6話 そこんところちゃんと指示ちょーだいよー!
勇者とウィンが接触した翌日、いつもならエルアとフィータが着替え始めるころに起きてくるウィンが、今日は2人が完全に身支度を終えても起きてこなかった。
「ウィンちゃん! 起きてくださーい。朝ですよー」
ウィンはベッドにうつ伏せになったまま右腕を上げて力なく手を振った。
「ちょっと昨日魔力をつかい過ぎました‥‥。もう少し寝かせてください‥‥」
「勇者の介護そんなに大変だった?」
フィータは両手にマグカップを持ってベッドのそばに来た。1つをサイドテーブルに置く。
「‥‥なんですかこれ」
「アッサムティー、頭がすっきりする」
「いいなー。フィーちゃんわたしのは?」
「キッチンにミルクティーがあるわ。どうせ甘いのがいいんでしょ」
「わーい」
ウィンはゆっくり半身を持ち上げ紅茶を口に含んだ。
「あぁ‥‥、ちょっと起きました」
「なんでそんなに疲れ切ってるの」
「昨日ちょっと夜のお散歩に行ってきまして‥‥」
「それ、昨日作戦会議しようと思ってたらあんたがなかなか帰ってこないからエルアが先に寝ちゃったのよ。結局あたしも待ちきれずに寝ちゃったし」
「申し訳ないです‥‥」
フィータは壁にかかっている時計を見た。朝食の時間帯はとっくに過ぎている。
「勇者の子守りはどうするの?」
「フィータ行ってくださいよ‥‥」
「面識無いし」
「あんたのプランのせいでしょうが」
フィータはキッチンでミルクティーを飲みながらビスケットをほおばっているエルアを呼んだ。
「なに? フィーちゃん」
「ちょっとしばらく勇者の子守りしてて」
「えー、わたし1人で!?」
「あたしは市場までひとっ走りしてウインの血を買ってくる」
ウインとは、海に生息する巨大な魔物でその新鮮な血は強力な精力剤として知られている。
「はは‥‥、ウィンだけに‥‥」
「あんたはしばらく寝てなさい」
フィータは、カップに残ったミルクティーを飲み干したエルアの首に腕をかけて部屋から連れ出していった。
エルアを引きずったフィータは食堂まで連れてきたところで彼女を解放した。
フィータは食堂を見まわして、隅の席に行儀よく座っているユキヒロを見つけた。
「じゃあ、あたしは市場まで行ってくるから。あんたはちゃんと子守りをするのよ」
「え、遠くから見てるだけ? それとも話しかけていいの?」
「‥‥任せるわ」
「えー!? そこんところちゃんと指示ちょーだいよー!」
エルアの肩を投げやりに叩いてフィータは食堂から去って行った。
僕は食堂を見渡した。
先ほどまで冒険者でいっぱいだった食堂は、今はがらんとしている。
皆外に出払ってしまっていて数人ほどしか残っていない。
昨日、ウィンと食堂で待ち合わせをしたはずだが彼女はなかなか来ない。
様子を見に行きたいがどの部屋に泊まっているか聞いていない。
こんなことなら聞いておけばよかった。
肘をついてしばらく窓から外の風景を見ていた。大きな三角屋根の木組みの家が並び、その前の大通りを荷馬車が何台も行き来している。
ここからの景色はまるで巨大なゲーム画面を見ているようだった。しかし僕は今、この画面の向こう側に行くことができるんだ。
少し、行ってみてもいいかな。昨日はウィンについて行って服屋に寄ってからモンにすぐ来てしまったからこの街を全然見れていない。
ウィンはまだ来ないみたいだし、この辺りだけなら大丈夫だろう。
僕はそっとモンを後にした。モンは大通りに面していて、通りは人でごった返していた。
露店では魚や野菜などの生鮮食品、ペンダントや指輪といった装飾品、なかには短剣や水晶などの、おそらく冒険者が使うであろう小物を売っているところもあった。
露店を眺めながら歩いていると、大通りから外れた路地にも露店があるのが見えた。高い建物に挟まれている少し薄暗い路地では、大通りとは一味違った物が売られていた。
大剣や盾などの大きな武器、鉢植えに入ったドギツい色の花、小瓶に入った昆虫、カゴに入れられた爬虫類のような生き物、目に入るもの全てが新鮮で楽しかった。
さらに路地を進むと、露店が並んでいる一角に薄汚い布に身を包んだ子供が道の端で倒れていたのが見えた。
隣で椅子に座って本を読んでいる男は助ける素振りを全く見せない。壁に剣を立てかけているところを見るとおそらく冒険者なのだろう。
大変だ。早く助けないと。僕は子供に駆け寄った。
「ちょっと待った」
座っていた男が剣を鞘に収めたまま突き出してきて僕の行く先を塞いだ。
