第6話 初接近
1980年代のアイドルには、親衛隊と呼ばれる私設応援団があった。揃いのハッピやハチマキ姿で、公開放送やイベント、コンサートに現れ、アイドルの護衛という名目で、アイドルに近づこうとする一般ファンを蹴散らすのだ。
アイドルが歌っているときは、「えるおーぶいいー◯◯ちゃーん」など、コールと呼ばれる合いの手を入れる。現在のオタ芸のルーツといえるが、当時の親衛隊メンバーはヤンキーが多く、一般ファンとの間だけでなく、親衛隊同士のトラブルなども多発した。
安里さゆりにも、すでに親衛隊が発足していた。ステージの横に青いハチマキをした6人がいて、その素振りから、真ん中にいる小太りの男が隊長のようである。親衛隊にはヒエラルキーがあり、上からの命令は絶対である。
梅次は彼らを見ながら、親衛隊に入れば、さゆりちゃんと直接話ができたりするのだろうか──そんな考えも頭をよぎったが、集団で行動するのは好きじゃないし、あの小太り男の命令に従うなんてごめんだ。
やはり自分は一人で応援したいと考えた。
「それでは、さゆりちゃんに登場していただきましょう。どうぞ〜!」
女性司会者の掛け声とともに、元気よく、安里さゆりがステージに現れた。白のウェスタンシャツにホットパンツで、健康的なイメージだ。
司会者から彼女の紹介のあと、しばらくトークが続いた。
「さゆりちゃんは沖縄出身ということですが、東京に出てきてみてどうですか?」
「人がたくさんいてビックリしましたぁ! スクランブル交差点とかで、前からどんどん人が迫ってきて、交差点渡れなかったんですよぉ」
「交差点の真ん中で取り残されちゃったんですか?」
「戻ったんです。もといた場所に」
「あははははは。今も渡れないんですか?」
「今は大丈夫です。もう渡れますよ!」
ありがちなアイドルトークだったが、初めて聴くさゆりの生の声、生の姿に、梅次の気持ちは高ぶっていた。自分と同じ年齢でもあり、どこにでもいそうな感じも、彼に親近感を持たせた。
「さぁ、それでは、さゆりちゃんのデビュー曲、夏空の飛行船を歌っていただきたいと思います。さゆりちゃん、よろしくお願いしまーす」
イントロが流れると、さゆりは、まだまだ動きがぎこちないが、一生懸命に練習したであろう振り付けで踊り、そして歌いはじめた。梅次はそれを見ながら、持ってきたインスタントカメラのシャッターボタンを夢中で押した。デジタルカメラなんて存在しない時代なので、うまく撮れたかどうかは現像するまで分からない。梅次は無我夢中で何枚何枚も撮影した。
ところどころ音程がはずれるところもあるが、梅次には、どうでもいいことだった。むしろ、それが愛らしくも感じる。
「みんなのいもうと さゆりぢゃ〜ん らぶりーらぶりーさゆりぢゃ〜ん」
曲の合間に入る親衛隊のコールが耳障りだったが、糸電話で聴いているかのごとく、梅次の耳には、さゆりの声だけが届いてた。
デビュー曲に続けてB面(カップリング)の曲を歌い終わったさゆりは、客席に向かって深くお辞儀をして、ミニコンサートは終わった。
「さゆりちゃん、ありがとうございました〜。それではこれから握手会へと移りたいと思います。さっき、さゆりちゃんが歌ってくれたデビュー曲のシングルレコードを購入していただいた方が対象になりますので、みなさん是非買ってくださいねー」
司会者の言葉とともに、わらわらと観客が散る。
握手をしたいファンはレコード販売ブースに並び、購入者から順に、安里さゆりと握手をして列を離れていく。
梅次はあえて最後の方に並んだ。せっかくの時間を急かされたくはなかったからだ。最後の方なら、彼女と少し話ができたりしないかと期待した。
一人、また一人と、さゆりと握手をしたファンが列を離れて行く。それとともに、梅次の順番が近づく。
あと5人。
あと3人。
写真を撮らせてくださいと言ったらどうなるだろうか。先にいうべきか、後にいうべきか、いや、後だと、スタッフに強制排除されるだろうか──そんなことを考えていたら、両手をさしだす笑顔のさゆりが、梅次の目の前に立っていた。
「が、がん、頑張ってくださぃ」
「ありがとうございます!」
写真写真、写真をお願いしないと!
「写真撮ってもいい、いいですか」
「はい、いいですよ!」
インスタントカメラのシャッターボタンを押すが、空押し。テンパりながら巻き忘れたフィルムをジコジコ巻いて、再びシャッターボタンを押した。
もう一枚──とは流石に言えなかった。後ろに次のファンが待っているし、スタッフの視線も感じたので、未練は残るが、さゆりに礼を言って列を離れた。梅次は本気でもう一枚買おうかとも思ったが、再び目の前に現れたさっきの男に対して、さゆりがどう思うかを想像すると、流石に躊躇した。
その後もファンとの握手を続けるさゆりを遠巻きに見ながら、自分の両方の手のひらに視線を移した。
さゆりの柔らかな手の感触を、梅次は目で感じていた。
「それでは、安里さゆりミニコンサート、歌と握手の会を終了させていただきたいと思います。さゆりちゃん、お疲れさまでした。お集まりの皆さん、ありがとうございました」
司会者が終了の挨拶をし、さゆりはお辞儀をして、客席に手を振りながら、ステージの裏へとハケて行った。
消えゆく彼女の姿を、梅次はしばらく放心状態のまま見送った。
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