第三羽 流体力学的観点からなる昨今の魔法少女学について


 蕗谷メブキが魔法少女になった翌日。



 俺は作っておいた煮干しのだし汁を味噌汁に入れようとしていた。



「魔法少女になってくれて嬉しいパフ」

「まあ、なりゆきですけど」



 パフィーと蕗谷メブキは机で話している。


 パフィーは行儀が悪いことに机の上に乗り、そのパフィーを蕗谷メブキは苦笑いをしながら見ている。



 俺は突然のことながらこの家の長女、蕗谷メブキと暮らすことになった。


 とても戸惑っている。


 だが、俺が魔法少女になるためだ。


 文句を言ってはいられない。



「君は今日からフキパフ。よろしく。魔法少女フキ」



 その言葉を聞いて俺は歯を食いしばる。


 俺より先に魔法少女にあんな小さな子どもが選ばれるなど、我慢できようもない。


 俺の方が知識も技術も体力もあるというのに。


 妖精というのは本当にイラつく。



「幸せを守るためなら仕方ないですよね」



 あきらめに似た言葉をフキは吐く。



「パフィーは君の先輩になる女の子を探してくるパフ。だから、もう少しだけ待っているパフ」



 パフィーは白い煙とともにどこかへと消えた。


 フキは煙たそうに咳をしている。



「キワムさん!」



 フキは思い出したように俺を見る。



「朝ご飯は私が作るって言ったじゃないですか」

「俺より起きるのが遅いのがいけないんだ」



 そうはっきり言ってやると、フキは悔しそうに唸る。


 まるで小動物のようだ。



「ほら、さっさと食べないと学校に遅れるぞ」



 俺はさっさと先に食事を始める。



「うぅ」



 フキは不満ながらも食事を口にする。


 そして一言。



「不味い」



 オーバーなリアクションをして俺を見る。



「どうしてこんなに不味いご飯が作れるんですか」



 俺はフキが内向的な子だと思っていたが、俺に対してはそうではないらしい。


 何故か俺を憎しみに似た感情で見ている気さえしてくる。


 確かに、フキを魔法少女にしてしまったのは俺なのかもしれないが。



 **********



 俺はフキより先に家を出る。


 向かうのは小学校。


 俺は妖精によって、小学校の先生にさせられていた。


 今でも驚きは隠せない。



「おはようございます」



 俺は先生方に挨拶する。


 俺もその一員なので先生方と形容することに違和感を覚えながらも、まあいいか、と割り切る。



「魔法少女学の授業を楽しみにしてますよ」



 俺は魔法少女学とかいう、昨日あたりから急に指導内容になった授業の教師だった。


 臨時講師のような扱いかと思えば、いきなり担任を任されたり、と大変である。



 俺は担任の教室へと向かう。


 俺は魔法少女学専門の教師というわけではなく、魔法少女学もできる教師だそうだ。


 小学生の内容など簡単だ、と高をくくることなかれ。


 これがなかなかに骨が折れる。



「起立、礼」



 担当の児童が号令をかける。


 今から朝礼である。


 簡単に連絡事項を言い渡した後、教卓に座る。


 小学生の教師は基本的に一人で授業を行う。

 特別な授業、例えば体育や音楽、理科などは別の教師が行うのだが。


 小学校の教師というのはブラック企業だ。



 にしても、小学生というのはいやにはしゃぐものである。


 たった五分間の休みでも元気にはしゃいでいる。


 もう少し静かにできないものか。



 俺は教室にいるフキを見る。


 フキは隣の児童と話している。


 フキは俺が見ていることに気がつくと、汚物を見るような目つきで俺を睨む。


 隣の子は不思議そうに俺とフキを交互に見ていた。



「ほら。授業が始まるぞ」



 俺は児童に席につくように促す。


 やっと静まったころに俺は授業を始める。



「今年(というか、昨日)から新しく始まった『魔法少女学』という授業をします」



 俺は大学で魔法少女学を学び、最先端の魔法少女学を学べるゼミに所属していた。


