11話 空っぽのブーケ -ユリ-
ドアが閉じると同時に、リリーは持っているトレイを放った。皿とナイフが宙を舞う。
皿は中の料理をこぼすことなく宙に浮き、ナイフは回転しながら宙を舞うと、やがて動きを止めウィンたちに刃を向けて空中に静止した。
リリーは浮いているナイフを2本取ると両手をだらんと下げて仁王立ちした。
ウィンたちはソファの陰に隠れて攻撃のタイミングを見計らっている。
時計の針の音だけが響く部屋で3色の少女たちは考えていた。
果たしてこの女は何者なのか。アザレアと同じ魔族? しかし彼女がまとっている魔力はアザレアのそれとは全く違ったものだった。どちらかというと魔物に近い。
なんにせよ人ではないことは明らかだった。
「……っくちゅん」
我慢できずに出てしまったエルアのくしゃみが攻撃の合図となった。
ウィンに高速移動の魔法を施されたフィータがソファから飛び出し、正面から突撃、一瞬でリリーに詰め寄った。
リリーは滞空しているナイフを発射させたが、方向転換が間に合わず全て絨毯に突き刺さった。
フィータの剣がリリーに切りかかる。
リリーは右手に持ったナイフでそれを受け止めると、左手に持ったナイフでフィータの胸を狙った。
フィータは身体をねじって躱すと、後方に跳躍してリリーから距離をとった。
フィータの後ろで魔法攻撃の準備をしていたエルアは、フィータがリリーから距離を取った瞬間に間髪入れずに魔法攻撃を放った。
リリーもすかさずエルアと同じ魔法攻撃を放つ。
2つの魔法攻撃が真っ向からぶつかり合い、部屋は光で満たされた。
両者の攻撃は完全に拮抗していた。
互いに向かい合っている敵に向けて手を伸ばし、そこから浮き出た魔法陣から放たれている光の渦は、うかつに触れるとその肉体を簡単に消し飛ばせるほど魔力が濃密だった。
ウィンは瞬間移動の魔法を使って、エルアに向けて魔法攻撃を放っているリリーの背後を取った。
ウィンの使う瞬間移動の魔法は近距離かつ遮蔽物が無い場合には、魔法陣を張らなくても発動することができる。
リリーの背中に向けて素早く風撃魔法を放つ。しかし、その攻撃は届かなかった。
部屋を滞空していたシチューが、リリーを覆うように薄く広がりウィンの攻撃を防いだのだ。
すぐさまリリーの足元に刺さっていたナイフが飛び出し、回転しながら宙に浮くとウィンの方に刃を向け一斉に彼女を襲った。
「ぐぁ…」
「ウィン!?」
無数に注がれるナイフを風で防ごうとしたウィンだったが、その全てをさばくことはできなかった。
一本のナイフがウィンの脇腹に突き刺さった。倒れこむウィン。
絨毯が赤く塗り替えられる。
リリーは、倒れたウィンを一瞥するとすぐにエルアの方を向いた。
フィータはその瞬間を見逃さなかった。リリーの視線が動いた瞬間、壁を跳躍して横からリリーに剣を切りつけた。
しかし、リリーは右手に持ったナイフでそれを受け止める。フィータはそれ以上深追いせず、すぐに後退しウィンの元に跳んだ。
「ウィン!」
フィータが駆け寄ると、ウィンは自分に治癒魔法をかけて回復させていた。しかし、明らかにいつもより傷の回復が遅い。傷の痛みでうまく魔法をかけられないのだ。
フィータはウィンのローブをちぎると傷の部分に巻いて止血処置をした。これで幾分かはマシなはずだ。
フィータはリリーの方を見上げた。
最初は拮抗しているかに見えた魔法攻撃だが、徐々にエルアが押されてきた。
エルアはありったけの魔力をこめるが、それでもリリーの勢いは止められなかった。
「エルア!!」
ついにエルアの魔法攻撃の勢いが切れ、そのままリリーの魔法攻撃に飲まれた。
エルアが一瞬光に見えなくなる。
力尽きて膝から崩れ落ちたエルアをリリーが青い長髪を掴んで持ち上げた。
「っ!」
事前にウィンがエルアに魔法プロテクトをかけていたおかげで肉体が消し飛ぶことはなかったが、エルアへのダメージは相当なものだった。
リリーはナイフを取り出しエルアの首に当て、フィータを冷たく見つめた。無言の圧力がフィータを襲う。
「いたいっ…」
エルアは体勢を整えようとするが、足に力が入らないようだ。
「エルア!待ってて!すぐ助けるから!」
そうは言ったものの、フィータには現状を打破する方法が見つからなかった。
エルアは力なく笑う。
「…もう…しょうがないなあ…奥の手だったんだよ…?」
エルアが天井に虚ろな目を向けると、そこに滞空していた1本のナイフが飛んできてエルアのロングヘアを切り裂いた。
最初のリリーの攻撃の時、エルアは絨毯に刺さっていたナイフを1本拝借して天井に浮かべておいたのだ。
支えを失ったエルアは床に倒れこむ。その好機を2人は見逃さなかった。
一瞬で距離を詰め、剣で猛攻を仕掛けるフィータ。その隙にウィンは自らの方へエルアに風撃魔法をかけて引き寄せた。
吹っ飛んできたエルアを倒れた体勢で受け止めて、激痛に顔を歪めながらもウィンはミディアム程の長さになったエルアの頭を撫でた。
「もう…こんな無茶して…」
「へへ…」
身体は未だに動かせないがウィンは考えを巡らせた。
どうすればいい。どうすれば勝てる…。相手の行動をよく観察するんだ。戦闘スタイルは主に両手に持っているナイフによる近接攻撃。滞空しているシチューはあと2皿ある。
フィータと剣を交えているリリーは、最初はエルアをつかんだ場所で交戦していたが、少しづつ位置をずらし、だんだんウィンとエルアの倒れている方へ近づいてきていた。
ここでウィンはわずかな違和感を覚えた。
一方フィータもまた、リリーと剣を交えながら考えを巡らせていた。
自らの斬撃をいとも簡単に受け止め、すぐさまリーチの短いナイフで攻めに転じてくる。今まで会った人の中でトップクラスの体術と短剣術を繰り出してくるリリーに恐怖すら感じていた。
あたしの剣に完全に付いてきている。こいつ何者だ?
エルアとの魔法攻撃に力勝ちし、あたしとここまでやりあうとか信じられない。
魔王とはまた違った強さ。いや、まだ魔王の方がマシだ。アレはそもそも倒し方が特殊なだけだ。
しかし今あたしが対峙している敵は違う。体術も短剣術も魔力もただシンプルに強い。単にレベルが違いすぎる。それだけだ。くそ、正攻法では絶対に勝てない。
敗北の時は確実に迫ってきていた。
アザレアに連れ出された僕は階段を上がり2階に連れられた。廊下の突き当りまで行くと大きな寝室に入れられた。
明かりは付いていなかった。窓から差し込む月明かりがベッドのシーツを照らしている。それがわずかに盛り上がっていることから、どうやら誰かが寝ているらしい。
ベッドの人物はゆっくり起き上がると近くのランプに向かって小さく人差し指を向ける。するとランプに明かりがついた。これも魔法なのだろう。
「こんな格好ですまないね」
明るくなった部屋の主はかなり高齢の男性だった。来ているシャツも髪もひげも真っ白だった。
「まさか勇者がこの屋敷を訪れる日がくるなんてな」
「僕をどうする気なんだ?」
「ただ、話がしたいだけだ」
とてもじゃないが信じることはできない。僕はその場から離れようとしたが足が動かない。何かに抑えつけられているかのようだった。
目の前の男を見ると、不敵な笑みを浮かべている。どうやらこの男の仕業のようだ。
「ユキヒロくんは勇者なんだってな」
「…ああ」
「勇者になってからどれくらいかな?」
「まだ1年も経っていない」
少し見栄を張った。1年どころか1週間も経っていない。
「出身は?」
「え…」
思わぬ質問に動揺した。困ったな…正直に言っても信じてもらえるとは思えない。
「え、えっと、キザシハンだけど…」
「そうか、私は横浜の生まれだ」
「え?」
「自己紹介がまだだったな。私はハルヒトという。よろしくなユキヒロくん」
「は?」
「私も勇者だ」
まさか、信じられなかった。僕以外にも日本から来ていた人がいたなんて…
ハルヒトは僕の反応を楽しみながら話を続けた。
「ユキヒロくんはバスというのをご存知かな?私は昔、バスの運転手をしていたんだ。しかしある日、ハンドル操作を誤って事故を起こし、気づいたらこの世界に来ていた」
この人も日本で死を経験したのか…
実は、以前から気になっていたことがあった。おそらくウィンやパーティのメンバーに聞いても答えが返ってくるとは思えない疑問だ。
この男なら知っているかもしれない。
「ハルヒト…さんは知っているんですか?どうやって僕たちが死後この世界に来たのか」
「知っている。しかし、どうでもいいことだ」
「教えてください。前から気になっていたんです」
「そんなことを知ってもなんにもならない。大事なのは君がこの世界に来たという事実だけだ。メカニズムなんてものは誰も気にしていない」
ハルヒトは吐き捨てるように答えた。どうやらくだらない質問をしてしまったようだ。
