第4話 真山梅次

 梅次は歯科医師の父親と、教育熱心な母親との間に生まれ、下には弟と妹がいた。

 母親は、梅次が勉学に励むのを期待して進学校へ入れたが、その意に反し、梅次はまったく勉強をしなかった。両親の意向としては、梅次を歯科医師にして、父親の医院を継がせたかったのだが、元来の勉強嫌いにプロレスブームが加わって、プロレスラーにでもなろうかと思っていた。「なりたい」という強い思いではなかったのは、言い換えれば、歯科医師になりたくない、ということで、歯科医師以外ならなんでもよかったのかもしれない。

 梅次の父親は生真面目な歯科医師であったが、仕事のストレスからか、家にいるときは不機嫌であった。ときに暴れたりすることもあった。さすがに家族に暴力をふるうことはなかったが、家のドアを蹴って壊すなど、モノに八つ当たりすることがしばしばあり、そういう父親の姿をみていた梅次は、歯科医師にだけはなりたくないと思っていたのだ。

 いつも学校の成績が悪かった梅次を母親は嘆き、なにかについて梅次を叱っていたので、しだいに梅次は両親との接触を避けるようにり、彼のほうから両親に話しかけることもなくなっていた。

 梅次もまた、家で不機嫌だった。


 高校での梅次は授業にまったくついて行けず、教師の言葉も生活音のひとつにしか聞こえていなかった。毎日学校へ行き、窓際の自分の席で外の景色を眺めながら、はやく授業が終わることだけを考えていた。

 梅次の高校は進学校であったが、有名大学を目指す特進クラスと、そこに入れない生徒の集う普通クラスに分けられていた。当然のことながら、梅次は普通クラスで、いわば落ちこぼれだ。


「うめじ、今日クラブ行くんけ」


 六時間目の授業を終えて、教科書をカバンにしまいながら、バレーボール部の東内ひがしうちが梅次に聞いた。

 東内は身長190㎝近くある大男で、クラスメイトに余計なちょっかいを出しては、皆を閉口させていた。大物感をだしているが、実は小心者であることをクラスメイトは知っていたので、粗雑な性格であったが、憎めないやつでもあった。


「行くで。なんで?」

「ちょっと食堂で、うどん食うてから行こうや」

「カネないねん。貸してくれるんやったら行くわ」

「なんで貸さなあかんねん!」

「ほんだら行かへん。じゃあな」

「わかったがな、貸したるがな! 貸したるから食堂行こうや。ちゃんと返せよ」


 バレー部は上下関係が厳しく、東内ら一年生は上級生より先に体育館へ行って準備をしなければならない。悠長にうどんを食べてる時間はなかったが、高校生はとにかく腹が減る。東内は、梅次を巻き添えにすることで、万が一、食堂にいるところを先輩に見つかったときに、「真山に誘われて」と言い訳に使おうと考えていた。一方で、梅次の器械体操部はというと、どちらかというと上下関係がゆるく、器械体操部とバレーボール部は体育館を半面ずつで利用していたこともあり、東内は梅次が誘いやすかったのだ。

 梅次と東内は親友というわけではなかったが、ちょっと変わった性格同士だからか、妙なところで気が合うことも確かだった。


 梅次は東内と食堂でうどんを食べた後、部室で着替えて体育館へ行き、体育館を数周走った後、柔軟体操をしてから練習を始めた。

 タイガーマスクに憧れていた中学時代は、それなりに精を出してやっていたが、今やその目標もなくなり、惰性でクラブ活動を続けていたので、当然上達することもなく、彼に残ったものは、バク転とバク宙、そしてローリングソバットができることくらいだった。

 自分はいったい何のために高校へ通い、何のために遅くまでクラブをし、何のために生きているのか。ただ漠然と生きて、命を無駄に消費してことに意味はあるのか──。

 そんなときに現れた安里さゆりは、荒んだ梅次の心に安らぎを与えた。彼女を想っている瞬間は幸せだったのだ。


 

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