Draw Dream 5
首をかしげる元気でさえ、この件は終わったと美術室を出てしまってからのこと。ただ1人、納得のいっていない人物がいた。依頼をしてきた金田さんである。
「待ってください、部長さん。それは違うと思うんです」
廊下に急いで出てきた金田さんが、高瀬先輩に叫んだ。
「もしかしたら、透花が完璧主義で、本当に出来のいいものしか他人に見られたくない、そういう可能性だってあります。でも、私が見たのは人のアタリです。校舎の絵を私は見たことがありません」
金田さんの発言を聞いて、元気には何か思い当たることがあったようだ。
「そういえば、引っかかった点があります。仮に冬樹先輩の説を通そうとすると、阿部倉さんは完璧な絵を描きたいんですよね? そこまでの執念があるなら、どうして彼女は机を窓側に向けなかったんでしょうか? そのほうが正面に校舎があって断然描きやすいと思うんですけど」
言われてみれば確かにそうだ。彼女は常に教卓側、つまり前を向いていた。普通、ものを見て絵を描く時には、なるべく正面に物が来るようにするはず。
「あら、あなたたちまだいたのね」
そこに、清水先輩が通りかかった。手にバケツを持っているから、水を替えに来たのだろう。
「先輩はどう思いますか、透花の絵」
「トウカ……ああ、この絵ね」
清水先輩は、たまたま貼ってあった阿部倉さんの絵をまじまじと眺めた。
「うん。バースがしっかりしているし、人物や建物の骨組みがしっかり作られている。何より動きに躍動感があって素晴らしい。塗っているだけになっているから、他の技法も使えるようになればもっと飛躍するよ、きっと」
「他の技法?」
「例えば、雲は水をたっぷり含んだ筆を紙に置いていくようにする、とか、奥の木々は絵の具を置くようにして表現してみるとか」
清水先輩は1つ1つ指で示して教えてくれる。そんな描き方もあるのか、と感心した。
「よく先輩たちはやっていますよね……」
金田さんは自信なさそうに答えた。
「あ、でも、この子本気で絵を描いてるよ。
誰よりも熱中して、没頭して」
「そうなんですか?」
絵を一生懸命描いているときなど見たことがない。誰よりも金田さんが驚いていた。
「阿部倉さんのことどうしますか」
城崎君が聞く。
「ああ。さっきの以外の考えもあるよ」
さらりと言ってのけた。
「本当ですか、どうして言ってくれなかったんですか!」
金田さんは詰め寄る。
「まず何で美術室で宿題をやっているのかな?」
高瀬先輩は逆に質問を投げかけた。
「そういえばそうですね。一応図書室開いてるわよ」
さすが図書委員の美緒ちゃん。図書室の開館時間も知ってるね。
「いや、でも3年生だらけで行きづらいだろう」
城崎君の指摘に私も頷いた。図書室の座席って1クラス分の席くらいしかないし、3年生だらけのところに1人で行きたくないよね。
「でもわざわざ美術室で宿題する必要はないよね。自分のクラスとか、市の図書館とか塾とか。帰る日もあるんだから必ずしも美術室にいたいわけでもなさそうだ」
「でも、部活の時間に宿題を終わらせられれば、家に帰ってから好きなことができます。例えば家でゲームしたいから宿題は部活の時間にやるとか。雨の日だけは早く帰りたいから宿題も家でやるとか」
「それなら最初から部活をさぼればいい。美術部が嫌だったら美術室にすら来ないよ」
サボるって、と元気は冬樹先輩にこぼす。
「彼女は人のアタリを描いている。
家や塾や図書室じゃない、美術室で絵を描くことのメリット。
美術室だけにあるもの、といえば、学校の机、椅子、黒板。うーん、これは他の教室でもよさそうだし。美術部員に絵を見てもらいたいわけでもないのだし。私はちらりと阿部倉さんが座っていた席を覗き込む。その視線の先にはテニス部が練習していて――。
「まさかテニス部?」
私のつぶやきに一同、それだ! とざわめく。
「そうだよ、澄香! 阿部倉さんの席って中庭全体を見るベストポジションなわけだから、テニス部員がどこにいても見渡せるじゃないか!」
「確かにテニス部のことを間近で見ようとしたらテニスコートに行くか中庭での練習を見学するか。テニスコートに行ったら机や椅子がないから書きづらそうだしな。しかもすごく目立つし」
「むしろ絵のモデルにするなら中庭の練習の方がいいかもしれないわね。素振りとか簡単な打ち合いくらいしかできそうにないから、同じ部員がほぼ同じところにいるわけだしね」
1年生研究部がきゃいきゃいはしゃぐ中、高瀬先輩が「静かに」とみんなをなだめる。
「まあ、こんな風に考えると阿部倉さんの目的は美術室でテニス部員のアタリを描くこと、なわけだけど、残念ながらこの先はね」
高瀬先輩ががくりと肩を落とした。
「この先ですか?」
「テニス部員誰でもいいのか、それとも目的の人がいるのかまでは」
ああー、とみんなで盛大に肩を落とす。そっか、浅木さんと若林さんがバレバレって言ったのは、阿部倉さんが好きな人を追いかけているとでも思っていたのか。そうだとしたら、私たちはその先まで追いかけていいんだろうか。
「それを話してくれるかは君と彼女次第、だけどね」
高瀬先輩が金田さんに微笑みかける。私たちは、これ以上考えるのはやめることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます