第19話 オリオン

 沖縄二日目の朝、朝食をすませて身支度を整えた梅次は、ホテルから少し歩いたところにあるバス停から、昨夜調べた路線バスに乗った。タクシーを使えばもっと早く着けたであろうが、高校生の梅次には、その資金的余裕はなかった。

 乗り換えながらバスに1時間ほど揺られ、さゆりの実家近くのバス停で降りた。バス停の斜め前に、昨日電話で聞いた宜野湾シューズがあり、その横の道を奥に入ったところに戸建ての家があった。表札を見ると安里と書いてあるので、ここで間違いはないと思われる。

 インターフォンを押すと、昨日の電話の女性の声で"はい"と応答があった。


「昨日、電話させて頂きました、真山と申します」

「はい、ちょっと待ってね」


 しばらくすると、ガチャりと玄関扉がひらいた。中から出てきたのは長女の多恵であった。梅次は、さゆりの家族がテレビ出演した時に、家族全員の名前と顔を覚えており、綺麗なお姉さんだなという印象があったが、目の前にいる多恵はテレビで見たよりも遥かに〝ちゅらかーぎー″な女性だと感じた。

 この頃になると、梅次はいろいろな沖縄の方言を覚えていた。


「はじめまして、さゆりさんのファンの真山と申します。突然電話して申し訳ありません。あのぉ、これ僕の地元のお土産物なんですけど、お口に合うかわからないんですが、どうぞ」

「ありがとう。よかったら、中へどうぞ」

「……え?」


 梅次は、玄関先でさゆりの家族にお土産を渡し、さゆりの対する想いでも少し話せたらいいな、くらいに思っていたので、まさか、家の中へ招き入れてもらえると思っておらず、一瞬反応が停止した。これは素直に家にあがっていいものか、それとも遠慮して帰るべきか──結局、自分の本意に勝てず、多恵の言葉に甘えた梅次は、さゆりの実家にあげてもらった。

 玄関を入ると、ちょっとした応接セットのある部屋があり、さゆりの父親の秀峰と、もう一人男性が座っていた。後でわかったが、結婚したばかりの多恵の夫の徹であった。


「遠いところを、よくいらっしゃいました。そちらへ座ってください」

「すいません、突然お邪魔しまして」


 秀峰にソファに座るよう促された梅次は、恐縮しながら一人掛けのソファへ腰をおろした。


「さゆりのことを応援して頂いてるようで、ありがとうございます」

「あ、いえ、そんな。さゆりさんのこと、ドラマで観てから大好きなんです」


 秀峰の言葉に対して、梅次はさゆりへの想いを熱く語った。秀峰は和かな笑顔で、それを聞いてくれていた。女性ばかりの家族によくみられる、優しい印象のお父さんだった。

 多恵が梅次に冷たいお茶を出してくれた。


「この前、さゆりさんの映画のロケ現場に行って、さゆりさんに誕生日のプレゼント渡して来たんです。その時、さゆりさんの履いていたジッパーがたくさんついた黒のパンツがカッコ良くて、そのパンツかっこいいですねって言ったら、多恵さんにもらったものだと言ってました」

「あー、あのお面くれた──プロレスの」

「はい、そうです! あまりにも変なプレゼントで、ロケ現場に忘れられてるか、だれかにあげちゃったりしてるんじゃないかと思ってたんです。ちゃんと持って帰ってくれてたんですね」

「うん。自分で被って、トウッ! とかいって遊んでたよ」


 梅次は、ただ純粋に嬉しかった。自分の想いがさゆりに届いていて、彼女のみならず、彼女の姉にまで記憶されていた。梅次は静かに興奮していた。

 その後、初めて沖縄へ来た感想や、自分のことを少し話して、チラリと時計をみると、訪問してから30分ほど経過していた。本心では、この優しいお父さんや美しいお姉さんと、もっと話をしていたかった梅次であったが、あまり長居をして嫌われるのも本意ではなかった。


「あの、ご迷惑なので、そろそろホテルへ戻ろうと思います。長い時間、お話しさせていただいてありがとうございました」

「うん、お友達も待ってるでしょうしね。──あ、これよかったら持って帰る?」


 そう言って多恵が梅次に差し出したものは、鳥のキウイのイラストがプリントされたオリオンビールの販促用Tシャツだった。多恵の夫の徹が、オリオンビール で働いているとのことだった。


「いいんですか! ありがとうございます。嬉しいです!」

「うん、よかったら使って。じゃあ、ホテルまで送っていくわね」

「え……いやいやいや、そんな、僕が勝手に訪ねて来たんですし、そこまでしていただくなんて申し訳ないです、一人で帰れますので」

「ううん、私たちも出かけるついでだから。いいからいいから」


 いつの間にかいなくなっていた徹が、家の外で車を用意して待っていてくれた。大きなリンカーンコンチネンタルだった。多恵夫婦の出かけるついでにホテルまで送ってくれるという。

 秀峰に礼を言って家を出て、多恵に促されて戸惑いながらも、梅次はクルマの後ろの席に乗り込んだ。アメリカの車に初めて乗った梅次は、その車内の広さに驚きながら、なんだか夢のような話だなと心の中で思っていた。それと同時に、自分以外にも、同じように尋ねてくるさゆりのファンがいるのだろうか、それとも僕は特別の扱いを受けたのだろうか。他にもいたとしたら、皆に同じような対応をしてるのだろうか、もしそうだとしたら、なんと気の良いご家族なんだろう、沖縄の人は皆、こんなに優しいのだろうか──リンカーンの後ろ席にある楕円形の小窓から、本州とは明らかに異質なアメリカ風の街並みを見ながら、梅次はぼんやりと、そんなことを考えていた。

 助手席に座った多恵と話をしていると、まるで自分にお姉さんができたかのような親近感を覚えた。兄姉がいない梅次にとって、年上の美人は憧れの存在だったのだ。

 あっという間に車内での時間は流れ、梅次の宿泊しているホテルへ車は到着した。


「本当にありがとうございました」

「うん、明日まで沖縄を楽しんでください。気をつけて帰ってね」

「はい、お父さんにもよろしくお伝えください」

 

 梅次は、多恵と徹に礼を言って車を降り、走り去るリンカーンが見えなくなるまで、しばらく見送っていた。アメリカ映画なら、大声で「イエッス!イエーッス!」と叫んで大はしゃぎするような場面であるが、いま起こった事が現実か夢かよくわからない、まどろんだような不思議な気分になっていた。そして、徐々に、徐々に、さっき起こったことを思い返し、じわりと込み上げてくる喜びを、こころのなかで噛みしめていた。

 梅次は、いけないことだと思いながら、ホテルの自動販売機にコインを投入し、オリオンビールのボタンを押した。ゴトン! と落ちた缶ビールのリングプルをおこして口を開け、ひとくちゴクリと飲んだ。少し苦かったが、沖縄の気候に合うライトなのどごしが美味しいと思った。

 ビールを全て飲み干し、しばらく缶に描かれたOrionのロゴを見つめたあと、ゴミ箱に静かに落とした。

 16歳が終わろうとする、初夏の沖縄であった。

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