17話 ごめんね、忘れてて
パーティ・レクイエムからの連絡を受け、カガカ村のギルドでイクシオと待ち合わせたカーラは、彼の案内で吊り橋に向かった。
村の玄関に着くと、橋の中心に見知らぬ男が立っていた。
いや、カーラはこの男を知っている。10年前、村から見送った時より男らしく、たくましくなっている。
間違いない、ジャックだった。
「ジャック!」
カーラは走ってジャックの元に駆け寄り、その勢いのままジャックに飛びついた。
「ジャック…会いたかった…」
カーラは幼なじみを強く抱きしめた。
ジャックは胸にうずまる彼女の頭を優しく撫でた。
その動きはどこかぎこちない。
やがてジャックはカーラを力強く抱きしめると、そのまま橋から飛び降りた。
「いやあぁぁぁーー!!」
カーラの悲鳴が谷に響く。
ジャックはカーラを空中で力いっぱい突き放した。
地面に引っ張られているように落ちていくカーラ。
彼女は死を覚悟して目を固く閉じた。
しかし、すぐに柔らかい何かに着地した。
カーラが恐る恐る目を開けると、彼女は大きな鱗が敷き詰められた何かに乗っていた。
周囲を見回すと、左右には空を掴む大きな翼。前方には角の生えた後頭部。
彼女が乗っているのは紛れもなくドラゴンだった。
カーラを空中で受け止めたドラゴンは翼をゆっくりはためかせて橋のあたりで上昇し、そこで滞空している。
「ジャックなの…?」
カーラが尋ねると、向こうを向いていた大きな頭がゆっくりこちらを向いた。
その凶悪な頭には似つかわない、優しげな目をしている気がした。
ドラゴンは再び前を向くと、谷中に響き渡るような声を轟かせた。
とっさに耳を塞ぐが、たくましい声はカーラの手を押しのけて彼女の頭の中に響き渡った。
ドラゴンは力強く翼をはためかせて空に上昇した。
カーラは振り落とされないように必死にドラゴンの身体にしがみついた。
みるみるうちに村が、谷が小さくなっていく。そこから見る景色は、村から出たことのないカーラには初めてのものだった。
山と山に挟まれた細長い溝に神様がつい家を落っことしてしまった、まさにそんな光景だった。そして、カーラが初めて見る谷の向こう側はどこまでも緑々しく、力強かった。
―いつか僕が君を乗せてこの谷から飛び立ってみせるよ
ふと、幼き日のジャックの言葉がカーラの頭によみがえった。
ああ、そういえばそんな約束を交わしたっけ。
すっかり忘れてしまっていた。
カーラはドラゴンをさらに強く抱きしめた。
「ありがとう ジャック」
カーラを乗せたドラゴンはしばらく空を飛び回った後、村の入り口に降り立ちカーラを背中から下ろした。
ドラゴンはカーラを一度見つめると、すぐに飛び立ち崖の向こう側に見えなくなってしまった。
カーラはドラゴンの去った場所から視線を逸らすことができないまま、身体から力が抜けたようにゆっくりその場に座り込んだ。彼女の頬を一本の筋が濡らしていく。
「カーラさん」
いつの間にかイクシオがカーラの傍に立っていた。
「ジャックは立派なファフナーになっていました。しかし、彼が飛ぶにはこの谷は少し狭かったようです」
「彼は…どうして私を連れていってくれなかったんでしょう」
俯いたカーラは、濡れた膝を見つめながら尋ねた。
答えに詰まったイクシオは手元の紙に目を走らせる。
「…あなたの幸せを考えてのことです」
「私の幸せ…」
「冒険者は危険な世界なんです。いつ命を落とすか分からない、そんな世界にあなたを巻き込みたくなかったんです」
「でも、彼は私に会いに来てくれた…」
「そう、本来ならジャックは姿を現すべきではなかった。しかし、昔の約束を果たしたいがために来てしまった。これは彼の最後のわがままなんです」
「わがまま…ですか」
ジャックは幼い頃に交わした約束をずっと忘れずに胸の内に秘めていたのだ。
それなのに私は…
ごめんね、忘れてて。
カーラは涙を拭って立ち上がりイクシオを見た。
「私、結婚の話をお受けすることにします。私も谷の外の世界をもっと知らなきゃいけないと思いました」
カーラをギルドまで送り届け、別れの挨拶をして村を出たイクシオは、谷に架かる吊り橋を向こう側まで渡ってフッと胸を撫でおろした。
