第13話 思考と嗜好
「シュークリームを一つ」
「保冷剤は要らない、ですよね?」
すっかり慣れてしまった会話。そういう言葉を交わすくらいの、いわゆる常連というものになった経緯を改めて思い出してみる。
およそ一月前、初めてこの島にやって来た日に「じゃぱりケーキ」に足を踏み入れて、カウンターに居座る彼女に不思議と心揺さぶられてから数日後のことだった。
どうして彼女は、リカオンは、僕の一人称を心の奥から引っ張り出してくるんだ。混んがらがった思考回路を少しでも整理したくて、もう考えるよりも行動に移したほうが早いな、なんていう普段ならあり得ない積極的な考えとともに再度ケーキ屋を訪れた。
扉を開けると鈴の音がちりんちりんと鳴って、店の奥の方から「いらっしゃいませ〜」という掛け声が聞こえる。この声はおそらくリカオンだろうと推測してレジカウンターを見たら、矢張りそこに彼女は居ない。奥で何かしらの作業をしているのだろう。理屈はよく分からないが、ほっとした。
そして前回同様(あるいは前回よりもひどく)、マーゲイが店の装飾とにらめっこをしながらうんうん唸っている。見る角度を変えたりメモと壁を見比べたり、何かアイデアを出そうと試行錯誤しているようだが結局解決することはできず、諦めて溜息を吐いたところでようやく客の存在に気づいた。
「これは失礼。何か探してる?」
「いえ……。その、何か考え事されてるんだなー、と」
「ええ。四月からの店内の装飾をどうするか考えていてね。二月のバレンタインや三月のホワイトデーみたいなわかりやすいイベントも無いから、難しいのよ」
そう言って、表情こそあまり変えないものの大袈裟に肩をすくめる仕草をしてみせた。その拍子に、デザイン案が描かれた紙が何枚か、彼女の持っていたクリアファイルから抜け落ちた。
イースター、エイプリルフール、入学式、花見。四月に行われるさまざま様々なイベントをモチーフにしたデザインが床に散らばる。
おっとっと、と絵を拾い集めるマーゲイを手伝おうとしたのだが、たまたま手に取った入学式のイラストが可愛らしくて、ついついじっくりと眺めてしまった。桜並木の下に、ランドセルを背負ったフレンズたちがデフォルメされて描かれていた。
「あら、それが気に入ったの」
細かいところまでまじまじと見つめていたので、その間にマーゲイが他の紙を全て拾っていた。
「あっ、すみません、つい。可愛い絵だな、と思ってじっくり見てしまいました」
「そうか」
マーゲイは少し頬を緩めて笑うと、パンと手を叩いて「よし決定だな」と呟いた。
「来月のデザインはこの絵をベースにするわ、ありがとうね」
「えっ?」
「どの案も良い感じで、なかなか選べなくて困っていたんだよ。貴重なお客様の意見だ、参考にさせてもらったよ」
「いや、そんな……」
たまたま手元にあった絵だったからじっくりと眺めただけなんだけどな、と思うのだが、実際他のデザイン案よりも何となく惹かれるところがあったから、もし投票で選ぶときに票を入れるとしたら確かにこれだろう。しかし、偶然立ち寄っただけの客が気に入ったものに決定してしまっていいのだろうか、という気持ちが拭えない。マーゲイは満足そうな表情をしているが。
「この絵、あの子が描いたんだ。可愛い絵を描かせたらうちの店じゃ一番だ。私も負けていられないと思うけどね」
親指をクイッと向けた先には、今日この店に来た目的でもある、彼女が立っていた。いつの間にか店の奥から出てきていたようだ。
「私の描いたやつを熱心に見てるから、ちょっと恥ずかしかったですよ」
なんて言って目を細めて照れ笑いをするリカオンを見てしまったら、なんというか、その、一瞬息が詰まってしまって、何か上手いこと言葉を返すべきなんだろうけど頭も回らず、ははは、と照れ笑いで返すことしかできなかった。
「でも、ありがとうございます。私の絵を気に入ってくれて」
