第48話 ある女の末路

────アリス・ウェストブラッドは生まれついた時から、他人と違う価値観を持っていた。

 彼女にとって有機物も無機物も関係なく『モノ』であり、それらを破壊するのが彼女にはたまらない悦楽を得られたのだ。

 故に、彼女が大事に扱っていたぬいぐるみも、いつも森で見かけていた子うさぎも、そして自分の両親ですらも。アリスの『モノ』であり、いつ壊してしまおうか楽しみに待つ日々を物心が付いた時からじっと狙っていたのだ。

 だが、ある日のことである。


「わたし、セレスティア。セレスティア・ヴァレンタインっていうの。よろしくね」


 そう言って手を差し出してくる幼い少女。

 きらきらと白い髪が煌き、爛々と空色の瞳を輝かせるその姿にアリスは見惚れていた。

 初めて心から綺麗だと思った。美しいと思った。壊したくないと思ってしまった。


 ────セレスティア・ヴァレンタインの全てが欲しくなった。


 幼い二人は握手を交わしながら出会いを喜び合う。

 ただ一人、アリスは稚拙な欲望を抱えながら。

 その邪な想いは純粋な笑顔に隠されて、誰も気付けなかった。






※※※※






「好きです」


 12歳。

 ついにアリスは勇気を振り絞ってセラに告白をした。


「えっ…………と。ど、どどどどどういう意味!?」


 アリスにの言葉を聞いて思考が停止し、数秒考えた後状況を理解したセラが顔を赤らめて動揺する。

  ……女の子が女の子に告白をするだなんておかしい、だとアリスも自覚はしている。

 普通、人間が好意を抱くのは異性であり同性と恋仲になることなど『普通』などではない。それは己の『欲望』も同じ。

 だが、同時にアリスは確信していた。

 ────きっと、セラなら許してくれるだろう、と。


「…………うん、いいよ」


 とうとう折れてしまったのか、セラは許してくれた。

 そう。アリスがどんなわがままを言ってもセラは許してくれるのだ。

 セラもアリスのことが好きなのだから。セラはアリスの『モノ』なのだから。

 後にセラとアリスの関係性を大きく変えるこの出来事が、アリスの内面を大きく歪めてしまった。

 全部たまたまセラがアリスを好きになっただけなのに。アリスは、セラが己の全てを受け入れてくれると、そして己の『モノ』であると思い込むようになってしまったのだ。


「……どうしたの?」


「ううん、本当にありがとうって」


「気にしなくてもいいよ。多分、普段通りに接しても大丈夫だと思うよ。特別な関係になっただけ」


「……っ、そういうこと平気で言っちゃうもんねえセラは。でもそんな優しい所が好き」


「アリスだって優しいじゃん」


「にひひ、どうかなあ。あたし、本当は悪い子かも知れないよ?」


 ────そう、あたしは悪い子。

『モノ』を壊すのが大好きな悪い子。しかし、それはいけないことだと成長していく内に彼女は学んでいった。

 だが、それでも時折己のどす黒い衝動に飲み込まれそうになる。セラを大事にしたくて、でもその全てを奪って壊してやりたい。

 その胸の想いを隠して。


「行こう、セラ」


「うん!」


 何も知らないセラに笑顔を向けるのであった。






※※※※






 それからセラと別れ、自室にたどり着いた時のことである。


「随分とおアツイようですね~?」


「えっ!? 誰!?」


 背後から少女の声が聞こえ、驚いたアリスが振り返る。

 そこには燃えるような赤い髪に血のように赤黒い瞳の少女が立っていた。

 突如音もなく出現した少女の姿にアリスは驚きのあまり足腰を抜かしてしまう。

 そんな様子を見た少女はけらけらと笑い、おどけてみせた。


「どーも。咲良といいます。この世界の神様です」


「はぁ……?」


 少女の現実味を帯びていない言葉に困惑するアリス。

 その様子に咲良と名乗った少女はさも当然だとでも言うように頷く。

 アリスのベッドに勝手に座ったかと思えばくるくると自分の髪を弄りながら語りかけてくる。


「実は協力相手を募集中でさー。見事応募してくれたら特別な力をあげようと思っていて」


「協力……? 特別な力……?」


「そ。協力ってのはこの咲良の言うことを聞いていればいいだけ。特別な力っていうのは、そうだねぇ……。例えばセレスティア・ヴァレンタインを好きにできるとか?」


「!?」


『恋人』の名前が咲良の口から飛び出てアリスの鼓動が跳ね上がる。

 何故、出会ったこともないはずの彼女がセラの名前を知っている。

 警戒しながらアリスは咲良に尋ねる。


「……どういうつもり?」


「どういうつもりも何も協力者が欲しいだけだよぅ。それにアンタはセラを欲しいがままにできるんだし利害は一致しているんじゃない?」


「……っ」


 セラを欲しいがままにできる。