そして、目の前で帰りの準備をしているパーティ・レクイエムに笑いかけた。
「お疲れだったな」
「ホントだよちくしょう」
召喚書に額を乗せているレイナがじろりとイクシオを見上げた。
「あんなに気ぃ遣うドラゴンの操縦なんて初めてだわ!いつ落ちるかとヒヤヒヤしたわ!」
吐き出すようにしゃべるレイナに、ムツラが笑いかけた。
「レイナさん、あんなデカいドラゴン召喚できたんスね」
「昔、試しにデカいの練ってみたことがあるんだよ。まあ、ご覧のとおりデカいだけで大した攻撃もできない木偶ドラゴンになっちゃったからずっと放っておいたんだが」
「でも今回は木偶ドラゴンがいて助かったでしょ?」
今回に限っていえば、カーラがドラゴンから落ちさえしなければ機動力や攻撃力など必要なかった。
まあ、意外なところで活躍するもんだ、とレイナは召喚書の表紙を撫でた。
その横で、エルナトはカーラに抱き着かれた時の感触に未だに悶えている。
イクシオはクラトルの肩を叩いた。彼は自分の身体に巻き付いていた命綱を束ねている。
カーラと一緒に橋から飛び降りたエルナトを、空中で回収するのがクラトルの役目だった。
「クラトルは平気か?どこかケガしなかったか?」
「ああ、人の色恋沙汰に巻き込まれて心が病みそうだ」
「平気そうだな」
イクシオは「さて」と腰に手を当てた。
「帰るか」
その夜、モンの食堂ではパーティ・レクイエムがジャックを交えていつもより豪勢な宴を開いていた。
「本当にいいんですか?僕もお邪魔しちゃって」
恐縮しているジャックに、既にジョッキを2杯空けているムツラが肩を組んできた。
「当たり前じゃないっすか!だってジャックさんの奢りだし!」
レイナは空のジョッキを両手でもてあそびながら、お茶を注文した。
ふと斜め向かいのエルナトを見ると、ボーっとしながらステーキにナイフを入れている。先ほどからずっとあのような感じだった。
レイナは隣に座っているクラトルの裾をちょいと引っ張った。
「ねえ、エルナトいつもより大人しくない?」
「ああ、カーラさんに抱き着かれた感触が忘れられないんだとよ」
「うっわ…」
キモい。という言葉を飲み込んだレイナは我ながら自制できるようになったとしみじみ思った。
「あの、イクシオさん」
ここでジャックはずっと気になっていたことを尋ねた。
「カーラの結婚相手はどんな男なんでしょうか」
彼女の結婚相手のことまでは手紙にも書いていなかった。
イクシオは、村で詳しく話を聞いたであろうクラトルにアイコンタクトを送った。
話を引き継いだクラトルが口を開ける。
「イローという町の商人だ。なんでも彼の親族が昔、カガカ村の人間に世話になったらしくてな、そこから話が通ったらしい。」
ま、アンタが心配するような輩ではないさ。とクラトルはジョッキを呷った。
その言葉を聞いてジャックは胸を撫でおろした。
ここで、ふとレイナが口を開いた。
「そういえば、ペティドラゴはまだキザシハンにいるかな…」
「レイナさん…!」
「あ、大丈夫ですよ」
いさめるように言うイクシオを手で遮って、ジャックは若干千鳥足になりながらカウンターに向かい名簿を手に取った。
焦点の合わない目で名簿を睨んでいたジャックはやがて「ああ…」と声をもらした。
「数日前にキザシハンを発っていますね」
「ええ!?」
ジャックは、テーブルに身を乗り上げたレイナに名簿を見せた。
「ほら、宿もチェックアウトしています」
「え…え…それで、どこに行ったのかって…」
「はい、わかりません」
レイナは、あっさり切り捨てたジャックの胸倉をつかんだ。
すでに赤くなっているジャックの顔をぐわんぐわん揺らす。
「おまえッ、そんなんばっかじゃねえか!ペティとのワッフルどうしてくれるんだよ!?」
「ワッフルといえばミザハですよ!間違いないです!」
「そんなわけねえだろ!ああもうッ!これだからリアルが充実してるやつは…!」
レイナの悲壮な叫びがモンに響き渡った。
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