第34話 絶望はどこにでも転がっている

「何なの、これ……」


 震える声でリコが呟く。

 目の前に映し出された映像。取り乱し馬乗りになって首を絞めるジリアンと、叫んでいるのか必死の形相を浮かべるセラの姿があった。

 突如変わり果てたかのように仲間割れを起こし始めた二人にリコは戸惑いを隠すことができなかった。

 愛しい恋人が親友に傷付けられている。何とも目に耐え難い光景であった。


「二人に何をしたの!?」


「ふふーん、驚いた? これ凜華ちゃんの力でね、いわば人を狂わせる力を『獲得』したみたいなんだよ」


背後から咲良がリコに抱きつき、髪をそっと撫でながら甘い吐息をぶつけ囁く。


「ジリアンは一度セラに抱いた不信感が募ったみたいだね。対してセラは自分の殺意がそのまま幻覚として現れているみたい」


「幻覚……!?」


「うーん、この状況はまずいかなあ。お互いがお互いを見れてない。それにジリアンがセラの意識を半端に奪いかけてるせいでセラの殺意が表層化してきている。ふふ、このままじゃジリアンが殺されちゃうかもね✩」


「何でそんなことしたの!?」


「この咲良に文句言わないでよ、やったのは凜華ちゃんなんだからさ」


「でも、おねえちゃんを狂わせたのはお前だ! お前のせいでこうなってるんでしょうが!!」


 咲良を睨み付け、リコが怒声を張る。

 彼女の叫び声を聞いた直後に咲良はがし、と彼女の首を掴み力を込めて握る。


「い、ぎぁ…………!」


「おい、調子乗るなよ。『』じゃなくて『』でしょ」


 無機質な瞳を向け、表情を変えることなく咲良は絞首する力を強めていく。

 苦悶の表情を浮かべるリコを見て機嫌が少し治ったのか、咲良は柔和に微笑んでしかしながら手を緩めることなく呼吸を奪いながら饒舌に話しかける。


「ねえ、忘れたの? 霧乃ちゃんに襲われたとき、この咲良の手で死にかけた事あるでしょ? 命なんてそんなもん、片手さえあればじゅーぶんに殺すことが出来るんだよ✩」


「ひっ、いぇ、ぐぅ…………!」


 咲良の言葉にリコは涙を流し、体を震わせ顔を青ざめていた。

 咲良から敵意を向けられる恐怖と、命を握られている恐怖と、過去に命を落としかけた恐怖が蘇り、萎縮してしまう。

 彼女は確かにリコを生み出した『母』であり、彼女に逆らうことはすなわち死に直結する。頭で理解するよりも早く魂に刻まれてしまっている。

 だから、わずかでも反抗してしまったリコの心が折れるのは当然のことであった。

 ……はずだった。


「げほっ……知っ……た、こっ、ぉ…………か」


「――――」


「殺せ、るなっ、ぁぐ、ころしぃ……てみ、ろ…………。セラが、許す……とっ、ごほっ……ぉもうな、咲良っ!」


「へぇ……」


 怖気づきながらも咲良を睨み付け、恨み言を吐くリコに咲良は不敵に笑ってみせる。

 やはりセラと打ち解けてからというものの、彼女の精神が大きく成長している。この調子ならば本当にセラの狂気を治すことができるのかもしれない。

 裏を返せば、今の二人はそれだけ深い共依存に陥っている。現にセラはリコから離れただけでいとも簡単に幻覚に囚われ、リコも親友であるジリアンなど視野に入れずにセラのことだけを心配している。

 前夜に抱いた新たな決意。その決意こそが、二人を縛る『呪い』になることに気付いているのだろうか。

 

「……流石にこの咲良も同情するよ」


「な、がはっ…………な、に?」


「んーん。いやあ、『娘』が反抗期迎えて『お母さん』としては嬉しいなあって」


 ぱっ、と咲良はリコの首から手を離す。

 ようやく気道が解放され、リコは咳き込みながらも目一杯に息を吸い込む。


「こぉんなにもかわいい『娘』を殺す訳無いじゃん。セラのお嫁さんになる時が来るのを期待しているのよ。だから、簡単に死なないでねん✩」


「嘘つき……!」


 吐き捨てるようなリコの言葉に咲良はおざなりに手を振ってその場から去る。

 依然、拘束されたままのリコは目の前に展開されている映像に目を向けるしかない。

 