 その言葉にぐら、とアリスは心が揺らぐのを感じる。

 確かに欲しい。いっそのことを、思いのままに彼女を壊してしまいたい。

 だけど、それはいけないことだ。人間は道徳的に生きなければいけない。例え、それが自分を押し殺すことになったとしても。

 そう咲良に返そうとした時だった。

 いつの間にか咲良がアリスのすぐ隣に立っていた。

 そのまま耳元に唇を当て艶かしく熱い吐息を吐きながら囁く。


「ふふっ、大丈夫……。?」


「ぁ……」


 甘い誘惑。

 そうだ、さっきセラが証明してくれていたじゃないか。あたしの想いに応えてくれたじゃないか。

 ならば、このあたしの欲を受け止めてくれるかもしれない。

 そんな都合のいい風にアリスは解釈していく。己が抱くセラが歪んでいく。

 それを端から見つめている咲良が不敵に笑った。それこそが咲良の狙いだというのに、この女はなんと愚かなのだろうか。だからこそ、咲良は目を付けたのだが。


「まあ迷うならさ。手始めに邪魔だと思うやつから壊してみなよ」


 咲良はなおも囁いてくる。

 邪魔なもの。

 ────セラの大切な『モノ』を壊せれば、あたしだけを見てくれる。

 本気で、アリスはそんなことを考え始めていた。


「決まりだね✩ 時間はたっぷりあるからまずは力の使い方を練習しておきな」


 ぽん、とアリスの肩を叩いて跡形もなく咲良が消える。

 残されたアリスは一人不気味な笑みを浮かべていた。


「……うふふ」






※※※※






「ああ、ああ……ごめんなさい。ごめんなさい……」


 それから2年後。

 セラの両親を殺害し、その死体を見て半狂乱になったセラがアリスの元まで駆けてきた。

 そして真相をアリスは告げた。邪魔なものを消したのだ。きっとセラなら褒めてくれる。本気でそう信じて疑わなかった。アリスのまともな感性はとっくに壊されていた。

 だが真相を聞いた途端、セラはアリスに殺意を抱き首を絞め始めたのだ。窒息による死が迫り来る実感と恋人に殺される恐怖でアリスは咄嗟にセラに『暴発』を放ってしまった。

 その結果、セラの内側から爆発が起きて半身が吹き飛んでしまったのだ。 

 内蔵を撒き散らし見るに堪えない姿になったセラを見てアリスは泣き続ける。


「ごめんなさい、そんなつもりはなかったの……。ああ、ああ、許して……」


 全ては自分のせい。

 だがアリスはそんなことに気付かずすすり泣く。ふと、そこでアリスは妙な違和感を覚えた。

 瞳を覆っていた掌を降ろすと、目の前にいたはずのセラの姿がなかった。


「っ!? セラ?」


 血痕しか残っておらずパニックになったアリスは何度もセラの名前を呼ぶ。だが、そこでアリスは事態を把握してしまった。

 何故、咲良はセラの名前を知っていたのか。どうして彼女に最も距離が近いであろうアリスに接触してきたのか。

 全ては、セラを手中に収めるためだったのだ。


「……ふざけるな」


 ふつふつ、とアリスの中で怒りが込み上げる。

 セラを奪われた。自分の『モノ』を取られた。

 きっと、咲良はセラを不死者にするのだろう。そうすれば確かにセラは助かる。だが同時に彼女に狂気を宿させてしまう。

 つまり。

 本来アリスが壊すべきだったはずの『モノ』が咲良の手によって壊されてしまうのだ。


「ふざけるな!! 壊す、壊してやる! まずは咲良からだ。お前の心を徹底的に壊してから殺してやるッ!!」


 誰もいなくなった部屋でアリスは決意を高める。

 アイデンティティを奪うというのなら、相応の報復を与えてやろう。あの女に一矢報いる。徹底的に精神に傷を負わす。壊す。

 そうして嬲りつけてから殺すのだ。


「待っててね、セラ」


 おもむろにアリスは立ち上がり、棚の隅に置かれていたぬいぐるみを抱える。

 何度も自分の欲求のはけ口にされツギハギだらけになってしまったぬいぐるみ。きっと、この子があたしを守ってくれるだろう。

 そんな歪んだ想いを抱きアリスは狂った笑顔で呟いた。


「セラはあたしの『モノ』だから。必ず帰ってみせるよ」






※※※※ 






 だから。

 なのに。



 ……時は現在に戻り。

 荒廃した街の中でアリスは呆然と立ち尽くしていた。


「何、これ…………」


 視界に映るのは一面の死体。

 生きている人なんか存在しない。皆斬られた跡がありおびただしい量の血液を垂れ流して死んでいる。どこもかしこも血と死んだ人間の匂いで鼻が潰れそうだった。

 引き起こしたのは間違いなくセラだ。そのことにアリスは気がついているのに、心が全力で否定しようとする。

 だって、本当にそうだとするならば。

 セラは、アリスが手を下すまでもなく壊されてしまったということなのだから。

 そこまで思考して。

 


