第39話 溶けていく自我
動かなくなったセシリアの胸から刀を引き抜き、軽く蹴飛ばして彼女が息絶えたことを確認する。
それから軽く、刀身に付着した血痕を振り払った。
「あの、先輩……」
背後でジリアンがおずおずと尋ねてくる。
わたしは振り返ることもなく、刀を鞘に収めながら一言だけ返す。
「どうしたの」
「ごめんなさい! 咄嗟にとはいえ、先輩の頭に銃弾を当ててしまって……。それに、先輩の首まで絞めてしまって」
「ああ、そのこと。いいよ、別にそれぐらい」
ジリアンがわたしの首を絞めてきたときは、一時は彼女が不死者になってしまったのかと思ってしまうほど豹変していたがどうやら咲良たちの手によって狂わされていたらしい。実際にわたしも幻覚を見ていたし。だから、そのことについては仕方ないことだと水に流すのが一番だ。
そしてジリアンがわたしに向かって撃ったこと。
そういえばミーナと戦った時、ジリアンはわたしの頭を撃てなかった。
元々彼女は実戦経験もない見習いの兵士で、感性も普通の少女そのものだ。だからあの時わたしの頼みを断ったのは今にして思えば当然の話だし、そのことは咎めてもいない。
だが、日も経っていないのに彼女は躊躇なくセシリアに向かって撃った。命の危機感を覚えたのか、咄嗟にわたしを守ろうとしての行動だったのか、あるいはほかの理由か。
しかし、彼女の行動に助けられたのは事実だ。おかげで不死者を全員殺すというわたしの目標にまた一つ近付けた。
だが楽観視している場合ではない。未だリコは咲良に捕らえられたままであり、彼女は危機的状況にあるのだ。一刻も早く彼女の元に辿り着いて咲良と凜華を殺さなければいけない。
「ジリアン。恐らくここから先は危険だと思うし、あなたは道を引き返してカレンさんたちと合流して」
「……っ、先輩待ってください!」
「心配しなくても大丈夫だよ。わたしは死なないし」
「違う、違うんです! あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて、さっきの話の続きでもあって……!」
「?」
てっきりジリアンがわたしの身を案じて引きとめようとしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
わたしに縋るように腕を強く引っ張る彼女が浮かべている表情は焦燥感と恐怖だった。
「これ以上もう戦わない方がいいですよ……、じゃないとっ、じゃないと先輩が!」
「さっきからどうしたの、ジリアン。やっぱり、カレンさんたちの元に向かって落ち着いた方が――――」
「自分の顔に気が付いてないんですか!?」
ジリアンに指摘され思わずわたしは頬に手を当てる。
わずかに頬が緩んでいて、口角がつり上がっていた。
「ずっと、ずっと笑っているんですよ。セシリアを殺した時から! こんなの先輩じゃないです、進んでしまったら元の先輩に戻れなくなっちゃいますよ!」
「ジリアン」
今にも泣きそうな声で訴えるジリアンを制し、宥めるように彼女の肩に手を添え、目を見つめて静かに答える。
だが、わたしの顔を見たジリアンの表情が恐怖一色に染まった。
「わたしは大丈夫だから。早く行って」
「あ……う、せん、ぱ、でも――――」
「行って」
「ひっ」
ぐっ、とジリアンの肩を掴む手に力が加わる。「行って」と言ったのはわたしなのに、彼女を離すまいと力を込めて掴む。
無意識にわたしの中でどす黒い衝動が渦巻き始めていた。セシリアを殺しても満たせなかった衝動が。
――――この子を殺してみたい。
恐怖に引きつるジリアンの声を無視して徐々に肩から首へと手を移していく。この子はとてもとても可愛くて。わたしの大好きな後輩だから。
「せんぱ、やめ……っ!?」
「ふふ」
涙を浮かべ抵抗しようとするジリアンの首にゆっくりと力を込めて、わたしは彼女の呼吸を塞ぎ始めた。
笑みが溢れる。後は彼女が死ぬまで気道を塞いでやればいい。わたしの手で、彼女が命を散らす姿をどうしても見たくなってしまった。
そう、わたしは『殺人鬼』。だから、あなたをここで――――。
――――セラは人殺しなんかじゃない!
「ぁ……」
突然、わたしの中でリコの声が響いてきた。
その声に一瞬、手が緩みそうになるもわたしは力を込め直して――――。
――――セラが道を間違えそうになったら私が正してあげる。
「あ、あぁ…………」
「がはっ! はぁ……はぁ……」
リコの言葉にわたしは我に返り、ぱっとジリアンの首から手を離す。
感情がぐちゃぐちゃになって、訳が分からないまま涙が溢れてきた。
――――そうだ、わたしは『殺人鬼』なんかじゃない! リコの恋人で、彼女を守るためにここまで来たんだ!
