12話 空っぽのブーケ -春仁-

 部屋の中を2つの影が踊っていた。

 ソファでくつろいでいた時は広く感じた客間が今はとても窮屈だった。

 フィータは腕の長さ程の剣を器用に振り回しリリーを攻めているが、部屋の中では動きが制限されてしまいなかなか攻撃が届かない。

 一方リリーは両手に持ったナイフでフィータの攻撃を流しながら距離を詰めて幾度となく攻撃を仕掛けていた。リーチのほとんどないナイフは部屋の中でもそのパフォーマンスに何ら支障をきたさなかった。

 互いに致命傷はないものの、フィータの四肢にはいくつもの切り傷ができている。1つ1つの傷からの出血量は大したことないが、傷が増えるにつれフィータの体力は確実に削られていた。


「フィータ!」


 名を呼ばれた方を見るとウィンが、力尽きて動けないエルアを膝に寝かせて上半身を起き上がらせていた。その手には散らばっていたナイフを集めて握りしめている。

 どうやら、なんとか動けるくらいには回復したらしい。


「一瞬でいい!隙をつくって!」

「はあ!?」


 ウィンには何か策があるようだ。

 しかし、この化け物相手に隙などなかなか作れるものではない。

 フィータは近くにあったテーブルをリリーの方に蹴り飛ばした。その隙にウィンの元に駆け寄る。


「アイツを倒せるのね!?」

「たぶん!」

「たぶん!?」

「ぜったい!」

「ぜったいね!?」

「はい!」


 リリーがテーブルを壁に投げ飛ばし、こちらに近づいてくる。

 フィータはウィンに手を差し出した。


「隙を作るから残ってる魔力全部あたしに預けなさい!」

「はい!」

「エルアも!」

「うん…」


 2人から魔力を受け取ったフィータはそのすべてを剣に込めた。

 とてつもない濃度の魔力を吹き出しながら切り上げられる剣。

 それをナイフで受け止めようとするリリー。

 しかし、フィータの斬撃は勢いを止めずリリーのナイフを砕き、そのままリリーの右腕を切断した。

 腕が宙を舞う。

 フィータはバックステップでリリーから距離をとった。壁に勢いよくぶつかる。


「ウィン!」

「はい!」


 フィータが叫ぶと同時にウィンはナイフを空中に放った。そしてウィンは宙を舞うナイフそれぞれに風撃魔法を被せて一斉に発射させた。

 風に押されてリリー目掛けて飛んでいくナイフ、その何本かはリリーを捉えていた。

 しかしリリーは空中に残っているシチュー皿を引き寄せ、シチューで膜を張り自身に向かってきたナイフを全て受け止めた。ナイフを飲み込んだシチューが床に落ちて広がった。

 無論、リリーにナイフは1つも届いていない。

 切断されて宙を舞っていた右腕が床に落ちた。


 リリーは落ちた右腕を冷ややかに一瞥してからウィンに視線を向けた。

 ウィンはニヤリと笑った。

 その視線の先にはイーゼルに立てかけられた肖像画があった。そこにナイフが1本刺さっている。

 リリーは穴の開いた肖像画を見ると、力が抜けたようにソファに寄りかかった。残った左腕で身体を支えようとするが、その場から動くことさえできないようだ。

 次の瞬間、砂が風にさらわれるようにリリーの姿が光の粒子になって崩れ去った。


「ふー…」


 深く息を吐いてフィータは座り込んだ。珍しく肩で息をしている。

 倒せたことは分かったが、なぜ倒せたのかフィータには理解できなかった。


「どういうこと?」


 魔力を使い切って気を失ったエルアを膝に寝かせているウィンに尋ねる。


「最初におかしいなと思ったのは、リリーさんが戦闘中もなかなか元の位置から動こうとしなかったことです。動いたとしてもすぐに初めの位置に戻った…なにかを庇いながら戦っているんだと思いました。そして、彼女の近くにあったのはあの肖像画」

