第40話 絶愛
リコに早く会いたい一心で長い長い通路を駆け抜けていた。
やがてその通路も終わりが見え、広々とした空間に出る。
そして、この部屋の中央にその人影を見た。
「リコ!!」
「セラ!!」
わたしの声を聞いてリコが顔を上げ、叫び返してくる。
近付くと彼女が鎖に縛られ、椅子に座らせているのが見えた。
かつてアリスに縛られていた時を思い出し、その卑屈な手口に怒りを覚える。
「リコ、大丈夫!? 怪我はない!?」
「うん、大丈夫だよ。あの叫び声は咲良が作った幻影だから、心配しないで」
「よかったぁ……!」
ひとまずリコが無事なことを確認し、感極まって彼女を抱きしめる。
彼女に触れるのは数時間ぶりなのだが、ここに来るまでに色々なことが起きすぎたせいで、数年以上に彼女から乖離されていた感覚に陥っていた。
リコの心地よい温もりに強い安心感を覚える。
「セラ、目が赤いよ……。泣いてたの?」
「……ごめん、わたし弱くて。また自分に負けちゃいそうになっちゃって」
「殺しちゃったの?」
リコの質問にびくりと体を震わせる。
結局、またわたしは殺人衝動に飲まれてしまった。そのことをリコは咎めてくるだろう。もしかしたら彼女に嫌われてしまうかもしれない。
それでも、正直にわたしは彼女に事実を打ち明ける。
「また、誰かを殺したくなっちゃって。セシリアを殺したのに、まだ衝動が収まらなくて……。近くにジリアンがいて……」
「――――」
リコは何も言わず、真剣な眼差しでわたしを見つめる。
「ジリアンを殺そうとした……。でも、その寸前でリコの声を思い出したの。それで、何とか自分を取り戻して仲間を傷付けないでここまで来たの」
「…………よかった」
一通りわたしの話を聞いたリコが涙を浮かべて答える。
「私、セラなら乗り越えられるって信じてた。人殺しになんかならないって。咲良に負けないなんて言い返してやったけど、本当にやってのけちゃうんだね、セラは」
「……うん。負けないよ。絶対に負けない。だってあの時、わたしはリコと一緒に生きるって約束した――――」
ぶちり、と。
妙な肉音が響き渡った。
「――――せ、ら…………?」
眼前に座っているリコの目が見開かれる。
彼女の体には傷一つない。つまり、彼女の身には何も起きていない。
起きたのはわたしの方。
そっと視線を下に向ける。
わたしの胸から、腕が生えていた。
何てチープな表現なのだろうと我ながら思ってしまうが、咄嗟に浮かんだ感想がこれだった。
とどのつまり。
何者かが背後からわたしの胸を貫いていた。
その正体を確かめようとする前に、背後の人物が声を上げる。
「お久しぶりですねぇ、セレスティア」
「凜華…………!?」
「あなたに言うことはただ一つ。――――死ね」
直後、胸を貫いたまま体重をかけて凜華は腕を勢いよく振り下ろす。
まるでナイフで果物を切るかのように、いとも簡単にわたしの胴体が裂けていった。
ぽろぽろと大量の血液、それから臓器がこぼれ落ちていくのが視界に入る。
「う、ぇ…………?」
理解している間もなく。痛みを感じる間もなく。
ただ、あっという間に体温が奪われていって。
足腰から力が抜けていき、重心を失ったわたしはいとも簡単に倒れ込んでしまった。
「セラぁ!!」
上方からリコの叫び声が聞こえてくる。
――――立ち上がらないと。このままじゃ、リコが危ない。
なのに、体が言うことを聞かない。いや、胴体の方を見ればすでに再生は始まっている。もう目に見えて分かるぐらいにわたしの肉体の再生力は高まっているらしい。
だが、それを凜華が許さない。
わたしの目の前に立ち、ぐりぐりと人差し指を口の中に押し付けてくる。
初めはその意図が全く分からず、無視して反撃を翻してやろうと思ったが彼女の方がひと足早かった。
ぐい、と上の犬歯が一本引き抜かれる。
それだけで、わたしの中で何かが爆ぜた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!????」
「んふふふ、あなたたち不死者は魂が死ねば終わるんでしょう? 痛みは魂を壊すのに最も最適な刺激なんです。歯を抜く、だなんて実にシンプルな刺激でも麻酔なしなら筆舌に尽くしがたい痛みへと変化します。特に神経ごとぶち抜くような痛覚はね」
「おねえちゃん、やめて!!」
凜華が語る傍ら、リコが悲痛な声で制止の声を上げる。
だが凜華はリコの声を無視して、わたしの下腹部を蹴り上げ、そっとわたしの人差し指を掴んだ。