 論文はかなりの評価を受けていた。


 だが、その専門的な知識を小学生に分かりやすく教えるのは難しい。


 昨日できたばかりの授業だから、指導マニュアルさえない。



「魔法少女について知ってる人、いるかな?」



 俺は小学生に知っていたら手を上げるように促す。


 誰でも知っているのに、誰も手を上げやがらない。


 ノリが悪い。


 俺は舌打ちしたい気持ちを必死で抑える。



「テレビとかで知っている人もいると思うけど、実際はどんなことをしているのか、知らない人も多いと思います。

 今日は少しずつ魔法少女について学んでいきましょう」



 俺は紙袋から一枚の写真を取り出し、黒板に貼る。


 それは、有名な魔法少女ソラである。昨日頑張って大きく印刷した。



「彼女は中学生の魔法少女、ソラさんです。きっと知ってる子もいると思います」



 水色を基調とした魔法少女服。


 それを着こなしながら、箒で空を飛んでいる絵である。



 教室は少しざわつく。


 日本一の有名人であるので、当たり前の反応だろう。



「ソラさんが魔法少女になったのは12歳。

 この中で、もう12歳になっている子もいると思うけど、そう思うとすごいよね」



 俺は紙を黒板に張り付ける。


 裏に磁石がついているので、黒板に吸い付く。



 そこには『魔法少女はなにをしているの?』と書かれている。



「さて。魔法少女は何をしているのか分かる子、いるかな?」



 分かったら手を上げるように促すが、誰も手を上げない。


 なので、俺は適当に当てることにする。



「じゃあ、ゴッサムくん」



 どんなキラキラネームだよ、と思いながら俺は一人の少年を当てる。



「ええっと、体を売る職業ですかぁ?」



 鼻をほじりながら、ゴッサムは答える。


 流石ゴッサムである。


 一体どこでそんな言葉を覚えたのか。



「違うな。次はコロリさん」

「ええ?パパ?今日はギロッポンで遊ぶんじゃないの?」



 どこのバブルなのか、という感じである。


 もう、これ以上公言したくはない。



「つまりは、世紀末なのだな」



 俺は遠くを見るような目をしていたことだろう。


 日本の未来がこのような子たちに託されると思うと気が遠くなる。


 俺は手のひら大の紙を取り出し、そこに文字を書き込む。


 書き込んだ紙を飛行機にしてフキへと投げる。



 紙飛行機を受け取り内容を見たフキは首を横に振るが、俺は黙ってフキを見つめる。


 俺の熱意が伝わったのか、フキは涙目で仕方なさそうに首を縦に振った。


 そして、マジカルコンパクトと取り出し、魔法少女に変身する。



「魔法少女は魔法少女の素質のある人にしか見えません。だから、彼女たちが頑張っている姿を私たちは知ることができないのです」



 フキはバトンを出現させ、魔法をかける。


 すると、児童たちは大人しく真面目に授業を受け始めた。



「魔法少女は色々な魔法を使うことができます。それは人の役に立つことのために使われます」



 俺はにやりと笑いながら授業を続けた。



 ***********



「何が人助けですか!」



 休み時間にフキは怒って抗議に来る。



「俺を助けたのだし、ガキどもは授業がしっかり頭の中に入ってよかっただろう」

「そういうのを洗脳って言うんです」

「なかなか難しい言葉を知っているじゃないか」



 ガキのくせに、と俺は少し笑う。



「私たちは何も知らないわけじゃない。

 子どもの作り方だって知っているし、世の中がどれだけ残酷なのかも知っているつもりです」

「そうだな。大人の方がこどもより子どもっぽいかもしれないな」



 子どもっぽいという言葉の定義は曖昧で、大抵誰かを貶めるためにだけ使われることが多い。


 けれども、きっと子どもっぽいという言葉の意味は、自分のことばかり考えている人のことを指していて、大人は自分の家族がどうのと言いながらも結局は自分が大事だと、自分の平和が大事だと言っている。


