27話 まるであたしたちみたいね
エルアを抱えたウィンたちは、レイナの召喚した竜に乗って近くのアニシ村まで飛んだ。
夜、寝ている医者を叩き起こして病院にエルアを運ぶ。
血まみれでボロボロの服を着替えさせるためユキヒロたち男性陣を部屋から追い出し、ウィンはエルアの服を脱がせた。
透き通るような白い肌が露出する。
ずっと付き添っていたウィンが絶えず回復魔法をかけていたおかげで、エルアに刺さった矢の傷はすっかり消えていた。
清潔なパジャマに着替えさせてベッドに寝かせたが、エルアは以前目を覚まさない。
目をつむり、時折り苦しそうに顔を歪める。
「たぶん、矢が刺さったときにヘルオスの魔力がエルアの身体に入ったのよ」
フィータが絞り出すように言った。
魔族の魔力は、冒険者が女神から賜るそれとは根本的に違う。
今、エルアの体内ではヘルオスの魔力が彼女の身体を内側から蝕んでいた。
ウィンが悔しそうに頷く。
「私の回復魔法ではエルアの中の魔力を祓うことはできません」
本来、魔族由来の魔力は触れるだけでも人間の身体を狂わしてしまう危険なものである。
「彼の言っていた『最弱の魔族』というのは本当だったんでしょう」
戦闘の時、ヘルオスから発せられる魔力の量が極端に少ないことをウィンだけが察していた。
ヘルオスの魔力が微量だったために今エルアはかろうじて生きながらえている。
「もし彼が『普通の魔族』だったなら、エルアは死んでいた」
「くそッ!」
ダンッ。と拳で壁を叩いたフィータは「頭を冷やしてくる」と言い残し部屋を後にした。
部屋に残されたウィンとレイナ。
時計が時を刻む音だけが部屋に響く。
やがて、ウィンが口を開いた。
「今さらですが、久しぶりですね、レイナ」
「そ、そうね、ペティ。会えて嬉しいわ」
ファミリーネームで呼ばれたウィンは「あれ?」と、意地悪な笑みを向けた。
「次に会う時はウィンって呼んでくれるんじゃなかったの?」
「そ、そんなこと言ってない!」
ウィンはふーん、とレイナの顔を覗き込んだ。たまらず目を逸らすレイナ。
ウィンはしばらくレイナの顔をジーッと見つめた。
「‥‥コカトリスの卵」
ウィンの言葉に、レイナの肩がぎくりと跳ねる。
「目がまた大きくなってる。あまり整形魔法使っちゃダメって何度も言ったでしょう」
コカトリスは、その身体のすべてが毒になっていてとても危険な魔物だが、その卵だけは神聖で、美容にいいと言われている。
数週間前にコカトリスの卵を入手して、それを素材に整形魔法を自分に施したレイナは、目を瞑り顔ごと逸らした。
「ちゃんと用量を守ってるから平気だもん」
何度も使っている言い訳なのでウィンには効果が薄い。
レイナは慌てて、話題を変えることにした。
「そういえば、ワッフルの件はどうなったの?」
「? なにそれ?」
「え、聞いてないの!?」
「なにも」
「この前モンでギギグガに言ったのに!」
「キザシハンに来てたのね」
「それすら聞いてないの!?」
こいつ‥‥! と、恨めしそうにエルアを見るレイナ。
まったく、しょうがない子ですね。と、困ったように笑うウィン。
あれー!? 言ってなかったっけ!?
どこからかエルアの声が聞こえた気がした。
ふと、窓を見るとカーテンがわずかに揺れている。
わずかに開いた窓から風が入り込んでいた。
「‥‥」
レイナはしばらく考えてから、慎重に言葉を選んでウィンに声をかけた。
「ペティ、あまり自分を責めないで」
「なんのことですか?」
「ギギグガがやられたのは相手が悪すぎただけ。アイツは私のドラゴンがハッタリだったことも見抜いてた」
「へえ、そうだったんですか」
「ねえ、もう休んで。ギギグガの傷はもう治ったんだから」
「冗談はやめてください。エルアはまだ目を覚まさないんですよ」
「‥‥ねえ、もう休んで」
「しつこいですね。私は平気です」
「だったら、その涙をとめて」
ウィンはハッとして自分の頬を触った。
先ほどから自分の頬を流れている2本のしずくに気付いていなかった。
「‥‥だって」
気づいてしまったら、もう止まらない。
ウィンの震える口から言葉が漏れる。
「エルアはいつも元気で‥‥!」
「うん」
「いつも私たちを笑わせてくれて‥‥!」
「うん」
「いつだってエルアは一緒だった‥‥!」
「うん」
「なのに、どうして‥‥!」
「うん」
「やだよ‥‥エルア‥‥」
レイナはそっとウィンの震える肩を抱いた。
ただ、優しく抱いた。
フィータが外に出ると、病院の庭にはユキヒロとイクシオたちがいた。
皆手持ち無沙汰のため、月を眺めていたり、武器のメンテナンスをしていたりとそれぞれ自由にしている。
病院の庭にやさしく広がる草を、月明かりがほのかに照らしていた。
大きく深呼吸。
フィータは、身体の中の汚れた空気をすべて入れ替えるつもりで大きく息を吐いた。
草原を撫でる夜風がどこか心地よく感じた。
フィータは、裏口の扉につづく階段に腰かけた。
「隣、いいかい?」
見上げるとイクシオがやや緊張した面持ちで立っていた。
「あら、ナンパ?」
「ち、ちがう‥‥!」
慌てて言い返すイクシオ。
フィータが黙って階段の隅に移ると、イクシオは若干迷う素振りを見せてからフィータの横に恐る恐るこしかけた。
「すまない」
「なんのこと?」
「うちのメンバーがアブソプ山で迷惑をかけたらしいな」
「別に、あたしはなにもしてないから」
「トランシスターズも美容に気を遣っているのか」
「あんたね‥‥ふつう女性にそういうことは聞かないものよ」
「え、あ‥‥いや」
フィータにじろりと睨まれたイクシオはそうとう焦ったらしく、一度腰を浮かせて立ち上がったがすぐに何事もなかったように座り直した。
しばし沈黙が流れる。
気まずさに耐え切れなくなったイクシオが、偶然視界に入ったユキヒロを見て口を開いた。
「彼は?」
「勇者くんのこと?」
「その、勇者とはなんだ?」
「ああ見えてあれがあたしたちの切り札よ」
「そんな風には見えないな」
「同感ね」
さっきユキヒロにひどく当たってしまったことを思い出したフィータは、あとできちんと謝ろうと思った。
「‥‥」
「‥‥」
互いに話術がないためすぐに話は切れる。
シャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワ‥‥。
しばらく虫の声に耳を傾けていたフィータが「あのとき」と、ポツリと呟いた。
フィータの脳内に、ヘルオスとの戦いがよみがえる。
「エルアを襲うホムンクルスだけ明らかに数が少なかった」
フィータは今回の戦いのキーはエルアだと考えていた。
そのため、できるだけエルアの魔法攻撃弾は温存しておくべきだと思っていた。
このことはウィンにも伝えてあった。
しかし、現実は思うようにいかないものだった。
「アイツ、天敵であるエルアにわざと庇いに行かせたのよ」
「なかなかクレバーなやつだな」
「うちの切り札が無力だということも見抜いていた」
錬金術では魔法は分解できない。
トランシスターズがかつて魔王城に足を踏み入れたことは魔王から聞いているはずで、そのパーティの魔法攻撃要員は積極的に潰しておきたいというのが敵の心情だろう。
‥‥というのがフィータの推測だった。
フィータの脳内に、黄金の矢を受け止めて血を噴き出すエルアの姿がよみがえった。
そして、彼女に庇われながら為す術が無い勇者の姿も。
「ねえ、将棋って知ってる?」
尋ねられたイクシオは「いや‥‥」と首を横に振った。
「勇者くんの故郷の盤上ゲームらしいんだけどね」
以前、ユキヒロが言い出してそこそこ長い時間をかけて駒を作り、パーティで遊んだことがあった。
しかし、フィータには何がおもしろいのかよく分からなかった。ルールもろくに覚えていない状態である。
「まあ、ざっくり言うと相手の大将をとったほうの勝ちなの」
「よくあるヤツだな」
「でもね、大将よりそいつを守る駒たちの方が明らかに強いのよ」
「ほう」
「もう、そいつらが大将でいいじゃん。て、思ったわけ」
「しかしルールでは、大将を取られると負け」
「そう」
まるであたしたちみたいね。
そう、言葉を吐き出しながら夜空を見上げると、さっきまで見えていた月が完全に雲に隠れてしまっていた。
フィータは、ユキヒロをこの世界に呼び出す前、ウィンとエルアと3人で冒険していた頃のことを思い返した。
「前回は前回でピンチもあったけど、まあ工夫ひとつで切り抜けてきた」
今回も、たかがお荷物がひとつ増えるだけ。そう楽観視していた。
しかしフィータは、分かりやすい弱点をさらけ出す戦いほど不利なものはないと、先ほど思い知らされた。
「今回はお手上げかもねえ」
フィータから「へへ」と、笑いがこぼれる。
彼女自身、それがどういう笑いなのか分かっていない。
「そうか?」
イクシオも空を見上げた。
よく見ると雲の切れ間からわずかに月明かりがこぼれている。
「さっきアンタが言っていたゲーム、勝てる方法を教えてやろうか?」
「ぜひ」
「大将を周りの駒並みに強くするんだよ」
な? と得意顔で見てくるイクシオに、フィータは深いため息をついた。
「あの勇者くんの戦いぶりを見てから言ってほしいものね」
フィータは膝に両手をつき「でも」と立ち上がった。イクシオを見下ろす。
「ありがと」
月を覆っていた雲が晴れた。
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