「がはぁっ……!?」
「とはいえ、あなたはセシリアの『天罰』を受けたことがありますからね。流石にあの頃の痛みには劣るでしょうが、感じたことのない苦痛はしっかりと効くようですねえ。そ・し・てぇ。爪と皮膚の間。この間ってぇー、いーっぱい神経が詰まっているんですけどもぉ。刺すとどうなっちゃうんでしょうか?」
「やだ、やめて、ねえ本当にやめてよおねえちゃ――――」
「えい」
ぷすり、と。
肉に針が突き刺さる。
「ぎぃっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
痛くて痛くて痛くて、でも何をされているのか明確に分かってしまっていて。
晒されている肉を刺されている嫌悪感と、意識を吹き飛ばすような激痛。その二つに苛まれて、しかし意識を失うことは許されなかった。
「あはははははぁ!! いい声をあげますねぇ、あの時容赦なくわたしぃをボコボコにしたんですからそのお返しですよぅ。ふふ、いい情報を『お母様』からいただけて嬉しいな♪」
「セラ、セラぁ、しっかりして!!」
意識が痛みに囚われていく中、遠くからリコの声が聞こえてくる。
――――そうだ、リコを守らないと。リコを守るために、凜華を殺さないと。凜華を殺して、咲良も殺して、他の不死者も、みんなみんなみんな殺さないと――――!!
どす黒い感情がわたしの心を覆い尽くしていく。それに呼応するように体が再生する。
刀の柄を握り締め、凜華を睨み付ける。痛みなんか気にしない。アリスの時だってそうだったじゃないか。
だから、殺す。殺す! 殺す!!
激痛の中わたしは立ち上がり、刀を構えてイメージする。
彼女と距離を一瞬で詰めるイメージ。そうすれば黒い影がわたしを導いてくれる――――。
「負けないで、セラぁ!!」
「っ!?」
背後から響くリコの声。
冷水を浴びせられたかのように、わたしの中から殺意が消えていく。
――――きっと、リコはわたしが殺人衝動に飲まれていたことに気付いていない。
さっきの叫び声だって、わたしが倒れるなという意図でしかないのだろう。
だが、それでもまた彼女に救われてしまった。リコを守るはずなのに、彼女に守られてばかりだ。
今度こそわたしは刀を構える。『殺人鬼』ではなくセレスティア・ヴァレンタインとして。
「ありがとう、リコ」
振り返らずわたしはリコに告げる。
「セラ……?」
「今、凜華を倒すからね。覚悟して」
「!」
息を呑むリコ。
リコの目の前で『姉』を殺す事になる。彼女はもう大丈夫だと言っていたが、それでも心に癒えない傷を負わせてしまうことになる。
でも、それを償う覚悟はできている。心を壊したかつての凜華の分まで生きる。
だから、だから。
「だから、あなたをここで殺します」
刀を向けて凜華に告げる。
対して凜華は表情も崩さず、飄々と答えた。
「そう? これでもわたしぃ、不死者だよ? どうするつもり?」
「…………」
やはり、凜華は気付いていないようだった。
彼女は再生能力を持たない。初めは新たな形の不死者かと思っていたが、そうではないということに気付いた。
確信を持ったのは彼女の首を切り落としたとき。彼女は「あと数分で死ぬ」と言っていた。そして体を用意されていたという発言。
恐らく彼女は意識がある限り、肉体が朽ちない呪いを受けているのだ。あくまで肉体が朽ち果てない程度で身体は腐っていく。そして意識が尽きる前に他人の体を繋ぎ合わせて、無理やり命を繋いでいるのだろう。体の各所が青く変色しているのも幾度となく体を繋げられて拒絶反応を起こした細胞が壊死しているのだ。咲良らしいなんとも悪趣味な呪いである。
だが、彼女の心はとっくに壊れていて、自分の体がそんな有様になっていることなど気にも留めないのだろう。彼女の尊厳のためにも、これ以上生かしておくわけにはいかない。
「ごめんなさい、凜華。きっとむごい方法で殺してしまうのだけれど、許して」
「だからぁ、本当にわたしぃを殺せるの――――」
彼女の言葉を遮り、わたしは凜華の元に駆け寄って額を貫いてやった。
そのまま押し倒し、何度も頭を突き刺す。
「う、あ、うあああああああああああああああああ!!!!」
ずぶり、と両手に生々しい感触を覚えると同時に全身が総毛立つ。
今、初めてわたしは衝動ではなく自分の意志で人を殺していた。そこに快楽なんてない。ただ、人を殺めていることによる嫌悪感と罪悪感しかなかった。