いや、そんな礼を言われるようなことはしてないよ、なんて口にするのは野暮だし、曖昧に頷きと首振りを足して二で割ったように首をすぼめるだけの僕。どうしよう、何か言わなきゃ、言いたいことがあるはずなのに、台詞が浮かばない。
「そういえば、注文はいいのか?」
「いえ、あ、はい、そうでした、買います」
マーゲイに指摘されて、やっと動き出す。何買いますか〜、と言いながらカウンター裏へ戻っていくリカオン、参ったな、このぐるぐるとした感情をどうにかしようと思って来たのに、結局この間と同じじゃないか。
とにかく何か頼まなきゃ、シュークリームが一番安そうだし、これで。
「シュークリームをひとつ」
「保冷剤は要りますか?」
「いえ、要らないです」
違う、もっと、言わなきゃいけないことがある気がする。
「この間渡したスタンプカードって持ってますか?」
「はい」
僕の言葉が頭に浮かんだのだから、ちゃんと自分の思ったことも伝えないと。
「あの、好きです」
「え?」
「あなたの描いた絵、すごく好きです。雰囲気とか、細かいところの描き込みも。可愛らしくて」
束の間の静寂。
すぐにリカオンが噴き出した。
「ふふっ、それを言うのに緊張してたんですか?何言われるんだろうって身構えちゃった」
「あっ、すみません……。思ったこと言うのが苦手で……」
元々得意なことではないのだけれど、彼女を前にするといつも以上に調子が狂ってしまう。どうもしっくりくる理由も思いつかないが、そのうち慣れるだろう、と敢えて割り切っていくことにしようか。
「でも、そういう言葉をもらうと嬉しいから大丈夫。創作意欲に火がついた、ってね」
「次は負けないわよ」
ちょっと悔しそうなマーゲイである。
「今度また来ます。店の飾り付け、楽しみにしてます」
今度ははっきりと言えた。
「またのご来店お待ちしてます!」
結局、彼女に会ったからといって何か分かる訳でも何が変わる訳でもなかった。普段は隠している自己が引っ張り出されるせいで言葉が出なくなるのが再確認されただけなのに、妙に晴れやかな気分なのはどうしてなんだろうと思った。
そのあと、約束通りまたケーキ屋を訪ね、相変わらずリカオンの前でどもりながら応対して、名前も覚えてもらって、マーゲイにからかわれ、でも少しずつ慣れていって、ということを繰り返していった。そのおかげで、通い始めてから一ヶ月、大した時間も経っていないはずなのに常連扱いされるようになってしまった。
「どうしたんですか?何か思い出してるような顔をして」
「いや、ここ一ヶ月のことを思い出して。すっかり常連になってしまったなあ、と」
「また何か悩んでるのかと思いましたよ。自分のこととなるとすぐ押し黙るから」
痛い所を突かれる。
「すみません、つい……。まあ悩んでるのは事実だけど、自分のことではないです」
そう、飼育員レイの態度と言葉に引っかかって、考えながら歩いていたら無意識にここへたどり着いた(というか帰り道の途中なのでここで立ち止まっただけではあるが)。気分転換がてらリカオンと話すことで何かヒントを得られないかと実は深層心理で思っていたのかもしれない。
「良かったら、話聞かせてもらえませんか?私、けっこう口は堅いですよ。他言無用と言うなら、
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、さあ悩みを話せ、と来た。この顔で迫られると、人(フレンズ)の色恋沙汰も絡むというのについつい相談したくなってしまう。
「……そうですね、長くなるかもしれないので保冷剤を一つ」
なお、ここ「じゃぱりケーキ」の看板娘はパーク内の人間関係ならぬフレンズ関係の情報を司る情報屋である、という噂が流れているのを知るのは、随分あとのことになる。
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