第19話 擦違、情愛

 飄々と狐の好意を躱し続けた飼育員。彼は、自分から避け続ければ、避けられて傷つくこともないと思っていた。

 しかし、その想定のどれもが間違っていた。

 彼女は避けなかった。

 彼女から逃げ続けることもできなかった。

 狐の真っ直ぐな一っ飛びを躱すことなど、できなかったのだ。



「……俺は、飼育員失格だな」

 アカギツネに抱きしめられたまま、レイは呟いた。

「アカギツネの気持ちを尊重しなきゃいけない立場なのに。自分のことしか考えてなかった」

 レイはアカギツネの肩を掴み、抱きついた彼女を一旦引き剥がした。そして、すぅ、とひと呼吸して、覚悟を決めた顔をした。さっきまで漂っていた諦念はどこかへ消えていた。アカギツネの方はすっかり真っ赤だ。

「俺もアカギツネの想いにちゃんと向き合って答えるよ。アカギツネ……」

 見つめ合う二人。








「ごめん」






 静寂。






 そしてほどなくして、

「えええええええええええ!?!?」

 絶叫。唐突な大音量ボイスにびっくりしたのか、その辺にいた烏たちがばさばさと飛んでいく。アカギツネもびっくりしたんだろうけどこっちの方がびっくりである。


「ちょちょちょっと、いや、今これ流れ的に『俺も好きだ(低音)』って来るパターンだったんじゃないの!?」

「パターンて言われても……」

「え!? 何!? じゃあレイは私のこと嫌いだったの!?!?」

「嫌いではない。好きだけど、アカギツネの想定してる好きじゃない。そうだな、妹みたいな、年下の家族への『好き』が一番近い」

「いもうと……」

「そう、くっついて来られると困るけど、放ってもおけない妹みたいな感じ」


 再び静寂。

 本人は露ほども予想もしていなかった答えに呆然とするアカギツネ。物理的な嗅覚は優れていても、別の嗅覚の精度はイマイチであったらしい。

 レイもレイで、ちょっと慌てている。次になんと声をかけるべきか迷っているのだろう。普段見かけないレアな表情である。

 無言の駆け引き。沈黙を破ったのはアカギツネであった。

「今は……、妹?みたいなものかもしれないけど! けど!!」

 本日二度目の今にも泣きそうな表情、それでもさっきのような悲壮感はなかった。そして、人差し指をレイに向けて宣言した。

「絶対レイをその気にさせるから!待ってなさい!」

 捨て台詞のように言葉を残して、アカギツネは走り去っていった。



 彼女の姿も見えなくなったところで、目立たぬように隠れていた茂みから、がさがさと音を立てて再登場。レイは肩をびくっとさせた。

「びっくりした……。てか居たんすねヨウさん。忘れてました」

「存在感を消すのは得意ですから」

 普段は空気みたいな生き方をしていて、むしろ、さっきお節介を焼いたのが非常に珍しい事例なのである。

「正面からぶつかってみたっすけど、かえって面倒なことになったかな……」と頭を掻きつつ呟くレイ。

「アカギツネは、一度決めたら曲げずに最後まで貫き通す子、という印象を感じてますけど。飼育員的にはどうですか?」

「たしかにそうですね。これまで通り、いや、これまで以上にグイグイ来そうです」

 いつまでも頭を掻くわけにもいかず、所在無さげな彼の手は、ポケットの中へ潜り込んだ。

「……それと、何様なんだって話っすけど、アカギツネが俺から離れるわけないって断言してくれたのを聞いて、すごく安心した自分がいます」

 ポケットから取り出された煙草の箱が、放物線を描いてゴミ箱へと消えていく。まだ中身があったような気もするけれど。


 押し付け、見て見ぬふり。そんな擦れ違いをやめて正面からぶつかった二人は、これからどうなっていくだろうか。

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