「だから?」

「そして、アザレアさんがユキさんを勇者だと知っていたこと。これでピーンときたわけです」


 ウィンは人差し指を立てた。


「リリーさんは召喚士のスキルによって召喚された魔物だったんです」

「召喚士?」


 フィータには馴染みのない言葉だった。

 召喚士とは、本や札などの媒介具に魔力を注ぐことでその媒介具から魔物を呼び出して操る者のことをいう。

 多くの召喚士は媒介具に魔物を封じるという手段を取るが、上級の召喚士の中には自らのオリジナルの魔物を媒介具に創造して呼び出す者もいる。


「アザレアさんは、肖像画を媒介具としてリリーさんを召喚した。召喚士は自らの召喚した魔物が見聞きしたものを感知できると聞きます」

「なるほど…」

「しかし、召喚士には大きなリスクがあります」


 ウィンは穴の開いた肖像画を指差した。


「媒介具が壊れるとそこから召喚された魔物も消滅するんです」

「どうしちゃったのウィン。冴え冴えじゃない」


 目を丸くしたフィータにウィンはへへへ、と笑った。


「昔、召喚士を目指していた友達がいたんです」


 ウィンは戦いでめちゃくちゃになった部屋の中を見回した。他に媒介具があるかもしれないと思ったが、それらしいものは見当たらなかった。


「久しぶりにヤバい相手だった…」


 フィータは天井を仰いだ。


「次はユキさんですね」

「はあ…世話のかかる勇者様ね」






 僕としゃべっていたハルヒトは突然言葉を切り、僅かに目を見張った。


「リリー…」


 なにか小さく呟くと、すぐに満足したような表情で僕に笑いかけた。


「リリーが倒されてしまったよ。君のガールフレンドたちは強いな」

「どういうことですか」

「リリーは私が召喚した魔物だ。ずっと私が操っていた。私は彼女が見聞きしたものを感知することができる」

「え?じゃあ、僕が勇者だって知ってたのは…」

「アザレアが魔力を補給しにきた時に伝えただけだ」


 後ろからアザレアの笑い声が聞こえた。


「ごめんなさい。あまり余計なことは言わないようにしていたの」


 それよりも、とアザレアはハルヒトを見てわずかに頬を膨らませた。


「もう、リリーがいなくなってどうするんですか。これからは私1人であなたのお世話をしないといけないんですか?」

「ごめんよアザレア」


 アザレアは腕を組んでプイッと向こうを向いてしまった。

 ハルヒトはスケッチブックを静かに閉じた。


「今日はすまなかったな。久しぶりに客人が来てつい嬉しくなってしまった。それも同郷だったなんて…今日の…わた…しは…つ…て……」


 ハルヒトは突然言葉を詰まらせ、苦しそうに胸を押さえた。


「ハルヒト様!?体調がすぐれませんか?横になってください!」


 アザレアは慌ててベッドに駆け付けハルヒトの様子を見るとすぐにキャビネットから薬を取り出した。


「久しぶりに…魔力を使いすぎた…大丈夫…すぐに良くなる」


 ハルヒトは枕に頭を沈めたが呼吸は依然荒い。胸が大きく抑揚するたびに彼の口から風の鳴くような音が漏れる。


「待っててください!すぐにウィンを呼んできます!」


 彼女の回復魔法ならなんとかなるかもしれない。

 僕が部屋を出ようとすると、目の前で外からドアが蹴破られた。

 フィータさんが足を使って穴を広げて部屋に突入してきた。ハルヒトを見つけると腰の剣に手をかけながらズカズカとベッドに向かった。


「ジジイッ、てめえかこの野郎っ!」

「待ってください、フィータさん!」

「勇者くんそこをどいて。あたしはこいつをぶっ殺さなきゃならないの」

「僕なら何もされていないですから」

「それはどうでもいいけど」

「え?」


 なにか信じられないようなことを言われた気がしたが、ウィンとエルアも突入してきてそれどころではなくなった。


「こいつですね。ずいぶんナメたマネをしてくれましたね」

「フィーちゃんわたしはもうなんともないから、もう怒らないで…」

「わかったわ。エルアはいい子ね」


 僕がウィンとフィータさんをなだめていると、枯れた笑い声が聞こえてきた。

 振り返るとアザレアに支えられたハルヒトがこちらを見て微笑んでいる。


「ああアイリス、ローズ、喧嘩しちゃだめじゃないか…なあアザレア止めてくれよ…ジニアも、そんな所にいないで……リリーこっち来てくれ…早く…冒険に…行こう…よ…」


 老人は、まるで少年のような目をこちらに向けていたが、やがて力なく崩れ落ちた。

 泣き叫ぶアザレアの腕の中で、ハルヒトはもう何もしゃべらなかった。






「最初にパーティを抜けたのはローズさんでした。

 自分のすべきことを見つけたと言って彼女は自分の屋敷に帰っていきました。

 次にジニアさんが、さらなる修行の地を求めてパーティを抜けました。

 そこからしばらくはハルヒト様とリリーさん、アイリス、私の4人で冒険を続けていました」


 ハルヒトの遺体をベッドに安置した僕たちは、戦いでぼろぼろになった客間でアザレアの淹れた紅茶を飲んでいた。


「しかしある日、アイリスが政府の人たちに連れていかれてしまったんです。

 彼女は獣人だったので、なにかひどいことをされてしまうのではないかと不安になった私たちはすぐに後を追いました。

 すると、貴族と結婚したローズさんが獣人の地位確立のための政策を色々打ち出していることを知ったんです。

 アイリスは人と獣人との懸け橋の象徴としてローズさんが呼んだものでした。

