第8話 人称と微笑
消極的で悲観的な性格に育ってしまったのは何故だろう、とこれまでの人生を思い返してみても、特に大きなターニングポイントとなる出来事もないのできっとこれは生来のものなのだろうと捉えていた。そして、何かを考えているときや行動を見直すときは、客観的に、というのは流石に限度があるから、せめて主観的にならないように受け取るようにしていた。
そうやって生きてきた。
主観が入ってしまうと、正しさが保証されないような気がするから。いつも以上に悲観的になってしまうから。自信が無くなってしまうから。
それなのに、久し振りに、柄にも無く、「僕」なんて出てきてしまった。脳内に久方振りにやってきた言葉に処理が追いつかなくて、ちょうど、長らく会っていなかった知人が誰だか認識できないような感覚が続いていた。
そして、何故「僕」が飛び出てきたのかと言えば、いま目の前にいるこの子のせいだったっけ、とぼんやりしている脳の残りの部分で考える。
「……ー。あのー。ご注文、ですよね?」
「あっ、はい。はい、そうです」
意識が現実に帰ってきた。朦朧としていた間、ずっと待たせてしまっていたようだ。
改めて、彼女の容姿を眺める。まず目につくのは丸みを帯びた大きな黒い耳。そして全体的には灰色で毛先の黒いショートヘアは、一部が横に跳ねている。白いシャツにリボンの蝶ネクタイを付けていて、迷彩柄のシャツも重ね着しているようだ。タイツも同じ迷彩柄か。尻尾もそこそこ大きい。
胸元には名札があってそこには先ほど呼ばれていた名前が書かれている。
「リカオン……」
「はい!リカオンです。サバンナとか草原に棲んでるイヌ科のけもので、こう見えても狩りの成功率は高いんですよ!」
目の前の客が自身のことについてあまり知らず、興味津々になっていることを察したのか、咄嗟に自己紹介ならぬ自己解説をしてくれた。流石、超大型動物園ジャパリパークで接客業をしているだけある。
「あっちはマーゲイ。木登りが得意なネコ科のフレンズで、この店では私の先輩にあたります。ちょっと今は考えごとをしていて手が離せないみたいだけど」
マーゲイは、まだ店の装飾を弄りながら悪戦苦闘している。「どうすれば……カップルが……」と何かうわ言を呟いているが、リカオンの表情を見るに特別珍しいことでもないのだろう。
「マーゲイがああなるのはいつものことだから、お構いなく。それで、ケーキを頼みたいんじゃなかったんですか?」
「あっ、そうでした、そうでした。お待たせしてしまいすみません。ジャパリケーキオリジナルをひとつ下さい」
「オリジナルおひとつですね。大丈夫ですよ、どうせこの時間帯は暇ですから。そういえばお客さん、もしかしてジャパリパークは初めてですか?」
ケーキをトングで取り出して、箱に詰めながらリカオンが尋ねてくる。わかりやすい反応をしていたか、彼女が鋭いか。たぶん前者だ。
「ええ、実は今日来たばかりなんです。でも、これからはパークで働く感じで」
「そうなんですか。ここでの新生活、頑張って下さいね」
そう言って満面の笑みを浮かべてケーキの入った箱を手渡されたら、僕に限らず誰だって頑張れるような気がする。今度は先ほどのように意識が吹っ飛ぶこともなかったので。ちゃんと財布を出して会計する。
「スタンプカード、無料でお作りできちゃうんで作っちゃいますね。あと新生活祝いってことで、特別にスタンプ2個押しちゃいます。また来てくださいね」
「ありがとうございます」
店を出るとき、何気に中を見たら、まだうんうん唸っているマーゲイと、僕に手を振って「ありがとうございました〜」と言っているリカオンが目に入って、家までの帰り道で、スタンプカードも貰ってしまって、看板娘がいて、これの一体どこに通わない理由があるのだろうか、と僕にしては珍しく饒舌に積極的なことを考えていたのだが、
ん?また「僕」が出てきた?いや、もっと前から漏れていたか?あれ?
いつもは脳内でも封印している主観的な一人称がやけに登場するようになって、普段と違う思考回路にちょっと混乱してきた。
どうしてこんなに調子が狂うんだろう。これはきっとあの子の、そう、リカオンのせいだ。
また会いに行って、本当に彼女のせいなのか確かめなければならない、そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます