10話 空っぽのブーケ -ツツジ-

 キザシハンを出発してから4日目、パーティは馬車を囲んで森を進んでいた。

 ウィンの見立てだと今日で森を抜けてミザハに着くはずだった。


「ねえウィンちゃん?まだ森から抜けられないのー?」

「おかしいですね…」


 ウィンは方角を何度も確認するが、一行はなかなか森から出ることができない。


「勘弁してよ…」


 フィータがうなだれる。キザシハンで用意した水と食料は4日間分だった。

 道中魔物を狩ったり、川で水を補給したりと節約はしているものの何日も持たないのは明白だった。

 それから半日歩いたが森から抜けることはなかった。あと少しで日も暮れ始める。


「そろそろ今日の寝床を探さないとダメですね。幸い食料はまだ残っています」

「えぇ…」


 先日までは草原や川岸など遮蔽物が無い場所だったが、森の中での野宿となると遮蔽物を避けて結界を張らなければならなくなり、その維持にそこそこ魔力を費やしてしまう。

 パーティ内に絶望の空気が流れるなか、エルアが何かに気づいた。


「前から誰か来る」


 耳を澄ませると草を踏む音がする。だんだん近づいてきているようだ。

 皆が身構えていると、わずかに光が差し込む木々の向こうから森に似つかわしくない黒いドレスを着た女性がこちらに歩いてくるのが見えた。

 黒い日傘を差しており、その腕にはキノコがたくさん入ったバスケットが下がっていた。

 女性がこちらに気づいた。


「こんなところで冒険者さんにお会いするなんて、ごきげんよう」


 女性はスカートの裾の端を軽く持ち上げお辞儀をした。

 エルアが女性につっこんでいく。


「助かったあぁぁぁー!」

「あらあらあら、どうしたのかしら」


 腹にやわらかタックルをくらった女性はエルアの頭を優しく撫でた。

 ウィンがエルアを引きはがし挨拶をする。


「ミザハに行こうとしてたんですけど道に迷ってしまって」

「ミザハでしたら、あちらに進むと山を抜けてちゃんとした道に出ますから、そこから道なりに半日ほどですよ」


 女性はウィンたちの右後ろを指差した。どうやら気づかない間に通り過ぎてしまっていたようだ。


「しかし、今から行ってもすぐに暗くなってしまいます。よろしければ今晩泊っていかれませんか?」

「いいんですか!?」

「ええ、久しぶりに誰かとお話しがしたいわ」






 女性はアザレアと名乗った。ウィンたちはアザレアに連れられさらに森の奥に入って行った。すると開けた場所に出た。腰ほどの高さの柵で囲まれている部分が敷地のようだ。

 敷地内に入ると小さい畑があった。それはいくつかの区画に分かれており、それぞれ違った野菜が植えてあるようだった。

 畑をさらに進むとかわいらしい家が見えてきた。三角屋根の二階建ての家に伸びている煙突からは煙が出ている。

 アザレアが家のドアをノックすると、中からエプロン姿の女性が現れた。真っ白い髪をキャップでまとめている。


「リリーただいま戻りました。こちらのお客様を案内してくださるかしら」


 リリーと呼ばれた女性は「ええ」と無表情で頷き、ウィンたちを家の中に招いた。


「私はこちらのお馬さんを厩にお連れします。分からないことがあったらリリーに聞いてくださいね」


 そう言ってアザレアは馬車を引いて家の裏に行ってしまった。

 ウィンたちは客間に案内された。テーブルをはさんで二人掛けのソファが向かい合って置かれている。部屋の端にはイーゼルが置かれていた。


「腰を下ろしてお待ちください。お茶を持って参ります」


 リリーは淡々と言って部屋を出て行った。

 ユキヒロがホッと息を吐く。


「今日泊る場所ができてよかったですね」


 ユキヒロに話しかけられたウィンは優しく笑ってからエルアをギッと見つめる。


「…そうだね!今日泊る場所ができてよかったよねー!」

「まったく、一時はどうなるかと思いましたよ」

「まあ、この家に来たからといって安全というわけではないと思うけどね」


 さっきからずっと黙っていたフィータが口を開いた。


「フィーちゃん、どゆこと?」

「あのアザレアとかいう人、たぶん人間じゃないわ」

「え!?」

「身体からまるで生気を感じない」

「まさか…幽霊ですか…?」

「わたし、幽霊に抱きついちゃった…」

「幽霊ではないと思うけど…ごめんなさい、あたしもよくわからないわ」


 フィータは立ち上がり、イーゼルに立てかけてある紙を手に取った。


「でもこれなんか、なかなかゾクゾクしない?」


 ウィン、エルア、ユキはテーブルに置かれたそれを覗き込む。


「え…」


 ぼろぼろの肖像画には6人の男女が描かれていた。彼らは草原に並んでいる。真ん中に立っている男を5人の女が取り囲む形である。

 ウィンたちの視線は男の右隣りで元気に笑っている女と、端で一歩距離を取って日傘を差している女性にくぎ付けになっていた。リリーとアザレアだった。


「これ、さっきの人…だよね…」

「こ、この前描いたんでしょ…」

「いやいやいや、紙のこの傷み方は何十年じゃきかないわよ」

「どういうこと…?やっぱり幽霊…?」

「ウィンちゃんやめてよ!」


 リリーは肖像画より若干年齢を重ねているようだが、紙の経年劣化と明らかに計算が合わない。


「みなさん、紅茶が入りましたよ」


 リリーが客間に戻ってきた。エルアは驚いて手にしていた肖像画を離してしまった。肖像画は空中を滑りテーブルの中央に着地した。一同に緊張が走る。

 リリーはウィンたちそれぞれの前に紅茶の入ったカップを置いた。最後に、ビスケットの入った木皿を肖像画のすぐ横に置いた。


「ごゆっくり」


 息を飲む一同。しかし、リリーは無機質な笑顔を残してすぐに立ち去ってしまった。


「もういやここ…心臓に悪い…」

「スルーだったね…」

「目が悪いとか…?」

「え?勇者くんなんて…?」

「あ、あー!確かに!あの人の目が悪い可能性もあるよね!」

「なんでこの肖像画は額縁にしまわれずに裸で置かれているのかしらね」

「描きかけなんでしょう」


 フィータはイーゼルを人差し指で撫でた。積もった埃にシュプールが描かれる。


「ずいぶんのあいだ筆を取っていないみたいだけど」

「ふむ…」


 ウィンは顎に手を当てて何か考えこんだ…

 エルアは肖像画を手に取った。


「この人たちは冒険者なのかなー?」


 ユキヒロは男が手にしている剣を指差した。


「これ、僕と同じグラディウスかな?」

「そ、そうだねー!確かにユキヒロくんの持ってる剣と同じものだねー!」

「この人は魔法使いでしょうね。占い用の水晶を持ってます」

「こいつは獣人ね。人間と一緒にいるということは割と最近なのかしらね」

「この、腕を組んでいる人は…男の方と同じ剣士ですかね」

「あのリリーって人の職業が分からないわね…ヒントになるような武器が見当たらない」

「戦闘要員じゃないとか?」

「他の全員がなにかしら武器を持っているのに?」

「アザレアさんも武器らしいものは持ってないわね」

「この日傘とか?」

「なにそれおしゃれ」

「じゃあいよいよリリーさんの職業が気になりますね」

「本人に聞いてみればいいんじゃないかい?」

「わー!そうだねー!確かに、本人に聞いてみればいいかもね…って、えー!?」


 ユキヒロが引きつった顔で指を差す方にはリリーが立っていた。エルアがヒイッと短く悲鳴を上げる。


「みなさんいかがお過ごしですか?」


 リリーはこちらの挙動には全く興味のない様子だった。


「夕食の用意をしようと思うのですが、なにかご希望はございますか?」


 エルアが元気に手を上げた。


「はいはーい!わたし、シチューが食べたーい!」

「こら、エルア!…すいませんお気遣いなく」

「ほらほらユキヒロくんは?」

「あ、じゃあハンバーグとか…」

「あら、勇者くん 意外とかわいいのね」

「勇者?」


 リリーが首を傾げた。ユキヒロに感情の籠っていない目を向ける。


「あなたは勇者様なのですか?」

「あ、はい」

「ふふっ」


 リリーが初めて笑った。しかしその笑顔はどこか不気味だった。水の入ったバケツを持った子供がアリの行列を見つけた時のような、無邪気な顔だった。


「申し訳ありませんがただいま肉を切らしておりますので、シチューをご用意します 本日採れたキノコをふんだんに使用します。今しばらくおくつろぎください」


 リリーがドアを閉めると同時にフィータが立ち上がった。


「フィーちゃん?」

「剣を取ってくる」

「どうしたんですか?」

「念のためよ」


 フィータは足早に部屋を後にした。






 剣は荷馬車にしまってある。フィータは厩に急いだ。

 玄関を出て先ほどアザレアが馬車を引いて行ったほうに行くとすぐに厩に着いた。

 中では馬が餌をほおばっている。

 特に異変は無い。荷馬車も無事である。


 フィータは剣を取って屋敷に戻った。


 包丁の刻む音が微かに響く廊下を歩いていると、2階に続く階段の奥からわずかに話し声が聞こえた。

 フィータは階段の奥を睨むと速やかに客間に戻った。


 部屋に入るとみんな変わりなく紅茶を飲んでいた。

 例の肖像画はイーゼルに戻してあった。


「フィーちゃんおかえり」

「みんな無事?」

「ユキくんがちょっと紅茶こぼした」

「ちょっ、エルア!」


 フィータはホッと胸を撫でおろした。

 剣を壁に立て掛けてソファに座るとすぐにアザレアが部屋に入って来た。


「みなさん、紅茶のお味はどうかしら」

「はい、とてもおいしいです。ありがとうございます」

「よかったわ。勇者様はどうかしら?」

「あ、おいしいです」

「‥‥えーと、おいしいのね? よかったわ」

「アザレアさん! あのリリーって人怖いよー!」

「ごめんなさいね。ぶっきらぼうな子なの」


 アザレアは部屋の隅に置いてあった1人掛けのイスを持ってきて腰を下ろした。


「今、リリーがシチューを作っています」

「わーい!」


 フィータは手にしていたカップを置いてアザレアに声をかけた。


「アザレアさん、今までどちらに?」

「厩にいましたよ」


 嘘である。

 フィータが厩に行った時は誰もいなかった。


「ずいぶん時間がかかっていましたね」

「お馬さんが可愛くってついつい見とれてしまっていました」


 アザレアが何かを隠していることを確信したフィータは、もう一つ確認しなければならないことを尋ねた。


「ところで、ここには2人で住んでいるんですか?」

「ええ、そうよ」

「アザレアさんとリリーさん?」

「ええ」


 また嘘。

 すると、隣に座っているエルアが話に割り込んできた。


「なんでこんなところに住んでるのー?」

「静かなところに住みたかったの」


 静かなところ。

 ここでフィータは、アザレアに会った時からずっと感じていた違和感の正体にやっと気づいた。

 以前フィータたちは、この不穏な雰囲気に晒されたことがある。

 フィータはイーゼルを指差して身を乗り出した。


「あの絵はどなたが描いたんですか?」

「知り合いの絵描きさんに頼んだの」

「何年前のことですか?」

「どうだったかしら」

「それとも、何十年前のこと‥‥ですか?」


 確信に迫る。場の空気が一瞬固まった。

 アザレアは表情を変えずにカップを持っている。


「そんなに歳をとっているように見える?」

「いえ、絵と全然お変わり無いです」

「あら嬉しい」

「アザレアさん」

「はい?」

「あなたは魔族ですね?」


 紅茶を飲んでいたアザレアの手がピタッと止まった。


「そして魔族の中でも上位の種、ヴァンパイアでは?」


 場が静寂に包まれる。

 秒針が時を刻む音だけが部屋に響いている。


「なぜ‥‥そう思うの?」

「最初あなたに会った時に感じた不穏な雰囲気。以前どこかで感じたと思っていたんですが、やっと思い出しました。魔王城です」


 フィータの言葉にウィンも気づいた。


「言われてみれば‥‥、魔力の感じが濃い‥‥?」

「森で出会った時も、この絵の中でも日傘を差しているのは、日の光に当たると魔力が弱まってしまうからですよね?」

「私、肌が弱いの」


 アザレアは事もなげに答えた。

 それを無視してフィータは続ける。


「でも、まだ分からないことがあります」

「なんでしょうか?」

「アザレアさん、あなた呼吸をしていませんね」


 アザレアが目を見張る。思わず手で口を隠した。

 会話をする時は呼吸をしているけど、何もしゃべっていない時は完全に呼吸が止まっている。


「なにをおっしゃっているのか、よく分からないわ」

