第47話 『復讐鬼』ヘイゼル・ラドフォード
────あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
1日? 1週間? 1ヶ月? 1年?
何かを忘れている気がする。何かが。
無人の街並みを歩きながらセラは思考する。
「生きなくちゃ……」
ふらふらと。
前後左右に体を揺らしセラはぽつりと呟く。
その足取りはおぼつかず、瞳の焦点も定まっていない。まるでゼンマイが壊れたおもちゃのよう。否、今のセラは文字通り『壊れて』いていつ事切れてもおかしくなかった。
感情はとっくに消失していた。もはや殺人で得られる快楽すら忘れてしまい、ただ機械的に殺すようになっていった。
自分の名前も忘れてしまっていた。誰かが彼女の名前を呼んだとしてもそれが己のことだと気付くことはないだろう。彼女が返す反応は刀を突き立てるだけだ。
思い出もなくなってしまった。自分がどのように生まれ育ち、誰と関わってきたのか彼女にはもう分からない。ただ、大切な何かを忘れていることだけは忘れずにいられた。
大切な何か。
「約束、したんだ……。生きないと。殺さないと」
誰に言うわけでもなくセラは独り言を続ける。
せめて大切な『何か』を忘れないように。
────目的さえ見失ってしまったら本当に終わってしまうから。
「生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと。生きないと。殺さないと」
何度も何度も。
セラは言葉を反芻し続けて。
ふと、その歩みを止める。
前方に一つの人影。黒いコートを着た金髪に鳶色の瞳の少女。
彼女もまたふらふらとした足取りでこちらに向かってきている。
だがセラと違うのはその瞳。
憎悪に満ちた強い視線。
「…………殺す」
ふと、前方の少女が口を開く。
両手から炎を発現させ怒りに身を震わせながら『復讐鬼』はセラに近づく。
セラもまた刀を鞘から引き抜き戦闘態勢を取る。
────この少女が何者であったかセラは一切覚えていない。だが、彼女は自分と同じ不死者、つまり倒すべき敵であることはすぐに認知できた。
少女はセラを殺すと言った。だがそれはセラにとっても同じ。決して相容れない存在。
だから。
「あなたをここで殺します」
セラはそう告げて。
少女に向かって刀を振り下ろした。
※※※※
────憎い。
────憎い憎い。
────憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!
自らをも焼き尽くすような憎悪に満ちた声をヘイゼルは心の中で叫ぶ。
彼女の『権能』である『業火』。ヘイゼルの憎悪に呼応するように彼女が纏う炎も広がりを見せ、周囲に焼死体を作り上げていく。
最早今の彼女には憎しみしかない。それ以外の感情は当の昔に消失した。『臨界点』の突破、それに伴って彼女は復讐心以外の全てを文字通り捨てたのだ。本来は家族を殺された恨みから始まったはずなのにその家族すら忘れ去ってしまった。それどころかヘイゼルはもう自分の名前すら思い出せなくなっていた。
しかし、ただ一つ絶対に忘れることのできない名前が彼女の胸に刻まれている。
「セシリア・ウェイトリー…………!」
今はもうこの世にいない『狂信者』の名前を憎悪を込めてヘイゼルは呟く。
その名を口に出すだけで彼女の顔を、声を、匂いを、温もりを思い出せる。彼女の一つ一つを想起すれば胸の内に熱い炎が宿り、彼女の心を焦がしていく。本来ならばそれらは『愛』と呼ばれる感情を憎しみに塗り替えて彼女の存在を強く刻んでいく。
セシリアはとうに死んでいる。故にこの復讐に意味はない。それを自覚していながらもヘイゼルは歩みを止めることはない。