「う、ああ、リコ、リコぉ……」
「先輩、大丈夫ですか……?」
「ジリアン……。ごめん、早く行って。もう大丈夫、だから」
そのまま嗚咽をあげてしまいそうになったが、ジリアンの言葉で今置かれた状況を思い出し、何とか飲み込んで立ち上がる。
先ほど命を握られたせいかジリアンはわたしに近付くことはなかったが、それでもわたしの身を案じてくれていた。本当に優しい後輩だと思う。
「やっぱり、一人で行く。リコを絶対に助けないと」
「でもっ、やっぱり――――!」
「本当にもう大丈夫だから」
ジリアンの言葉を遮り、わたしは振り返る。
今の顔を見られたくなかったし、一刻も早くリコを助けなければいけなかったから。
「絶対にリコを助ける。それにわたしは殺人鬼にならない。だから、カレンさんたちの元に行ってあげて。必ず帰ってくるから」
「……っ、そこまで言うのなら。無茶だけは勘弁してくださいよ」
「大丈夫だよ」
背後で足音がする。
恐らく、ジリアンも振り返ったのだろう。優しい彼女のことだ。きっとわたしを止められなかったことを悔やんでいるのだろう。
だけど、止まるわけには行かない。もうこれ以上犠牲を出させない。もう自分自身を見失わせない。
あの夜の決意を思い出す。『生きる』という決意。リコの望み。それを叶えるために、わたしはここに来たのだから。
だから、ジリアンを安堵させるように。そして自分に言い聞かせるように。
わたしは応えた。
「わたしには、リコがいる」
そして、同時にわたしとジリアンは駆け出した。
一人、長い通路を走り続ける。
未だ感情が纏まっていない中、何とかわたしは思考を走らせる。
先ほどのリコの言葉には救われた。だから、彼女に感謝すべきなのに。そして彼女を助け出すべきなのに。
なのに、真っ先に出てくる思いは『早くリコに会いたい』だった。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!!」
一人になったことで感情の堰がとうとう外れてしまったのか。
喉が枯れそうなほどにわたしは叫び泣いた。
リコに一刻も早く会いたくて仕方がない。
彼女の姿を早く見たい。彼女の声を早く聴きたい。そんな想いが溢れ出して止まらなかった。
そのために、わたしは走り続けた。
※※※※
「カレンさんッ!!」
オリヴィアの悲痛な叫び声が響く。
ヒルドルの手によって、容赦なくカレンの頭が潰された。アイリスに続いて、あっさりと彼女が散る光景を見せつけられて、オリヴィアの心が絶望に染まっていく。
間もなく、自分も同じような末路を辿るのだろう。すぐそこに死が迫ってきているというのに、オリヴィアは恐怖を抱くことができなかった。すっかり感情が麻痺してしまっていたのだ。
「まったく、良い手合わせを願っていたというのに。つまらない結果になってしまって残念だ」
小さくヒルドルが呟く。それから倒れたカレンの姿に目をくれることもなく、オリヴィアの方へ足を踏み出した。
咄嗟にオリヴィアが銃を構えるも、心の奥底では「どうでもいい」と思ってしまっていた。きっと無駄な抵抗なのだろうと。一矢報いることなく、あっけなく自分は死んでしまうなのだろうと諦めてしまっていた。
だが。
ぴくり、とカレンの指が動いた。
「ふざけんじゃねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッッ!!!!!!」
「!?」
「カレンさんっ!?」
激昂するカレンの咆哮に、二人が驚いた声をあげる。
見れば潰れたはずのカレンの頭は元通りになっており、荒い息を吐きながら立ち上がっていた。
「馬鹿なっ、貴様は確かにあの場で死んだはず……!? まさか、貴様も不死者だとごふっ!?」
「ごちゃごちゃうるさいんですよ」
動揺した声を上げるヒルドルを容赦なくカレンが殴り飛ばす。
否、カレンだけではない。
彼女に見覚えのある面影が重なるのをオリヴィアは見た。
吹き飛ばされた彼女に追いつき、なおも
「ははっ、あはははぁ、これが暴力の『快楽』ですか! なんと、なんとっ、気持ちいいんでしょうか、ああ、最高だっ、なあ、早く死ねよ、お前の、お前らのせいでアイリスが死んだんですよ、くそ、気持ちいい、心地よい、ふふっ、あははははは!!」
カレンとエレナ。肉体の中に入り込んでいた二つの魂が溶け合い、自我が崩壊を起こしかけていた。もうどちらがどちらなのか分からないし、どちらがどちらにもなってしまっていた。
今の
