9話 ほい、タッチ

 …ユキさん起きてください。ユキさん!

 ウィンの起こす声で目が覚めた。だいぶぐっすり眠っていたようだ。起き上がるとウィンが荷支度をしているところだった。


「おはようございます。もう出発しますよ」

「おはようウィン。寝坊しちゃってごめん」

「いえいえ」


 2人で昨日広げた物を荷馬車に積んですぐに出発した。






 日が真上に昇るころ、ウィンの引く馬車は森に入っていた。太陽の光がさえぎられて程よく涼しい。


「森に入ったのでおそらく襲ってくる魔物も変わってきます。気を付けてください」


 草原でユキヒロが倒したのはクールトーの群れと、カトブレパスという牛のような魔物だけだった。

 ユキヒロは、これから相手する魔物の種類が増えていくと考えると全身に緊張が走った。


 道というよりも、木々の間隔の広い場所を縫うように進む。

 森の奥深くに進んでも2人の前に魔物が現れることはなかった。

 自然に紛れて生活する魔物は、そうやすやすと自分から人間の前に姿を見せることはないのだ。

 ユキヒロが木を見上げていると何かが小さく光っているのに気づいた。

 目を凝らすと大樹の太い枝に小人が座っている。彼らの目がギラギラと光ってユキヒロたちを見ているのだ。


「ウィン、あれも魔物なのかい?」


 ウィンはユキヒロの指さす方を見て頷いた。


「あれはサシペレレという魔物です。こちらが用心していれば悪さはしてきません」


 馬車はなおも進む。

 やがて木が生えていない開けた場所に出た。枝葉に覆われていない空間に日の光が差し込んでいる。


「一度ここで休憩しましょうか」


 ウィンはユキヒロと、後ろを付いてきているはずの護衛に向かって声をかけた。

 大きな木の陰でフィータとエルアは腰を落ち着かせた。フィータがエルアに自分の水筒を差し出す。


「水もらっちゃっていいの?」

「いいからいいから」


 エルアは一口飲んでフィータに返す。


「ありがと」

「ん」


 フィータは束の間の休息を満喫した。

 しかし、異変を感じてすぐに辺りを警戒した。エルアに小さく耳打ちする。


「構えて、なにかくる」


 不穏な気配を感じたのはウィンも同じだった。


「ユキさん、気を付けてください。魔物がいるかもしれません」


 そう言って予めユキヒロに魔法をかけた。フィータもそれに倣う。

 等間隔で響く何かが落ちる音。それに合わせて地面が揺れる。それが歩く音だと気づくのに時間はかからなかった。

 光が僅かに差し込んでいる木々の奥から巨大な体躯に棍棒を持った魔物が姿を見せた。


「オークね」


 フィータが静かに呟く。

 オークはウィンとユキを見ると鋭い歯を見せて猛々しく吠えた。


「腹を空かせてる」


 フィータはエルアの肩をつかみ引き寄せた。


「あんたの麻痺魔法あれにも効く?」

「やってみないと分かんないけど‥‥大きすぎてムリかも」


 フィータとエルアは静かにオークの近くに移動した。


「おねがい」


 フィータに促されてエルアはオークに魔法をかける。しかしオークは一瞬痙攣する素振りを見せたがすぐに魔法を打ち破った。オークは足を止め攻撃の主を探し始める。


「やっぱダメでしたー‥‥」


 フィータは小さく舌打ちしてエルアを担いで走り出した。木々の陰を縫って身を潜める。

 エルアの攻撃が失敗したことはウィンも気づいていた。オークを見て呆然としているユキヒロの肩を乱暴に揺らす。


「ユキさん! 一旦距離を取りますよ!ユキさん!」


 ユキヒロはハッと我に返り走り出した。オークと距離を取りながらウィンは話し続ける。


「あれはオークです。群れで行動する種ではないのでここにいるのは恐らくアイツだけでしょう」


 オークはフィータとエルアがいた場所を棍棒で手当たり次第に攻撃し始めた。森を支える太い大樹が衝撃を轟かせて倒れる。


「ユキさん! 今のアイツは隙だらけです! すぐに剣で攻撃してください!」