 目に映るもの全てを救おうという心は子どもしか持っていない特別なものではないのかと俺は思った。



「放課後、魔法少女の修業をするからな」



 そう言って俺は教室に戻った。



 **********



 放課後、グラウンドの端に俺とフキは集まった。



「で、何をするんですか」

「まずは魔法少女に変身してもらおう」

「こんなところで大丈夫なんですか?」



 フキは不安そうに辺りを見渡す。



「変身後の魔法少女の姿は誰にも見えなくなる」



 フキはそれでも不安げに魔法少女に変身する。



「で、練習というのは」

「そうだな。

 まず、魔法少女の願いを叶えるガジェットとしてのバトンを呼び出すことができた。

 ここまでは合格としよう。

 だが、ここからが大変な所だ。

 箒を呼び出して空を飛ぶんだ」

「本当に飛べるんですか?」



 そう聞かれて、本当に夢のない子どもだと思った。


 これで魔法少女としてやっていけるのか心配である。



「まずは箒を呼び出すんだ」

「どうやって」

「ただ、想像するだけでいい」



 フキはしばらく頭を悩ませた後、ほい、と手を振る。


 すると、もくもくとした煙とともに、その手に箒が現れた。



「ありきたりな箒だな」

「何か文句があるんですか」



 フキの出した箒は魔女などが使うあのふさふさしたものだった。


 実にありきたりである。



「じゃあ、跨って空を飛べ」

「急に言われても無理です」



 俺は深くため息をつく。



「やらないうちから決めつけるな」

「でも、怖いじゃないですか」

「何がだ」



 高所恐怖症なのか、と呆れる。


 そんなやつ、魔法少女になる以前の適性の問題じゃないか。



「もしも飛べなかったら、私は魔法少女失格なんですよね。

 それだったら、魔法少女の力も無くなって、誰も守れなくなる」



 思い込みの激しい子どもだと思った。


 そして、何より、自分のために力を使おうとしていないところが気に食わない。



「俺も詳しい空の飛び方を知らないからな。お預けにするか」



 この少女に自信をつけさせるのは簡単ではないと思った。



 **********



 冬の日暮れは早く、もうすぐで空は暗くなる。


 俺とフキは並んで同じ帰り道を歩いていた。



「魔法少女って一体何ができるんですか」

「何でもできる」

「じゃあ、世界を壊すことも?」

「簡単にできるだろう」



 それが魔法少女の力だった。


 世界さえ容易く塗り替えられる強力な力。


 この世界は魔法少女によって改変された後の世界なのかそうでないかを証明することは誰にもできないのだ。



「じゃあ、今までにした人はいないんですか」

「そういうやつは初めから魔法少女に選ばれはしない」



 魔法少女やワームが見えるからといって、必ずしも魔法少女になるとは限らない。


 その基準がどこにあるのかは妖精のみが知ることだった。



「もし今ここで私が魔法を使って世界を滅ぼすのなら、キワムさんは止めますか?」

「止めないな。それが本当にお前の願いであるのなら」



 そもそもに、魔法少女を止める術などどこにもない。


 魔法少女はそれほどまでに世界にとって重要な存在なのだ。



「そうですか」



 俺は初めからフキにそんな気はないと分かっていた。


 そんな大それたことができる子どもが力を失うことを恐れたりはしない。



「あれは」



 フキは目の前のうずくまった人影に近づいて行く。


 確かあれは、うちのクラスの児童で、名前を尊と言った児童である。



「尊くん。どうしたの?」

「ほら、この捨てられた犬なんだけどさ」

「ラッキーのこと?」

「知ってたのか。フキ」



 フキはこっそりと俺に事情を説明する。


 尊は数日前から捨てられた子犬の世話をしているというのだ。



「でも、こいつ、元気なくてさ」



 尊と子犬を見ていたフキは大きく頷く。


 その目は決意に満ちていた。



「まさか、お前……」



 フキはさっと電柱の影に隠れる。


 その影から光が少し漏れ、再び姿を現した時には魔法少女の姿になっていた。



「ラッキーがどうしちゃったのか、聞いてみます」



 フキは子犬にバトンの先を向ける。



「ラッキーが話せるようになりますように」



 すると、バトンから光が出て、子犬を包む。


 犬は突然しゃべりだした。



「苦しい。苦しいんだ。

 もう、生きていたくない。

 はやく、はやく殺してくれ……」



 フキと尊は息をのむ。


 呼吸さえ忘れてしまっているようだった。



「俺に食い物を与えないでくれ。

 苦しみも悲しみもない場所へと俺は行きたいんだ。

 だから――」

「そんなことさせられるかよ!」



 尊は子犬を抱きしめる。



「お前は俺が育てる。

 生きててよかったって思えるように育てるから、もうそんなことを言わないでくれ」



 犬は大きく遠吠えを放つ。


 もう魔法は解けたようだった。


 子犬の代わりにフキが泣いていた。



「先生、なんだかよくわからねえけど、俺はコイツを幸せにする。親と戦う」



 そう言って尊は走って去っていった。



「キワムさん。私たちも行きましょう」



 魔法少女のままフキは尊を追いかけていく。


 俺は致し方なくついて行くことにした。



 ***********



 フキは家の前で魔法を使う。


 どこからともなく声が聞こえてくる。



「家の中の声を聴くことができるようになりました」



 なかなかに適応力のある子どもだと俺は少しフキに感心する。



『ペットはダメだって言ってるでしょう?

 そういう契約で家を借りてるんだから。

 それに、近所迷惑だし』

『そこを何とかしてやりたいんだ』



 尊は母親と言い争っているようだった。



「色々とややこしそうだな」



 俺は尊に少しでも夢を見させたというだけでフキに重い罪があると感じた。


 どうやっても敵わない願いというのはこの世に存在するのだ。



「魔法でなんとかできませんか?」



 できるだろう。


 だが、それは



「俺と同じ洗脳ということになるんじゃないか」

「でも、可哀想じゃないですか」



 魔法少女とは矛盾を抱える存在である。


 願いを叶える存在と願いを叶えて欲しい存在が別のものであるとき、そこに必ず齟齬が生じる。


 本当はそうじゃなかったのに、といった感じに、だ。


 昔話である願いを叶えることのできる何かはそういう齟齬で話しの幕を閉じる。


 だから俺は誰かの願いを叶えることを推奨しない。


 人は自分の願いだけを叶えていればいいのだ。



「そうだな。具体的には、賃貸契約書と契約者たちの記憶を塗り替えて、近所の人間の迷惑にならないようにすればいいんだな」

「はい!」



 フキは嬉しそうにバトンを天へと向ける。


 そして、願いを叶える。



「ラッキーと尊くんが一緒に暮らせますように」



 光はあらゆる場所へと舞い降りていった。



『うん。いいわよ。ここペットオッケーだし』

『え?さっきまでダメって言ってたじゃないか』

『気のせいじゃない?』



 世界は小さく改変された。



 誰かの願いを叶えるだけの存在はいてはならない。


 それはもう人間とは言えないからだ。


 だが、誰かの願いを心から叶えたいと願うのなら、それがその人間にとっての願いだというのなら、問題はなかろう。



 **********



「これで良かったのかな」



 表情に影を落とし、フキは言った。



「自分の願いを叶えたのだからいいんじゃないか」



 フキの心のもやもやは晴れそうになかった。



 子どもの扱いというのは存外難しいものだと、そう思った。



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