セシリアが死んでいても彼女を殺す。矛盾した理論は自覚しているがそうでもしないと、己の憎悪に精神が焼き尽かれてしまいそうだった。
そして、目の前には白い髪に濁った空色の瞳を持つ少女。
全身を返り血で染め刀を携えたその姿を一目見て、ヘイゼルは確信する。
────セシリア・ウェイトリーを殺したその人なのだと。
「…………殺す」
一言。
ヘイゼルは告げて炎に包まれた右手を上げる。
全身が煮えたぎるように熱い。その熱気に眼球が焼かれて視界すら歪んでいく。それも構わずヘイゼルは高ぶる感情と共にセラに向かって咆哮を上げる。
「殺すッ!!」
だが同時にセラも動き出していた。
刀を振り下ろし今まさに彼女の首を絞め上げようとしていた右手首が切り落とされる。
断面からおびただしい量の血が流れ、右腕は空を切る。しかし、ヘイゼルが苦痛に呻く様子はない。
彼女もまた、『臨界点』の突破によって痛覚を失ってしまっているのだ。
空いた左手でセラの右肩を掴みそのまま地面に共倒れする。
いつの間にか再生していた右手でセラの刀身を掴み、左手でセラの首を絞め始めた。
「はぁ……はぁっ……! お前の、せいでっ、セシリアが……セシリアがっ、ぁぁぁぁあああああああああ!!」
突如、激しい頭痛に襲われヘイゼルはこめかみを抑えて苦しみ出す。
その隙にヘイゼルの掌を裂くようにセラは刀を引き抜き、今度は胸を一突きして姿勢を入れ替える。
そのままヘイゼルの上に跨り、刀を両手で強く押さえて地面に縫い止めた。
体を押さえつけられたまま、ヘイゼルは苦痛に呻きながらもセラを睨み付ける。
「ゆるさ、ない……っ! お前のせいで、私はっ、セシリアはっ、ぐぅう、殺すっ、殺してやる!! 絶対にぃぃぃ、がぁああああ!? ゆるっ、ゆるさっ、ない!!!!」
『臨界点』を突破してもなお増幅し続ける憎しみ。
復讐する相手であったセシリアを殺した、ともすれば最も憎むべきであろう相手に出会ってしまったことでとうとうヘイゼルの感情が許容量を超え始めたのだ。
すなわち、狂気によって自らの精神が食い破られようとしている。
その証拠にヘイゼルの瞳は真っ赤に充血し、血涙すら流れ出しているように見える。心臓の鼓動はありえないほどに早まり、全身からはとめどなく汗が滴り落ちる。
相手を憎むほどに文字通り寿命が縮まっていく。そんな状態に陥ってるのにも関わらずヘイゼルは震える手を伸ばし、セラの首を握り締める。
「く、そぉ……。ころす、ころすっ、ころしてやる!! くひっ、憎い。お前が、憎いんですよぉ! くひっ、くひひひひひ!!」
セラの首を絞めながら怨嗟の声を上げるヘイゼルに奇怪な音が混じり始める。喉を鳴らし、ヘイゼルは憎いはずの彼女の笑い声を上げていた。
「ねぇ、分かりますか!? くひっ、ずっとずっと、あの時から!! あいつに会った時から!! くひひひひひっ、セシリアの笑い声が頭から離れないんですよぉ、くひっくひひひひひひひひ!!!!」
「…………」
いよいよ本格的に様子がおかしくなり始めたヘイゼルをセラは無言で見つめ返す。
ひたすら刀を何度も心臓に突き立て、彼女の命を無感情に奪おうとする。
「まるでっ、まるでセシリアが私の中にずっと住み着いているように! くひひ、笑いかけてくるんです話しかけてくるんです見つめてくるんですよくひひひひひひ!! ああ、憎い。憎い! 憎いのに許せないのに殺したいのに何で、何でっ、お前はセシリアを殺したんだッ!!!!」
歪な笑みを浮かべて怒りに声を荒らげて、悲しみに涙を流して。
ヘイゼルはセラに問い詰める。
そして、ようやくセラは口を開いた。
「…………セシリアって誰?」
「────な、に?」
信じられないといった表情でヘイゼルはセラを見つめ返す。
