第14話 ふたりだけ

 久万駅の改札を出て、都市地図を見ながら久万研修センターをめざし、梅次は歩きはじめた。春先で涼しく、歩くにはもってこいだ。

 県道沿いをしばらく歩いて、横道から住宅街へとはいり、ぐにゃぐにゃと入り組んだ細い道をしばらく進む。一旦国道へ出てしばらく歩いて、再び住宅街を抜けると、しだいに家の数は減ってきて、田畑が広がりはじめた。車の往来もほとんどない田畑を貫く細く長い一本道を、梅次はとぼとぼと歩いた。

 どれくらい歩いただろうか。腕時計をみると、久万駅を出発してから、すでに30分が経過していた。地図を見て、今まで歩いてきた距離から考えると、まだあと15分くらいはかかりそうだ。しかし、梅次はまったく疲れていなかった。疲れるどころか、この後、さゆりと会えるかもしれないと考えること、それ自体が覚醒剤のような作用をして、一種の興奮状態にあったのかもしれない。

 道はさらに寂しくなり、木々が鬱蒼と茂る山道へとさしかかった。少し傾斜のついた道を進んで行くと、急に明るく空が開けた。

 地図によると、目の前の分かれ道を右に進めば、久万研修センターのはずだ。


 かれこれ50分近く歩いて、やっと久万研修センターへ到着した。時刻は午前11時を過ぎた頃だった。

 申し訳程度の門があり、その奥にバスケットボールコート1面分くらいの広場があって、それを臨むように3階建ての建物が立っている。おそらく以前は学校だったであろう雰囲気で、それを研修所として利用しているのだろう。

 それにしても、あたりは静まりかえっており、ファンどころか、撮影スタッフや出演者の姿も見られない。

 本当にここで撮影が行われているのかという疑心を抱いたものの、撮影に使われるであろうクルマやバイク、撮影機材などが建物の下に置かれていたので、ここで間違いはないであろう。

 数台のバイクの中に、VF750Fがあった。梅次の通う高校は進学校では、校則が厳しく、在校中にバイクの免許取得は許可されていなかった。しかし、卒業して免許を取ることができたら、乗りたいを思っている憧れのバイクの一台だったのだ。

 しばらくVF750Fを前から右へ、そして後ろから左へと眺めていた。上下にわかれたセパレートカウルと角型のフレームがカッコいい────はたと現実に戻り、梅次は再びさゆりを探した。

 建物の前をウロウロと歩いて窓から中を覗いて見ても、人の気配はなかった。ということは、今日は撮影がない日なのか。わざわざやって来たのに、無駄足だったのか。そう思うと、梅次はいささかショックであった。

 もう少しここで待っていれば、誰かが戻ってくるだろうか、それとも、もう帰ろうか────諦めかけた梅次の耳に、遠くで響くエンジン音が聞こえた。建物の向こう側から聞こえる。草刈機の音かとも思ったが、シフトアップ、ダウンしている音の雰囲気から、バイクのエンジン音のようだ。人類が滅亡し、一人生き残った荒廃した世界で聞こえた、一縷の望みの人の気配に導かれるように、そのエンジン音が聞こえる方向へと、梅次は無意識に走り出していた。

 勝手に施設に入って行って、もしも誰かがいたら怒られるかもしれないと思いながらも、すでに背水の陣の心境であった梅次は、建物の1階中央を貫く通路に恐る恐る入って行った。誰かに咎められたら、さゆりファンクラブの沖村さんに許可されたと、言おうと考えていた。

 通路を抜けると、野球ができるくらいのグランドが広がっていた。その奥の方で、一台のバイクが走りまわっていた。ぐるぐる円を描きながらグランドの一番向こうまで行って、こちらへ戻ってくるために、梅次が凝視する方向へバイクが向いた瞬間、梅次は確信した。


 さゆりちゃんだ!


 ハーフヘルメットだったので、さゆりの顔がはっきり確認できた。さゆりは、映画でバイクを運転するシーンの撮影のため、免許を取得して、ここで練習をしていたのだ。

 さゆりだと確認できたところで、梅次は彼女がバイクで走る姿を、ただ見ているしかなかった。しかし、改めて、今の自分が置かれてる状況──この空間には、さゆりと自分しかいない──それを思うと、梅次は興奮を禁じえなかった。

 しばらくすると、バイクは急にエンストして止まってしまった。すぐに再スタートするかと思いきや、キックスターターのバイクだったために、さゆりはエンジンを再びかけることに苦慮してる様子である。2回、3回とペダルを踏むものの、女の子の脚力では、なかなかエンジンに火がはいらないようだ。

 梅次は居ても立っても居られなくなり、さゆりの方へ駆け出した。



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