咲良の命令により、『臨界点』を超えていたヒルドルには有効な手であったが、オリヴィアはその様子を直視することができなかった。自分の尊敬していた人が、ここまで壊れてしまった姿をもう見ていたくなかった。
「もっと、もっと『快楽』を私にください! 早く死ね、壊れろ、砕けろ、潰れなさい、さあ、さあっ!!」
「……っ、カレンさ」
「うるせえんだよ!!」
思わず
彼女の表情を見て、オリヴィアの目がはっと見開かれた。
そこにはもう、エレナの面影は消えていた。
ただ、涙を流して弱々しくしているカレンの姿しかなかった。
「私は、アイリスと一緒に上まで行きたかった。ただ強くなって頂点に上り詰めて、その光景をアイリスと一緒に見たかっただけだったんだ……」
「カレン、さん…………」
「でもな、約束はそれだけじゃないんだよ」
だが、それまで弱々しかったカレンの言葉に力が込み始めた。
彼女の瞳に光が強く宿る。
「
ぐっと、拳を握りカレンが立ち上がる。
静かに倒れたままのヒルドルを見据えて。
「ったく、アイリスのショックで危うくお前に体を奪われるところだったぜ。ああそうだよ、確かにアイリスへの悲しみを忘れるための都合のいい理由付けなのは否定しないよ。でもな、アイリスの分まで背負って生きていかなくちゃ、それこそあいつが可哀想になっちまうだろ」
きっと、この場にはいない誰かに向かって、カレンは一人呟き続ける。
それから拳を高く振り上げて。
はたと、カレンは気付いた。
目の前から、ヒルドルの姿が消失していた。
それどころか、この部屋のどこにもいなくなっていた。
「ははっ……」
乾いた笑い声を上げてカレンが倒れる。
「カレンさんっ!」
骨折した腕を抱えながらオリヴィアはカレンの元に駆け寄る。
片腕で頭を支えられながらカレンは小さく、悲しげな顔で呟いた。
「せめてもの悪あがきすら許してもらえないのかよ、『お母さん』とやら」
※※※※
「……完敗だね、ひーちゃん」
「けほっ、ごほっ、『母上様』……」
気が付いた時、ヒルドルの眼前には咲良が立っていた。
ガスマスクはすっかり砕け、赤い瞳と端正な顔立ちが顕になっていたが、その表情は恐怖に染まりきっていた。
「どうして……どうして、
「うーん、そうだねえ。『成功作』だよねぇ。やっぱり、愛の力には敵わないのかもねぇ」
「愛……。分からないです、
自身に理解できないその『愛』が、ヒルドルの体を震わせ心臓を高鳴らせていた。
誰が見ても、ヒルドルがその『愛』に恐怖を抱いているのは明らかであった。
だが、感情を知らないヒルドルは、それを自覚することができなかった。
その様子を見た咲良は愛おしげにヒルドルの髪を撫でる。
「そうだねぇ、分からないよねぇ。最強の『人形』が一時の感情を持った人間に負けるだなんて不可解だよねぇ。でもそれが、感情であり、人間の強さなんだよ。ひーちゃん」
「そんなこと、言われても……。やっぱり分からないです!」
「分からなくていいんだよ」
直後。
ぐじゅり、と肉が破ける音がした。
ヒルドルの目が見開かれる。
咲良の手には脈動する赤黒い塊が握られていた。
「もし、そんな感情を理解しちゃったらアンタも
ヒルドルの心臓を躊躇なく咲良は握り潰す。
それだけで、ヒルドルの命はあっけなく潰えてしまった。
――――実の所、ヒルドルは完全な不死者ではなかった。彼女が与えたのはただの怪力と高い再生能力のみ。
だから、心臓か脳。どちらかが機能停止すれば同時に生命も活動を停止する、それこそ人間と何ら変わらない身体機能しか与えられていなかったのだ。
「ホムンクルスの完成体はね、人間と同じ精神構造を持ってる『人形』を指すの」
動かなくなったヒルドルを見つめながら、咲良は小さく呟く。
「咲良は実験が全ての女の子だった。彼女にとって人間なんてただの実験動物。彼女が価値を見出し、愛せたのは成功したデータだけなの」
熱を帯びたような視線をヒルドルに向けて。
直後、用済みになった彼女の体を躊躇なく蹴飛ばした。
「だから、完成体はワタシ一人で充分。ワタシにしか許されない領域なの。咲良に愛されていいのはワタシだけ。他の完成品なんか絶対に許さない」
ぐっと手を握り、唇から血が出るほどに噛み締めて怒りに震えながら、咲良は恨めしげに呟いた。
「……だから絶対にアンタだけは幸せにしてあげない。勝手にワタシの領域に踏み込んだことを後悔させてあげるよ、リコ」
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