1話 出会い
今日も疲れた。駅のホームで電車を待ちつつ腕時計を見るとあと5分もしないうちに日付が変わる。
明日は俺の30歳の誕生日だ。人生の1つの節目だが特段なにか感じることもない。
とにかく今は家に帰ってシャワーを浴びて寝たい。毎日残業して終電ギリギリで帰る日常に慣れてしまっていた。
しかしせっかくの三十路突入記念、なにか、なにかしたい。今週の日曜にどこか遠出でもしてみようか。どこか知らない場所に‥‥
電車到着のアナウンスが聞こえた。
腕時計を見るととっくに0時を過ぎていた。はやく帰ろう。
足元に置いていたバッグを持ち上げようとしゃがんで立ち上がったとき、いきなり視界が真っ白になった。頭がボーっとする。ああ、立ちくらみかな。最近多いんだ。
なにかつかめるものを手さぐりで探すうちに前に進んでしまっていた。
瞬間、足を踏み外す。
無様に右肩から着地する。
キキィーッと金属がこすりあう音が響く。
なんとなく状況を理解した。
ああ、つまらない人生だったな。上司も部下も好き勝手言うし、なにかに熱中するようなこともなかったし、彼女なんていたこともなかった。
死を目の前にすると頭の回転力が上がるというのはどうやら本当だったらしい。
ハッピーバースデー、俺。
気づかないうちに眠っていたようだ。起き上がるととっくに昼だった。
なぜ外で寝ているんだろう。そもそもここはどこだ? 公園か? あれ?
僕は必死に記憶を辿った。
たしか駅で電車を待ってて、誕生日を迎えて、ホームから落ちて…電車に轢かれた…? でも怪我はしていない。わけがわからない。
どうやら森の中の道にいるようだ。あの世にしてはなかなか雑な場所に落とされたものだ。
状況を理解するためにも、とにかく街を目指そう。
気持ちを切り替えるように足を踏み出した。
なだらかな勾配を下っていると木々の奥からガサガサと何かの動く音がした。 ギョッと全身の毛が逆立つ。
クマやイノシシだととても危険だ。僕は音のした方に身体を向けながらゆっくりと下り続けた。
それからしばらく進んでいる間、もう音がすることはなかったので胸をなで下ろして体勢を戻して急ごうとしたとき、
「きゃあーーーーーっ!!」
進行方向から女の子の悲鳴が聞こえた。
急いで向かうと女の子が道にへたり込んでいる。
女の子の元に行き、パニックにならないように優しく肩に手を置いた。
不審者だと思ったのか女の子の体が一瞬ビクッとなったがすぐに落ち着いた。
「大丈夫ですか? 一体なにが‥‥」
女の子の姿を見てつい言葉が止まってしまった。およそ日本人とは思えない容姿だった。
ベージュ色のローブに包まれているため細かいところはわからないが、ゲームや漫画の登場人物が着ているような不思議な服。
そしてポニーテールでまとめた綺麗な緑色の髪の毛。透き通るようなエメラルドグリーンが日の光を反射して眩しい。
僕はゲームの世界に迷い込んでしまったのか?
なにか言わなければと言葉を探していると、とつぜん草陰からなにかが目の前に現れた。
オオカミのようだったが、動物というには大人しすぎるほどの禍々しい雰囲気をまとっていた。
「ベート!? どうしてこんなところに!?」
「ベート?」
「この魔物の名前です。この森にはいないはずなのに‥‥」
この生き物の名前と、女の子が日本語をしゃべれることがわかった。言葉が通じるのは非常に有難い。
僕は女の子を庇うように、ベートの前に立ちはだかった。
「下がっていてください」
「助けて下さるんですか!?」
「当然でしょう。男なんですから」
男なら一度はかっこよく言ってみたいセリフを高らかに決められたことで少し頭が回ってきた。
さて、どうやって切り抜けるか。
周りに武器になりそうなものがないか見まわすと木の棒が落ちていた。
手に取るとなかなかの太さと長さだ。
鎌倉で買った竹刀がちょうどこれくらいの大きさだった。
鈍器として使うには申し分ない。
僕はベートとの距離を保ちながら木の枝を構え、攻撃のタイミングを計ろうとした。しかし、敵はそんなもの待ってはくれなかった。
ものすごい速さで距離をつめ、前足の爪で切りかかってきた。とっさに左腕で顔を庇った。
全身に重い衝撃と、左腕に激痛が走る。
何とか踏みとどまったが全身から力がぬけていくのがわかった。
立っていられない‥‥やばい‥‥死ぬ‥‥
僕はふとあの子の方を見た。心配そうな顔でこっちを見ている。
目の前で人が死にそうなんだから当然か。
このまま僕が死んだらすぐにあの子も襲われてしまうんだろうな‥‥
せっかくお知り合いになれると思ったのに‥‥
次の瞬間、全身に力がみなぎった。
カッと両の目が見開く。両の足は確かに地面をつかんでいる。左腕の痛みは完全に無くなっていた。
前方を見ると、ベートが僕の右足に噛みつこうと走ってきている。
しかし、なぜかその動きがとても遅く見えた。
僕は思い切り右足を蹴り上げた。ベートの牙より先に僕のキックが炸裂しベートは子犬のような鳴き声を出しながら吹っ飛ばされた。
ベートの体制が整う前に距離をつめる。自分で驚くほどスピードが出ている。
まだ痛みで悶絶しているベートに向かって木の枝を思い切り振り下ろした。バキッというなにかの折れる音が鈍く響き、ベートは動かなくなった。
すると、ベートの身体が小さく光り出し、蛍が舞うように光の粒子となって跡形も無く消滅した。
勝ったのか‥‥女の子を守った‥‥
気持ちがよかった。
女の子を敵から守るというシチュエーションに胸の高揚が止まらなかった。
いかんいかん。敵は倒したが女の子はまだ心のダメージを負っているんだ。僕が守らねば。
女の子を見ると、彼女はまだ周りを警戒しているようだった。
その場にへたり込んだまま、ベートが出てきた方をしきりに窺っている。
「もう大丈夫ですよ。とにかく、ふもとまで降りましょう。歩けますか?」
手を伸ばすと、女の子は少し考え込む素振りをしてから僕の手を掴んで立ち上がった。エメラルドグリーンの髪が目線の高さに来た。
「ありがとうございました。なんとお礼をしていいのか。私はウィンと申します。あなたのお名前を伺ってよろしいですか?」
女の子に尋ねられたが、なんとなくフルネームで答えるのは恥ずかしい気がした。
「ユキヒロです。こんなところに1人でいると危ないですよ」
「‥‥じゃあ、ユキさんですね! とにかく、あなたの傷の手当てをしなければならないので町まで行きましょう」
左腕の傷のことをすっかり忘れていた。
傷口をそっとさわって見ると、痛みは無く血も止まっている。傷はもう大丈夫そうだ。
しかし、服は血で汚れてしまったので着替えが欲しいところだ。
僕は歩き出したウィンについて行った。
彼女なら、電車に轢かれた僕がどうしてここにいるのかわかるかもしれない。
その他にもいろいろ彼女に聞きたいことが山ほどあるのだから。
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