第38話 崩壊

 ――――今から約十三年ほど前。

 カレンは地元では有名な不良であり、その素行の悪さから周囲と距離を離して孤独に過ごす毎日を送っていた。

 正義感が強い故に必要以上に手を出すことが多く、そして暴力を好む性格から幾度となく謹慎を受けていた。

 やがて彼女は不特定多数の人を守れる上に戦場でひと暴れできるという理由から両親の反対を押し切り、軍の養成学校に入学する。

 環境は変わっても評判は変わらず、しかし訓練で成績を大きく伸ばし周囲の人々の目は畏怖へと変わり、孤独から孤高の生活を送ることになった。

 そんなある日のこと。

 銃火器の訓練のため、射撃場へ向かっていたカレンは背中を軽く叩かれた。

 振り返ると、灰色の髪に灰色の瞳の少女がカレンの生徒手帳を持っていた。


「これ、落としたわよ」


「……ん」


 一言だけ返し、カレンは受け取って振り向く。

 普段なら彼女はほかの生徒たちに恐れられているため、ここで会話は終わりだ。

 だが今日は違った。

 がし、と肩を掴まれたのだ。


「ちょっと」


「あ?」


 少女の行動に面食らったカレンが振り返り、彼女を睨みつける。

 その鬼のような剣幕に少女はたじろぎもせず、真っ直ぐにカレンを見つめ返していた。


「あなた、これからどこの演習に行くの?」


「……射撃」


「そう、私もなの。よろしくね」


 そう言って少女は笑顔を浮かべて手を差し出す。

 カレンはその意図が読めず、ただ首を傾げるばかりだ。


「……何が言いたいんだよ」


「あら、聞いてなかったのかしら。次の射撃の演習はペアで組むそうよ。貴女のことが気になったし、私と組んでみないかしらって」


「……断る」


「どうせ組む相手いないんでしょう? なら私とどうぞ、カレンさん」


「拒否権なしかよ。しかも何で私の名前を」


「生徒手帳に書いてあった」


「…………」


 なおも笑顔で答えるカレンは困ったように頭を掻いてうんうん唸ったあと。

 諦観の表情を浮かべ、彼女の手を握り返した。


「あーもう、分かった。そこまで私に興味があるってんなら一緒に組んでやる。あんた悪くなさそうだし」


「アイリス」


「は?」


「私の名前よ。アイリス・ハーバード。よろしくね、カレンさん」


 そう言って彼女は笑顔でカレンと握手を交わす。

 今まで恐れられてばかりのカレンにとって他人から好意的に接触されるのは初めてであり、思わず面食らった表情をする。

 それから、細々とカレンも口を開いた。


「……カレンだ。カレン・ダッシュウッド」


「うん、よろしくね」


「なあ、お前。私なんかと一緒にいていいのか? 感じ悪く思われるぞ」


「そうかしら?」


 カレンなりの配慮をあっさりとアイリスは払いのける。

 確かにカレンの言う通り、周囲の生徒たちは彼女に接近しているアイリスを奇怪な目で見つめていた。

 だが、アイリスは意にも介さず言ってのける。


「別にいいわよ、これぐらい。たかだか貴女に近付いた程度で私から離れるような人なんて友達じゃなくてその程度の人間だし」


「――――」


 アイリスの言葉に今度こそカレンは絶句し。

 しばらく固まった後、吹き出した。


「ふふっ、お前口悪いな」


「なっ!? いきなり何よ!」


「しかも自覚なしかよ。いいよ、お前気に入った」


 そう言うとカレンは意地の悪い笑みを浮かべ、アイリスの肩に腕を回す。

 彼女の耳元に唇を近づけ、一言。


「今日からお前、私の補佐官な」


「はぁ!?」


 カレンの言葉に面食らうアイリス。

 それに対し、カレンはおおっぴらに笑う。


「私は誰よりも強くなる。そんでいつか総帥になってやるんだ」


「何よその野望……。総帥になってどうしたいの」


「別にどうもしねえよ。ただ欲しいがままにするだけさ」


「はぁ……。何よ、その幼稚な理屈。聞いて呆れるわ。その曇りなき瞳が真性の馬鹿を物語ってるわね」


「口悪いな!?」


「そんなことないわよ!!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐカレンとアイリス。

 お互い初対面の印象は「最悪」であったが、この日をきっかけに二人は言葉を交わすようになり隣同士に席に座って講習を受けることも多くなった。

 それから無事二人は養成学校を卒業し、エルメラド国軍に入隊。奇跡的にも二人は同じ隊に配属され、そして戦場に出て。






※※※※





――――カレンは、アイリスを庇って左目を失った。


「カレン! カレンっ!! しっかりしなさい!!」


 片目に穴を開け、そこから止めどなく血を流し意識を朦朧とさせているカレンにアイリスが必死に声をかける。

 そのアイリスの呼び声でカレンはアイリスに顔を向け、息も絶え絶えに応える。


「わ、るぃな……アイリス。しくじった…………」


「馬鹿!! 何で私を庇ったのよ!!」


「だって、お前がいな、がはっ…………いないと、私はダメだ、から…………」


「っ!!」


 カレンの言葉にアイリスは顔をくしゃくしゃに歪めて涙を流す。


「私が、補佐官で……貴方がっ、総帥でしょう?」


「……ぁぁ…………」


「なら私が貴女を総帥まで昇らせてあげる!! だからこんな所で死んでるんじゃないわよ!!」


「ごめ……ん、な…………」


「謝るのもなしよ! さっさとその傷塞がってもらって立ち上がらせるんだから!!」