「オレの商品に勝手に触らないでもらいたい」
「商品だって? この子がか?」
男は剣を再び壁に立てかけた。
「ああ、昨日捕まえてきた まだ新鮮だぞ」
ふざけるな。人間に対して使う言葉じゃない。
胸の中でドス黒い炎が燃え上がるのを感じた。右手を固く握りしめる。
「おらァ!!」
渾身の右ストレートが男の顔に命中した。男は声を発することなく水たまりに倒れた。
冒険者だからって調子に乗りやがって。
こちらを見て怯えている子供に優しく手をのばす。
「大丈夫かい? もう心配ないよ」
よく見ると女の子だ。フードを深く被っていてよく分からないが、真っ白な肌に濃い茶色の目が奥ゆかしく感じられた。
「ぼくはユキヒロ。君の名前を教えてもらえるかな?」
少女は上目遣いで見つめてくるだけで何も話そうとしなかった。やれやれまいったな。とりあえずウィンに事情を話して保護してもらおう。
僕はボロボロの布をまとった少女の手をとった。乾燥しきっているのかとてもザラザラしている。早くモンに行って風呂に入れて上げないといけないな。
モンへの道中、色々話しかけたが少女は軽く微笑むだけで何もしゃべろうとはしなかった。
モンに戻った僕はウィンの姿を探したが見当たらなかった。まだ来ていないのか。
「とりあえず席に座ろうか」
少女を隅の席に座らせ、僕はその隣に座った。
しばしの間また窓から外の景色を眺めていると、頭上から声をかけられた。
「あ、あの」
見上げると僕と同じくらいの青髪の女の子だった。
「さっき露店でその子を助けたの見てたよ。かっこよかった!」
「それはどうも」
見られていたのか。少し恥ずかしいな。
「わたし、エルアっていいます。よろしくね」
「ユキヒロです。この子は‥‥名前を教えてくれないんだ」
「そっかそっか。それでね、ユキヒロくんはその子をどうするのかなーってちょっと気になってて」
「この子の家に帰してあげるのがいいかと思ってね。とりあえず連れを待ってるんだ」
「あー、それってもしかしてウィンのことかな? 昨日一緒にいたでしょー」
「ウィンのこと知ってるのかい?」
「うん‥‥ちょっと知り合いなんだ。わたしあの子の部屋知ってるから案内するよ」
助かった。たまたまウィンの知り合いに会えたからよかったものの、下手したらずっと待ちぼうけをくらっていたかもしれない。
僕は少女を連れてウィンの泊っている部屋までエルアに案内してもらった。
「どう? 動けそう?」
市場から戻ってきたフィータはウィンに精力剤を飲ませていた。
「変な味がして気持ち悪いです…」
精力剤の効力ではなく、味のインパクトの強さで目が覚めたウィンがなんとか身支度を済ませていると、部屋の外からノックの音がした。
2度連続で叩き1拍置いてもう1度。パーティ内で決めていたリズムだ。
扉の近くにいたウィンが開ける。
「エルア? どうしまし‥‥」
「わあーどうもー! ウィンちゃん! 覚えていますか!? わたしですわたし! この前ワッフルをごちそうしたエルアっでーす!!」
エルアが身も言葉も覆いかぶせて部屋に入ってきた。
ウィンが、抱きついてきたエルアの肩越しに廊下を見るとそこにはユキヒロが立っていた。見知らぬ子供と手をつないでいる。
これはあれですね。私とエルアは久しぶりに会った体ということですね。
状況を理解したウィンは、後ろにいるフィータにアイコンタクトを送る。フィータは素早くキッチンに身を隠した。
「久しぶりですねエルア。ユキさんとお知り合いになったんですか」
一応廊下に突っ立っているユキヒロを窺って自分の推測に確信を得る。
「ところで、ユキさんが連れているその子は誰でしょうか?」
「この子はさっ……ろて……たすっ……っのさ」
ユキヒロが誇らしげに何かをしゃべったが、ウィンには分からない。
「というわけで、これからこの子をどうしようかと思ってたの」
エルアが少女の手を引いて部屋に入れた。
「えーっと‥‥、とりあえずエルアと相談をするのでユキさんは食堂でもう少し待っててください」
「あ、はい」
ユキを追い出し、少女とエルアをソファに座らせてからその対面にウィンはゆっくりと腰を下ろした。
「さて、何があったか詳細を説明してくださいますか。簡潔に!」
ひぃっ、と短い悲鳴を上げてからエルアは先ほどの出来事を順を追って話した。
ユキヒロがモンから出てしまったこと、
エルアは近くで見守ることにしたこと、
ユキヒロが露店を眺めているうちに魔生物を扱うエリアに入ってしまったこと、
そこで剣士ともめたこと、