だがセラは首を傾げ、もう一声ヘイゼルに答えを返す。
「あなたのことも知らないし。さっきからさっぱり何言ってるか分からない」
「お、ま…………え…………」
わなわなと唇を震わせ、瞳を見開かせて。
直後に、ヘイゼルの感情が爆発した。
「お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
ぷちり、と頭の中で何かが千切れる音がした。
否、それは眼球の神経が引き裂かれる音だった。
視界が暗闇に染まる。あれほど憎かった彼女の顔が見えなくなる。
ぱぁんと何かが弾ける音がした。
否、それは鼓膜が破れる音だった。
自分の声すら耳に届かなくなる。あれほど憎かった彼女の笑い声が聞こえなくなる。
ごつん、と指が何かに当たる感触がした。
否、それは伸ばしていた腕が地面に倒れただけだった。あれほど憎かった彼女を殺すための力が失われていく。
それでも、彼女は鮮明にセシリア・ウェイトリーの顔を、声を、感触をしっかりと思い出せる。
憎い。憎い。憎い。憎い。くひひ。憎い。くひひ。憎い。憎い。くひひ。くひひ。くひひひひ────。
「くひひひひひひひひ」
ああ、まだ彼女の笑い声が聞こえる。何て憎いのだろうか。どうしようもなく憎い。くひひ。たまらなく憎い。くひひ。その憎悪を忘れない限り私は私でいられる。くひひ。私の名前すら思い出せなくても私は私。くひひ。私はセシリア・ウェイトリーただ一人の『復讐鬼』だ。くひひ。だから、この笑い声を止めるまで私は彼女を憎み続けよう。くひひひひひ。
その笑い声が自分の喉から発せられていることにすら気付かず、壊れた頭でヘイゼルは彼女を鮮明に思い描く。
────そして自分の死に気付くこともなく、ヘイゼルは笑いながらセシリアを憎み続けた。
※※※※
「ふぅ。これで最後、か」
復讐鬼のカードを燃やしながら咲良は一人呟く。
その表情は年相応な屈託のない笑みを浮かべていた。
「これでワタシも表舞台に上がる時が来た。もうすぐだよ、咲良」
おもむろに椅子から立ち上がり咲良はエルメラド国軍本部を立ち去る。
背後には多くの屍。
もう、この世界には3人しか残されていない。
「キミの望む世界を見せられなくてごめん。でも土産話はたっぷり持って行くからさ」
そして。
表情を消し、咲良は静かに告げた。
「……だから、まず最初にあいつを消さなきゃ」
※※※※
「生きない、と…………」
ぽつり、とセラは呟く。
ふらふらと無人の街を歩く。
どこを見回しても死体、死体、死体。生きている人間なんてどこにも見当たらない。
それもそうだ。
────この世界はたった数人の少女たちによって滅ぼされたのだから。
「…………あれ?」
そこで、セラは気付いてしまった。
この世界にはもう、命が残されていない。
だがセラは生きなくてはいけない。生きるためには殺さなくてはいけない。
しかし、誰を殺せばいいんだろう?
「…………………………………………ふふ」
ふと。
しばらく思考した後セラは笑みを浮かべた。
「殺そう。そうだ、殺せばいいんだ。殺す人がいなくても殺そう。殺そう。いーっぱい殺そう。世界が終わってもみんないなくなっても殺し続ければいいんだ。あはは、殺して殺して、殺し続けるの」
破綻した理論。
狂気に染まった思考をしながらセラはふらふらと歩き出す。
子供のような純粋な笑顔を浮かべてセラは楽しげに呟く。
「だって約束したもんね」
精神崩壊。発狂。廃人化。
きっと、今の彼女を見れば人々はそんな感想を口々に言うのだろう。
だが、あえて指すのであれば。
セレスティア・ヴァレンタインは。
────とうとう『臨界点』を突破した。
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