 わけを聞いたアイリスは積極的に政策に協力しました。

 もちろん私たちも応援しました。

 数十年後、やっと獣人の身分が保障され、アイリスたち獣人は町で普通に暮らせるようになったんです」


 アザレアは淡々と話し続けた。

 キザシハンでは頭に獣の耳を生やし、尻尾を揺らせながら歩く人たちを何人も見たが、昔はそれが当たり前ではなかったようだ。


「ハルヒト様に付き添っていたリリーさんは、だんだん老いていく自分といつまでも変わらないハルヒト様を見ていつしか距離をとるようになっていました。

 ある日、置き手紙を残して彼女は故郷の村へ帰っていきました。

 ハルヒト様はリリーさんの気持ちを慮って追うことはしませんでした。

 しかしどうしてもリリーさんのことが心配だったハルヒト様は時折り村に訪れこっそりと彼女を遠くから見守っていました。

 リリーさんが幼なじみの男性と結婚した時も、娘と一緒に店を切り盛りしている時も、お孫さんたちに囲まれて天に昇った時も、ハルヒト様はただ遠くから見守っていました。

 それから、いつまでも姿を変えることのない悠久の森の奥に屋敷を建てて私と一緒に住むことになったんです」


 アザレアは穴の開いた肖像画に目を移した。


「あの絵はローズさんがパーティを抜けると言ったときにリリーさんの提案で描いてもらったものなんです」


 ウィンがばつの悪そうな顔をした。


「ごめんなさい…そんな大切な絵だと思わなくて…」

「いいんです。屋敷に籠ってからというもの、ハルヒト様は自らの召喚したリリーさんを愛でている時しか笑った顔を見せませんでした。

 そんなハルヒト様が屋敷に来たあなたたちを見て、久しぶりに戦ってみたくなったと、昔のように目を輝かせているのを見て、私はそれを止めることができませんでした。本当に申し訳ありませんでした」

「あ、いや、あたしもけんか腰で話を進めちゃったので…すいませんでした」


 頭を深く下げたアザレアにフィータさんもつられて頭を下げた。

 頭を上げたアザレアは僕を見て微笑んだ。


「ハルヒト様は、ユキヒロ様とのお話しも大変楽しみにしておられましたよ」

「ユキさんとなにを話すことがあったんですか…」


 信じられないような顔をするウィンにアザレアはふふっと軽く笑った。


「老人は若者に話を聞いてもらうだけで十分満足なんですよ」


 そうか…僕も彼の期待に添えていたということか…


「アザレアさんはこれからどうするの…?」


 エルアが心配そうに尋ねた。アザレアは、眠りについた主人のいる部屋を見上げた。


「魔力の供給が無くなった私はいずれ消滅するでしょう。それまでに屋敷の後片づけをしないといけません。用意が整ったらすぐにハルヒト様を追いかけますよ」

「魔力だったらわたしのを使っていいから!だから…だから…」

「いいんです…ハルヒト様がいなくなった今、私の役割は終わったんです。本来、私はあの森で死ぬはずでした。ハルヒト様と共に過ごした時間なんてほんのおまけだったんですよ」


 アザレアは立ち上がった。


「さあ、今日はもう遅いです。子供はもう寝ないといけませんよ」


 突然、意識が朦朧とした。これはいつも僕が眠る直前に起きる症状だ。

 隣を見ると、ウィンたちもふらふらしている。そうだ、今日は色々あったから、みんなも疲れているんだ…

 そこで僕の意識は途絶えた。




 翌朝、僕たちは屋敷を後にした。

 2階の部屋には、穴の開いた肖像画とベッドに横たわる老人の遺体。それに寄り添うように置かれたイスには黒いドレスが無造作にかかっていた。

 あとでフィータさんに聞いた話だが、去年老衰で亡くなったティタニルという国の前女王ロゼの名は、彼女の祖母にちなんで名づけられたということだった。






 なんだか身体が重かったので目を開けると目の前にぴょこんと生えた耳が揺れていた。

 僕は、力強く抱きついてきている小さな少女を引きはがした。


―アイリス苦しいじゃないか

―だってハルヒト様のお腹は心地いいんだもん!


 なおも抱きつこうとする獣人の彼女がいきなり後ろに倒された。


―この野蛮人が!あんたみたいな下賤な者がハルヒトさんに近づくんじゃないわよ!


 ローズがアイリスと組みあって草の上を転がっていく。

 僕が選んだ服を着させてみたものの、彼女が持つ高貴なオーラというものは隠せないようで、彼女を一目見て庶民だと思う人は少ないんじゃないだろうか。


―ハルヒトさん そろそろ出発しますよ


 アザレアが日傘を差してゆっくりと歩いていってしまった。

 僕も行かなきゃ。

 起き上がろうとしたらいきなり剣を突き付けられた。ジニアが見下ろしてくる。


―なにをしている 早く立て


 ジニアが手を伸ばして僕の腕を引っ張って起こした。


―ありがとうジニア わざわざ来てくれたんだね

―っ!?


 ジニアがいきなり手を離したせいで盛大に尻もちをついた。僕が悶絶している間に彼女はスタスタと行ってしまった。

 今度こそ立ち上がろうとしたら顔に影がかかった。僕は前に立っている彼女を見上げた。


―やっと見つけたよ ハルくん!


 手を差し出された。ずっと見てきた手だ。ずっと見たかった手だ。

 僕は、百合の花のように真っ白な髪をした彼女の手を取って立ち上がった。


―待たせたねリリー 次はどこへ行こうか


 グラディウスを手に取って僕たちは歩きだした。

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