるのだろうが……やれるだけやらなければな」


 まるでキワムさんみたいだと私は思いました。


「なあ、フキ。お前は魔法があると信じるか?」


「いえ。信じません」


「夢がないな」


 研磨くんは大人びた溜息を吐きます。


「俺はな、魔法というものが存在すると信じてる。人は奇跡だって起こすことができる。その奇跡を起こす軌跡のことを魔法と呼ぶんだと俺は思う」


「なるほど」


 つい私は魔法少女の使う魔法のことだと錯覚していました。


「さあ、行け。フキ。何もできないなら、何かできるように足掻くんだ」


 研磨くんは私にこの屋敷を出る裏道を教えてくれました。


 琴音ちゃんの読みは正しかったようで、屋敷の下に隠し通路があるようでした。


 私は池の祠に進んでいく琴音ちゃんが心配でしたが、早くワームのもとに行くために屋敷の下を駆けて行きました。


「あれ?私、研磨くんに名前言ったっけ?」




「うぅぅ」


 男の子というのは本当にやんちゃでした。最後に高い塀を上らなくては行けなくて、腕がとても疲れます。


「運動は苦手なんですよ」


 私は満身創痍になって塀から飛び降ります。


「塀の中の懲りない面々ですか!全く!」


 そう言ってしまって、それは冗談でもないなと感じてしまいました。


 あの家のこんな高い塀の中に閉じ込められている研磨くんと琴音ちゃんは囚人と変わらないのだと。


「子どもは大人に反抗できるだけの力を持たない、か」


 そんな力を持ってしまっているのが私でした。


 魔法という、夢の中でしか意味のない力。だからこそ、私はこの力の意味を探しているのかもしれません。


「急がないと」


 私はワームのいる所まで走り出しました。




 必死で逃げている二人の女の子がいました。


 一人は小学校の中学年くらい、もう一人は幼稚園児くらいでしょうか。小学生の女の子は必死で幼稚園児の女の子を抱えて走っています。その背後には生々しい色のワームが迫っていました。


「早くこっちに!」


 女の子にワームの姿が見えているのは幸いだと思いました。ワームの姿が見えなければ即座に心を食べられていたことでしょう。


 私はポケットからコンパクトを取り出します。


「マジカルコンパクト! ドリーム・スタート!」


 いつものように光が私を包みは――しませんでした。


「どうして!」


 コンパクトは一向に反応しませんでした。女の子たちは私の脇を通り抜けます。


 ワームは大きな首を私に向けます。




 どうしてみんなが私を助けたのだろう。


 どうして自分を犠牲にして、私なんかを守ったのだろう。


 それが少しも分からなかった。


 私が弱いからだ。


 私がもっと強くなれば、もうだれも犠牲にならずに済む。


 そう思っていました。


 そして、それは正しいのです。


 私が強ければ失うものも少なかったはず……


 でも……




「思い付きを数字で語れるものかよ!」


 強いとか弱いとかそう言うことじゃないんだと私は気がつきました。ただ、そこにある未来を、夢を守りたいから、ただそれだけで人はいくらでも強くなれる。


「例え魔法がなくったって!」


 わが身を犠牲にして誰かを守ることができるはずだから!それが、私の、私たちの願いだから!


 怖くないなんて嘘です。足は震えているし、顎はガクガクいって、血の気の引いた顔はもう何の感覚も得られなくなっていました。


 けれど、その場から動くわけにはいきません。私が今逃げれば力ないあの子たちが犠牲になってしまうから。誰かが傷付く姿をもう見たくはない。そう思います。けれど、今はそれ以上に未来ある存在を守ることに誇りを感じていました。


 私に的を絞ったワームは胸に向かって食いついてきました。


 全ての終わりを悟ったその時――


「フキちゃんがいなくなると悲しむ子がいることを忘れちゃいけないよ」


 白いフリル付きのシャツに黒いスカート。頭にはちょこんと帽子の乗った女の子が私とワームとの間に舞い降りました。


「帰ったらお説教だからね。フキちゃん」


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