5話 うるさいバーカ
ウィンを魔物から救った僕は彼女に案内され森の近くの小さな村に来ていた。
ここはサナイという小さな漁村らしく、港では漁師たちが船に上がってなにやら作業をしている。
「僕たちはどこへ向かっているんですか?」
前を歩いているウィンに言葉を投げる。頭の後ろで結んだ髪を震わせて彼女は振り向いた。
「私たちは今からギルドへ行きます。そこでなら傷の手当もできますし落ち着いてお話ができます」
そういって彼女が案内してくれた建物は、外装はファミリー向けの洋食レストランのようだった。外壁の塗装がところどころ剥がれて中のレンガが見えてしまっているのがかえっておしゃれだ。
中に入ると内装も普通の飲食店のようだった。
テーブルとイスが規則正しく並んでいて、入り口の受付では中年の女性が2人カウンターに腕を乗せながらおしゃべりをしている。
僕たちの他に利用客はいないようだ。
「ガラガラですね」
「はい。まあ、普通はすぐ近くにあるキザシハンのギルドに行きますからね」
ウィンは壁際の席に僕を座らせると、魔物に攻撃されて血まみれになっている袖をまくり損傷部を露出させた。
よく見ると傷に薄皮が張っているだけで、なにかの拍子にすぐ開いてしまいそうだった。
彼女は僕の傷痕に、触れるか否かのギリギリの距離に手を添えた。
目を瞑りその姿勢を維持する。すると、添えた掌が数秒間淡く発光した。
光が収まると、彼女は手を離した。
「傷口はいちおう塞がりました。念のため今日はその腕をあまり激しく動かさないようにしてください」
傷のあった箇所を見ると、完全に治っているように見えた。
よく目を凝らすと僅かに切り傷の痕があることがわかる。
「すごい‥‥」
つい言葉がもれた。本物の魔法を初めて見た。しかも自分にかけられたなんて。
「ここは魔法の世界なんですか!?」
「魔法だけの世界というわけではありません。魔法を操る者もいますが武器を駆使して戦う者もいます。中には武器すら使わず、鍛錬を重ねて己の身一つで戦いに臨む者もいます」
「戦うって、さっきみたいな獣と?」
「冒険者は先ほどの魔物はもちろん、もっと恐ろしい魔族とも戦います」
なんてこった。僕はとんでもない世界に来てしまったのかもしれない。
でも、一応僕一人でも目の前の女の子を魔物から守るぐらいの力はあるのだから、変な場所にさえ行かなければ魔物に襲われて死ぬ心配は無いだろう。
「ところで、さっき森でウィンが言っていた勇者様というのは何ですか?」
実はずっと気にかかっていたことだ。あれは本当に僕のことを言っていたのだろうか。
ドキドキしながら返答を待っていると彼女はいきなり席を立った。
「すみませんが少しばかり席を外します。すぐ戻ってくるので待っててください」
何か気に障ったことを言ってしまったのだろうか。
彼女はドカドカと大股でギルドの出入口から外に出て行ってしまった。
外に出たウィンはギルドの裏に回り、先ほどから窓の外で目障りに自分たちを見ていたフィータとエルアに詰め寄った。
「どうして入ってきてくれないんですか!?」
「おもしろそうだったから」
フィータは全く悪びれていない。エルアもフィータの後ろでケタケタ笑っている。
「ウィンちゃんおもしろいー! なんでそんなに緊張してるの?」
「だってあの人のしゃべっていること最初の数語しか聞き取れないんですよ! こっちは少ないヒントから頑張って彼の言っていることを推測しながらしゃべってるんです!」
「へーそうだったんだー」
「外からだと何しゃべってるかは分からなかったから」
「ほらはやく! 2人とも行きますよ! 付いてきて下さい」
2人の手をとって歩き出すウィンだが、2人は「いやいやいや」とその場に留まった。
「ウィン、よく考えてみて」
フィータがウィンの頭を両手で掴み引き寄せる。
「今のあなたは勇者様に救われたか弱い女の子なの。そんなあなたがパラディンであるあたしを連れてきたら彼はきっと自信を無くす。ああ、ウィンにはあのパラディンが付いている。自分は必要ないんだ‥‥と」
「別にいいじゃないですか」
「女神さまのお告げ書きに記されていたブレイブスラッシュのことを忘れたの? 彼が勇者としての自信を持たなければ魔王を倒せないのよ。そのためにはあなたは勇者に守られる存在でなければならないの。分かる?」
「えぇー‥‥」
「これ以上こんな町でぐずぐずしていられない。もう明日から魔王城に向かって出発して、その道中さっき森でやったみたいに魔物をあいつに倒させるの」
怒涛の勢いで今後のプランをまくしたてるフィータに、エルアが「えー?」と、首を傾げた。
「さすがに気づかない? ウィンちゃん、あの人と話しててどう?」
「ああ‥‥確かに自分の力で魔物を倒したと思ってますね」
「あれま」
「わかった? あなたはこれからあの男と2人で魔王城を目指します。で、あたしとエルアは陰からあなたたちを援護する。か弱い女の子を守るナイト君は必殺技を習得して、魔王に一発決めてハッピーエンド。完璧だわ」
「うるさいバーカ」
「ということであたしとエルアは見張りを続けます。あなたは早く彼の元に戻っておだてなさい」
