第15話 夢でない現実

 梅次は、エンストして困っているさゆりを助けたい一心で、さゆりの方へ走りながら、彼の中のリトルウメジと言い争っていた。


「おいおい、走りだしたんはええけど、行ってどうすんねん」

「さゆりちゃんが困ってるんやから、助けてあげんねん」

「どうやって?」

「バイクのエンジンかけてあげるんやんか」

「どうやって?」

「えっと…………」

「バイクのエンジンなんか、かけたことあるん?」

「ないけど……行ったら、なんとかなるかもしらんやん!」

「ならへんって! さゆりに、お前のカッコ悪い印象を与えるだけやって!」

「しゃーないやん! もう走りだしてるねんから」

「やーめーとーけって!」


 実際、梅次はバイクに憧れてるだけで、免許を持っていないどころか、バイクが動く仕組みも知らないし、触ったことすらない。当然、どうやったらエンジンがかかるかも知らない。中学生の時に観た映画「汚れた英雄」での草刈正雄に自分を投影し、バイクに乗った気になってるだけの無免許ライダーである。

 梅次は小学生の頃から、自分が颯爽とバイクを操り、同級生たちが驚く、という妄想をよくしていた。おそらくテレビで、自分より小さい子がモトクロスバイクで走り回っている映像をみたせいだろう。それは私有地だからできることであり、16歳にならないとバイクの免許が取れないことを後から知った。いま、梅次は16歳であるが、彼の前には高校の校則が立ちはだかっていた。

 彼は、走りながら、厳しい高校の校則を恨めしく思った。


 あと、さゆりまで20mくらい────その時、何処からともなく、梅次の視界の右のほうから一人の男がさゆりの元へ駆け寄り、キックペダルを2回ほど踏んでバイクのエンジンをかけ、さゆりはそれに乗って、再びバイクでグランドを駆け回った。さゆりと男の会話をしてる雰囲気から、マネージャーか、あるいは映画関係者か、梅次はそう感じとった。


「かっこわる〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 リトルウメジに罵倒されながら、梅次はUターンして、顔を赤らめながら、元いた場所に戻って行った。一応、「あぁ、エンジンかかったんだ。なら、いいんだけどさ」という体裁を作りながら、悠然ともどっていく演技はしたつもりであったが、さゆりにはどう映っていたのかは考えないようにした。

 再び、さゆりがバイクの練習をしている風景を、梅次が眺めているだけの時間が続いた。

 15分くらい経ったであろうか。さゆりのバイクはスローダウンさせ、梅次から30mくらい離れた、建物の前のところでエンジンをとめた。さゆりはバイクを降りてヘルメットを脱ぎ、頭を振ってクセのついた髪を散らせて緩めながら、建物のほうへ向かって歩きだした。


「いまやろ! いま声をかけんかったら、一生後悔するで!」


 リトルウメジに後押しされ、梅次はさゆりに向かって駆け出した。


「さゆりちゃん、こんにちわ、あの、さゆりちゃんのファンなんですけど、沖村さんに、ここの場所を聞いて、あのー、さゆりちゃんに会いにきました」

「えー、ほんとですか。ありがとうございます」


 梅次は、沖村の名前を出して、親近感を演出した。


「あの、えっと、あさって、さゆりちゃんの誕生日でしょ。だから、プレゼント持ってきたんで、受け取ってもらえますか。あ、誕生日おめでとうございます」

「あっ、そうなんです! ありがとうございますぅ。じゃあ、ちょっと待っててもらえますか、ちょっと汚れてるんで、着替えてきますね」

「はい、ここで待ってればいいですか?」

「じゃあ、建物の向こうで待っててもらえますか。そっちに控え室があるんで」

「わかりました」


 さゆりはそう言って、小走りでグランドから建物に入って行った。梅次は、さゆりに指示された通り、もと来た通路を戻り、建物の向こう側へ移動した。

 しばらくすると、バイクジャケットを脱ぎ、黒いニット、黒のデニムパンツに着替えたさゆりが建物から出てきた。

 毎日のようにテレビや雑誌で見ている安里さゆりが、目の前に立っている。その場に二人きりで立っている。梅次は少し混乱していた。なぜなら、他にもファンが来てても良さそうなものだ。そりゃ、メジャー芸能プロダクション所属のイチオシアイドルではないが、それなりに多くの媒体に露出しているし、今までのイベントでも、多くのファンが集まっていた。ファンクラブ会員数も、3000人を越えたと会報に書いてあった。もしかしたら、このロケ現場は、自分しか知らないのだろうか? 沖村さんは、自分にだけ教えてくれたのだろうか?──梅次は頭の整理に時間がかかりながらも、夢のような現実に、気持ちは昂ぶっていた。


「プレゼント、これなんですけど、受け取ってもらえますか」

「わ〜、ありがとうございますぅ。なんだろう、開けてもいいですか?」

「あ、はい、あの、えっと、ちょっと変なプレゼントなんですけど」


 さゆりは紙袋を開け、中に手を入れ、アレを取り出した。


「えっと、僕が自分で作った、さゆりちゃんをイメージした、プロレスのマスクなんですけど……」

「えー、自分で作ったんですかぁ? すごいですね!」

「あの、よかったら、家でかぶって遊んでください。いらなければ、捨ててください」

「そんなぁー、捨てませんよぉ。大事にします。どうも、ありがとうございます」


 さゆりは、もらったプレゼントを胸に抱き、梅次に礼を言った。


「さゆりちゃん、写真を一緒に撮ってもらっていいですか?」

「あ、はい、じゃあ、誰かにシャッターを押してもらいましょう。ちょっと待ってくださいね」


 さゆりはそう言って、建物の窓から室内に向かってだれかを呼んだ。呼ばれて窓際にでてきたのは、共演者であり、事務所の先輩でもある町田奈々子であった。ちょっと大人っぽいキャラで、深夜番組のアシスタントなどで活躍中だ。


「奈々さん、写真撮ってもらっていいですか」

「いいよ」


 さゆりは、緊張した面持ちで立つ梅次の右腕に、自分の左腕をまわして組み、右手でピースサインをつくってカメラにポーズをとった。

 梅次は、自分のカラダの右側に末梢神経系の全てが移動してきたんじゃないかと思うくらい、さゆりが触れている自分の体表部分に神経を集中させた。ニットを通して感じる、さゆりのカラダの柔らかさに、梅次は直立不動であった。


 ツーショット写真を2枚ほど撮影してもらった後、数枚、さゆりだけの写真を撮影させてもらい、最後に、持ってきた色紙にサインをしてもらった。


「じゃあ、ありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね。プレゼント大事にします」


 そう言って、さゆりは建物の中へ戻って行った。

 そして、梅次の夢のようなひとときは、終わった。

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