第5話 好走の郊狼
事務的な話が全て終わる頃には夕方になってしまっていた。もっとも、学生の教育を第一に考えなければならない仕事なのだから、その為に時間を割くことに不満は無い。
先程キャンパスを案内すると言っていたカコさんだったが、時間も時間なので代表的な施設の紹介だけにするということになった。まだ大学そのものは始まっていないものの、一部施設は試験運用も兼ねて開放されているということらしい。百聞は一見に如かずということで、荷物を纏めて会議室からビルの一階へ向かう。
一階のエントランスは吹き抜けの広々としたホールになっていて所々に椅子やテーブルが設置されている。飲食可能でコンセント使用可能、学内Wi-Fi接続良好であるため、学生が集まって駄弁ったり昼寝したりゲームしたりするには格好の場所である。勿論勉強にも適しているだろうが。
エントランスを通り過ぎると学食や購買がある。カコさんの説明によると、フレンズ各個体向けに栄養のある食事を提供できるような態勢が整っていて、パーク内の農家や食品業者を始めとして、飼育員、獣医、管理栄養士、カコさん本人を含むアニマルガール研究員と連携を組んでいるそうだ。お陰様で味の方はヒトにとっても素晴らしい出来なのだが、普通の学食と比べて二回りほどお値段が高い。大学生協加入で割引されるので、学生(と教職員)の財布には辛うじて優しいけれども、学外の人間が訪れた際には文句を言われそうではある。ちなみにフレンズは特定のICカードを使用すれば一定量が無料で食べられるらしい。健康管理の為とはいえ羨ましい。
今日はもう既に営業時間外の学食のメニューを見ていたら空腹を感じ、そういえばフェリーで昼食を取ってから何も食べていないのを思い出した。
「カコさん、この辺りで晩御飯を調達できる場所ってあります?」
「そうですね……、キャンパス周辺ということもあって、弁当屋やコンビニが多いかと……。これから、もっとお店が増えていくと、思います」
「なるほど、見学が終わったらその辺で買ってみます」
ビルの正面から出ると、さっき通った正門があり、真っ直ぐな並木道がよく見渡せる。道の両脇に講堂が並んでいて、それぞれ農学部と理学部の講義が中心に行われるらしい。講堂の横を抜けると、建物の奥にグラウンドやテニスコートが見える。手前の建物は学生会館で、今後増えていくであろうサークルの部室が置かれる予定だという。
グラウンドの方へ近づくと、フレンズが一人物凄い速度で走っているのが見えた。先程、空を飛ぶ海鳥のフレンズを見た時とはまた別の驚きを感じて、呆然とする。
「アニマルガールの身体能力ってあんなに凄いんですか……。噂には聞いていましたが、実際に目の当たりにするととんでもないですね」
「ええ、私も始めて見た時は驚きました。でも、これから一緒に生活していくうちに、慣れていきますよ」
研究する上では慣れすぎるのも良くないが、という旨の言葉をぼそぼそと呟く彼女を見て、真面目に向き合っているなあ、と研究者として当たり前の事を考えていたら、赤土の上を全力疾走していたアニマルガールがこっちにやって来た。
「ああ、カコさん、こんちわ。隣の方は見かけない顔だね……」
カコさんを見つけて走ってきたようだが、見知らぬ人間の存在に気づいてこちらに顔を向けてきた。
健康的な色黒の肌に、かなり明るめの茶髪。ミニスカートにヘソ出しと、長いこと大学の工学部棟に篭っていた身にとっては縁も所縁もない存在である。
「自己紹介しとくと、アタシはコヨーテ。歌うのと走るのと吠えるのが好きなんで、そこんとこよろしく。あんたは?」
「初めまして、カゴセと言います。今度からここの大学で教員をする者です」
「ふーん、カゴセさん……。なんか呼びづらいな。多分あれだろ、ヒトの名前の前についてる苗字ってやつだろ、カゴセって。名前も聞いていい?」
「ヨウ、です。カゴセ ヨウ。漢字は……」
「いいよ、どうせ分かんないし。あんたはヨウさん。大学の先生ならヨウ先生、かな?よろしくね、ヨウ先生」
初対面からぞんざいな口調で強引に呼び名を決められてしまったが、不思議とあまり悪い気はしない。今までは伝聞の世界の存在に過ぎなかったフレンズと実際に会話している、という事への興奮からだろうか。折角だし、もう少し話してみよう。
「コヨーテさんも春からここに入学するんですか」
「いやいや、アタシは大学には行かないよ。ベンキョーしたいとは思わなかったからね。飼育員さんに頼んでここのグラウンドを使わせてもらって、思いっきり走ってただけさ」
どうやら学生にはならないらしい。初めてできたフレンズの知り合いなので少し残念である。そう考えていたら何故かコヨーテも困り顔をし始めた。
「でも確かにな、今はまだ誰もいないからいいけど、大学が始まったら学生でもないアタシがグラウンド使ってたら迷惑になるよな……。すまん、ヨウ先生」
どうやら、"学生の知り合いができなかった"という残念な表情の意味を"学生でもないやつが施設を使っていて困る"という事だと勘違いしたのかもしれない。
「大丈夫、コヨーテ。別に、ここの学生じゃなくても、使ってもらって全く構わない」
「ホント?いいのカコさん?」
「勿論、授業や部活動の迷惑にならなければ、ではあるけれど。フレンズの運動能力の研究をする上で、日頃から色んなフレンズに運動場を使って貰った方が、都合が良い」
カコさんの言葉を聞いて安心したのか、目を輝かせながら尻尾を振っている。
「よかったあ。この辺りで走れる場所あんまり無いからさ。ありがとうカコさん。ヨウ先生も、また会うかもしんないね、そん時はまたよろしく。じゃ、もうひとっ走りしてくるから」
そう言い残して、コヨーテはまた走りに行ってしまった。
「あっ、行っちゃった……。勘違いさせちゃって申し訳なかったなあ」
「私は、この大学の施設は、ある程度公共施設みたいな感じにしたい、と思っているんですけど、まだ敷居が高いというか、馴染むまでは時間が掛かりそうで……」
つまり図書館や体育館、コンピュータ棟などを一般向けにも開放したい、ということなのだろう。長いことキャンパスに入り浸っていたので忘れがちだが、確かに大学という場所は一般的に縁のない場所として見られるかもしれない。しかし、ここなら公園のような雰囲気もあるし、憩いの場になり得るかもしれない。
「大丈夫じゃないですか?これだけ緑が多いキャンパスなら人が集まりますよ。母校にも犬の散歩をしている人とかいましたし」
「散歩……。散歩か、良いですね、それ。キャンパス散歩会。そのアイデア貰っても……?」
「え?あ、はい?どうぞ」
「それこそ、今日の見学のようにルートを組んで、フレンズと交流しつつ……。後でミライちゃんに連絡しておくか……」
何となく適当に相槌を打ったつもりだったのだが、勝手にアイデアとして解釈されて採用されてしまった。まあ向こうが良いのなら構わないが。
気を取り直して、何かブツブツと呟いてアイデアをさらに深めるカコさんと一緒に他の施設も回ることにした。
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