第16話 気づき

 久万研修センターを後にして、もと来た山道の一本道を、久万駅に向かって梅次は歩きだした。あいかわらず人もクルマも通っていない。行きは高揚しながら来たので、50分かかって歩いても疲れなかった梅次であったが、帰りは目的が達成して放心状態であったので、少々疲れがでてきた。それでも、さゆりと二人で話ができたことを思い出して、にやけながら、幸せな気持ちで歩いていたのだが。

 しばらく歩いていると、珍しく一台の小型車が走ってきて、梅次を追い越したと思ったら、5mほど先で停車した。乗っていた中年女性が、車の窓を開けて梅次に話しかけてきた。


「こんなとこ歩いて、どこ行くの」

「あのぉ、久万駅です」

「歩いてー?」

「はい、歩いてです。歩いてきましたし」

「乗りなさい、久万駅まで乗せてってあげるから」

「え……いいんですか?」


 人も通らない寂しい畑道をひとり、とぼとぼ歩いている高校生を不憫に思ったのだろう。梅次は、中年女性の言葉に甘えて、久万駅まで乗せて行ってもらうことにした。


「すいません、ありがとうございます」

「こーんな寂しいとこで、なにしてたのぉ?」

「この先の方で、映画の撮影がやってるのを見学にきたんです」

「映画の撮影?」

「はい、久万研修センターってところなんです」


 安里さゆりに会いにきた、とは言わなかった。「誰それ」と言われることは明らかだったからだ。どんな番組に出てて、どんな歌を歌っていると説明したところで、微妙な空気が車内に流れることは必至だ。

 行きは50分も歩いたのに、クルマだと15分もかからず久万駅に到着した。梅次は女性に礼を言ってクルマを降り、電車に乗って家へと帰った。途中で、いつもの写真屋へいき、さゆりと一緒に撮った写真のフィルムを現像にだした。


 次の日、梅次は体操部の練習に出た。さゆりとゆっくり話をしたこと、腕を組んでもらって、さゆりに触れたことなどを思い出し、ニヤケながら柔軟体操をしていると、同級生の瀬水が訝しげな顔で聞いてきた。


「嬉しそうな顔して、なんかええことあったん?」

「昨日な……やっぱりやめとこ」

「ゆーてーや、なになに」

「しゃーないなぁ、教えたろか。昨日な、さゆりちゃんの映画ロケ現場に行ってんけどな、俺ひとりしかおらんかって、さゆりちゃんと二人っきりでしゃべってん!」

「へー、そうなん。二人でしゃべったりしたら、付き合ってるみたいな勘違いの気持ちになるんちゃう?」


 瀬水の反応は薄いものであったが、梅次には想定内であった。瀬水はフラットな性格だし、そもそもアイドルに興味もない。しかし、瀬水の言葉は梅次の心情の的をついていた。彼の言う通り、梅次は、まるでさゆりと付き合っているかのような錯覚に陥っていたのだ。たった15分ほど話をしただけで? 正常な感覚の人間には理解できないであろうが、「二人だけ」の空間というのは、梅次の正常な思考を惑わすには十分な魔力を秘めていた。

 梅次を、徐々におかしな方向へと向かわせていた。


 クラブ活動の後、昨日のさゆりとの写真を引き取るため、梅次は写真屋へ寄った。 

 写真屋の自動ドアが開いて店中へ入ると、カウンターの中にいるはずの、いつものオヤジはおらず、代わりに、バイトなのか、オヤジの娘なのか分からないが、若い女性が立っていた。

 預り証の控えを渡し、自分の写真に間違いがないか確認するルーティンワークをしないといけないのだが、オヤジとの確認作業よりは、若い女性とのそれのほうが気がラクかな、と梅次は思った。「このハナタレ小僧が生意気に」などとオヤジは内心思ってるんじゃないか、という被害妄想があったのだが、若い女性店員だと、「ああ、彼女とのツーショット写真ね」くらいにしか思わないだろうと。しかし今回の写真は、誰と写っているかということではなく、別の意味で、梅次を恥ずかしい気持ちにさせた。

 東京での、しかも芸能界というところでの暮らしも1年を過ぎようかというさゆりのファッションに比べ、自分のファッションのダサさたるや。

 中学から男子校で、外出時間のほとんどを制服で過ごしてきたので、今まで服装なんて気にしたことがなく、母親が問屋街で買ってきた服を、なんの疑問も感じずに梅次は着ていたのだ。コーディネートなんて気にしたこともなかった。

 しかし、こうやって、センスの良い人の横に立つ自分の髪型や服装を客観的にみると、さすがに自分のファッションセンスのダサさに気がついた瞬間であった。

 とすると、さゆりちゃんも、「このひと、めっちゃ服装ダサいんですけどー」などと内心思ってたんだろうな──そんな風に考えると、恥ずかしくなって赤面する梅次であった。

 それ以降、梅次は母親の買ってくる服は着ないようになり、自分で選んで買うようになったが、彼のファッションセンスが良くなることはなかった。


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