 すぱん、という音がした。

 アリスの四肢が切り落とされる音だった。



「────あ?」


 訳も分からずアリスは仰向けに倒れる。

 同時に斬られた断面からどっと血液が流れだしようやくアリスは痛みを覚えた。


「あっ、があああああああああああああああああああああああああ!!!???」


「やっほー。綺麗な青空が見えるねアリスちん」


 いつの間にか現れていた咲良がアリスの顔を覗き込む。

 激しい痛みと失血のショックで気絶しそうになりながらも持ちこたえ、歯軋りしながらアリスは咲良を睨み付ける。


「咲良ぁ……!!」


「おお、怖い怖い。何でそんなにワタシを恨むのかねぇ」


「お前はっ、お前だけは許さない! セラを、セラを返せ!!」


「あのさ」


 アリスの言葉を遮り、無表情で咲良はアリスに話しかける。


「アンタは一つだけ勘違いしている。どうもこの咲良を精神的に痛み付けることに執着しているみたいだし、この咲良の『計画』を阻止して殺せれば悔しがるとでも思ったのかなぁ?」


「どういう、意味……!」


「あのね。そもそもワタシの『計画』はワタシが死ぬこと。ぶっちゃけ大いにありがたいのよ」


「は……?」


 アリスは信じられない、というより理解することを拒んだような表情を浮かべる。

 その様子に咲良は満足げに頷く。


「確かにワタシは世界を滅ぼすことを優先に活動していたよ。でもさ。冷静に考えてみなよ。ワタシだよ? 普通に考えてわざわざ不死者を育てなくても自力で世界を滅ぼすことぐらい造作もないでしょ。何でこんな回りくどい方法を実行しているのだと思う?」


「あ、ぁ……」


「世界を滅ぼしたのは。それが世界に対する最も悪趣味な復讐に決まっているからでしょ。ワタシみたいに存在自体が禁忌で生まれつき人間と違う価値観の生き物が滅ぼすんじゃない。アンタたちみたいに赤ちゃんから生まれて、普通の人間と同じ教育を受けて同じ考え持ってひとりの人間を愛して……。そんな当たり障りない女の子が世界を滅ぼす。最高のシナリオでしょ?」


「ああああああああああああああああああ!!!!」


 その生贄がセラ。

 つまり、アリスは初めからセラを育て上げるために用意された駒でしかならず。

 己の計画も努力も、全て咲良を喜ばせる行為に過ぎなかったのだ。

 何と無意味で愚かな足掻きだったのだろう。

 そんな絶望の涙を流すアリスに。

 咲良は優しく頬に触れる。


「ふふっ、残念でしたぁ~✩ アンタはここで終わる。セラの顔を一目見ることもなく無様にかつ一瞬で命を散らすの」


「ふざけるなっ、セラは、セラはっ、あたしが守る、守って壊してやるんだ。そうだよ、セラはいつもあたしを選んでくれる。だから、邪魔をするなぁ!」


「……はぁ」


 アリスの戯言に思わず咲良は額を抑えてため息をついてしまう。

 この女は未だにセラに愛されていると本気で信じているのだ。何とも浅ましく、愚かで身勝手で汚い欲望なのだろうか。

 ────こんな奴に咲良を奪われたのだと思うと反吐が出る。

 だから、感情任せの言葉だとしても。

 咲良は、否アーテーは口に出してしまっていた。


「アンタさ。本気でキモいよ」


 直後、アーテーはどこからともなく杭を出現させ、アリスの額を脳髄ごと貫いた。

 ようやく黙ったアリスを一目見て「ふう」とアーテーは息を吐く。


「あー、すっきりしたー」


 動かなくなったアリスの遺体を蹴飛ばしアーテーは立ち上がる。

 空は、驚く程に澄んだ青色をしていた。

 その色がセラの瞳の色と重なる。


「ふふっ、待っててねセラちゃん。存分に殺し合って愛し合いましょう?」


 赤黒い瞳を爛々と輝かせ。

 咲良はその場を立ち去った。



 

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