 ユキヒロは泣きそうな顔でウィンの方を見た。ウィンは歯を見せて笑いながら親指を立てる。

 それを見たユキヒロはこの世の終わりのような顔になる。

 ウィンのこの言葉はもちろんユキヒロだけに向けてしゃべったわけではない。フィータとエルアは既に行動に移っていた。


 オークの背後―ユキヒロからは見えない位置からフィータは剣で巨大な左足を何度も切りつけた。堅牢な筋肉が見る間にズタズタにされていく。

 その横でエルアは魔法による攻撃の準備をしていた。

 両手を前方に伸ばし魔力を集中させる。そこに魔法陣が浮かびだし、そこから魔力のこもったエネルギー弾が発射されオークの右足に炸裂した。


 脚部への執拗な攻撃にオークはたまらず両膝から崩れた。その瞬間をウィンは見逃さなかった。


「ユキさん今です!」


 ガチガチに震えているユキヒロの背中を思い切り押した。それでもユキヒロは前方によろけるだけで踏み出さない。


「ああもう!」


 ウィンはやむを得ず操作魔法をユキヒロにかけて無理やりオークに立ち向かわせた。

 一気にオークと距離を詰め、倒れている巨木を踏み台にして跳躍、空中でグラディウスを振りかざす。

 攻撃の直前、フィータが木々を足場にユキヒロの元まで跳んで行き、彼の背中を手で軽く叩く。


「ほい、タッチ」


 フィータは剣術能力上昇の魔法を、その効力が最大限になるようにユキヒロに触れたまま発動した。

 グラディウスがとてつもないオーラを吹き出しながらオークの胸元に突き立てられる。

 オークは短く呻き声を上げると攻撃の手を止めた。全身から力が抜けていき手にしていた棍棒が大きな音を立てて落ちる。

 オークはユキヒロの勢いに負けて後方に倒れた。そして‥‥、


「あ‥‥」


 オークの後方にいたエルアは、巨大な肉体がいきなり倒れてきたのでたまらず横に避けた。そして、オークの上で我に返った勇者とばっちり目が合ってしまったのだった。






 僕はなにが起きたのか分からなかった。

 オークが現れたと思ったらそこで意識が薄れ、気づいたらオークを倒していた。

 ひょっとしたら僕の中には勇者の他になにか邪悪な存在が潜んでいるのかもしれない。僕は僕のことが少し怖くなった。

 でも、今はそれよりも気にすべきことがあった。オークを倒したら今度は少女が現れた。青い長髪を腰のあたりで束ねた少女。この前モンで出会ったエルアだ。

 エルアはこちらに手を振ってきた。


「あ‥‥あー! ユキくんだー! こんなところで奇遇だねー!」

「エルア、なんでこんなところにいるんだい?」

「えーと‥‥」


 エルアが両手をくねくね当てながら目を泳がせていると、ウィンが駆けつけてきた。


「エルアじゃないですかー! ど、どうしてこんなところにー!」


 ウィンは思い切りエルアに抱きついた。


「こんなところで会ったのもなにかの縁! しばらくご一緒しませんか!?」


 回した手で頭をつかみ無理やり目を合わせる。


「ね?」

「ひっ、はい‥‥」


 なんだかよくわからないがパーティが増えたみたいだ。


「エルアも一緒に来てくれるのかい?」

「え、えーと‥‥、よろしくねユキヒロくん!」


 パーティが増えるのはとても心強い。しかもウィンの知り合いみたいだからパーティの輪が乱れることはないだろう。


「よかったわね、勇者くん」


 不意に横から声をかけられて僕は体をのけ反らせた。横を見るといつの間にかフードを目深にかぶった人が立っていた。たしか、馬車を用意してくれたフィータさんだ。


「フィータさん!? どうしてここに!?」

「エルアとパーティを組んでいてね。オークを討伐しに来たんだけどうっかり取り逃がしちゃったの。倒してくれて助かったわ。ありがとね勇者くん」


 フィータさんはそう言ってフードを取った。赤髪のショートヘアにきりっとした顔立ち、綺麗な女性だった。フィータさんはその眠そうな目をエルアに向けた。