「あんた‥‥エルアと一緒にいたいだけでしょうが」
もうフィータにウィンの言葉は届いていなかった。ギルドの横でエルアとひたすらじゃれついている。
ウィンはため息まじりにギルドに戻ると、ユキヒロが居心地悪そうにしてイスに座っていた。
彼は、ウィンを見つけるとほっとしたように手を振ってきた。
それを見たウィンは、まるで捨てられた犬を見ているような錯覚に陥り、自分たちがきちんと最後まで責任を持って見守らなければならないという思いに駆られた。
ウィンはユキヒロの座る席の前に立った。
「ユキさん、大事なお話があります」
「え? いきなりどぉし…すか」
「実は、あなたは魔王を倒すべくこの世界に現れた勇者なのです。あなたは魔王を倒してこの世界を救わなければなりません」
「え‥‥」
「私でよければ魔王討伐の旅に付いていきます。必ず勇者様のお役に立って見せます」
「ちょっ、ちょっとま…っさい」
ウィンは彼が言っていることを聞き取れないので、伝えることだけ伝えてしまうことにした。
「混乱するのは分かります。しかし、もうこの世界には一刻の猶予もないのです」
一刻の猶予もないのは主に報酬の面でだが、ウィンは黙っていた。
「あなたの力はすでに魔王を倒すレベルに達しています。先ほどの森での戦闘で確信しました」
「え、ちょ…」
「とはいえまた傷が開くといけないので今日はキザシハンに移動するだけにしましょう」
そそくさと荷物をまとめ、笑顔で声をかける。
「さ、行きましょう」
サナイを後にしたウィンと僕は、さっきベートと戦った森に入った。
どうやら、この一本道を上がるとキザシハンという大きな都市に行けるらしく、今夜はそこに宿泊するらしい。
「さっきの、僕が勇者だという話は本当なんですか?」
「今はまだ信じられないかもしれませんがすぐに実感します。あなたには力がある」
確かに、自分が勇者だといわれてもそんなすぐに理解できるはずがない。
しかし、力があるのは本当なんだ。確かにこの手で魔物を倒したのだから。
「またさっきみたいな魔物が出てきたらすぐに僕の後ろに隠れてください」
「この森に魔物は生息していません。さっきのベートは‥‥、たぶん誰かが放してしまったのでしょう」
そうだったのか。
拍子抜けしてしまったが、まあ、魔物がいないのなら気が楽だ。
道中、魚を売り終えて帰路に着いているらしい商人と数人すれ違い、僕たちは大きなゲートに着いた。高さは10メートルはあるだろうか、大きな門の前には槍を携えた門番らしき兵士が立っている。
ウィンはその兵士に軽く会釈をして通過する。僕も慌てて彼女に倣って門を通った。
都市に入った僕はその賑わいに目を見張った。
石畳の道を色々な人が歩いている。不思議な模様のローブを深く被った人、大きな剣を腰に携えた人、つばの広いとんがり帽子を被り黒いマントをたなびかせている人、見たことない四足の生き物に荷馬車を引かせている人。
快晴の空を見上げると、時折り鳥ではない影が彼方を飛んで行くのが見える。
本当に来たんだ。剣と魔法の世界に。
そして、僕は魔王を倒すべく現れた勇者なんだ。
それから僕はウィンに街を軽く案内してもらった。その道中で新しい服を買い、この街のギルドに入った。そこはサナイのギルドとは全く違う空間だった。
サナイのギルドの10倍はありそうなその空間には、立派なテーブルとイスがずらりと並んでおり、しわなくピシッと敷かれたテーブルクロスの上には色とりどりの 花がおしゃれな花瓶にささっている。天井から吊るされたシャンデリアがそれらを煌々と照らしている。
一流ホテルのような空間に視線を泳がせていると、壁際の一角に人だかりができていることに気づいた。後ろから背伸びして覗いてみると掲示板に紙が張り乱れていた。学生の頃のサークル勧誘競争を思い出した。
この場にいる人々はみな冒険者なのだろう。大小様々な剣、槍、杖などが彼らの腰から垂れていたり、壁に立て掛けられている。
「ユキさん、ここに座りましょう」
ウィンが空いている席に腰を下ろした。僕はウィンの対面に座った。
「ここはモンといって、この国の中で一番大きいギルドなんです」
「他の町にもギルドがあるんですか?」
「この街以外にもギルドはたくさんあります。私たちは基本的にモンを使っています」
私たち…?
「ウィンにも仲間がいるんですか?」
僕の問いにウィンは笑ったまま答えてくれなかった。
その後、ここで少し早い夕食を済ませた僕たちはモンに併設されている宿に向かった。どうやら彼女が僕のために一室取ってくれたらしい。とりあえず明日、食堂で待ち合わせをする約束をして今日は解散ということになった。
お疲れでしょうからよく休んでください。
そう言って彼女はバタンと部屋の扉を閉めてしまった。
まあ、さすがに今日初めて会って一緒に寝るというのは無いか。
まだ日が沈んですぐという時間なのに今日一日がとても長く感じた。信じられないようなことがいくつも起きたんだから無理もないか。ひどく‥‥疲れた‥‥。
一階に浴場があるらしいから、汗を流してさっさと寝てしまおう。
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