「あたし、耳がいいんです」


 フィータはそう言ってサッと髪をかき上げた。


「まさか、ヴァンパイアの中には呼吸をせずとも生きていられる種族がいるとでもいうんですか?」

「さあ、どうかしらね」

「まだ認めていただけませんか」


 次が最後の弾である。

 フィータは「では」と、ユキヒロを指した。


「なぜ彼が勇者だと知っているんですか?」


 アザレアが再び動きを止めた。


「アザレアさん、部屋に入って最初に彼のこと勇者様って呼びましたよね? 確かに、リリーさんには伝えましたがあなたにはまだ言っていませんよ」

「さっきリリーに聞いたのよ」

「あなたはさっき、ずっと厩にいるとおっしゃいました」


 アザレアはフィータが部屋に入った直後に入って来たため、厩からキッチンに寄る時間も無い。

 アザレアは俯いたまま静かに微笑んだ。


「私、心の中が見えるの。‥‥って言ったら、信じる?」

「どこかで盗み聞きしてたんでしょう。いったいどこから‥‥」

「リリーを通して」


 アザレアはもう笑っていなかった。


「あなたの推測通り、私は人ではありません。ヴァンパイアです」

「なぜ、呼吸をしてないんですか?」

「私の肉体はとっくに死んでいるからよ。今は、魔力で魂を覆うことで辛うじてこの世に留まっているだけよ」

「そんなことが‥‥」


 フィータたちにはとても信じられなかった。

 魔族の魂を現世に縛り付けるほどの魔力。そんなことができる存在は、彼女たちには1つしか心当たりがない。


「まさか魔王がこの屋敷にいるの!?」


 もし、2階にいたのが魔王だとしたら、まだ勇者の準備ができていないトランシスターズは絶体絶命である。

 しかし、アザレアは「ちがうわ」と、軽く笑った。


「私は魔王軍に追われている身なの。そんなの有り得ないわ」


 胸を撫でおろす一同。

 しかし、それはそれで彼女たちに腑に落ちない点が残る。


「じゃあ、他にそんな離れ技をできる人がいるっていうの!?」


 本来、魔王クラスの膨大な魔力を緻密に練り上げることでようやくできる。‥‥かもしれない芸当なのである。


「残念だけど、それを教えるわけにはいかないわ」


 フィータたちにはどういうことなのか見当がつかなかった。


「どうしてあたしたちをこの屋敷に?」

「私は単に、久しぶりに人とお話がしたかっただけよ」


 アザレアは少し寂しそうにユキヒロを見た。


「でも、あなたが勇者だと分かって、少し事情が変わってしまったの」




 リリーがトレイを持って部屋に入ってきた。トレイには人数分のシチューとナイフが乗っている。リリーはアザレアの後ろで足を止めた。

 アザレアはユキヒロに手を差し伸べた。


「ユキヒロ様。少し、私と一緒に来てくださいますか…?」


 ウィンが立ち上がって間に入る。


「なりません。我がパーティのメンバーを、得体の知れない者に引き渡すわけにはいきません」


 アザレアは表情を曇らせた。なにかにがっかりしたように目を伏せて、後ろに立っているリリーに指示をだした。


「リリー。皆様のお相手を…」


 リリーは一言返事をすると、シチューの入った皿を一枚放り投げた。シチューは皿から飛び出したが床に落ちることはなく、そのままシャボン玉のように浮かんだ。

 それはふよふよと宙を漂っていたが、いきなり、穴の開いた風船のようにシャボン玉からシチューがウィン、エルア、フィータ目掛けて飛び出した。


「あっづぁっ!」


 出来立てのシチューを顔に食らったウィンはその場で悶絶する。


「あ、でもおいしい!」


 エルアとフィータはソファの陰に隠れてやり過ごした。

 そしてすぐに、ユキヒロの姿がないことに気づいた。顔をのぞかせると、ユキヒロがアザレアの傍に立っていた。


「ユキさん!?」

「操作魔法…」


 フィータが短く呟く。


「リリー、後は頼みます」

「ユキさん!ユキさん!」


 ウィンが必死に呼びかけるがユキヒロには抗う術が無い。

 ユキヒロはアザレアに連れられて部屋から出て行った。

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