「そうだったわね? エルア」

「‥‥そーだったんだよー! 助かっちゃったなーユキくん!」

「というわけで、あなたのパーティに合流してもいいかしら」


 フィータさんは僕の肩に手を乗せた。女性からのボディタッチくらいでいちいち浮かれはしない。僕は爽やかな笑顔で応えた。


「ええ、もちろんです!よろしくお願いします!」






 その後、日が暮れかけていたので急いで今日の寝床を探した。運よく川を見つけることができたので、川岸の開けた場所に拠点を張った。

 食事はなんと、フィータさんが昼間に狩ったカトブレパスを分けてくれたのだ。

 手ごろなサイズに切った肉を火にかける。肉の焼ける良い匂いが漂ってきた。まるでキャンプファイヤーの様だった。

 腹の膨れるまで食事にありつくことができ、すぐに眠くなってきた。ウィンが優しく肩に手を置いた。


「ユキさん今日はとてもお疲れでしょうから、もう横になってください」

「え、いいのかい?」

「オークを倒してくれたのはユキくんなんだから!」

「今日一番の立役者を置いて先に寝ることはできないわ」


 僕はお言葉に甘えて先に寝ることにした。横になるとすぐに眠気が襲ってきた。

 今日もたくさん戦ったなあ…






「で、どうしましょうか」


 まだ覚醒状態だったユキに睡眠魔法をかけてやや強引に眠らせたウィンは、口に入りきらない肉と悪戦苦闘しているエルアと、荷馬車からグルートを出してきたフィータに尋ねた。


「このまま4人パーティで行くしかないでしょう」


 フィータはジョッキにグルートを注いだ。


「ウィンちゃんわかんないと思うけど、陰から食事をただ見てるのってすごいむなしいんだよ」


 エルアはフィータからジョッキを受け取りながらウィンに訴えた。


「まあ確かに2人にいつまでも裏方の仕事をさせるのも心苦しいと思ってたんですけどね」


 ウィンがフィータからジョッキを受け取り、上に持ち上げた。


「なにはともあれ今日もお疲れ様でしたー! かんぱーい!」


 川の流れる音にジョッキのぶつかる音が混ざる。


「というか、そもそもはフィータのプランでしょ!」

「こうもうまくいかないと、さすがに申し訳なく思うわね」

「遅い! 遅いんです!」

「ユキくんのそばにいた方が魔法の効果も効きやすいからこのまま一緒に行こうよ」

「堂々と肉取れるしね」

「そうですねえ、そうしますかあ」


 ここでウィンは静かに流れる川に目を移した。


「川があるから明日は水浴びができますね」

「朝風呂というやつね」

「覗かれちゃったらどうしようかー」

「荷支度が済むまで眠らせるので問題ありません」

「さすがウィン」

「さすウィン!」


 2日目の宴も日付の変わる頃に幕を閉じた。






 …ユキくん! おーきーてー! ユキくん!

 肩を激しくゆすられて目が覚めた。顔を上げるとエルアだった。


「ああ、おはよう」


 体を起こすと、紅茶かなにかの良い匂いがした。

 昨日火を焚いた場所を見ると三脚の上にティーポッドが置かれている。


「おはよう勇者くん。紅茶飲む?」


 フィータがカップに紅茶を注いで渡してくれた。


「ありがとう」


 川を流れる朝の涼しい風に紅茶の香りが心地よかった。

 フィータとエルアは荷物をテキパキと馬車に詰め込んでいる。ウィンはその横でカップを片手にボーっとしていた。まだ眠そうだ。


 ああ、これなんかいい。こういうのなんかいい。めっちゃ充実している。


 つい口がにやける。

 朝のひと時を味わった僕は終わりかけている荷支度を手伝い、出発した。


 4人になったパーティは戦闘でもサバイバルでもとても安定していて、旅は3日目にしてなんの問題も起きることなく終わった。

 しかし、事件は4日目に起きたのだった。

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