第28話 それぞれの春

 梅次がさゆりに失恋してから半年後──


 梅次が高校3年生になる前の春休み、梅次一家は、再び沖縄へ家族旅行へとやってきた。梅次はもう、さゆりに会いたいとは思わなかった。普通の家族のように、リゾートホテルで過ごしたり、沖縄観光をした。そして、最終日には国際通りへ行って、家族で買い物をしていた。

 買い物を終えて、駐車していたレンタカーの後席に乗り込み、空港へ向かって父の運転する車は国際通りを走る。

 クルマの窓から、通りをぼんやり眺めていた梅次は、思わず声が漏れた。


「あっ……」

「どうしたん?」

「いや、別に……」


 横に座っていた弟の誠司が、急に声をあげた梅次に、どうしたのかと尋ねたが、梅次は適当にはぐらかした。国際通りを小走りしてるハンバーガーショップの制服を着た女の子が、なんとなく、さゆりに似ているように思えたのだ。しかし、まさか芸能人にまでなったさゆりが、街のハンバーガーショップで働くはずはないだろうと、さっき流れ消えた光景は、すぐさま梅次の脳のハードディスクから、ゴミ箱へと移されて消去された。

 たった半年前のことであったが、さゆりと、彼女の家族との出来事は、遠い昔のことのように思えた。決して忘れたわけではないし、梅次にとって美しい想い出のままだ。しかし、そういう運命だったのだと、梅次は現実を受け入れていた。

 さゆりと結婚できないのなら、歯科医師になる意味もない──そんなふうにも思ったが、歯科医師になった方が、父や母も喜ぶのだろう、それが、自分を見守ってくれている両親の期待への応えなのだろうと思い、そのまま受験勉強を続けることにした。

 梅次は前を向いて、彼の人生を進んでいた。



「あれ……ねぇねぇ、あれさ、安里さゆりじゃない?」

「え? どこ?」

「ほら、カウンターの奥で作ってる……」

「うっそぉ!」


 国際通りにあるバーガーショプでは、そんな噂は瞬く間に広がり、たちまち店内は人で溢れて混乱した。春休みということもあり、他府県からの旅行者も多く、ちょっとした騒ぎになった。


「安里さん、ちょっと、こっち来てくれる」

「はい……」


 マネージャーに厨房の奥へ呼ばれたさゆりは、別のアルバイトの女の子にあとを頼み、オペレーションを外れた。


「オペレーションなら大丈夫だと思ったんだけど、やっぱりお客さん気付いたみたいで、店内が混乱してるから、とりあえず、今日は仕事あがってもらって、家に戻っておいてもらえるかな。通用口から出て、事務所で着替えてもらって。また連絡するから」

「はい……わかりました」


 さゆりは体調不良で、実家での静養のまま、東京へ戻ることはなかった。それは事実上の引退であった。

 しばらく実家で引きこもっていたが、家族が心配してくれてるのも痛いほど分かっていた。このまま何もせず家にいて、これ以上、両親に迷惑をかけるわけにもいかない。働かなければと思っていた。しかし、高校も卒業することなく沖縄へ帰ってきたので、できる仕事も限られてくる。なにより、顔が知られているので、なかなか表立って仕事もできない。考えた末、飲食業の厨房なら大丈夫かと考え、思いきってファストフード店のオペレーションをしてみようと、アルバイト募集に応募してやってみたが、やはりバレてしまったようだ。

 歌手に憧れ、その夢は叶ったが、有名になるということは、生きにくいものだなと思った。

 さゆりは店の裏の通用口から、お客さんに気づかれないように店を出て、少し離れた事務所へ行き、そこで着替をして、家族が待つ家へと帰って行った。

 家では、母の初枝が夕食の用意をしていた。

 

「あれ、今日早かったのね」

「うん。お客さんに、さゆりのことバレちゃって。マネージャーが、お店が混乱してるから、とりあえず家に戻っておいてって言われちゃった」

「そう……」


 初枝は、予定より早く帰ってきたさゆりを心配したが、いつか、そういう日がくるとは思っていた。


「おかあさん、あのね……」

「なに? どうしたの」

「わたしね、高校を卒業しておこうと思うの。だからね……」

「わかった。うん、わかった。さゆりが働いたお金、ちゃんとおいてあるから。お父さんにも言っとくから、心配しないでいいよ」

「……おかあさん、ありがとう」


 さゆりもまた、彼女の人生を、前に進もうとしていた。


 さゆりと梅次、ともに17歳の春だった。

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