18話 めずらしいね、ウィンがこういうことをするなんて


 荒い息遣いが僕の顔を覆う。


 ハッハッハッハッハッハッハッハッ!


 僕はひたすら森を駆けていた。

 自分のすぐ後ろに追手の気配を感じていたが怖くて振り返ることはできなかった。

 無我夢中で走っているといきなり木の根っこにつまづいて派手に転んだ。

 足に走る痛みに顔を歪ませながらハッと振り返った。

 もう、誰も追ってきてはいなかった。






 ミザハを出発したパーティ・トランシスターズは、アブソプ山を目指していた。

 渓流に沿って荷馬車を引くフィータは、馬を挟んで歩いているウィンにそっと声をかけた。


「ねえウィン、そろそろ勇者くんにブレイブスラッシュを習得してもらった方がいいんじゃない?」


 キザシハンからミザハまで何度も魔物と出くわし、その度にユキヒロに倒させた。

 ミザハを発ってからもユキヒロにバレないようにフォローしながら魔物と何度も戦闘をさせていた。

 確かに、そろそろ習得を始めてもいい頃合いかもしれない。


「そうですね、もうぼちぼち魔王軍と出会う辺りですしね」


 ミザハから西にあるアブソプ山の周辺は既に魔王軍の勢力が及んでいるという話だった。今後も魔王軍の勢力圏は少しずつ広がっていくだろう。

 ウィンは最後尾を歩くユキヒロに声をかけた。


「ユキさん、ここで大事なお話があります」

「え?いきな…………んだい?」

「実は、魔王に挑む前にユキさんにマスターしていただく技があります」

「技?」

「それはブレイブスラッシュという技で、唯一魔王にトドメを刺すことができるんです」

「なるほど、それでそ………どぅ…………ぃんだい?」


 長文になるとユキヒロの活舌は使い物にならなくなる。

 ウィンはエルアに無言のヘルプを乞う。パーティで、いやもしかしたら世界で唯一ユキヒロの言葉を完璧に聞き取れることのできる存在かもしれない。

 エルアは、ウィンの視線に気づくと慌ててユキヒロの言葉を翻訳した。


「そ、そうだねー!確かに、いきなり言われてもどうやって習得すればいいかわからないよねー!」

「ふむ」


 ウィンは顎に手を当てて考え込んだ。

 たしか、女神様からのお告げ書きには「勇者が己の自信を力に変えて剣にまとわせて放つ技」と書いてあった。そのために、全く戦力にならないこの男に強力なバフを施し、チヤホヤしているのだ。

 ユキヒロが魔物を倒して自信をつければ自ずと使えるようになると考えていたが、それだけでは習得できないようだ。

 本人に、習得しようという自覚が必要だということだろうか。


 ウィンはユキヒロの両肩を掴み目を合わせた。


「ユキさん、あなたはこれまでたくさんの魔物を倒してきました。その力は既に魔王を超えています。」


 ユキヒロに念じるように言い聞かせる。


「しかしその力はまだあなたの身体の中で燻っているだけなのです。イメージしましょう、あなたの力をこのグラディウスに乗せるのです」


 それっぽいアドバイスをウィンから受けたユキヒロは力なく頷き、腰に下げたグラディウスに手をかけた。

 目を閉じ、頭の中でイメージする。


 しかし、いくら待っても変化は見られない。


 やがて、フィータが見切りをつけたように前を向いた。


「まだ無理なようね」


 手綱を引いて歩き出すフィータ。

 ウィンは、ユキヒロの肩を軽く叩き親指をたてた。


「どんまいですユキさん。少しずつやっていきましょう」


 ウィンもフィータもいきなり成功するとは考えていない。


 これから少しづつ続けていこう。


 気を取り直したウィンたちはアブソプ山を目指して再び歩き出した。






 僕は瞼をゆっくり開けた。体力の限界まで走ったせいで、しばしの間気を失っていたようだ。

 僕は元来た方向に目を向けた。


 昨日、僕たちの暮らしている家にいきなり魔物が押し入って来た。

 とっさにお父さんが、魔物から僕たち兄弟を庇い家の外に逃した。しかし家の外でも大勢の魔物が暴れていた。

 僕はとても怖くて、兄弟を置いて1人だけで逃げた。

 森に入ってもその足は緩めなかった。

 日が落ちても夜通し逃げ続けた。

 体力はとっくに限界を迎えていたがそんなことより恐怖心が勝って足を止めることは決してしなかったのだ。


 お父さんはどうなっただろう。置いてきてしまった兄弟は皆逃げ切れただろうか。

 家族だけではない。いつも果物をくれるおじさん、よく遊んでくれる女の子。皆無事だろうか。


 すると、前方に気配を感じた。顔を向けると緑の頭の少女がこちらに駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか!?」