両目から涙が溢れる。こんなにも残酷で非道なことをわたしは好んでやっていったのか。
だが、凜華を殺すには徹底的に彼女の頭部を破壊するしかない。確実に起き上がれないようにしなければ。
何度も刀を刺し、抜き、刺し、抜いて。
「セラ!!」
背後からのリコの声に。
ぴたりとわたしは動きを止めてしまった。
「う、ぁ…………えふ、おえええ」
冷静を取り戻し、最初にわたしが覚えたのは嘔吐感だった。
堪えきれずにそのまま吐き出してしまう。
「セラ…………」
「うぇ、ごめっ、んな、さい…………本当に、ごめんなさっ、ごほっ」
謝りながら、何度もわたしは吐き続ける。
――――初めてわたしは『殺人鬼』ではなく、セレスティア・ヴァレンタインとして人を殺した。
得られたのは快楽ではなく、過ちを犯したという事実しか残らなかった。
それが、この戦いの決着だった。
※※※※
「おねえちゃん、おねえちゃん……!」
リコの鎖を解くなり、彼女は凜華の元へ駆け寄っていった。
たとえ、自分のことを最後まで思い出せず咲良の駒になっていようと、彼女にとっては大切な『姉』であることに変わりはなかったのだ。
「おねえちゃぁぁぁぁぁん…………」
凜華の体にしがみつき、リコが慟哭をあげる。その姿が痛々しくてつらくて、わたしは目を逸らすことしかできなかった。
ただ、いつまでもこうしている訳にはいかない。咲良を殺せなかったのは残念だが、姿が見当たらない以上もうここにはいないのだろう。カレンさんたちと合流して帰って、凜華のお墓でも立ててあげよう。
「ねえ、リコ。もう帰ろ――――」
「おっめでとーう、セラ。今日だけで二人の不死者も殺しちゃうなんて✩」
聞き覚えのある声。
気が付いた時には目の前に咲良が立っていた。ぱちぱち、と口に出しながら手拍子をする。
「さ、ら……!?」
そこまで口に出した途端、わたしは身動き一つできなくなった。
いいや、わたしだけではない。泣き叫んでいたリコの声がぴたりと止まっている。
咲良の『権能』によるものだ。
「まあまあ警戒しなくてもいいよ、セラ。別に今すぐ戦うわけじゃない。ただ、君に一個だけ伝え忘れたことがあってね」
――――何なの!?
心の中で問いかける。どうせ彼女のことだ、わたしの思考でも読んで答えるのだろう。
「すっごい敵意(笑)。ま、この咲良のお告げだなんて嫌な予感しかしないだろうし、その予感は概ね合ってるよ。つまり吉報でーす✩」
「!?」
吉報。
そんなこと言ったって、どうせわたしたちにとっては凶報でしかない。
彼女を睨み付けてその言葉を待つ。
「おお、怖い怖い。ま、この咲良も時間がないしアンタの反応が早く見たいから手っ取り早く告げるよん。リコに埋め込んだ『爆弾』のことなんだけど」
――――リコの『爆弾』!?
ここに来て、どうしてそんな話題が出るのか。約束通り時間内に来たのだから起爆しないはずだ。
汗が流れ落ちる。動機が早まっていく。
その様子を見た咲良は心底楽しそうに、勿体ぶって告げた。
「実は起爆する条件が二つあってぇー。一つ目は君たちに言った通り一週間の期限が過ぎたら。そしてもう一つ」
次の言葉。
それを耳にした時には、咲良はもう姿を消していた。
「もう一つはね、凜華が死んだ時だよ。ばーか」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
意味が。
分からなかった。
体が動かせる。
ゆっくりと、リコの方を振り向いた。
「リコ?」
声が止んでいる。
凜華の前で膝立ちになって呆然としている。
きっと、まだショックから立ち直れていないだけなのだ。そうに違いない。
だから、恐る恐るリコの肩に触れて声をかけた。
――――どうして恐る恐るなのか、自分でも分からないまま。
「ね、リコ。もう帰ろう? みんな心配しているはずだよ。だから――――」
どさり、と。
肩に触れた途端、リコが倒れた。
「り、こ」
呼吸が荒くなる。
そっとリコの頬に触れる。体温なんて何も感じなかった。
体を抱き抱える。重さなんて何も感じなかった。
顔を覗き込む。その瞳には何も映していなかった。
――――今、わたしの目の前でリコが死んで。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
――――第3章『絶愛」、完
――――最終章『狂気の最果て』へと続く。
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