「……っ!? セラ、ジリアン!」


 そしてセラたちの様子を見ていたリコの顔が青ざめた。

 セラの道を正せるのは自分しかいない。だから一刻も早く彼女の元に向かわなけえれば。

 だが生憎にもリコの体は鎖に拘束されて動かすことができない。

 咲良の不可解な力でもなく、こんな単純な道具でセラたちのもとへ向かうのを許されない。

 それが堪らなく悔しかった。


「くぅ……! 動け、動けよ私の馬鹿!!」


 悔しさで涙が溢れてくる。

 どうしていつもセラを守ることができないのか。

 いつも泣いてばかりで、自分は役に立たないじゃないか。

 自責と後悔の念に駆られるばかりで、何も出来やしない。ただ己の無力さに絶望していくばかり。

 だったが。

 不意にかちゃり、と金属音が鳴る。

 それと同時に全身を拘束させていた鎖が解け、体が軽くなる。

 誰がやったのか、そんな疑問を抱くよりも前にリコは背後を振り向いていた。


「――――え、あっ、おねえちゃん!?」


「リコ、大丈夫?」


 そこに立っていたのは凜華だった。

 異様に青い肌の至る所に傷と縫い跡が覆われているが、その笑顔は間違いなくリコがよく知る『姉』の凜華そのものだった。

 拘束が外れ、ふらふらと体が揺れるリコを優しく抱きとめる。

 鎖を拾い上げ、怒りを顕にぐっと握っていた拳に力を入れていた。


「こんな跡がつくまで縛り上げて……許さない」


「おねえちゃん、思い出したの!?」


「うん。紅崎リコ。私が付けてあげた名前。大事な『妹』だもん、ちゃんと覚えてる」


「おねえちゃん……!」


 過去の記憶と変わらぬ様子の凜華にリコは安堵し、涙を流す。

 どうして記憶が戻ったのかは分からないが、この奇跡を手放すわけには行かない。凜華が以前の人格と記憶を取り戻したのなら彼女と戦う理由はもうない。

 一刻も早くここから逃げ出し、セラたちと合流しよう。

 じゃらじゃら、と凜華は拾い上げた鎖を高く持ち上げる。

 そんな様子にも気付かず、リコは凜華を抱きしめ返し、体温こそ感じられないが確かに彼女が戻ってきたことを強く実感する。


「ああ、よかった。ねえ、おねえちゃん。早くここから逃げよう。そしてセラにうまく説明して一緒に不死者を倒し――――」






「んな都合のいいこと起きてる訳ねえだろ、ばーか」






「え?」


 凜華の言葉にリコが戸惑いの声を上げ、凜華を見つめ返す。

 その笑顔は温かいものではなく、見るものを凍らせる邪悪なもの。

 あまりの豹変ぶりにリコは思考が追いつかず、理解することを放棄してしまう。

 否、彼女を『敵』だと認識することができなかった。


「おねえ、ちゃ――――」


「ごめんね、あんたのこと知らない」


 直後。

 容赦なくリコの頬に鎖が叩きつけられた。






 ※※※※






「何なの、これ……」


 目の前に広がる惨状にアリスは声を震わせる。

 おびただしい量の血を流し倒れる人たち。

 特にその比率は圧倒的に少女が多く、単なる無差別殺人鬼の仕業ではないことは明らかだ。

 こんな芸当ができる人物は残念ながらアリスには心当たりがある。お互い干渉することはなかったが、どこか似た思考を持った自分のよりもずっと幼い少女。


「ッ!?」


 突如、体が強張るほどの殺気と気配を感じ咄嗟にアリスは物陰に潜める。

 直後に『彼女』がやってきた。


「…………?」


 隠れてその様子を見ていたアリスは違和感を抱く。

 ぽたぽた、と刃先から血をこぼす刀を歩きながら歩く童女は間違いなく不死身の『吸血鬼』、霧乃だ。彼女は不死者の中でも最速の身体能力を持つ上に全身の血液を自在に操り固体化させる『凝血』という厄介な『権能』を所持している。

 だが、そんな霧乃の様子がどこかおかしかった。

 ふらふらと足元はおぼつかなく、瞳も虚ろでまるで現実を視認しきれていないかのよう。

 最初はこの付近を護衛しているのかとも思ったが、どうやら様子を見る限り独断でここに来ているらしい。

 一体全体、何が目的でここまで来たのか。

 気配を悟られないよう、そっと身を乗り出し聞き耳を立てる。


「せ、れすてぃ、ぁ…………」


「!?」


 予想だにしなかった幼馴染の名前に悲鳴を上げそうになるが、咄嗟に口元を押さえ懸命に抑えた。

だがセラを求めているというのならどうしてこんな所にいるのだろうか。今、セラたちは『ローゲン』に到着しているはずだ。この場所から列車でも一日かかるではないか。

 と、思考しているうちに彼女の足音と気配は完全に消えていた。目的は分からずじまいだったが、彼女が関与していないことに一先ず安堵し、外へ飛び出す。


「やっと……やっと着いた」


 そうアリスは呟き、目の前の建物に目を向ける。

 エルメラド軍国総司令部。

 この場所こそ、アリスが目指していた目的の地であった。

 ここに、咲良へのダメージとなる『何か』が隠されているはずだ。

 セラが不死者のことを許さず戦っているように、アリスもまた咲良を許せず孤独に戦っていた。

 咲良への復讐になるのなら手段は問わない。例え幼馴染のセラを敵に回してでも咲良を放っておくわけにはいかないのだ。

 それが不死性を剥奪され、本当は内蔵だってボロボロの彼女が戦う理由である。セラたちのように狂気に囚われることはなくとも、確かに彼女の執念と愛情は歪でありどこまでも利己的なものであった。

 きっと、自分はろくでもない最期を迎え地獄に落ちるのだろう。

 それほどの報いを受ける覚悟は出来ている。ならば、精一杯足掻き、咲良に一矢報いてやろう。

 そんな思いを胸にアリスは、片手に短機関銃サブマシンガンを、もう片方の手にツギハギだらけのぬいぐるみを抱えて中に入り込む。


 思えばこのぬいぐるみだって、セラから貰った大事な宝物だ。

 だから傷だらけになって綿が飛び出しても、返り血を浴びて汚れまくっても、形だけは保たせ大切にし続けている。

 ――――そうすればきっと、セラも喜んでくれるだろうから。

 そんな押し付けがましい自己中心的な愛情を抱きながらアリスは引き金を引いていった。

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