ユキヒロが剣士に右ストレートを入れる直前、エルアの水撃魔法で剣士をダウンさせたこと、
ユキヒロがその少女をモンに連れてきてしまったこと、
エルアが自分1人じゃ処理しきれないことを悟り助けを求めてきたこと。
エルアからの説明を一通り聞いたウィンは額に右手を当てたまま黙った。
フィータはソファの後ろで腕組みをして立っている。
「えーっとつまり、ユキさんは奴隷を強盗してしまったと」
「ユキヒロくんが行っちゃった後でお金を置いてきたからそこは大丈夫かな‥‥。それに‥‥」
奴隷自体は禁止されていることではない。
批判的な意見が多いがキザシハンにも奴隷商はある。
本来、奴隷は安く手に入る労働力として需要があるので普通は成人した男性が売り場に出されている。
幼い子供を扱う奴隷商もいるがキザシハンではとても希少で滅多にお目にかかれない。
「あの辺で奴隷は売ってないよ」
「ああ、あなたよくあの辺冷やかしに行ってましたっけ」
「魔生物とか魔具とかカラクリとかおもしろいじゃーん!」
それに、とエルアは隣に座っている少女の手に自分の手を重ねた。
「この子とか‥‥ね」
ずっと話を聞いていたフィータが、ソファに座っている少女の前に周り少女の目線にしゃがんだ。彼女の被っているフードを優しく取った。
少女の頭部がさらされる。雪のように真っ白な肌、肩まで伸びるこげ茶色の髪の毛、そこから所々葉っぱが覗いている。
「ドリュアデスね」
フィータは短く呟いて少女の上半身を脱がせた。
真っ白な肌の所々に茶色く変色している部分があり、その部分は固い鱗のように見えた。四肢の末端に行くほどそれが占める割合が多くなっているようだった。
ウィンは少女の手を取った。ほとんど茶色くなっている掌の表面はザラザラしている。
「これは‥‥樹皮ですね。話には聞いたことがありましたが実際に見るのは初めてです」
ドリュアデスとは特定の木に宿る精霊のことで、自らの宿った木が枯れるとそのドリュアデスも絶命してしまうといわれている。
「あの剣士さん、よく精霊を捕まえてはあそこで売ってるんだよー。ちょっとだけ触らせてくれるんだー!」
「あなた、よく知り合いに水撃かませられたわね」
「いやあ‥‥あの時は色々と混乱してたから‥‥」
立ち上がったフィータはちょこんと座っている少女の頭をなでた。
「それで、この子どうする? 返してくる?」
「精霊は鮮度が大事だからなー。たぶん返品お断りだよ」
「そもそも精霊なんて欲しがる人いるんですか?」
「欲しがるマニアは僅かながらいると思うけど、ああいうところで買っていくのは大体研究者ね」
「研究者‥‥ですか?」
「精霊や魔物の輸出入ってすごく厳しいの。設備の整った場所で研究したくても材料が手に入らない研究者がこの街にはたくさんいるのよ」
「なるほど、じゃあ知り合いの教授にでも高く売りつけてしまいましょう」
「えー!? それは可哀そうだよ!」
あなたねえ、とウィンはエルアをにらむ。
「あなたが今まで触らせてもらった精霊だってどこかの研究者が買い取ってあんなことやこんなことされてきたんですよ」
「このまま面倒見ちゃだめー?」
エルアは上目遣いでウィンに訴えた。
「ダメです。どうせ最終的に私が面倒みることになるんですから」
状況不利だと判断したエルアは横に立っているフィータの裾を握った。
「フィーちゃん‥‥」
フィータは必死に助けを求めてくる青髪の少女を目で愛でてから視線を戻した。
「いいわよ」
「ほんと!? やったー!」
「ちょっ、フィータ!?」
「最終的にウィンが面倒みるから大丈夫」
「あぁ?」
その後ウィンとフィータは、ドリュアデスと遊んでいるエルアを部屋に残して食堂に向かった。2人とも今日はまだ食事にありつけていない。
「どういうつもりですか。これ以上パーティに穀潰しを増やしてもいいことなんてありませんよ」
横目でにらんでくるウィンをフィータは涼しく受け流す。
「いやいや、ペットを穀潰しって言っちゃだめでしょう」
フィータの言うペットが勇者とドリュアデスどちらを指しているのかウィンには判断できなかった。
フィータは「それに」と続けた。
「木から切り離したドリュアデスってね、すぐに枯れちゃうの。たぶん明日には種になってると思うわ」
「え‥‥、そうなんですか」
「エルアの泣き顔が楽しみね」
「うわぁ‥‥」
フィータの歪んだ愛情を垣間見た瞬間であった。
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