 そう言ってアイリスはカレンの肩に手を回し、歩き始める。

 そうしてカレンを運んでいる最中、ぽつりと小さな声でアイリスは呟いた。


「……まったく、いないとダメなのは貴女の方なのよ」






※※※※







「久しぶりだな、女」


 金髪に顔を覆うガスマスクを被った少女、ヒルドル。

 表情が読めないまま彼女は静かにカレンを見据えて呟く。


「……それにしても、随分と雰囲気が違うようだが。前と違って戦意を感じられないな」


「カレンさんッ!!」


 腕を折られ激痛に身動きが取れなくなりながらもオリヴィアがカレンに向かって叫ぶ。

 だが、未だに彼女は心ここにあらずという様子であった。

 それを見たヒルドルはわずかに首を傾げる。


「……どうした? 前に見せた気概はどこに消えた?」


「……お前か」


 ようやくカレンはヒルドルの方に顔を上げ、ぽつりと呟く。

 そして。

 にへら、と壊れた笑みを浮かべて彼女は言った。


「もういいよ。殺してくれ」


「…………」


「カレンさん、何を言って――――!?」


「アイリスがいないとダメなんだ」


 目を伏せてカレンは悲しげな声で言う。

 カレンはアイリスの持つ恋愛感情に応えることはできない。彼女と体を重ねることは許せても、そこから先への踏み込んだ関係を築くことを心が許せていない。

 だが、アイリスへの想いは確かにあった。彼女は大切な仲間であった。共に窮地を乗り越え、共に同じ世界へたどり着こうと戦った仲間なのだ。

 だから、その頂に到達したとしても彼女がいないのなら意味がない。カレンはそう思い始めていた。

 彼女のことは好きじゃなくても、心に占める割合は確かに大きかったのだ。


「だから、もういい。殺してくれ」


「馬鹿、カレンさん、やめてくださ――――」


「戦う気のない戦士などいらぬ。即刻とこの場から消えるがいい、女」


 半ば諦観したような声音でヒルドルが口を開いたあと。

 轟音とともに、カレンの頭を殴りつけた。

 あっさりと。

 カレン・ダッシュウッドの頭は潰れ、意識を一瞬で刈り取られた。

 奇しくもそれはアイリスの死に様と同じであり、頭が粉々になる寸前。

 アイリスと同じ死を遂げられたカレンは笑みを浮かべていた。






※※※※





『少しは落ち着きましたか』


 あたり一面の月下香チューベローズ

 その強烈な香りに包まれて、カレンは花畑の上に立っていた。

 そして目の前には赤い瞳を開けて微笑むエレナの姿。


「……私は死んだんじゃないのか」


 エレナの言葉を無視し、カレンは彼女を睨みつけて問う。

 だが彼女の剣幕に動じることなく、エレナはくるくるとカレンの周りを

回りながら応える。


『貴女は不死者です。あの程度の傷では普通に生き返ってしまいますよ』


「くそったれが。早くアイリスの所に行かせろ」


『ふふっ、そうですか』


 くるくる、くるくる。

 エレナが回る。


『貴女の過去、覗かせてもらいましたよ。素敵な方なんですね』


「うるさい」


『体だって何回も重ねて。心こそ通じ合わなくても共に理解し合い、心を埋め合った。何ていい人なんでしょう』


「黙れ」


 くるくる。くるくる。

 回りながら笑顔で彼女は言う。


『どうして、彼女は死んでしまったのか。教えて差し上げましょうか?』


「――――!」


 エレナの言葉にカレンが顔を勢いよく上げる。

 まるで藁にも縋るかのような必死の形相。

 エレナはカレンの背後に周り、そっと抱きしめる。


『「お母様」の計画。その全貌は私にも分かりませんが、彼女が計画を遂行するには不死者の存在が必要不可欠でした。ここまでは周知ですよね?』


「……ああ。それが、どうしたって言うんだ」


 カレンの言葉にエレナは微笑み、彼女の髪を撫でながらカレンの唇を官能的に撫でる。


『不死者になる条件、それは狂気を宿すことです。そして人間を最も簡単に壊す方法は深い絶望を与えること』


「…………どういう意味だ」


 エレナの言葉を質問で返しながらもカレンは妙な焦燥感に駆られていた。

 エレナの言葉を聞いてはいけない気がする。これ以上は危険だと脳が警鐘を鳴らしている。

 だが頭の奥で理解しながらもなお、カレンは聞くことをやめられなかった。

 エレナは正面に渡り、カレンの首にそっと手を回し。

 じっと、見つめて愉快げに告げる。


『貴女のことは以前からずっと興味を抱いていましたよ、カレン。貴女をどうしたら絶望させられるのか、ずっと悩んでいました。そこにあの少女が現れたのです』


「おい、まさかそれって……」


 血の気が引いていくカレンを見て、エレナの口角が吊り上がる。

 淫靡に微笑んで、彼女はそっとカレンの耳元に口付けて、熱い吐息をぶつけながら甘く残酷な真実を囁いた。



『アイリス、あの子は貴女に会ったせいで殺されたのです。初めから貴女を『完成』させるための生贄として、殺されるためだけに生かされていたんですよ』



 その言葉を聞かされたカレンは。

 目の前が真っ暗になるようなほどの目眩を覚え、呼吸がおぼつかなくなり、そして。



「……………………………………………………へ」



 その表情が崩れ。

 否、壊れた。


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