「アザレア、あれを」
主人に指示を出されたアザレアは本棚からスケッチブックを取り出した。
ハルヒトがそこから1枚の絵を見せてきた。客間に置いてあった絵と同じ構図のものだった。
「この真ん中に描かれているのが私だ」
「その絵なら客間でも見ました」
「そうか、オリジナルを客間に置いてあったんだったな」
ハルヒトは絵を指でなぞった。
「その絵は何年前に描かれたものなんですか?」
「さあ、もうわからない。そもそもこの屋敷に来てからどれくらい時が経ったのかがわからないのだ」
僕は振り返ってアザレアを見た。アザレアは残念そうに首を横に振った。
「ごめんなさい。私も本当にわからないの」
ハルヒトはどこか遠くを見ているような顔で続けた。
「かつて、この世界に来たばかりの私は人気者だった。驚異の身体能力、無尽蔵の魔力、抜群のセンス。持ちうる力を全て発揮して愛する女性を何人も近くに置いた。今の君のようにな」
「はい」
やはりこれは勇者の定めなのだろう。
「私は彼女たちと色々な場所へ行った。山、海、草原、森、荒野、底知れぬ闇の中に足を踏み入れたこともあった。楽しかった…本当に楽しかった」
ハルヒトは優しげな笑みを浮かべていた。
「日本の文化を色々持ち込んだこともあった。寒い日にはコタツで固まり、暑い日にはかき氷で身体を冷ました。町の子供たちを集めてフートボールをやったこともあるぞ」
フート…フットボール? サッカーのことだろうか?
ハルヒトは例の絵を僕に見せた。逞しく笑っている男性が持っている剣を指さす。
「この剣はグラディウスといってな、初心者が使うような武器なんだが、私は何年間もずっと使い続けた。何故だかわかるか?」
初心者用の武器だったのか…ウィンが選んだのは単に僕が初心者だったからなのかな…
思わぬところでショックを受けたが僕はハルヒトへの回答を考える。
「気になる子が選んでくれた武器だから…?」
「それもあるが、本筋の理由はかっこいいからだ。最初に手にした武器をずっと使い続けるなんてなかなかイカしてると思わないか」
そうか…?そういうものか…?
「このグラディウスは鎧掛けの隣に今も立て掛けてあるんだ。ほら、君のうしろ」
ハルヒトが指した先を見ると、古い鎧と剣があった。埃は被っていないがそこに刻まれている数多の傷が歴史を物語っている。
長い間誰にも使われず、手入れだけされてきたのだろう。この剣と鎧は今も主人を待っているのだろうか。
「この、神から賜った肉体はいつまでたっても老いを見せることなく私はいつまでも若々しかった。しかし、私の愛した女性たちはそういうわけにはいかない。普通に年をとっていき、普通に死んでいった」
絵を見る男の声が少し震えていた。その絵の人たちのことなのだろう。
「最初の村で出会ったリリーも、家出中に会った貴族の令嬢のローズも、売り出されているところを買い取ったアイリスも、森で魔王軍から匿ったアザレアも、因縁をつけてきた武者修行中のジニアも、みんな死んでいってしまった」
ベッドのシーツにポタポタとシミが広がった。
僕はアザレアの方を見た。
「アザレアさんを生かし続けているのって…」
「ええ、ハルヒト様です」
アザレアは静かに頷いた。
そうか、アザレアの魂を縛り付けていたのはこの男だったのか。
「周りの環境は目まぐるしく変わるのに私だけ、私1人だけ何も変わらない そんな現実が怖くなって森の中に家を建てて独りで暮らした。身体が動かなくなっても私にはアザレアとリリーがいるから何も問題なかった」
ここで僕はふと気づいた。
アザレアさんは魔族の魂を魔力で覆っているからまだ生きているけれど、じゃあ、リリーさんは一体何者なんだ?
「あの…」
「ん?なんだい?」
「その絵でハルヒトさんの右にいる女性って…」
「リリーがどうかしたか?」
「今は…どうしているんですか?」
僕が尋ねるとハルヒトは俯いて静かに笑った。
「リリーは…とっくの昔に死んだよ」
「え…?」
じゃあ下にいるのは誰?
「ちょっと待ってください。僕はさっきそのリリーさんを1階で見ました」
「ああ…あれか」
ハルヒトは顔を上げて僕を見た。
「あれは、人じゃない」
そう言ったハルヒトの表情はとても不気味に見えた。
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