第35話 『臨界点』
ぎりぎり、と。
強い憎悪と殺意、そして狂気を瞳に浮かべたジリアンがわたしの首を絞めていく。
「死ね、死ねっ、先輩さえいなければ、皆が殺されずに済んだんだ!」
にこにこ、と。
その様子を見て笑顔を浮かべる『リコ』がわたしの隣でしゃがんでいる。
『ねえ、セラ。早くジリアンを殺さないと苦しいままだよ? もう責められるのは嫌でしょ? だったらこんな奴早く殺さなきゃ』
「うああああああああああ、嫌っ、もうやめて!!」
自身を否定するジリアンと肯定してくれる『リコ』。
でも、どちらも『セラ』としてではなく『殺人鬼』としてわたしを見ている。
大事な二人からわたしの存在を拒絶させられるのがこの上なくつらかった。
二人の声をこれ以上聞き入れないようにしようとわたしは耳を塞ぐ。
『セラは人殺しじゃないんでしょ? だったら私がいい方法を教えてあげようか?』
なのに、『リコ』の声はあっさりとわたしの耳に入ってくる。
目を開けると首を絞めて、怒りに顔を歪めるジリアンの隣でそっと『リコ』が微笑んでいた。
『殺しちゃうの。セラのことを「人殺し」って呼ぶ奴らを全員殺しちゃえばいいんだよ。そうすればセラのことを「人殺し」って呼ぶ人がいなくなるでしょ? セラは「人殺し」じゃないって証明できるでしょ?』
「――――っ」
『リコ』の言葉に頭を揺さぶられる感覚に陥る。
今までありもしなかった考え。わたしの心の奥底で叫んでいる衝動が『リコ』の声で呼び覚まされる。
『ねえ、殺してみようよ。セラのことを否定する悪い奴らはみんな殺しちゃえ。それに殺せばきっと気持ちいいよ?』
『リコ』の言葉に熱で浮かされたかのように気分が高揚していく。
ただでさえ、首を絞められて苦しくなっている呼吸がさらに浅くなっていく。
――――ああ、そうだ。
『リコ』の言う通りだ。
わたしは『人殺し』なんかじゃない。決して『殺人鬼』なんかじゃない。リコはあの時、言ったはずじゃないか。どんなにわたしが道を踏み外そうとしても、絶対に正してみせるって。
だから、『リコ』の言うことなんて何一つ間違っていない。
「…………はは」
そうと決まれば簡単だ。
アリスと戦った時と同じ。痛いのも苦しいのも全部気にしなければ、こんな腕簡単に解くことができる。
呼吸を止め、力を込めて首を絞めているジリアンの腕に手を伸ばし。
「――――くひ」
がっ、と。
どこからともなくピアノ線が飛び、ジリアンの右腕を貫いた。
肘から上腕にかけて肉が引きちぎれ宙を舞う。
「いっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!??????」
とめどなく黒い液体を垂れ流しながら絶叫するジリアン。
乱雑にちぎられた腕からグロテスクな肉を覗かせるが、白黒にしか映らないせいでかえって現実味が感じられなかった。
ようやく絞首から解放され、咳き込みながらも何事が起きたのか確かめようと立ち上がる。
立ち上がってから、遅れて気付いた。
ピアノ線はまだ張られたままだったということに。
ぎち、という音。
わたしの左腕がばっさりと切り落とされていた。
「くひっ、くひひひひひひひ!! ああ、ああ! ようやく会えましたねぇ、セレスティア・ヴァレンタイン!!」
後方から響く耳障りな嗤い声。
振り返ると、緑色の髪にぎらついた紫色の瞳を持つ修道女、否『狂信者』セシリア・ウェイトリーが体をくねらせながら、嗤っていた。
「ええ、ええ、そうです!! あなたが、あなたが、あなたにっ、あなたとっ、あなたあなたあなたあなたあァなァたァ!!!! 会いたくて会いたくて堪らなくて身が焼けそうでしたっ、くひひひひひひひっ!!」
「…………」
セシリアの目が見開かれる。
口を三日月状に広げ、舌を出し、従順なシスターとは思えない程に下品で狂気的で淫靡に醜悪かつ下衆た笑顔を浮かべる。
「くひっ、くひひひひっ、くへぇ。あなたと、あなたと一戦交えた時からずっとずっとずぅっと忘れたことはありません、あなたも『神』に選ばれた者であり
壊れている。
完全に人間としてあるべき思考が破綻してしまっている。
これが、『臨界点』を超えた結果か。
加速する狂気に魂が耐え切れなくなるライン。狂気の終着点。人間が人間でいられるための最後の砦。
ミーナも『臨界点』を超えたとき、まるで壊れたラジオのように口調がおかしくなっていた。その直後にミーナが死亡したため、わたしはてっきり『臨界点』を超えた人間は故障した機械のようになると勘違いしていたのだ。
だが、実際は違う。不死者は本質的に突き止めれば狂人であり、狂気が最高点に達するということはすなわち、人間性を失った生き物がそこに存在するだけということになる。
人の皮を被った生き物。周囲と自身が乖離していることを自覚しながらも己から溢れ出る狂気に従い思考し行動する生き物。その脳内にあるのは本能ではない。むしろ、その逆。理性のみで判断し実行する生き物。もはや『化け物』と呼ぶにふさわしい存在へと昇華していた。
「う、ぐぅ…………せんぱ、こいつ何ですか……」
苦痛に呻き声をあげながらもジリアンが尋ねてくる。
ジリアンの瞳にはいつの間にか先程までの激情と狂気が消えており、どうやら正気に戻っているようだった。
であれば今は彼女を殺す理由がない。リコの救出を手伝ってくれるのならその手を借りてやろう。