 おそらく僕の身体についた血を見たのだろう。

 しかしこれは僕の血ではない。必死に逃げている時についた誰かの血だ。


「大丈夫だよ。ケガはしてないから」


 傷が無いことを確認した少女は胸を撫でおろした。


「えーと、あなたのお名前は…」

「…マロンです」


 少女は僕の首の辺りに目を向けた。


「マロン君ですね。こんなところで1人でいると危ないですよ」


 そう言って彼女は僕の頭をそっと撫でた。

 すると、彼女が来た方向からさらに人と馬がやって来た。馬は後ろに何か大きなものを引いている。あれはたしか、お父さんに教えてもらった、馬車とかいうやつだ。


「ウィンちゃんどうしたのー?」

「エルア、見てください」


 ウィンと呼ばれた少女は、僕を青い頭の少女に突き出した。どうやら彼女の名前はエルアというらしい。


「わー!かわいい!」


 エルアはそう言って僕の全身をくまなく撫でた。力加減というか、撫で方がなんだか雑だ。

 すると、赤い頭の少女がエルアの背後に立って覗き込んできた。


「いったいどこから迷い込んだのかしらね」


 そうだ、緊張がほどけてつい魔物のことを忘れていた。


「助けてください!僕の故郷に魔物が押し寄せてきたんです!」


 そう言って僕は元来た道に走り出した。

 しかし緊張がほどけた僕は、魔物のことだけでなく、自分の体力がとっくに限界を迎えていたことも忘れていた。

 走り出してまもなく僕の身体はすぐに地面にコロッと倒れてしまった。


「ちょっと、大丈夫ですか!?」


 ウィンが駆け寄って心配そうに僕を抱きかかえる。


 また瞼が下がってくる。

 薄れゆく意識の中で僕はウィンになんとか助けを伝えようと声を発した。


「この先に…助けて…」






 ウィンは力尽きて眠ってしまったマロンを抱きかかえて、彼が向かおうとした方向に目を向けた。フィータは荷馬車から地図を取り出すとそれを地面に広げた。


「この先にはコモンという街があるみたい」

「そこから来たんでしょうか」


 フィータは地図をしばらく見つめてから口を開いた。


「たぶん、もうコモンも魔王軍の勢力圏内ね」

「なるほど…」


 ウィンは、フィータの言わんとすることを察した。

 恐らくコモンが魔王軍に襲われ、マロンはそこから命からがら逃げてきたのだろう。

 しかし、彼は私たちを案内しようとした。きっと助けたい者がいるのだ。


 ウィンはエルアとフィータを見た。


「お願いがあります。今からコモンに向かってマロン君の故郷を守りたいんです」

「もっちろん!」


 エルアは二つ返事で了承した。

 フィータは、やる気満々のエルアを見て、仕方ないという感じで馬車の進行方向を変えた。


「わかってると思うけど、襲撃からそこそこ時間が経過しているのよ」

「承知しています」


 すでに一度魔王城までたどり着いているウィンたちは、魔王軍の徹底した殺戮を重々理解していた。

 最後にウィンは最後尾のユキヒロに声をかけた。


「ユキさんも付いてきてくれますよね?」

「やれやれ、しょ…ぐぁ…ぃなあ」


 ウィンは、荷馬車に毛布を敷いてそこにマロンを寝かせた。

 そして、馬車を引くフィータに並ぶと声をかけた。


「どんなもんですかね」


 ウィンが尋ねているのは敵の戦力のことである。

 仮に魔王軍との戦闘になった場合、ユキヒロを前線に出して果たしてどの程度立ちまわれるのか。


「魔王城からはだいぶ離れてるし、まあ大した事ないと思う」


 魔王城から距離があるため、駆り立てられているのは末端の魔兵だろうというのがフィータの見解である。

 フィータは「それに」と続けた。


「たぶんあたしたちは後発組。既に他のパーティが、ギルドから緊急クエストを受けて魔物をあらかた退治しているでしょう」

「だといいですけど」




 馬車の後方でエルアは、荷馬車を覗いてマロンの寝顔を堪能していた。

 ユキヒロは、マロンの身体を撫でようとするエルアを制して、声をかけた。


「めずらしいね、ウィンがこういうことをするなんて」

「そうかな?」

「だって、ウィンって割とさばさばしてる感じだから」

「そんなことないよー!ウィンちゃん、捨て犬とか捨て猫放っておけない子なんだからー」

「いや、捨て犬ではないだろう」


 このときの貴重なユキヒロのツッコミは、意外にも核心を突くものだった。

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