第5話 ファン始動
近況報告には、先日放送されたテレビドラマのオフショットが掲載されており、無邪気な笑顔のさゆりが写っている。今後のスケジュールをみると、歌手としてデビューシングル発売イベントで全国をまわる予定が記されており、梅次の町にもやってくるようだ。
来月、最初の土曜日──あ、クラブの練習がある日だ。
いまの自分に大切なのはどっちだ──さゆりちゃんに決まってるだろ、そう自問自答し、仮病を使って休むことにした。
ダウンロードどころか、クラウドミュージックが当たり前の現代に生まれた人には想像しづらいだろうが、この当時に音楽を聴くといえば、ドーナツ盤レコードを店で買って、家のプレイヤーで聴くか、カセットテープにダビングして聴くしかなかった。ポチッとは買えず、わざわざ外に買いに出かけなければ新曲が聴けないのだ。
マニアの間で、またレコードやカセットテープが静かなブームとなり、わざわざ面倒なことに喜びを感じているが、この頃はそれが普通のことであり、レコード会社も売上げを伸ばすため、本人との握手会やらサイン会などで、地道に販売促進していた。安里さゆりのイベントも同様で、シングルレコードを購入した人は、本人と握手ができる特典が付いていた。
複数枚買えば、その数だけ繰り返し握手できるのだろうか。そんなことしたら、彼女に気持ち悪がられるだろうか。少し話したりできるのだろうか──梅次は、当日の妄想にふけりながら、イベントまでの日々を過ごした。
「明日、練習くるん?」
体操部の同級生である瀬水が梅次に聞いた。
「明日はあかんねん。休むわ」
「なんか用事あるん」
「……イベントいかなあかんねん」
「なんの?」
「言わなあかんの?」
「あかん。言わんねやったら、真山ズル休みですってビーンにチクる」
体操部の顧問の先生は、カラダが小さく、豆のような顔のカタチをしていたので、生徒にミスタービーンと呼ばれていた。現役時代は、けっこう有名な選手だったらしい。
「
「誰それ」
「誰それって⋯⋯知らんの? 今をときめく
「しっらんわぁー。歌手?」
対して安里さゆりの事務所は、役者が多く在籍する事務所で、映画やドラマのコネクションは強かったが、メジャーな歌番組との関係は薄かった。さらに、事務所がアイドルを育てるのは初めてで、その分野での勝利のメソッドがなかったため、世間の認知度は雲泥の差であった。ところが、梅次の琴線に触れるものはマイナーなものばかりで、メジャーなものに興味はなく、むしろ避ける傾向にあった。はやい話、天邪鬼なのだ。
「そう、アイドル歌手。まぁ、知らんやろけど、あしたデビューイベントあるねん。レコード買ったら本人と握手できるみたいやから、絶対に行きたいねん。ちゅうか、絶対に行くねん」
「へぇ〜、そうなんや⋯⋯わかった。ビーンには、真山、風邪引いたみたいですってゆーといたるわ」
「さんきゅう」
「どんなんやったか、また教えてな」
「おっけー」
とりあえず明日のクラブの方は瀬水がなんとかしてくれるようなので、梅次は安心してイベントに参加することにした。
イベント当日。風薫る季節の、とてもよく晴れた日だった。
ショッピングモールのイベント広場で午後三時から開始予定であったが、梅次は1時間前に到着して会場を下見することにした。
MCによる安里さゆりの紹介、トーク、2曲オンステージのあと、レコード販売、握手会という流れのようだったので、彼女がどこからステージに上がるのか、ステージ上のどこに立つのか、どこからが見やすいのかなど、彼なりにシミュレーションをしておきたかったのだ。
まだまだ人はまばらで、こんなに早く来なくてもよかったかなとも思ったが、梅次には苦い思い出があった。
二年前にジャッキー・チェンが来日したときに、梅次の町の近くの商業施設でサイン会があったので、梅次も意気揚々と出かけていった。しかし、当時超絶人気だったジャッキーを一目見ようとするファンが施設から道路に溢れ出すくらい集まり、今宮戎神社の本戎のようなモッシュ状態になって、ついにはジャッキーにサインをもらうどころか、ジャッキーの姿すら見れないままイベント中止になったのだ。
しかし、どうやらそれは取り越し苦労のようであった。
まだ少し時間があるな──安心した梅次は、トイレに行っておくことにした。用を足して、丹念に手を洗う。さゆりちゃんに握手してもらうからね。
手をタオルで拭きながら、会場へ向かうと、何やらさっきと空気が違う。梅次の視界は、さっきはなかった異物感を感じた。
ステージ横に、異様な集団──────親衛隊や!
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