同じく先程までわたしの周りを回っていた『リコ』の姿が消えていた。恐らく、あれは幻覚だったのだろう。リコが捕らわれパニックに陥っていたわたしを少しでも落ち着かせるために見せてくれたのかもしれない。
「……ふふ」
「先輩?」
「ううん、こいつはセシリア。不死者だよ」
「!? そんな、じゃあこいつは敵で――――」
「くひひひひひひぃ、その通りですぅ。ええ、ええ!! 我々は『神』に選ばれし使徒であり故に敵対し争う運命にある。最後に生き残った者が『神』から、咲良様から寵愛を慈愛を友愛を親愛を情愛を愛を愛を愛を受け取ることができるのです!!!!」
自らの肢体を抱き頬を染めて恍惚とした表情を浮かべながらセシリアは叫ぶ。
もちろん、仮にセシリアが不死者全員殺したとしても咲良はそんな褒美など与えるわけがない。彼女自身、咲良がそういう人物であることに気付いているはずだ。
だが、あれほど恐怖した彼女に神秘性を抱き都合の悪い記憶は全て捨て去り、『神』と同一視し熱心に崇拝する姿はまさしく『狂信者』そのものであった。これまで彼女が重ねてきた悪事や信仰の対象を除けば、これほどまでに純粋に『神』を信仰できるシスターはそうそういないであろう。
向こうはわたしに会えてさぞかし喜んでいるようだったが、わたしとしては彼女に二度と出くわしたくなかった。ただでさえ狂人ひとり相手するのにとてつもない精神的疲弊を伴うというのに、彼女は他の不死者より頭のネジの外れ具合が飛び抜けている。
それに、リコは依然囚われの身のままなのだ。一刻も早く彼女を助けなければならない。こんな奴と相手している時間すら惜しいのだ。
気が付けば、切り落とされていた左腕は再生していた。ならば、もう遠慮はない。
「くひっ、くひひひひひひっ、さあ今すぐ『神』の名の元あなたがたをここで殺してしまいましょう。セレスティアには『神』の鉄槌を、そしてそこの少女にはまことに哀れですが『神』への供物となってもらいましょう。ああ、ああ! 『神』が咲良様が喜ぶ顔が浮かんできますっ、
セシリアが何事か呟いていたが無視してわたしは刀を鞘から引き抜く。
そして一瞬だけわたしの視界が暗闇に覆われた。
視界が晴れた直後に、わたしはセシリアの目前にまで距離を詰めていた。
「――――は?」
呆けたような声を上げるセシリア。
彼女の思考が理解に追いつくよりも前に。
わたしは彼女の心臓を貫いた。
※※※※
「さーて、ここでリコちゃんに問題です、『権能』を行使すると人間はどーなってしまうのでしょーか?」
「う、ぇ……ふぅ、ふぅ…………」
鎖で体を拘束され椅子に座らされたリコ。
全身から止めどなく汗が流れ、顔を青くして、がたがたと全身を震わせている。
凜華から拘束を外され、鎖で殴られながら容赦ない言葉を浴びせられた。だが、全て凜華によって作られた幻覚であり、実際にリコの身体は無傷であったし高速など一度も外されていなかった。
だが、あそこで見た幻覚はあまりにもリアルでリコの記憶に強いトラウマとして刻まれていた。
「おーい、リコちゃーん? 質問に答えてくれるぅ?」
「う、ふぇ、せっ、らは……セラの『権能』はっ、あの瞬間移動、なの……?」
凜華と戦った時。
セラは一瞬にして凜華の元に距離を詰め寄り首を刎ねていた。
あの時セラは走る素振りを一切見せていなかった。刀を構えたまま、リコが彼女の背中を掴んだ途端に同じ姿勢のまま凜華の元に移動していたのだ。
「半分正解かなー。厳密に言うとセラの『権能』は『影身』。自分の体を影に変えて一瞬で相手の距離を詰め寄れる力なの。影に変身できる条件はなし。昼も夜も関係なく、相手に近づきたいって思えばその人の元に近付ける」
「それが、どうしたって言うの……。連続して使うことで何かまずいことでも……」
リコの言葉に、にやりと咲良は笑う。
その笑顔を、リコは知っている。
相手を貶める時に浮かべる笑顔だ。
「『権能』は使えば使うほど、自らの狂気を増していく。『臨界点』に直接近づくことができるの」
と咲良は言って、リコの前に映像を出現させる。
そこには刀でセシリアの胸を貫くセラの姿があった。
「セラの殺意はどんどん抑えられなくなっていく。それに比例して記憶と感情がどんどん失っていく。多分、今のでセラの感情がまた一つ消えたと思うよ」
「…………待って、それだとおねえちゃんみたいに」
「ふふ、そうだね」
咲良が言わんとしていることにリコは気付き、顔が絶望に染まっていく。
もし、このままセラが戦い続ければ。
「ふふ、最終的にセラはリコのこと覚えていられるかなぁ。もしかしたら凜華ちゃんみたいに全部忘れてただの『殺人鬼』になってるかもね」
「……っ、そんなことさせない! 私がセラを殺人鬼にさせないって約束したんだ! 絶対にセラを元に戻させる!!」
咲良の言葉にリコが絶望するのかと思いきや、彼女は怒りの表情を浮かべ歯向かってきた。
予想外の行動に咲良は驚いた表情を浮かべたあと、舌打ちをする。
「……そうやって馬鹿の一つ覚えみたいに信じている奴、ムカつくんだよ」
「な、に…………」
「何でもない、勝手にそう言ってれば。どう言っても事実は変わらないと思うけどね」
そう言って咲良は踵を返し、部屋を去る。
残されたリコは映像に映るセラを見つめて、祈るしかなかった。
「セラ、お願い……。私がなんとかするから、人殺しにならないで…………」
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